第21話 顛末

 妹たちがバスに乗るのを見届けてから家に戻ると、誠はまだ庭の奥にいた。

 花芽も葉も一夜にして枯れ、乾いた茎が地面から伸びているだけの菊の前で、誠は根元を探るようにそっと手を当て、土をなでていた。

 スマホを取り出し、カメラを誠に向けてみた。誠は僕に気づくと、しゃがんだまま顔だけこちらに向けて、照れたように笑った。


「何しているんだよ?」

「黒髪のマコちゃん。貴重な記録だ」

「タンポポは……当分、なしだ」

「そうなの?」

「今は何をするにも体がきつい。きついと言うのも気持ちがきつい……」

「なんだかキクちゃんみたいな言い方だ」


 僕は手元のスマホで誠の姿を確認した。

 優しい笑顔だ。でも、全てを諦めてしまっているような寂しさがある。


「マコちゃん、これ嫌だったら消すけど……」


 誠にスマホの画面を見せながら訊く。遠くてどうせ見えないからなのか、見もしないで「好きにすれば」と答えた。投げやりな感じだ。


「じゃあ、妹たちに送ってもいい?」

「好きにしろ」

「僕の待ち受けにしてもいい?」

「……」


 今度は顔を上げて僕を見た。


「それはやめろ」


 ゆっくりとそう言った誠は、本気で嫌そうな顔をしていた。どうせならこの瞬間を撮りたかったと、僕は心底思った。

 こっちの方が、ちゃんと生きている感じがする。

 僕は誠の隣に立って、菊の枯れ枝を見た。


「マコちゃんに見てもらってから片付けようと思っていたから、そのままにしておいたんだ。突然枯れて、結局菊の花は見られなかった」

「それで『菊を見に来い』か? 果たし状かと思った」


 誠は僕が書いた手紙をポケットから取り出した。


「俺の家の菊も突然枯れた。婆ちゃんは、俺が大事にしていた菊が入院した途端に枯れて縁起でもないと騒いでいたよ」


 それでも婆ちゃんは、僕と会えばいつも笑顔だった。僕自身が婆ちゃんの存在に助けられてきたのだと改めて思う。


「あ、やっぱりマコちゃんの家にも菊があったんだ。知ってたけど」

「ないとは言っていない」

「この家に菊を植えたのもマコちゃんってことでいいんだよね?」

「言わなかったか?」

「……ごめん。聞いた」


 それは嘘だ。

 誠はキクのことを自分の昔話としては話していない。僕も誠自身のことだとは直接言われていない。

 誠にとっては未だ受け止めきれない過去なのだろう。それでも僕に話してくれた。「昔ここに住んでいた中高生の子」というオブラートに包んで僕に伝えてくれた。

 だから、嘘で構わない。お互いにわかっているから、それでいい。


「ねえマコちゃん、キクちゃんはどうなったんだろう。本体である菊が枯れたということは、キクちゃんも消えてしまったのかな……」

「枯れたのは地上部だけだ。根は生きている。根元に新芽も出ている。ほら、少し緑色の部分があるだろう? 菊は強いんだ。きっと来年は花が咲く。うちの方の菊も同じ状態だった」

「じゃあキクちゃんは? マコちゃんが入院した後、キクちゃんを見なくなったんだ。僕に見えなくなっただけ? ひょっとして、ずっとマコちゃんの家の方にいるとか?」

「いや、うちにもいない。……ああ、そうだ。これ、お前のだろ」


 誠は御守り袋を僕の目の前に突き出して見せた。婆ちゃんに頼んで誠の荷物に忍ばせてもらったものだ。

 誠が袋を開けて逆さにすると、枯れてバラバラになった菊の葉が地面に落ちていった。


「なんだよ、これ。どうしてキクを俺のところによこしたんだよ。キクにはここで花を咲かせ続けることしか望んでいなかったのに……」


 静かな口調で淡々と誠は言った。だが、明らかに僕を責めている。ぞっとするほどの怒りの感情が、僕に向かう手前で隠されているのがわかった。


「マコちゃん……」

「いや、何でもない」


 そう言ってため息をついた誠は、御守りの袋を閉じると、僕の手を取ってそっと手のひらに乗せた。


「返すよ。お前の大事な御守りなんだろう? 『無病息災』なんていつも持ち歩いているのか?」

「いつも身につけていたわけじゃないんだけどね。それ、受験の時期に親から渡されたんだよ」

「『学業成就』じゃなくて?」

「そう思うでしょ。普通そっちでしょ? 『学業成就』のつもりで親が間違えたんだよね。ま、元気に合格できたから間違いでもなかったかなって。マコちゃんが入院した時だって役に立って……」


 また誠の顔が曇った。

 僕は、誠が望まないことをしたのだ。


「マコちゃん、ごめん。キクちゃんを会わせてはいけなかったんだね」

「お前はどうせキクに頼まれただけだろう」

「キクちゃんは、マコちゃんに会いたがっていた。どうしてもっていう感じだった。病院でキクちゃんと何があったの? キクちゃんはどうなっちゃったの?」


 誠はしばらく黙って僕を見つめていた。


「キクは、消えた」


 そう言うと、また黙ってしまった。

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