ゴールデンファイター

スギモトトオル

本文

 麦畑を見下ろす草原に寝転んで、スマホの画面を私は見上げていた。

 五月晴れの青空が眩しくて、画面の輝度を最大にしてもなお目をぎゅっと細めて。


 とあるFPSプレイヤーを紹介する記事だ。

 私の名前HNはネットで多少有名で、エゴサをすれば色んな記事がヒットする。

 たとえば、こうだ。『実力を伸ばしつつある若きスナイパーだが、”セルフ・ナーフ(自己弱体化)”とも呼ばれる悪名高いスキンを敢えて使う姿は、賛否両論がある。』とか、『「私を見つけてくれ」と言わんばかりにビカビカに光る〈カナリーイエロー〉に身を包んだヤツに狙撃されたとあっちゃあ、憤懣ふんまんやるかたなし、だ。台パンもうなずける。』とか。

 要するに、私は狙撃を得意とするプレイヤーの癖に、遠くからでも目立ちまくる色に自分のキャラをわざと変更して使っているせいで、変に悪目立ちしているってわけ。

 単なる好みで選んでいたんだけど、とあるプロ選手が『あのスキンは着ているだけで不利になる。自分から弱体化ナーフしてるようなものだ』と発言してからは、舐めプレイ、煽りといった様に取られるようになって、今じゃ何だかヴィランや悪役ヒール扱いさ。


 不意に、メッセージがポップアップする。千春からだ。中学に上がる前からの親友で、ゲーム配信者としての私を一番応援してくれている。昨日の試合、見てくれたみたいだ。

 一晩明けてアーカイブ視聴になったことを詫びながら、『準決勝、負けちゃって残念だったけど、カッコよかったよ』と慰めてくれた。

 お礼を返信して、スマホの画面を閉じる。大の字になると、草の上を吹き抜けてきた風が、私の髪をそよそよと揺らした。

 なんだか変な感じ。暗い部屋でパソコンに向かいながら、何千何万もの注目をネットで浴びる私と、こうして寝転んで流れる雲を見上げている何でもないぼんやりしたチビすけでしかない私。

 麦農家を営む家族は私のことを、単なる勉強嫌いでゲーム好きの、夜更かし娘くらいにしか思っていないし、学校のクラスメイトも、暗くて眼鏡で地味な女子、程度の扱いだ。喋る相手も千春以外ほとんどいないから、配信者だとバレることも無い。

 ああ、でも最近は、にわかに話し掛けられることが多くなったんだった……

「茜、おうい、帰るぞー」

 農作業を終えたお父さんの声が、麦畑から聞こえてくる。寝転んでいた体を起こした。風が背中に張り付いていたシャツを撫でて、少し汗ばんでいたことを知る。暦の上ではもう夏が来ているのだった。


* * * *


「おい、なあ小峰。読んだぜ、この記事」

 いきなり男子にそう話し掛けられて、思わずヒヤッとする。

 しかし、男子が突き出したスマホに映っていたのは、とある野球選手のネット記事だった。

『小峰順也、米での夢破れて成田に帰国』

 スポーツ新聞がネットにも上げているニュース。そこには、先週から私の家にいる”叔父さん”の顔が載っていた。

 自分の事ではなかった安心感とともに、私はその顔をみてゲンナリする。

「お前のお兄さん、プロ野球選手だったんだな! 俺はじめ聞いた時嘘だと思ってさ、でもすげえや」

 興奮気味にその男子は囃し立てる。そのテンションに対して私は冷ややかなまでに落ち着いた心持で、冷静に彼の言葉を訂正していた。

 ちがうよ、まずその人は兄じゃなくて叔父さんだし、彼は日本のプロ野球界に在籍した経験はない。

 順也さんはお父さんの弟だ。高校時代から野球部で活躍していて、地方リーグのチームからスカウトを受け、大学卒業と同時に四国へ移り住み、そこで頭角をあらわし、リーグ随一の投手に上り詰めた。

 当時、プロ野球の球団からも誘いはあったそうだ。でも、叔父さんが選んだのは、アメリカ、大リーグへの挑戦だった。

 無謀だと説得する周囲を振り切って渡米したが、結果としては皆の予想通りになってしまった。

 1勝6敗2分け。かなり無理をして入ったチームではろくな活躍が出来ず、新聞に載ったのもたった二回、それも三行ほどの短い文。

 そんなだから、私自身、叔父さんが何をしている人なのかつい最近までよく知らなかった。帰国してくる十日くらい前にお父さんから今みたいな説明を受けて、ようやくどんな境遇の人なのかが分かって来たくらいだ。

