マックロクロスケ? 違うよケサランパサランだよ

仲瀬 充

マックロクロスケ? 違うよケサランパサランだよ

 暖簾を店先に掛けたあと祐介は店内の神棚に商売繁盛を祈願する柏手かしわでを打った。すると白い毛玉みたいなものがどこからともなく神棚にほんわりと舞い降りた。テニスボールくらいの大きさで目玉が二つ付いていて鼻や口はない。

「何だこれ?」

祐介が背伸びして顔を近づけると毛玉は目をぱちくりさせて言った。

「こんにちは」

「うちに何か用かい?」

毛玉は今度は目を細めた。

「アハ、妖怪に『何か用かい』ってベタすぎて逆に面白い。この店の守り神になってあげる」

「妖怪だって? 白いからマックロクロスケじゃないよな?」

「違うよ、ケサランパサランっていうんだ」

「ふうん、俺は祐介っていうんだ。あ、力岡さん、いらっしゃい」

「おじゃまするよ。二十歳を過ぎたばっかりで和辻くんは一国一城の主か、母子家庭の僕と違って親が医者だと恵まれてるね」

「生前贈与ということなんでその代わり今後の支援は一切なしです」

親に建ててもらった細長いビルの1階が居酒屋『和辻』だ。力岡は椅子に腰かけてビールとカレイの煮付けを頼んだ。

「カウンター席だけなんだね」

「調理も接客も俺一人ですから」

「近くに大学があるけどここの価格設定じゃ学生の来店は期待できないし周辺は住宅街だから厳しいんじゃない?」

「図星です、さすがフードライターですね。開店して日も浅いし毎日暇にしてます」

祐介は2階に住み3階から上を賃貸マンションにしているので生活には困らないのだがそれは言わなかった。

「おや? マックロクロスケみたいなのを飾ってるね。白いからマッシロシロスケか」

力岡が神棚を指さして言うと祐介はパン!と両手を打ち合わせた。

「そうかシロスケって呼べばいいんだ。ケサランパサランじゃ長すぎるって思ってたんです」

「祐介、この人、誰?」

「調理師学校で1年先輩だった力岡ひかるさんだ」

力岡はシロスケが言葉を話しても祐介と同じく驚きはしなかった。

「へえ、作り物じゃないんだ。本物は初めて見た。和辻くん、さっきケサランパサランって言ったよね?」

「知ってるんですか?」

「有名な妖怪だよ。そのうちくわしく調べてみよう」

祐介は力岡の言葉で半信半疑だったシロスケを妖怪と認めた。

「シロスケは妖怪なら何かできるのか?」

「できるよ。祐介のまずい料理を美味しくすることも」

「おい、なんてこと言うんだ!」

「やってみようか?」

そう言ってシロスケは目をつぶった。力岡が食べかけていた煮付けの煮汁がかすかに波立つとシロスケは目を開けた。

「はい、終了。お客さん食べてみて」

力岡は箸を手に取ってカレイの身を口に運び、お通しの里芋の含め煮にも箸を伸ばした。

「両方とも絶品だ! これならいけるよ和辻くん。実はね最初一口ずつ食べてみて客が少ないのは開店間もないせいばかりじゃないって思ったんだ。自分で確かめてみて」

祐介は力岡が差し出した小鉢の里芋を指でつまんで口に入れた。そして一口噛むと目を見張った。

「シロスケ、何をしたんだ?!」

「電子レンジみたいな感じかな。うまみの波動を与えたんだよ。この世の全ては波動で成り立っているからね」


 シロスケのおかげで居酒屋『和辻』の経営は軌道に乗ったがグルメサイトの評価はうなぎ登りというわけにはいかなかった。旨みの波動を放射する客をシロスケが選別するからだ。そのことを力岡は面白がった。

「客の人間性まで分かるなんてシロスケくんはすごいね。旨みの波動を受けられる上客だけが常連になるわけだ」

「複雑な気分ですよ力岡さん。俺の料理をそのまま味わう客はリピーターにはならないんですから」

祐介が不満を漏らしていると年配の客が入って来た。

「初めてなんだがいいかい?」

「どうぞどうぞ、歓迎です」

客は渡辺と名乗って椅子に座ると名刺を差し出した。肩書に県の医師会会長とある。こんなお偉いさんが?と祐介がけげんな顔を向けると客は片手を2、3回横に振った。

「今日はプライベートだから気をつかわんでくれ。和辻病院の息子さんが店を出したと聞いたんでね。君のお父さんとは医科大学の同期なんだ。日本酒をぬる燗でもらおう、つまみは適当に」

