殺死杉の青春(後編)

 ◆


 残殺(残業してまで頑張って殺す)の後にデスラと別れ、一人帰路に着く殺死杉。

 空には満月が浮かび、その光で夜を和らげていた。


 まさか自分が殺戮刑事になるとは――今更になって殺死杉は自分の運命に思いを馳せずにはいられなかった。


――殺戮刑事になりてぇな、そうすりゃ誰に遠慮することもなく人が殺せっから。

 自身が殺戮刑事になることで、かつてそう言った地獄虎を追うような気持ちが殺死杉にはあった。

 共に殺人技術を高め合った。

 実際に誰かに使うわけではない、だが――自分は無理だが、いつか地獄虎の役に立つだろう。そう思って、二人でナイフを向け合った。素人二人がナイフで遊んでよく怪我一つなかったものだと今となっては感嘆せずにはいられない。


 その上杉地獄虎は殺戮刑事課にはいなかった。海外に渡ったか、あるいは以前までの自分のように殺戮欲求を抑え込んで生きているのか。高校を卒業して以来、地獄虎との連絡は取れず、今となっては彼がどうしているのかはわからない。

 時に脳裏をよぎる最悪の末路を考えないように生きてきた。


 ぐう。

 殺死杉の腹が空腹を訴える。

 殺人に次ぐ殺人で、心は満たされていたが身体は満たされていない。人は殺人のみにて生きるにあらず、ちゃんと食事をしなければ殺戮刑事と言えど飢えて死ぬ。読者の殺人鬼も人ばっかり殺してないでご飯も食べるように気をつけてほしい。


 夜空で輝く星よりも強い光を地上のコンビニは放っていた。その光に吸い寄せられるように殺死杉はコンビニに向かう。


「ボラーレ・ヴィーアー」

 夜勤の店員の声に迎えられ、狭い店内へ。

 客の皆が疲れているように見えるのは客層が殺死杉のように、仕事をようやく終えたものばかりだからだろうか。

 人一人がようやく通れるような通路に詰まった客をするりとすり抜けて、弁当コーナーへ。

 焼肉弁当にしようか。

 後年、その量を大きく減らすことになる焼肉弁当に伸びた殺死杉の手に、もう一つ重なる手があった。

「ああ、すみません」

 朗らかな声だった。

「いえ、こちらこそ……」

 互いに声を発した後、すぐに弁当に向いていた視線を互いの顔に向けた。


「謙信!」

「地獄虎!」

 偶然の再会か、あるいは運命が二人を巡り合わせたのか。同じ高校に通っていた二人の獣は、故郷から遠く離れた東京の地で再び出会うこととなった。


「変わってませんねェーッ!」

 地獄虎から少年のあどけなさは消えていた。だが当時の面影ははっきりと残し、太陽に愛された肌のまま、金のウルフカットのまま、幼い獣から成獣になったようである。

「謙信もな!」

 殺死杉もまた、あの日のあどけなさは無い。高校時代は周囲に合わせるためにどこか抑えつけられた故の陰があったが、今は燃えたぎるマグマのようなオーラを隠すことなく放っている。


「今は何をやってるんですかァーッ!?」

 近くの児童公園にコンビニ袋を持って二人は来た。ブランコと鉄棒だけがあるような小さい公園である。ブランコは座るには狭いが、二人でベンチに座れば近すぎる。

 殺死杉は靴を脱いで素足になって綱渡りをするサーカス団員のように鉄棒の上でバランスを取ってみせた。

「やるなぁ!」

 そして殺死杉は両手で鉄棒を掴んでゆっくりと鉄棒の上に腰を落とした。地獄虎はベンチに座る。そうやって二人は向かい合った。

 二人で手を伸ばしても届かないような距離である。コンビニ袋には缶ビールとツマミが入っている。折角ならば飲み屋にでも行こうかと思ったが、店を探す時間すら惜しいほどに二人は失った時間を埋めたかった。