 だからといって私の叔父さんへの関心が特別高まったというわけではない。そもそも、野球なんてこれっぽっちも興味ないし。

「なあ、良かったらお前んち行かせてくんね? ちょっとだけでいいからさ、お兄さんに会わせてくれよ~」

「はあ?」

 不躾な物言いに、思わず険のある声が出てしまう。どうして私が、下の名前も覚えてないような男子と、あの叔父さんとの間を取り持たなきゃいけないわけ?

 表情と声色から、大体の考えていることが伝わったらしく、慌てたその男子は媚びるように手を合わせてきた。

「いや、そんな、無理になんて言わないからさ。あ、ホラ、サイン。サインだけでもいいから貰えたりしない? ボールがいい? たしかピッチャーだったよな。あ、普通に色紙のが書きやすいか」

 延々と早口に捲し立てるその男子の顔をうんざりしながら眺める。そして、その後ろで知らないふりをしながら聞き耳を立てている他のクラスメイト達も。どうせ、一人で終わることなんてないに決まってる。男子だけじゃなくて、ミーハーな女子もキャイキャイと盛り上がってたのを知ってるからな。きっと、ああいうのが将来スポーツ選手と結婚したいとか言い出すんだ。

 私はわざとらしくため息を吐いて、クラス中で成り行きを見守っている連中すべてに聞こえるように言ってやる。

「悪いけど、私はその人のマネージャーでもなければ広報スタッフでもないから。来たければ勝手に来ればいいし、サインや写真が欲しければ自分で言ったらいいよ。ただし、私の後を付いて来たりしたらストーキングで訴えるけどね」

 分かった? と目の前の男子をひと睨みして、私はカバンをひっつかみ教室を出た。唖然とした空気は感じたけれど、気にするもんか。どだい、千春以外に学校に友達なんかいないんだから。


* * * *


「ただいま」

 家に帰った私は、誰も家族がいないのを承知でさっさと二階の自分の部屋へとこもる。

 PCの電源を入れ、見慣れたゲームのアイコンをダブルクリック。ランチャーが起動して自動でアップデートを開始する。

 ゲームが起動するまでの間に、ブラウザを立ち上げてメールを確認する。新着メール。見覚えのある名前の企業から。

 私はその内容をざっと読んで、ため息を吐いた。無意識に部屋の壁に掛ったカレンダーへ視線が行く。返事をする締め切りまでの日数を自然と目で数えていた。

「なんだかなあ」

 独りごとを呟いても、部屋の中に反響すらしない。そうこうする間にアップデートが終わって、ゲームが起動してメーカーロゴが画面いっぱいに表示された。

 いまはゲームに集中しよう。学校のことも、家のことも、クライアントのことも忘れて、ただ純粋に撃ち合いがしたい。そういう気分だった。

 ヘッドホンを着ける。サラウンドの迫力で世界が塗り替えられる。ウェルカム・バック。肌は戦場の空気に溶け込んでいき、左クリックは引き金トリガーになる。生活のどの瞬間よりも私の神経は鋭敏になり、精神は真剣に前のめりになれる。勝つために。誰よりも技を磨くために。