祐介が調理を終えて神棚を見るとシロスケがウインクをした。

「お待たせしました。お通しが切り干し大根のあちゃら漬けでこちらの皿はゆで豚のごまだれかけです」

渡辺医師はゆで豚のスライスを一切れ頬張ると背筋を伸ばして祐介を見た。

「美味だ! 体が弱っているから肉はきついかと思ったんだが」

「そうでしたか。先に体調をお伺いすればよかったですね」

「実は医者の不養生でガンになってしまってね。放射線治療のせいで食欲がないんだがこんなに旨けりゃいくらでも入る」

渡辺医師はそれ以降『和辻』に頻繁に通ってくるようになり顔色もよくなった。

「治療経過が良好なのはこの店のおかげじゃないかな。医食同源というくらいだからね。いやあ今夜もごちそうさん」

ある日渡辺医師がそう言って店を出た後、祐介はふと気になって確かめた。

「ひょっとして先生の病気もシロスケが?」

「何事も波動だからね。電車に揺られているとトイレに行きたくならない?」

「俺の場合は書店だな。本棚の前に立つとどうしてだかトイレに行きたくなる」

「それそれ。人間でも電車でも本でもみな固有の波動があるからマッチすれば何らかの反応が起きるんだ」

「なるほど。渡辺先生の免疫力が活性化するような波動を料理にこめるというわけか」


 力岡が勤め先の雑誌の取材で『和辻』を訪れていた日のことだった。渡辺医師が中年の男性を伴って来店した。矢部と名乗った男性はトレンチコートを着て、そう長くもない髪を後ろで無造作にくくっている。今日は食事に来たのではないからと渡辺医師はビールと乾きものを注文した。

「和辻くん、紛らわしいから祐介くんと呼ばせてもらうよ。君のお父さんの和辻先生は秋の国政選挙に打って出るんだよね」

「弟と違って俺はできの悪いみそっかすですから実家には寄り付きませんが、そうみたいですね」

「実はこの矢部くんは探偵をやっていて和辻先生の過去のスキャンダルを調査中なんだ」

力岡はこれ以上は聞かない方がいいと気を利かして帰ろうとした。店に入って来た時から矢部がちらちらと目を向けてくるのも気づいていた。ところが矢部は腰を浮かしかけた力岡を引き留めた。

「失礼ですがあなたは力岡光さんですね?」

「そうですけど?」

「和田安男という名前を聞いたことはありませんか? あなたのお母さんと一時期交際していた男です。私の調べではあなたが5歳くらいの時ですが」

「いいえ全く。僕は物心がつくのが遅かったのかその頃の記憶はありません」

自分の母親のことながら力岡は初めて聞く話だったが、父親が関係しているとあって祐介のほうが力岡以上にれた。

「渡辺先生、話が全然見えないんですけど」

「すまんすまん、順を追って話そう。矢部くんはうちの病院のしつこいクレーマーの正体を突き止めてくれるよう頼んだ時からの付き合いなんだが今回の和辻先生の調査は依頼主の悪意を感じると言うんだ」

ここで矢部が話を引き取った。

「和辻先生が独身で大学病院の医局にいた時、力岡さん、同じ病院で看護師をしていたあなたのお母さんと和辻先生は恋愛関係にありました。しかし先生にお見合いの話が持ち上がったんです」

力岡と祐介は自分たちの親どうしの関係を知らされて衝撃を受け互いに顔を見合わせた。矢部は祐介の反応を待った。

「和辻病院の一人娘だった俺の母との縁談ですね? 俺の祖父はサラリーマンでしたから婿入りではあっても願ってもない話だったでしょう。力岡さんのお母さんのことを考え合わせれば父の意向を無視して祖父が強引に話を進めたんじゃないでしょうか」

矢部は祐介が話し終わると力岡に視線を向けたがその目は険しかった。

「ここからが肝心なんですがあなたのお母さんは大学病院を辞めて別の病院に移り、その後あなたを産みました。そのあたりのことを何かお母さんから聞いていませんか?」

「いいえ」

力岡の返事の声が震え祐介も顔がこわばった。

「和田安男が言うにはですね、あなたのお母さんと付き合っていた頃、色んな話をするうちに光さん、あなたは和辻先生の子供じゃないかと思ったんだそうですよ。今回、それを確かめてくれと私に依頼してきたんです。というのも和辻先生の国政選挙立候補がニュースになったので隠し子のスキャンダルの口止め料ねらいじゃないかと思います」

