翠玉の章 9話 紳士とは…? 突撃早朝デートだと…

柔らかくて、暖かくて、気持ちいい…

遠くから呼ばれている、ような。


「ハナ、起きて…」


「んんーあと半日…」

私は極上の感触を手放せず寝返りを打つ。


「起きなさい?起きないと……」


浅瀬に浮上してきた意識に、耳元で甘く囁く声も鮮明になってくる。


そして、なんか息苦しさも鮮明に…

切実に鮮明に……


「フハっ!」

耐え切れずに一気に目を見開いた。


「やっと起きましたね。おはよう、お嬢さん」


開眼1番で飛び込んできたのはカナタ……の

手だ。


「……ほはほほ」


ジト目で私の鼻を摘む手を振り払った。

やめれい!


「…人の寝込みを襲うなんて、変態紳士の名は伊達じゃないね」


「ご挨拶ですね。優しく起こして差し上げたのに」


ベッド脇にに腰掛けて人の鼻を摘んでいたカナタはいたずらっこの笑顔を見せた。


「鍵かかってなかったっけ?」

「ふふっ…♪」


マスターキーをくるくる指で回すカナタ。


「まあ、そらそーだよね……」


結局は安全地帯などない。

ゲンナリしつつ、のっそりと身を起こす私。


「あと半日~は寝過ぎでしょう、本当にあなたは朝が弱いね」

寝言を反芻し、カナタは懐かしむように微笑む。


私を真っ直ぐに見つめているのにすり抜けているように感じるそれは、誰に向けているのか。


「こんなにいいベッドで寝たの初めてだから、いつまでも寝てられそうでね…

ずっとゴロゴロしていたいよ…」


「そうですか。ならご一緒しましょうか?

それならそれもよいですね」


「いやいやいや!!起きます。起きますって」


こんな外側だけは美男子イケメンを間近で感じたら溶けてしまう。


冗談じゃない。


カナタの申し出を丁重に辞退して、私は素早くベッドから抜け出した。


「で、朝っぱらから何か用?」

鏡台に移動し、寝癖を撫で付けて櫛を入れながら問うた。


「出かけます。邪魔が入らぬうちに」

「リュートはいいの?」

「邪魔、といいましたよ」


外の日差しを見るにまだ明けてそんなにたってないじゃないか…

やっぱりもう少し寝ていたかった…


「わかった。支度するから出てって」

「私のことはお構いなく」


ニコニコ、大変キラキラしい笑顔で言ってのける変態紳士。


「構うわ!」


どうせ私に拒否権はない。

わかっているがとりあえず着替えるからと

終始ニコニコ楽しそうな変態紳士をドアに追いやり退散させた。


「なんなの、もう」


うっとおしい絡みと億劫さに盛大なため息をついた。


………



「んん~」


早朝の空気は澄んでいる。

朝露が光る芝の、濃い緑の匂いを鼻いっぱいに吸いこんだ。

まだ少し肌寒いが、気持ちの良い朝だった。


…コイツがいなければ。


「確かに気持ちがいいですね。早朝の街歩きは久々だ」


「こんな早くにどこいくの?朝ごはんの屋台だってまだ開いてないよ」


商業通りを歩くと、開店準備に忙しい屋台を流し見しながらカナタに振る。


「そうだな…散歩?

特に目的はないのですが。ただあなたと落ち着いて話がしたかっただけ」


「それなら部屋で良かったんじゃないの?」


「密室で話すと、あなたも不安だろう?

いくら私が紳士でも、君にとっては初対面の男ですし」


嫌われたくない。とカナタは私に気遣いを見せた


そうだが…


「……だったら私の寝室に侵入してきたのは悪手では」


「いいえ、あのまま起きるまでは待てません。半日寝るつもりだったのでしょう?

時間は有意義に使わないと」


私のジト目の非難も笑顔でさらりと流される。


まあ。カナタが侵入してきた時点で気が付かない自分も悪い。

極上の寝床だからと言って久しぶりに熟睡してしまったのもいけない。


(こんなことなかったんだけどな)


気配も感じられなかったのは浮浪児歴も長い身としてはとんでもない失態である。


これが雨ざらしの軒下だったら命も女の尊厳もなかったかもしれない。


易々と隙を見せるとは色んな意味で危機感が無さすぎる…


(妙に安心できたというか…居心地が良かったというか…)


変態紳士カナタ相手に調子を崩され

私は戸惑っていた。


「~♪」

そんな私の心情もどこ吹く風のカナタは終始楽しそうだ。

私のことを新しいペットかなにかと思っているのだろうか。


「…ここ眉間、皺よってる」


カナタは渋い顔をする私の眉間を人差し指で伸ばすように押さえる


「…誰のせいよ」


スキンシップが多すぎる。

(心臓に悪い…)


もちろん今だって、逃げられないようにとがっちり手を繋がれている

しばらく外出はこのスタイルを崩さないらしいが、立場あるだろうに大丈夫か?この人。


側から見たら朝っぱらからイチャイチャと仲の良い恋人にでも見えていることだろう。


大変不本意である。


繋がれた掌の温度が上がらないよう平常心を心がけたいところだが


態度では揶揄からかいながらも翠玉の瞳は常に優しく、

時に眩しそうに私を映し込んでいる。


…愛しいよ、大切だよ、と言われているみたいに。


私の思いとは裏腹に、頬を中心に体温が上がってしまうのは否めない。


(解せぬ…)

居心地の悪さに視線をさまよわせるが、カナタは至って通常運転だ。


この女ったらしが。

と心の中でだけ悪態をつく。

下手なこと口にして衛兵連行コースは避けたい。


「ふふっ、お嬢さん、あなたはつれないな。レディにこんな扱いされるのは初めてです」


「あー、でしょうね」

モテないなんて単語、知らないで育ってそう。


「今ならきっと、あなたと私は逢瀬おうせを楽しむ恋人同士に見えてるだろうに」


「いや違うし。強制連行つれまわされてるだけだよね」


私にも思い至った事実をさらっと口にするカナタに、心中穏やかではない。

顔に出さぬようにあえて辛辣に返す。


「…少しくらいときめいてくれてもいいのでは?」


む、と拗ねたようにカナタは言う


「私を解放してくれたら、ときめくかも?」

「すみません、それは出来ない相談ですね」


私のナイスな提案はあっさり却下された。

ふーむ、と考えるそぶりを見せるカナタ。


「では、これから頑張ってみましょうか」


「何を?」

「色々と、ね」

「不穏だなあ……」


徐に徐におもむろ繋いでいる方の手をカナタは強引に引き寄せ、指を絡ませる。


「わっ」


カナタの方に倒れそうになる私の腰に手をまわし受け止め、

引き寄せた手の甲に口付けた。


「!」

流れるような動作で捕らえられた私は

一瞬の出来事に頭がついていかなかった。


ただただ、顔に熱が集まる…


「意識してもらいたいからね」


優しいだけではなく、仄暗い色を宿した翠玉エメラルドの瞳に、私の姿が映り込む。


「ね、私の……玻璃はりの花」

玻璃はり…?」


玻璃はりって、硝子のことだよね。ガラスの花?)


カナタはそれ以上は秘して語らない。


「さ、行きましょうか」

何事もなかったかのように私の体を離し、手を繋ぎ直した。


(び、びっくりした…)


引かない熱は、決して私のせいではない。はずだ。


早鐘を打つ鼓動が治るまで、うつむいて歩く私を

カナタは玻璃はりを扱うように、優しく見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る