 二時間ほどそうしてランクマッチを回していただろうか。マッチの合間に不意にお腹がすくのを感じた。

 一旦休憩しようと息をつき、ヘッドホンを外して振り返って、そこで本当に心臓が口まで跳ね上がるんじゃないかと思うほど驚いた。

 部屋の入口に叔父さん、順也さんがいた。

「よお、茜ちゃん」

 私と目が合うと、片手を上げてニヤっと笑う。

 べつに、いやらしい笑いじゃない。だけど、表情だけで人をからかうような、そういうヤな笑い方だ。私はぶすっとして、「勝手に部屋覗かないでくれる」と睨みつける。

 順也さんは私の視線なんて意に介さず、

「俺が開けたんじゃないよ。物音がするから、挨拶くらいしとこうかと思っただけだよ」

 しまった。誰もいないと思ってドア開けたままだったか。

「随分真剣にやるんだな、ゲーム」

「別に」

「義姉さんから聞いたよ。何だか結構すごいらしいじゃんか。ストリーマーっていうのか?」

 ちっ、思わず舌打ちしそうになる。お母さんのやつ、余計なことを。

「大したことないよ。別に、個人で遊んでる延長だし」

「ふうん、あっそう」

 順也さんは相変わらずニヤニヤして、ドアの枠に寄り掛かったままこっちを見ていた。

「遊んでるって感じじゃ無かったけどな」

「え?」

「茜ちゃんさ、結構本気でやってるんじゃないの。そのゲーム」

 私はちょっとびっくりした。本気でゲームをやる。そんなことを言う大人なんていないと思ってた。

「実は、チームに入れるかもしれないんだ」

 気が付いたら、そんな言葉が口からこぼれていた。まったく言うつもりなんてなかった言葉。

「へえ、チーム」

 順也さんはそう応えるだけ。暗に私の説明を促している。

「チームっていっても、ただの遊びの集まりじゃなくて、ゲーミングチームっていう、一応プロの集まりなんだ」

「プロゲーマーってやつか」

 私は頷く。

「っていっても、私は競技選手じゃなくて、ストリーマーとしてだけど。あの、つまり、ネットでの大会とかに出たりして、盛り上げる役目」

「へえ、すごいじゃん」

 口の端を持ち上げて、順也さんはそう言った。からかう風でもなく、バカにするでもなく。ただ、ちょっと面白そうにそう言うのだ。

「そう、すごいんだよ」

「なんか、それにしては浮かなそうな顔だけどな」

「だって……プロゲーマーやストリーマーなんて、片手間に出来るような甘い世界じゃないし、でも、ちゃんと仕事になるのかも分かんないし、大体、私がそもそもそんなに上手くやれるかも自信なんてないし」

「ふうん」

 自分でも知らないうちに、いっぱい喋っていた。この人にこんなこと言うつもりじゃなかったのに。でも、気が付けば、順也さんは顔からニヤけを消して、まっすぐに私を見ていた。

「俺な、半年後にはいなくなるから」

「え?」

「トライアウトって、知ってるか?」

 叔父さんは、ゆっくりと私に説明を始めた。

「日本でプロの野球選手になるにはな、いくつか方法があるんだ。スカウトに見初められる。球団の入団テストを受ける。そして、トライアウトってのは、一度プロ選手としてクビになったり引退した選手が、もう一度再就職のためにアピールする場だ。つまり、藁をもすがろうとする敗者たちの集まりなのさ」

 自嘲的に笑って、再びニヤリと口の端を上げる。

「そこに俺は本気で全てを賭けようとしてる」

「全て……」

「ああ。トライアウトで箸にも棒にも掛からなかったら、もう望みは無い。本格的に、お前はもう要らないって、ハッキリ通告されるみたいなもんさ」

 そう言って、叔父さんは自分の手のひらを見下ろした。

「正直、兄貴にも義姉さんにも母さんにも、もう諦めろって言われたさ。そんな僅かな望みに縋るんじゃなくて、ちゃんと就職先でも見つけなさいって。時間は有限で、あんたももう若くはなくなるんだからってさ」

 残酷な話だ。そして、逃げることの出来ない現実の話でもある。

「でも、俺は挑戦するよ。みっともなかろうが、散々な結果になろうが、苦労して入った球団に一年で捨てられようが、ね」

「どうして……」

「俺にはこれしかない、なんて言うつもりはない。きっと、就活すれば、自分に合った、能力を活かせる仕事だって見つかるだろう。でも、それでも俺は確かめたいんだ。自分がどこまでやれるのかを。小峰順也という男がどんな野球選手だったのかを」

 叔父さんは顔を上げて、私の目を見た。

「それを見極めるまでは、俺は最後まで自分を絞りつくす覚悟さ」

「覚悟……」

「まあ、自分の人生だ。どの道を進むのかは自分次第。義姉さんは大学に行かせたがってるんだろ?」

 そう、お父さんとお母さんは私に安全な道を求めている。もちろん、それが真っ当な道だってことも、分かってる。

 だけど……

「じゃ、俺はまた自主トレに行ってくるから。夕飯までには帰ってくるって言っておいてくれな」

 叔父さんはそう言ってドアから離れていった。


* * * *


 一か月後、私はお父さんの前に立っていた。私なりの覚悟を両手に握りしめて。

「お父さん、話があるんだ」

 私の背後では、金の穂を実らせた麦が、風に揺れてギラギラと輝いていた。


<了>

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