けいおん部っ!
瑠奈
第1話 プリンス様
――歌えない。
わたしはマイクを持ったまま凍ったみたいに固まった。
目の前にいるたくさんのお客さんが、不思議そうな顔でわたしを見ている。今まで大きく鳴っていたはずの音楽が、すごく小さく聞こえてくる。
どうして、なんで、どうしよう。
その言葉だけがわたしの頭の中でぐるぐるしていた。
さっきのリハーサルまで歌えていた曲なのに。なんで、歌えないの。
次の歌詞が、メロディーが、出てこない。思い出せない。
わたしは、思わず野外ステージを飛び降りて走りだしていた。
「――!」
誰かがわたしの名前を呼んでいるような気がしたけど、とまれなかった。
なんで走っているのか自分でもわからなくて、それでも走るのをやめられなくて。
……わたしって、今までなにやってたんだろう。
「
「うん」
4月。中学生になったわたし――
小動物みたいな小柄な体に、腰近くまで伸びたポニーテール。笑顔がすごく可愛くて、小学2年生の時からずっと一緒にいるんだ。
「そうだ、音葉はなんの部活に入る予定なの?」
昇降口で靴をはきかえているとき、仁奈がきいてきた。
わたしたちが通っている中学校――天川中学校は部活動がさかんで、いろんな部活がある。そして、生徒は必ず部活に入ることになっているんだ。
「うーん……」
わたしは靴箱に脱いだ上靴を入れながら考えた。
部活、か。
あれがなければ吹奏楽部とかに入ってたと思うけど……
「……まだ決めてないかなぁ。とりあえず明日からの部活見学で決めようと思って」
「あ、そうなんだ。仁奈はバドミントン部に入ろうと思ってるよ」
「バドミントン?」
わたしは思わずきき返した。仁奈って、運動するんだ。
読書が大好きで、小学校のときはいつも図書室にいたから、意外。体育も、そんなにできてなかったし。
「うん。スマッシュとか、決めたらカッコいいじゃん! ママがバドミントン部だったらしいんだけど、教えてもらったら結構できたんだ〜」
「へ〜……」
……いいな、仁奈は。なんでもそれなりにできるんだもん。
それなのにわたしは、特に得意なこととかない。運動も苦手だし、得意な教科なんてない。唯一、得意と言えるものはあったけど、あれはもうできない。
「まあ、キツイのもいやだから明日行って様子見てみるつもり」
「そっか」
そんな話をしながら校門を出る。
「じゃあね、音葉」
「うん、また明日」
家がわたしと逆方向の仁奈は、わたしに手をふって小走りで帰っていった。
手をふり返したわたしは、家に帰ろうと回れ右をした。すると、人混みが目に入った。誰かを囲んでるみたい。
「プリンス様!」
「わあ、めちゃくちゃかっこいい!」
人混みの隙間からちらりと見えた顔に、わたしはびっくりする。
すごく、きれいな人だった。
一瞬しか見えなかったけど、それでも覚えてしまうくらい。
人形のように整った顔に、サラサラの黒い髪。無表情だったけど、それでも絵になってしまうくらいのイケメンだった。アイドルとかやってたとしてもおかしくない。
プリンス様……って呼ばれてたっけ。そう言えば、わたしの学年に「プリンス様」っていうあだ名の男の子がいるとか聞いたような……
……でも、わたしには関係ないか。
人混みの横を通ろうとしたそのとき、
「おい」
と肩をつかまれた。それと同時に、わたしの視界に人形のようにきれいな顔が映りこむ。
「わっ!?」
わたしは思わず大きな声を出して数歩後ろに下がってしまった。
目の前に立っているのは、さっき見た男の子。プリンス様だ。
見てたの、気づかれてたの、かな。
「宮本音葉、で合ってる?」
プリンス様は無表情のままわたしにきいてきた。
「え、は、はい」
声がうわずってしまう。
な、なんで、わたしの名前を知ってるの? わたし、プリンス様に会ったの、初めてなんだけど。
「明日の放課後、1年3組に来てくれ」
プリンス様はそれだけ言うとわたしに背をむけて歩いていった。プリンス様を囲んでいた女の子たちは変な目でわたしを見ている。
あの目は、嫉妬、だ。
わたしはすぐに走りだした。誰も追っては来なかったけど、変な視線が背中に刺さるのを感じる。
曲がり角を曲がって、視線を感じなくなってから、走るのをやめる。
なんなんだろ、プリンス様って……
わたしは上がった息を整えながら考えた。
わたしが呼ばれた理由って、なに? 身に覚えはない。だって、プリンス様にはさっき初めて会ったんだし、名前だって知らないから。
それなのに、どうしてプリンス様はわたしの名前を知っていて、顔も知ってたんだろう。小学校は別のはずなのに。
……ああ、もうわかんない!
考えてもわかんないや。とりあえず、明日は行ってみよう。もしかしたら、重要な用かもしれないし。
そう決めたわたしは、家に帰ろうと歩き出した。
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