「それでだね」と渡辺医師が口をはさんだ。

「どうしたものかと矢部くんは医者つながりで僕に話してくれたんだ。依頼主の和田には内緒でね」

そういうことだったのかと祐介と力岡が頷くと矢部は頭をかきながら照れ笑いをした。

「美談みたいですが違うんです。和田からの依頼料くらいの額なら自分が出すと渡辺先生はおっしゃってくれました。同じ報酬なら後味のいい仕事をしたいですからね」

矢部はしかしすぐに真顔になった。

「力岡さん、まずはあなたがお母さんに事の真相を確かめてください。後のことはその結果しだいです。2日後にまたここで会いましょう」

力岡がマンションに帰ると夜勤明けで休みの母親はテレビを見ながらくつろいでいた。

「母さん、大事な話があるんだけど」

力岡はテレビを消して母親と向かい合わせにソファーに座った。それから小一時間、力岡は母親と話をした。話の中で力岡の知らなかった事実が母親の口から二つ語られ母親は話しながら最後には泣き出した。


 2日後力岡は早めに『和辻』に赴き自分の父親が和辻医師だったことを祐介に伝えた。祐介は心の準備はできていたが何と言いようもなかった。沈黙を破ったのはシロスケだった。

「二人とも親どうしの関係は知らなかったのにそもそもどうして仲良くなったの?」

「調理師学校の新入生歓迎コンパだったかな、力岡さんに初めて会った時ふわっとしたあたたかいものを感じたんだ」

「へえ不思議だね、僕も同じだよ。初めてなのになんか懐かしい感じがした。それに僕みたいな変わり者を素直に受け入れてもくれたし」

「ねえ二人ともレム睡眠って知ってる?」

「なんだよ急に話を変えて。目覚める前の浅い眠りのことだろ?」

「うん。祐介の言うとおりなんだけど睡眠が浅いってことは脳が活動できるってことだから夢を見る時間帯なんだよね。でも起きると夢を忘れちゃうのは何でだと思う?」

「脳は昼間の経験を過去のいろんな記憶と結びつけてストーリーを作るっていう話は聞いたことある」

「そう。でも力岡さんが今言ったストーリー作りは大事な経験を記憶に定着しやすくするための手段なんだ。ということは祐介、目が覚めると?」

「記憶に残したい中核部分以外のストーリーは忘れるってメカニズムか。全部がリアルに残っていてそれを現実だと錯覚すれば大変だ」

「うん、輪廻転生りんねてんしょうに似ているね」

「輪廻転生?」

祐介と力岡は異口同音に言ってシロスケを見た。

「今度は夫婦になろうとか兄弟として生まれようとか、人は天上世界でいろんな約束をしてこの世に生まれてくるんだ。だけど母親の産道を通る時に忘れてしまうようになってる。ま、そんな話を信じるかどうかは君たちしだいだけど」

祐介と力岡は互いの顔をまじまじと見つめ合った。


 渡辺医師と探偵の矢部は打ち合わせておいた時間どおりにやって来た。矢部は座るなり力岡に声をかけた。

「さっそく聞かせてもらえますか」

「はい。和田という男は製薬会社の社員であちこちの病院に薬を納品して回っていたそうです。母が勤めていた病院にも出入りしていた関係で母は確かに一時期付き合っていたと言いました」

