つぼみ

桔梗 浬

告白

「結婚を前提に、付き合ってください!」


 いきなりの告白に、絢の手から鞄が落ちた。

 学生時分にも「好きだ」「お前のコトは俺が一番解ってる」とか、よく訳のわからない告白をされたことはあったけれど「結婚を前提に」と言われたのは初めての事だった。


「えっと……」

「あ、ごめん。返事は今すぐじゃなくて良いから、真剣に考えて欲しい」


 絢の先輩にあたる河野は、そう言うと優しい笑みを残し車に乗り込んだ。


 クライアントから新商品の大型受注を勝ち取った帰り道、少しお酒が入っていたとはいえ、まさか……。絢にとって予期せぬ出来事が起きた。きっと何かの間違えだ。

 河野は尊敬できる先輩で、会社でも人気の男性社員だ。絢も憧れがない、と言えば嘘になる。この何日間か夜遅くまで一緒にプレゼン資料を練り上げてきた。家族より一緒に過ごす時間が長いヒト


 嫌いじゃない。でもそれは好きとも少し違う気がする。


 絢は走り去るタクシーのテールランプを見つめながらそんなことを考えていた。



「お帰り」

「うわっ! あっ……ただいま」


 声の主は弟の都十夢ツトムだった。


 突然声をかけられ、絢は道の中央でボーッとしていたことに気付かされた。

 いつの間にか絢の身長を追い越した都十夢ツトムが、絢の荷物を抱え部屋の鍵をあける。


「遅くなってごめんね。ご飯は食べた?」

「いや、腹減ってない。飲んでるの?」

「うん、ちょっとだけね。そこまで送ってもらっちゃった」


 晩酌の準備をする絢を不思議そうに眺めながら、都十夢ツトムは部屋の定位置にどかっと座り込んだ。アイランドキッチンなので、ここから絢の姿がよく見える。


 二人の住む桜里家は、古民家をリノベーションしたつくりで、昔ながらの縁側がある。キッチンの正面から見渡せる縁側には風鈴が飾られていて、夏になると涼しい音色を響かせていた。


「飲むでしょ?」

「うん」


 絢は簡単な晩酌用のつまみを準備する。手慣れたものだ。朝に仕込んでおいたピクルスにチーズをカットしたものを綺麗に並べ、都十夢ツトムの前に置く。冷やしたグラスを2つと、絢の勤める会社のビールを手際よく用意した。


「飲もう! 乾杯!」

「乾杯」

 

 2つのグラスが、カツンと音を立てる。


「ぷはぁ~、やっぱり家飲みがいいね。落ち着くわ」


 ごくごくと勢いよくビールを飲み進める絢の喉元をガン見していた都十夢ツトムが、ボソッと呟いた。


「姉ちゃん結婚するのか?」

「えっ? 何、いきなりどうしたの?」

「いや、いい」


 そう言うと都十夢ツトムは一気に注がれたビールを飲み干し席を立つ。「寝る」と言い、着ている服をポイポイ脱ぎ捨てながら部屋に戻っていった。


「ちょっと! 風呂ぐらい入りなさいよね」

「後で」


 絢は脱ぎ捨てられた都十夢ツトムの脱け殻を眺め小さなため息をついた。


 都十夢ツトムはベッドの上にうつ伏せに死んだように体を預けている。絢の位置から都十夢ツトムの部屋が丸見えなのだ。

 都十夢ツトムは部屋のドアを閉めない。閉められないといった方が正解かもしれない。


 絢の母親と都十夢ツトムの父親がそれぞれ連れ子同士で再婚をしたのは10年以上も前のことだ。初めて会った都十夢ツトムは、小さくて自分の殻にとじ込もって、いつも何かに怯える子どもだった。

 そんな都十夢ツトムを幼い絢は、守ってあげなければならない生き物として、インプットした。


 だから何処に行くのも何をするのも、二人は常に一緒だった。そしていつしか都十夢ツトムも普通の日常生活を送れるようになっていった。全ては絢のお陰といっても過言ではない。

 

 二人はこうして一緒に時を過ごし、一緒にに大人になった。


 絢にとって、都十夢ツトムは大事なだいじな弟。


 では……河野は?


 絢はチーズをほうばりながら、残ったビールを飲み干した。

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