第14話 怪談

「キクちゃんの話って……キクちゃんが現れたことについてだよね?」

「ああ、そうだ。前の借主のさらに前の話になる。この家で起こった昔話だ。俺は爺ちゃんから聞いただけだから、詳しくは知らないけどな」

「……怖い話?」

「当たり前だ。怪談だって言ったろう」

「じゃあ、いいです」

「何だよ今さら。お前、キクのことをずっと聞きたがっていたくせに。いいから聞いておけ」

「訊いてもマコちゃんが今まではぐらかしてきたくせに。なに開き直ってんだよ。なんかマコちゃん怖いんだけど」

「怖いのはこれからだ」


 言い方にとげがある。

 僕がタンポポで茶化したことを実は怒っているのかもしれない。


「昔、ここに両親と中高生くらいの子供が住んでいた」


 誠は一方的に話しはじめた。


「親は共働きで、片方が単身赴任中だった。子供はずっとひとり暮らしに近い状態だった」

「あの、大家さんの守秘義務は……」

「昔話だから時効だよ、時効」


 誠は、話の腰を折るなと言わんばかりにため息をついて続けた。


「ある日の夜、ひとりで家にいた子供が倒れた。心臓か血管の病気だったらしい。発見が遅れたものの、手術で命は助かった。幸い後遺症もなかった。ただし、再発の可能性があるという。両親は一時的に休職したが、しばらくするとまた家に子供ひとりの状態になった。その後何事もなく一年くらいが過ぎて、このまま大丈夫じゃないかと両親が安心し始めた時に、子供は再び家で倒れた」

「え? まさか、ここが事故物件に?」

「いや、それはかわいそう過ぎるだろ」


 あきれ顔で僕を見る誠は、僕が怖がってつい変なツッコミを入れるのは許してくれるようだ。


「子供は自分で救急車を呼んで、今度はすぐに入院できた。そうしてまた無事に退院したが、さすがに家でひとりにしておけない。食事の制限やらリハビリやら、生活全般に管理が必要な状態でもある。それで子供は祖父母の家に預けられることが決まり、家族はここから引っ越した。おしまい」

「とりあえず子供は死なずに済んだんだね。良かった。でもキクちゃんは?」

「ああ、怖い話はここからだから」

「へ?」

「今のは事実を追っただけだ。これを子供の視点にしてみると、それこそ怪談だ。勝手な想像も多いが、大きく外してはいないと思う」


 僕が怖がっていることに誠は満足そうだった。


「最初に子供が倒れた時、家には誰もいなかった。子供は死にかけるほどの苦しみをひとりで耐えていた。倒れたのが夜遅かったから、発症直後に親が帰宅してすぐ救急車を呼んだ。それで死なずに済んだ。後遺症もなかった。それは良かったが、退院後に親が家にいたのは短期間だけで、またひとりの生活だ。しかも、医者からは再発の可能性があると脅されている。運動を控えるようにも言われてしまった。倒れた時の孤独と絶望は、既に心に刻まれてしまっている。恐怖しかないだろう。再びあの苦しみに襲われるかもしれない。誰にも気づかれずに死ぬかもしれない。当然、死を覚悟する。そんな状態の中、子供は庭で花を育て始めた。あまり外を出歩けないし元々花が好きだったから、花を育てたとしても特に不思議はないだろう。ただし、気分転換が理由ではない。植えたのは菊だ」


 僕は、はっとして誠を見た。

 この家の庭に菊を植えたのは誠だ。これは誠自身の話なんだ。

 誠は僕と目が合っても顔色ひとつ変えなかった。


「それがキクちゃんの本体……」

「そうだ。でも、なぜ菊だったかわかるか? 子供が菊を選んだのは、自分が死んだらその花を供えてもらうためだ。子供は単純だよな。仏壇には菊のイメージしかなかったんだな」


 誠は自嘲気味に笑った。


「子供は菊に話しかけた。お前は自分のための花だ。自分の死後もずっと咲けと。供えの花として、いつまでも咲き続けろと念じて育てた。精神的に相当病んでいたのだろう。自分の死後のために花を育てることが、生きる気力になっていた。まともじゃないな」

「……それでキクちゃんが現れたのか」

「キクが人間の姿で現れたのは、二度目の入院から戻った時だ。……たぶんな。キクがそう言っていた。自分は強く望まれたと。ただ一つの目的のために、ここで咲き続けることだけを宿命として存在していると」

「だから、子供が引っ越してもキクちゃんはここに存在し続けている……」「もし子供の存在が消えても、キクは変わらずここにいるのだろうな」


 キクは言っていた。自分は誠のために存在すると。

 それが誠にとっての救いなのだろうか。望みなのだろうか。

 誠の声はあまりにも穏やかだった。穏やか過ぎて、僕にはそれが怖かった。


「さてと。時間も遅いし、そろそろ俺はおいとまするから」

「え? 何? 散々怖がらせておいて、いきなりこんな夜中に僕ひとり置いて帰っちゃうの? ありえないでしょ。しかもここ事件現場だよ?」

「いや、ここはお前の家だろ。事件じゃないし」


 誠はさっさと玄関に向かっていた。僕は慌てて後を追った。


「待って、マコちゃん。ひとつ教えて。その子供は祖父母の家に行ったんだよね。株分けっていうのかな? 菊を鉢植えとかにして持って行ったのかな?」

「さあな。それだけ執着していたのだから、当然持って行ったんじゃないのか?」


 それなら大家さんの家で見かけたのは、やはりキクだ。僕の庭と同じ菊があるから、キクは向こうにも現れることができるのだろう。

 キクは、いつも誠の側にいる。

 誠の強い思いを反映した、誠の願いを叶えるためだけの存在……。

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