角打ちのアリス

さとうきいろ

角打ちのアリス

あたらしい街には酒屋が二軒ある 二軒しかない、と君なら言うか


荷ほどきもそこそこにして部屋を出る小春日和だぽんしゅ日和だ


角打ちのある酒屋へと歩き出す何時間でも立てるパンプス


平日の住宅街を昼日向歩くわたしが見る白昼夢


青々の杉玉まぶしく看板の文字は「酒」しか目に入らない


こんにちははじめましてわたしです。生き抜くための水をください


数学者みたいな顔の店主から薄い硝子のグラス受け取り


微発泡、にごり、さらさら透明な 結局いつもの銘柄にする


注がれる透明な水ふんわりと旅立ちみたいな春の香りが


昼間から飲む日本酒はほの甘く神さま気分でくいと呑み干す


ねえ店主ちょっと辛めの純米を、次は重めの大吟醸を


ああここはいい店ですねひとりきりのカウンターでまぶたを閉じる


ふわふわのわたしのあたまのその横を桜色した象が飛び出す


桜色の象は小洒落たジャケットで二足歩行でぽてぽて走る


二度見して頬を叩いて目をこする それでもピンクの象は消えない


「遅れちゃう」店の外へと駆け出ていく桜色をこっそりと追う


ああ愛しのキャッシュオンよ 酩酊の果てでもわたしは飲み逃げしない


二度、三度角を曲がって見失うピンクの象はどこへと消えた


もう酔ってしまったここは見覚えのない四つ辻だ ふしぎの国だ


幻覚が見せた象を探しましょう 明るく白い石畳踏む


二軒目の酒屋に燦燦「角打ち」の文字あり、わたしを誘惑しだす


探検は一時中断いたしましょうなんだかとても楽しい気持ち


千円を渡して受け取るぐい吞みが桜模様で花見としよう


蒼色の一升瓶のラベルでは「Drink Me!」の英字が踊る


今風のお酒ですねそれにします、くいと一気に呑み干しましょう


小さくも大きくもならず 忽然と一人ぼっちを感じてしまう


そういえばひとりではしご酒するの初めてじゃんかやるじゃんか


ぐい吞みに涙を集めて醸成し水みたいなお酒にしたい


泣いてない泣かない泣くか泣くもんかこんな感情は空へ返そう


知らぬ間にわたし以外の客がいてカウンターには異形が並ぶ


異形頭、獣人、触手、不定形 みんなみんな日本酒を飲む


酒場ではそんな日もある、ねえ店主。店主は君の顔をしていた


五年前、君はお酒と大根の唐揚げの良さを教えてくれた


たくさんの酒場を二人で駆け巡りりなんでもない日を祝い続けた


わたしたち永遠じゃないこと知っていた素面じゃ向き合えなかったけれど 


食パンの頭の人が泣いているわたしに柿の種をくれた


ありがとう、それって喋れるんですか?へえそうなんですかもうひとつください


君の顔した店主におかわりを頼めば君の頭にパンジー


パンジーの花が歌えば店中の異形が続くわたしも続く


手をつなぎ踊りませんかたくさんの手がある人もいらっしゃるけど


異形らと君がいる店 ずっとずっとここで踊って笑っていたい


ぐねぐねの不定形の人に抱きついて愉快な絡み酒する


たくさんの触手の人にたくさんのお猪口をもたせ大笑いする


もふもふの獣人の人と肩を組み朗々と知らん演歌を歌う


ふと隣を見れば桜の色をした象がにごり酒を飲んでる


「ねえあなた!」声をかければ飛び跳ねて象は転がるように飛び出す


追いかけるようにわたしも店を出る異形の皆さんではさようなら


ぽんしゅのぽ ぽんぽん傘を開くのぽ 揺れるぽらりすぽっかり浮かぶ


宵闇に象のピンクが明るくて世界の果てまで走っていけそう


やがて象は小さな古いアパートの一〇三の部屋へと入る


まだ君といた頃に住んでいたままの一〇三へと入る


アパートのなかは散らかり放題で冷蔵庫にはカップ酒だけ


とりあえずカップ酒を手にとって出しっぱなしの炬燵に入る


唐突にテレビが付いてはじまった君とわたしの未知の裁判


カラフルな小鳥だらけの傍聴席 百羽のアヒルが一斉に鳴く


あの街の駅も酒屋もコンビニもぜんぶ君との思い出がある


証人で呼ばれた食パン頭が言う「デリリウム、デリリウム おやすみよ」


一斉に小鳥たちはメモを取る 小鳥たちがピンクに染まる


君からはたくさんのことを教わった ぜんぶの酒屋を知った気でいた


この街でひとりで生きるつもりだった 裁判長、信じてください


ふくふくと小鳥が大きくなっていきテレビを飛び出しわたしを襲う


アパートの小さな部屋に桜色の小鳥がみっしり詰まり、苦しい


ピンク色で埋め尽くされていく世界 世界はせかいおはよう「お客さん?」


数学者みたいな店主が覗き込む硝子のグラスを握りしめてる


すみません少しぼうっとしてしまいお冷やたっぷりいただけますか


日本酒が見せた夢だとわかってる新しい街の新しい夢


酩酊の果てに未練を見るなんてちょうどわたしらしいサイズだ


これからは知らない酒を飲みましょう知らない四合瓶を買った


「また来てねこんどは飲みすぎないでね」とほんのり街に馴染む心臓


君のこと忘れられないけどまあそのうち思い出す頻度も減るでしょ


「また来ます」レシートを見る 店名が「兎穴」とか笑ってしまう


角打ちのアリスになろう、これからはひとりではしご酒も出来ます

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角打ちのアリス さとうきいろ @kiiro_iro_m

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