バナナランドの滅びる日

ぼくる

第1話

 ――1963年11月22日 12:30

  テキサス州ダラス市内、ジョン・F・ケネディ大統領はパレード中。

  リー・ハーヴェィ・オズワルドは狙撃地点でバナナの皮に滑って転び、暗殺失敗。

  オズワルド家にはそのバナナが今もガラスケースの中に飾られている。彼の足跡付きだ――


 暗記ノートだと思って覗き込んだそれは、私の知っている世界史とは全く違っていた。

 持ち主は池田悠と書いてイケダハル。かごの中のジョニ~~なんて口ずさんでいるところを気持ち悪がったクラスメイトから、彼のあだ名はジョニーで定着していた。

 私の視線に気が付いたジョニーは、バンプオブチキンのボーカルみたいな長い前髪の隙間から大きな目を閃かせると、慌てて背中を丸めて身を突っ伏し、体全体でノートを隠した。

 なにか悪いことをしたような気がして、私はその場をそっと離れた。


  ――1582年6月21日 

  京都本能寺に滞在中の織田信長に対し、家臣明智光秀は将棋での対局を申し出た。

  対局は一週間の長丁場となり、その様子は全国各地へと様々な手段で伝えられた。

  「3三角だ」

  家臣の一人がそれを棋譜に記し、伝令に渡す。名の知られた書道家は半紙に『3三角』と力強い筆跡で描く。

  民衆へは口伝てによってそれが伝えられる。

  山へと走った伝令人は、兵隊どもに信長の指した手を伝える。

  兵隊は山から山へと、大文字焼きによってそれを伝える。

  「これはこれは、悪手もいいところ」

  以前の対局で信長に敗れた今川義元の元までそれは届く。9種類ものホラ貝が用意され、その音色と回数とで指した手が分かるようになっていた。――


 ある日彼が席を外した際に、私はこっそりとジョニーのノートを盗んだ。

 改変された歴史は、読み物として単純に面白そうだったからだ。後ろめたさや罪悪感よりも、好奇心が勝った。

 その日は家に帰るまで、ジョニーのノートを読むのが楽しみで仕方なかった。

 ベッドにうつ伏せになってノートを開く。

 書かれていたのは、やっぱり存在しなかった歴史の数々だった。


  ――1980年12月8日 22:50

  ビートルズのメンバーであるジョン・レノンがアメリカ・ニューヨーク市にある高級集合住宅ダコタ・ハウスの入口において、マーク・チャップマンという男に『ライ麦畑でつかまえて』という本を勧められた。

  「それは、なんて本なの?」

  バナナの皮で滑ったマーク・チャップマンにジョン・レノンが興味深そうに尋ねた。

  転んだ際に銃を下水路へと落としてしまい、パニックになったマークは次のような言葉を紡いだ。

  「ああ、これいい本だよ、ほんとにいい本」――


  ――2022年3月27日

  「G.I.ジェーン2が待ちきれないよ!」

  アカデミー賞授賞式。クリス・ロックがそう言うと、壇上の彼にウィル・スミスが歩み寄った。

  しかしウィルはバナナの皮で滑って転び、照れくさそうに席に戻ってからこう言った。

  「ぼくもきみが主演のハムレットを拝みたいね。それからあとで少し話がしたいよ」――


 ネットでの炎上から自然災害、ホロコーストやテロリズムに至るまで、すべてがバナナの皮によって救われていた。

 ヒトラーはバナナの皮をガス室に送り強制収容した。大量のバナナの皮が腐る。

 テロ組織アルカイダはバナナの皮をワールドトレードセンターに投げつけた。大量のバナナが腐る。

 2011年の3月11日の日本には、その報復と言わんばかりに大量のバナナの皮が空から降ってきた。その日のバナナ降雨量は1.7メートルにもわたり、バナナ腐る。

 読んでいるうちに、ジョニーのことを好きになり始めていった。

 思いやりがあって、平和で、優しいこれら歴史改変に、私はますます夢中になっていった。


 

