第5話 サクラダへ3、馬車旅とエリカ・ハウゼン


 前世から合わせて60年の人生で初めて素人からキスされて、俺は頭の中が混乱してしまった。

 どこをどう歩いたのか分からないまま気付けば乗合馬車の馬車駅のある街道沿いの宿場町に到着していた。


 ロジナ村からこの宿場町までは10キロちょっとあったはずだから2時間くらい俺の頭は飛んでいた計算になる。乗合馬車は上り下りともだいたい2時間おきにやってくるそうなので、俺はリュックを足元に置いて駅舎の待合のベンチに腰を掛けて2時間前のイベントを何度も反すうして時間を潰した。


 1時間ほどそうやってベンチに座っていたら東の方からやってくる2頭立てで幌付きの馬車が見えてきた。荷馬車には見えないので乗合馬車に違いない。


 馬車は駅舎前に止まり、中から8人ほどの乗客が荷物を持って降りてきて体を伸ばしたり、水場に行って水を飲んだりした。

 御者は馬車を水場まで移動させてそこで馬用の横長の桶に水を汲んでやり、2頭の馬はその桶に首を突っ込んで水を飲み始めた。


 街道には大体5キロごとに宿場町があり、宿場町1つにつき馬車代は銅貨5枚=大銅貨1枚となる。

 俺は御者のおじさんに今日はどこまで行くか聞いたところ、5つ先の宿場町まで行くそうだったのでその分の代金、大銅貨5枚を支払った。


 最初の目的地ディアナはこの宿場から8個先の街なので、今日はここから5つ先の宿場町で1泊して明日ディアナに到着することになる。


 乗合馬車の休憩時間は約10分で、御者がカラン、カランと鐘を鳴らしたら乗客たちがぞろぞろと馬車に入っていき、俺はリュックを手に持って最後に馬車に乗り込んだ。

 再度御者が鐘を鳴らし、乗合馬車は街道を西に向かって進み始めた。


 乗合馬車は10人から12人乗りで、50分で宿場町1つ分、約5キロ進み、今のようにそこで10分休憩する。

 朝8時から12時までの4時間進み、1時間昼休憩して夕方5時までの4時間、合計8時間で宿場町8個分、40キロほど進む。


 乗合馬車の中は板で出来た座席が向かいあうように縦に2列あり、5,6人ずつが腰かける。

 俺の乗り込んだ乗合馬車の乗客は年配の女性が二人に商人風の男性が6人。そして俺。

 みんな黙って席について目をつむっている。

 話かけられたりしたら面倒なので、俺も目をつむっておくことにした。



 そうしているうちに乗合馬車は次の宿場に到着して鐘が鳴りそこで昼休憩となった。

 俺が最初に馬車から降り、ほかの乗客たちも荷物を持って馬車から降りた。その中の数人は駅舎の近くの食堂に行き、他の数人は駅舎のベンチに腰掛けて持参した弁当というか携帯物を食べ始めるといった具合で、まちまちだ。


 俺も体を伸ばした後はベンチに座って、うちから持ってきた干し肉とパン、それに水袋の水で昼食を摂った。


 食事を終わって水場で水袋に水を補給してしばらくそのままベンチで休んでいたら出発を知らせる鐘が鳴った。


 乗客が馬車に戻って行き俺も馬車に戻って座席に腰を下ろしたところ、俺の向かいに新しい乗客が座っていた。


 直ぐにカラン、カランと出発の鐘が鳴り、馬車が動き出した。


 俺の向かいに座った乗客はすぐに目をつむってしまったので目の色は分からないがきれいな金髪で、俺と同い年くらいの14、5歳に見える女子だった。顔立ちは整っていてはっきり言ってかなりの美少女だ。


 俺がその子をなんとなく見ていたら、急にその子が目を開けた。その子の瞳は緑だった。

 俺は急いで目を逸らせたのだが、彼女は俺が凝視していたことに気づいたはずだ。非常に気まずい。

 しかし、彼女は俺に何も言わずそのまま目を閉じた。美少女であることを自覚していて、さらに見つめられることに慣れているのかもしれない。美少女はいいよな。


 前の人生に今の人生を加えると実に60年。還暦相当。

 今もなお素人童貞であり続けている俺はいつまでも美少女の顔を拝んでいたかったが、彼女が目を開けたとき目が合ってはさすがにドン引きされると思い、俺も目を閉じることにした。


 昼食の後で腹も膨れ、ゆっくりとした馬車に揺られながら目をつむっていれば眠くなりそうなものだが、向かいに美少女が座っていると思うと不思議なことに全然眠くならなかった。

 これが若さゆえのリピドーなのか!?


 そうこうしているうちに馬車は次の宿場の駅舎に到着した。


 最初に俺の向かいの女子が馬車から降りて、次に俺が馬車から降りた。


 俺はその子の前を横切って行こうとしたら彼女が声を出した。

「ねえ、きみ。さっきわたしのことをじろじろ見てたきみ」


 俺のことだよな。顔に似合ったかわいらしい声と言えばその通りなのだが、何だか怒ってる?

「何かな?」

「こんな美人を見るのは初めてだろうから許してあげるけど、これからはわたしのことをじろじろ見ないでよね」

 かなりきついお言葉に返す言葉もございません。従って俺は「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。

「なに無視してるのよ!?」

「無視してない」

「無視してたじゃない」

「今は無視してない」

「まあいいわ。ねえ、きみ。どこまで行くの?」

「ディアナまで行って、そこでサクラダ行きの馬車に乗ってサクラダまで」

「あら、奇遇ね。わたしもなの。もしかしてきみ、ダンジョンワーカーなの?」

「いや。まだダンジョンワーカーじゃない。ダンジョンワーカーになるためサクラダに向かっているところ」

「なーんだ。素人なのか」

「そう言われればその通りだよ」

「せいぜい頑張ってね」

「きみは何しにサクラダに行くんだい?」

「わたしもサクラダに行ってダンジョンワーカーになるつもり」

「じゃあ、俺と同じ素人じゃないか?」

「わたしは才能あるから素人じゃないの。この違いはすごく大きいの」

「そうかい。それならそれでいいよ」

「きみ、名まえは?」

「エドモンド・ライネッケ。知らないだろうけどロジナ村っていう村からやってきた」

「ロジナ村? うーん、やっぱり知らない。わたしはエリカ・ハウゼン。オストリンデン出身よ」

「どうしてあんな時間にあんな所から馬車に乗ったの?」

「あの宿場で泊ったんだけど、バタバタしてたら遅くなっちゃってお昼の馬車になったのよ」

「ふーん」

「きみ、わたしと一緒にサクラダに行かない?」

「うん。いいよ」

 ここで『きみみたいな美人と一緒なら光栄だよ』とか言えればよかったと頭の中では分かって入るのだが、俺にはそんな芸当は出来なかった。


 それからしばらくして発車を知らせる鐘がカラン、カランと鳴り、俺たちは乗合馬車に乗り込んだ。


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