おもいだす
ぼくる
Postcard from 1952
シャボン玉を撮ろうとして手に取ったカメラが滑り落ちた時、よみがえった気がした。
幼い頃の私は、シャボン玉に触れるためには爪先立ちして、腕を伸ばさなければならなかった。
虹色の膜なんて言葉を知る前から、シャボン玉なんてものを知る前から、それは綺麗だった。
そんな情景がスライドショーみたいに頭をよぎるけれど、スライドショーなんかよりもずっと鮮明。
スライドショーは目で見て、視神経をつたって、よじのぼって、思い出す。
でも今の私が思い出したものは、視覚なんて余分なものが混じっちゃいない不純物だった。
ろ過もされずに、直接感じた。
そっぽを向いている私の肩に、母親の手がそっと置かれる。爪にはちょっとけばけばしいピンクのマニキュア。
その色は私の肩を優しく撫でる仕草と和解していた。
ピアノの音を初めて鳴らした私の指先が見える。今より少し太くて小っちゃい。音階も音色も思い出せないでくすんでいる。
思い出を美化しがちな私は、その音をあえて確かめないで曖昧なままにしまっておく。
誕生日には、知らない友達とテーブルを囲った。ロウソクの火を吹き消すのが下手だった私は「ウー」と唸るような声を出してみんなを笑わせた。火が消えたのは、一緒に飛んだ唾のおかげだったと思う。歳を一つ、取る。
バカな今の私は万華鏡なんて口にしづらい。今よりもっと賢かった私は、近所の男の子たちと一緒にそれを覗き込んだ。
万華鏡は一つしかなかったから、引っ張り合って、手から離れた途端に下の奥が硬くなった。その硬さが目の奥で溶かされて滴る。
泣いている私を遠くから見ている女の子がいた。
後ろ髪を緑のリボンで結わえて、手を後ろに組みながらスキップで私のもとに向かってくる。
彼女は私のそばでしゃがみ込むと、どこかで拾ったらしい木の棒で涙のリズムを刻むみたいに地面を叩いていた。
おもちゃのピストルを持った男の子が「バシュウゥイ!」と声に出すと同時、庭先のスプリンクラーが作動した。
私たちは逆さまの雨と一緒に、はしゃいで、踊って、唄った。
雨と友達だった。地面から水滴を昇らせるなんていう意味の通じない長所も、彼にはぴったりで、それを疑わなかった。
やがて、今の私だった。
雨は、自分がどうやって振ってるのかをこれ見よがしに仄めかしてくる。おもちゃのピストルに眉をしかめる。
――フラッシュが閃く。
彼女の拾った木の棒が、どれほどの糞や雑菌を含んでいたかもしれなかったかを考えて溜息をつく。
泣きたかった。けれど泣こうとした途端にはもう次が追いかけてくる。人が傷つき合って傷つけ合う速度の方が早い。喉の奥で舌を硬くさせる暇なんてない。万華鏡を取り合う相手も見つからないし、取り合うような事態になるのを怖がっている。
――光る。
溜息のやり方を知ってから、唾は飛ばなくなった。火を吹き消すのが上手くなった途端、ロウソクは灯らなくなる。ピアノが弾けることをひけらかす。ピンクのマニキュアは時代遅れだと、そうやって何度も私が言い聞かせていた母親の手は動かなくなる。
――弾ける。
爪先立ちになって手を伸ばす幼い頃の私の手と、過去に向かって伸ばそうとしている私の手が、重なる。映るのは、虹。
瞬間、割れて、見失う――。
――喧噪や雑音が折り畳まれてポケットにしまいこまれたみたいな静けさが響いている。
もうどうしようもないのだと思った。生きているうちは続いてしまって、続いている限りは生きてしまうのだと感じた。
それでも、少なくとも、私は思い出せた。そして、思い出す力が自分にはあることを、私は知っていた。
おもいだす ぼくる @9stories
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