 「おい、お前のおかん、宗教勧誘で俺んちきたぞ」

 翌日のことだった。軟式野球部の満石がジョニーに鋭い口調で言い放っていた。

 「へんなパンフレット持ってさ、頭おかしいんじゃね」

 嘲笑混じりに、声を大にして聞えよがしに満石が続ける。私の見る限り、それはイジメとイジリの境界線ギリギリで行われていた。

 無言のジョニー。横目に睨んでいたかもしれないけど、彼の目は前髪で隠れていてよくわからない。

 「ってか前髪切ったら? 目ぇ見て話そうや」

 周りの男子は「言っちゃったよ」、「やってんな満石」、「わろた」などと野次を飛ばす。

 ある女子の一人は苦笑いしながらこっそりと手招きして仲間を集め、囁き合う。

 「ノート、取ったろお前」

 口を開いたのはジョニーだった。低くて重い声。

 「は? なにノートって」

 「いいから、マジで」

 ジョニーは立ち上がり、満石のもとに歩み寄る。そして、胸ぐらをつかんだ。

 数人の女子は大袈裟に驚いてみせたり、身を縮こませて怯えたりする。

 「いやノートってなんなん」

 満石が声を出して笑う。でもやっぱりその色は嘲笑。余裕ですって感じのスタンス。

 「なんなんガチ、なくしたんかよ。俺じゃないってそれ」

 言いながら満石は周りに視線を巡らせる。対してジョニーの目は彼をまっすぐに見据えている。

 ジョニーは胸ぐらをつかんだまま、何も言わなかった。

 ジョニーが見るべき相手は、責めるべき相手は私だった。ノートを盗んだ私だった。

 「頭おかしいって言ったのは、そりゃ冗談っていうか行き過ぎてたし謝るけど、ノートはガチで知らんて」

 満石の胸ぐらから手を離すと、ジョニーはすたすたと教室を出た。

 そうしてジョニーの耳が遠ざかっていったのを潮に、教室内に黄色い声が飛び交った。

 「やっぱ頭おかしいですわ」

 「誰かから恨みかって、隠されてんちゃん」

 「先生とか、呼ぶ?」

 「いらんいらん」

 「ああいうの怖いから、やめてよ」

 「なんで怖いん、あんなんあいつも冗談ってわかってっから」


 ジョニーを追いかけて。そこはどうしてかお手洗いで。

 私は出入口のそばでしばらく彼を待った。

 お手洗いから出てきた彼の顔は濡れていた。顎先に雫がたれている。それを拭おうとした彼の手は間に合わず、顎に触れる直前で手の甲に一滴落ちる。

 「池田くん」

 そう呼びかけた私を、彼は無視した。

 でもすぐに、気を引いてやろうとした私の口からなんか出た。

 それは社交辞令とか挨拶なんかの欠けた、いわば助走なしの走り幅跳びで、それでも結構な距離を飛べた。

 「ノート、私もってる」矢継ぎ早に私は続けた「ごめん、ほんとごめんなさい。前にちょっと中身見えて、ありえないくらい気になって、面白くて、夢中になって、すごかった! でもだからって許される理由になるとか思ってないけど、でもなんていうか――」

 思いつく限りのジェスチャーを交えて、私が嫌われないように、それからジョニーが自分を嫌ったりしないような言葉を選んだつもりだった。そんな風にパニクってる私を、ジョニーは少し蔑んでるように見えなくもない顔色でじっと見つめていた。いや、これが彼の普段の顔だったのかもしれない。

 「ううん、めっちゃうれしい」ジョニーは突如を顔を綻ばせて、明るい口調でそう言った。見たことのない表情だった。「ほんとうに、最高だよ」

 ジョニーのにこやかな表情に、私は一瞬びっくりしたけど、嫌われてるわけじゃないって感じて安心した。

 それどころか私はつい勢い付いて、調子に乗って、嬉しくなって、その熱に乗じて喋りまくった。

 「さっき、私が言おうとしたのは、どんどん書いてほしいってことで、続きが見たいとかで、この世界のヒーローに見えたりとか! つまりファンで、大袈裟に聞こえるかもだけど、でもそう感じたのはホントにホントで! 好きなものは好きで――」

 ジョニーの口角と目じりが下がって、徐々にいつものジョニーになる。

 「あー」と彼は言い淀んで、視線を斜め上に向けた。なぜだか困っているようにも見えた。「うん、ありがとう」

 「でも、ほんとにごめん! 返すから今すぐ――」

 「えっ、あぁ放課後でいいよ、うん……」

 もの言いたげなジョニー。物思わし気なジョニー。言葉に詰まるジョニー。

 そんないくつものジョニーが行ったり来たりして、その中のワンジョニーが言う。

 「……ちょっとまた、トイレ行ってくるよ」

 「えっあっ、うん」

 なんだかジョニーに不快な思いをさせたかもしれない。突然の別れの気配にそう感じて、申し訳なくなってもう独り。

 目にはリノリウムで、遠ざかってくジョニーの足音で、、、

 「あっ、待ってて」

 そう言われて、リノリウムも足音も消えた。代わりにジョニーとその神妙な表情、それから澄んだ声。

 「隕石、落ちるんだよ。でっかいの、バナナランドにさ」

 とっさに私は、続編の内容を聴かされているんだと分かった。

 「世界は滅んじゃって、それで。なんもなくなる。新しく生まれたアダムとイブも、リンゴを食べようとしたところでバナナの皮に滑って転ぶんだ――」

 私は唖然として、話の内容に耳を傾けていた。ジョニーの目が潤んでいるように見えたのは気のせいだろうか。

 今まで彼が改変し、掴み取っていた平和が滅亡する。ショックじゃなくて、ただ驚いた。

 「でも、やっぱり変更するかも」ジョニーが柔らかな笑みを浮かべて続ける。たとえば朝の太陽の光に包まれた洗濯物と柔軟剤の香りだとか、庭の物干しざおの前で背伸びしてからお母さんが浮かべるような、そんな笑顔だった。「書くとしたら正直者のはなし、幼い子供のこととか、本当のはなしかな。まだ、ノンフィクションでもイイハナシがあるっぽいからさ、じゃ」

 そう言ってジョニーはお手洗いに駆けていった。


 彼の言った『うれしい』も『最高』も、皮肉だったって私が気付くのはもう少し後の話。

 私にはまだよくわからないけれど、でもとにかく、このたった二日の物語はジョニーの心を打つイイハナシになったらしい。

 歴史の改変もないし、平和でもないけど……なんだかうまく言えない。でもホントに、なんかよかった。

 なんかよくて、きれいだった。

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