「そこまでの調べは済んでいます。で、あなたの父親は?」

力岡は先ほど祐介に話したことを打ち明けた。

「ただ母はそのことは誰にも話したことはないそうです。和辻くんのお父さんに縁談話が持ち上がった時、母は妊娠を隠したまま自分から身を引いたと言っていました」

渡辺医師が腕組みをして唸った。

「うーん、それなのに嗅ぎつけた和田って男は勘の鋭いやつだな。矢部くん、何か手はあるかね」

矢部は渡辺医師でなく祐介に言った。

「和辻先生に真相を話せばどうなると思いますか?」

「驚くでしょうが力岡さんを自分の子として認知すると思います。父はそれくらいの情は持っていると信じます。ただ父は養子ですから夫婦仲はかなり揉めるでしょう」

矢部は今度は力岡に言った。

「あなたはどうですか? 認知してもらえば和辻先生の遺産相続権が発生しますが」

「僕も母もそんなことは望んでいません。和辻くんの家族のためにもそっとしておいてほしいです」

矢部は二人の答えを予期していたかのように立ち上がった。

「それならあなたたちに協力してもらいましょう。祐介くんがカメラマンだ」

矢部は祐介に自分のデジタルカメラを渡すと力岡も連れて店を出て薄暗い路地に入った。

ものの5分程度で戻ってくると矢部は渡辺医師にカメラの画面を見せた。

「先生、和田を作り話だけであしらうことはできないでしょうからこれでいきます」

画面には矢部が後ろから右腕を力岡の喉に回して締め上げ左手で力岡の髪をつかんでいるところが映っている。

「力岡さんの毛髪を強奪ごうだつしようとしているこの現場写真に髪の毛の現物を添えて和田に渡します。和田は恐らく和辻病院に乗り込んでDNA鑑定を持ちかけるでしょう」

「でもそれじゃ……」と慌てる力岡に矢部は自分の後頭部を指さした。

「渡す髪の毛はこちらです」

「あっはっは、そりゃいい。和田とかいう男の勝ち誇った顔がどう変わるか見たいものだ。安心したらお腹が空いた、祐介くん何か作ってくれんか」

「いわしのプロバンス風はどうでしょう」

「任せる。矢部くんにもそれを」

ビールを飲んでいるうちにオーブンでいわしが焼き上がった。

「オリーブオイルとニンニクの風味がたまらんな。薄切りトマトに刻みパセリとバジルの色味もいい。どうだ、矢部くん最高だろう?」

「はあ」と返事をした矢部は他にも急ぎの仕事があるからと先に店を出た。

「矢部くんはせっかちだな。こんな旨い料理を残して」


 渡辺医師が帰った後、祐介は憮然ぶぜんとした顔で暖簾をしまった。

「シロスケ、いたずらしたな? 渡辺先生の方だけ味を変えたろう?」

「アハハ、分かった?」

「いたずらしちゃだめだよ」

力岡がうつむいて独り言のようにつぶやいた。

「ですよね。ん? 俺がやられたのに何で力岡さんが落ち込むんですか?」

「母に聞いて他にもう一つ分かったんだ」

「何がですか?」

「母が和田と別れたのは和田が僕にいたずらしようとしたからだって。僕に小さい頃の記憶がないのは多分そのせいなんだろうね」

「 ……… 」

「僕っていう言葉を使うのも自分が女だってことを心のどこかで受け入れたくないからなんだと思う」

「 ……… 」

祐介がうなだれると力岡は反対に顔を上げて祐介の肩を叩いた。

「でもそんなこんなが分かって僕は謎が解けたように解放された気分もあるんだ。だから和辻くんもそんな暗くなることないよ」

「そうだよ。大したことじゃないんだから」

「シロスケ! 他人ひとごとだからって言いすぎだろ」

「他人ごとでもないんだけどな」

不満げに言うシロスケに力岡が声をかけた。

「ということは、やっぱりシロスケくんも女なの?」

「えっ、力岡さん、シロスケが女って?」

「Wikipediaでケサランパサランを検索してみたら載ってた。白粉おしろいが好きって書いてあったからひょっとしたらそうなんじゃないかって思って」

「シロスケ、どうなんだ?」

「妖精に男も女もないけどどっちかと言えば女よりかな」

「どうしてそう言わなかったんだ」

「祐介がシロスケ、シロスケって呼び始めたからじゃないか」

祐介とシロスケの言い合いに力岡が割って入った。

「ケサランパサランだから呼び名はケパちゃんとかでよかったのにね。でも僕もケパちゃんも男とか女とかもうこだわらなくていいよね」

この力岡の言葉に祐介の顔色が変わった。

「いや、こだわらなくちゃ! うっかりしてた!」

「急にどうしたの、和辻くん?」

祐介はポケットから急いでスマホを取り出した。

「矢部さんですか? 祐介です。さっきの髪の毛の件ですが矢部さんのじゃなく奥さんか誰か女性の毛髪を渡すようにしてください。………ええ、ええ、そういうことなんです。………それで矢部さんも渡辺先生もお二人とも? アハハ、でも無理もありませんよね。じゃよろしくお願いします」

祐介がスマホを切ると力岡が言った。

「そうか、DNA鑑定は性別も出るんだね。でも渡辺先生はお医者さんなんだからどうして矢部さんに念を押さなかったのかな」

「フフッ、それはですね、力岡さんが自分のことを僕、僕って言うし外見もジーンズにスニーカーだからお二人とも力岡さんをてっきり男だと思い込んでいたんだそうです。矢部さんの驚いた声聞かせたかったです、ぎゃ!だって」

祐介はスマホを切った時からずっと顔がほころんでいる。

「ふん、別にいいんだけど、そんなに面白い?」

「とっても面白いよ、姉さん」

祐介はくつくつと笑い続けた。

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マックロクロスケ? 違うよケサランパサランだよ 仲瀬 充 @imutake73

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