「普通の会社員だよ」

 地獄虎はそう言って、屈託のないあの日の笑みを浮かべた。屋上の時とは違って、スーツはきっちりと着こなしている。


「殺戮刑事になりたかったけど、まあ無理だった……けど、なんとか折り合いをつけれたよ」

 何を言うべきか殺死杉が逡巡する間に地獄虎の言葉が飛んだ。


「謙信は?」

「殺戮刑事です」

「すっげー!」

 あの日から年月を重ねて、青い時代よりも大分遠ざかってしまった。感情はもう瑞々しく表現するものでもない。だが、地獄虎は普段よりも大げさにはしゃいでみせた。昨日があの青春の日々に直接繋がっているかのように。


「実家の本屋はいいのか?」

「親父が改造されたので大丈夫になってしまいました」

「親父改造されるのは大丈夫じゃないだろ」

 そう言って、けらけらと地獄虎は笑う。

 殺死杉もまた笑った。


「まあ、でも良かったよ。元気そうでさ」

「ええ!」

「今度は時間取って会おうよ、良い店を知ってるんだ」

「そうですね」

「ま、今日は色気もないけどこんな場所だ」

 地獄虎が足元に転がしたコンビニ袋から缶ビールを取り出す。ぷしゅと小気味の良い音を立ててプルタブが開く。

「乾杯しようぜ、殺死杉」

「えぇーッ!」

 殺死杉は鉄棒から降り、コンビニ袋からナイフを二本取り出して地獄虎に投げた。勢いよく放たれたナイフは二点、地獄虎の頭部と心臓を狙う。


「……なんで」

 片手が缶で塞がっている――相手の命を狙うならば最善ではないが、かなり良いタイミングだった。


 缶ビールが宙を舞った。

 黄金の飛沫が地面に目掛けて放たれるよりも、地獄虎がナイフを抜くのが疾かった。

 金属音が二つ。

 殺死杉の投擲したナイフは地を転がっていた。地獄虎がその手に握ったナイフで払い落としたのである。缶ビールがくるくると回転しながら重力に引かれて地面へと落ちる。

 刹那。

 二人の姿は消えた。


「わかったんだよッ!謙信ッ!」

「殺戮刑事から血の匂いを誤魔化せるとは思わないことですねェーッ!!」

 刃と刃が火花を散らし、金属音が鳴る。

 殺死杉の喉のすぐ側で。地獄虎の右目の手前で。右肩で。右太腿で。腰で。心臓で。肺で。額で。そして二人の中心で。数十の金属音が鳴り、数十の火花が夜闇に一瞬の火を灯した。どふ。まだ中身の詰まった缶ビールが重い音を立てて地面に転がった。


「りゃああああああああッ!!!」

 地獄虎が殺死杉の右側頭部を狙った刃は空を薙いだ。殺死杉はその身を沈め、飛び上がるかのように地獄虎の胴体を狙った。バックステップ。咄嗟に背後に跳んで地獄虎は致命の一撃を回避した。


「一人二人を殺した血の匂いじゃありませんですたねェーッ!!」

「マスコミでも有名だよ、四四四人殺したって!銃を使ってやれなくてナイフ会社には悪いけどな!」

 静かにほとんど止まっているかのように、二人は再び距離を詰めていく。


「あんだけナイフを練習したんだ、使わなくちゃ損だろ?」

「そうですねェ」

 地獄虎は殺死杉のナイフの師であり、弟子であり、ライバルであった。殺死杉は地獄虎のナイフの師であり、弟子であり、ライバルだった。互いが互いに殺すための全てを刻んだ。目の前の怪物は自分自身がつくったものだった。


「見逃してくれないか?」

「……そうですねェ、私も親友を殺したくはありません……」

 殺死杉は現実から目を背けるかのように、静かに地獄虎から視線を逸らした。

「逃げてくれませんか?」

「フフ……」

 地獄虎は薄く笑った。殺死杉の手にはしっかりとナイフが握られている。

「お前に背中を見せたら、ナイフでグサッだろ?」

「……ケヒィ、当たり前ですよ。私は殺戮刑事ですよ」

「そんなに俺を殺したいかい?」

「殺戮刑事は標的から逃げられないんですよ」

 刹那、殺死杉の腰からホルスターが落ちた。重苦しい音を立てて、拳銃が地面に転がる。

「……最初の一撃は俺みたいだな」

「ダメージはありませんけどね」

 鋭い斬撃の痕がホルスターにはあった。

 先程の斬撃の交差で切断されたのだろう。


「なぁ、謙信」

「なんですか、犯罪者」

「フフ……」

「ケヒヒ……」

「俺は我慢出来ないで殺戮刑事になる前にぶっ殺して、そっからはもう抑えきれなくなった……けどさ、もしかしたらの可能性ってあったのかな……つまりさ、もうちょっと我慢出来たら俺が殺戮刑事で我慢出来なかったお前が殺人鬼だったり、もしかしたら俺とお前が殺戮刑事だったり、お互いに殺人鬼だったりさぁ……」

「きっとありましたよ……」

 憐憫の瞳で殺死杉は親友を見た。

「けれど……」

 殺戮刑事が殺人鬼に告げた。

「アナタにもう可能性はありませええええええええんッッッ!!!ここでもう死ぬからですよオオオオオオオオ!!!!」

 世界から二人の人間が消え、ただ曖昧な影だけが残った。目にも止まらない――どころではない、映りすらしない超高速の世界に二人はいた。火花。火花。火花。火花。火花。金属音。金属音。金属音。金属音。金属音。

 互いが互いを殺そうとする証だけが世界に積み重なってゆく。

 実際、地獄虎は恐るべき才能の持ち主であった。新米とはいえ殺戮刑事に引けを取らない神速のナイフ捌きである。もしも出会うのが今でなければ、あるいは殺戮刑事すらも上回る怪物として殺死杉の前に立ち塞がっていたのかもしれない。


 きゃお。

 小さな悲鳴のような声が上がった。

 殺死杉のものではない。

 地獄虎のものでもない。


 殺死杉の持つナイフが砕ける音だった。


「ごめん、謙信」

 誰を殺すときですら地獄虎は謝ったことがない。全てが煩わしく、憎かった。人間世界に生きていられぬ虎であった。親ですら心を繋げることの出来ぬ中で、ただ同じ世界で暮らす殺死杉だけが地獄虎の友だった。


 獣のような悲鳴が上がった。


 ナイフ捌きにおいて、地獄虎の才は殺死杉と互角――いや、刃の破壊にまで至ったのだから、地獄虎の方が上回ったと言っても良いだろう。だが殺戮の技術においては殺戮刑事が上回った。


 殺死杉の素足が、足元に落ちた銃の引き金を地獄虎目掛けて引いていた。地獄虎には油断があった。完全な意識外からの攻撃に避けることも受けることも出来なかった。


「私にとってはナイフは手段の一つなんですよォ……」

 殺死杉が悲しげに微笑し、痛みに悶える地獄虎からナイフを奪った。


「謙信……」

 地獄虎に一瞬、他愛もない空想が過ぎった。

 二人で殺戮刑事として戦う未来。

 それを振り払って、殺人鬼は殺戮刑事を見た。

「なんです?」

「もしもなんてないな」

「――」

「俺は人間を殺してしまうぐらいに人間が嫌いなやつだけど、お前は人間が好きで……それ以上に……人を殺すのが好きな奴なんだ……だから……お前は何度だって殺戮刑事になるし……俺は何度だって……こうなる……それに……」

 すっかりと諦めてしまった清々しい顔で地獄虎も微笑する。


「こっちの方が楽しいよな」

「ええ、地獄虎」

 食欲も、睡眠欲も、性欲も、友情も、悲哀も、全てを飲み込む衝動に殺戮刑事は身を任せた。


「でも、なんか息苦しいですね……今日は」

「ハハ、煙草……やめたんだけどな……」

 

【終わり】

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