第12話 ニッコウキスゲ
「おい、一郎。一郎」
肩を揺すられる感覚と僕を呼ぶ声で目を開けると、誠が目の前にいた。
部屋は明るいけれど窓の外はすっかり日が落ちて暗く、カーテンは開けたままだった。
「あれ? マコちゃん。僕また玄関開けっ放しだった?」
大学から帰って、畳に転がってそのまま寝入ってしまったらしい。
婆ちゃんの約束どおり、誠は弁当を持って来てくれたのだ。
「悪いな。何度チャイムを鳴らしても出ないから、合鍵を使わせてもらった」
「合鍵⁉︎」
「婆ちゃんに、持って行けって渡された。普段なら使うことは絶対にしないけれど、お前、昼間ウチに来たんだろ? その時の様子がおかしかったって。婆ちゃん、すごい心配性なんだ。それで来てみたら呼んでも出ないし、夜なのに家の中は暗いしで、勝手に入らせてもらった」
「ごめん。婆ちゃんにもマコちゃんにも心配させちゃったね。朝から特売のバイトで、その後すぐ大学で、バテていつのまにか寝ていた。あ、ちょっと待って。カーテン閉めるから」
僕は寝起きの頭でぼんやりしながら立ち上がった。誠は弁当をこたつ机に置くと、そのまま座って僕が戻るのを待っていた。
誠は緊急事態だと判断して合鍵で家に入り、寝ていただけとはいえ倒れた状態の僕を発見したはずだ。それなのに、慌てる素振りは全く見せず、口調ものんびりとしている。
どうしたら、いつもそんな風に冷静でいられるのだろう。
「お待たせ」
なるべく明るく言って、誠の斜め前に座った。誠がいるだけで何となく安心した。
「お弁当ありがとう。後でいただきます」
その後に言葉が続かない。
誠はしばらく黙って僕を見ていた。目が合ってもそのままの僕をさらにしばらく見つめて小さくため息をつくと、自分から話し出した。
「何があった? わざわざ俺に会いに来るなんて変だろう」
「変……かな。僕、フツーにマコちゃんと友達気分になっていたけれど。何より、マコちゃんを頼りきっていた。キクちゃんのこととか、他に話せる人はいないから。そう、……今日スーパーでフリージアを見たんだ」
「バイト先のスーパーで? ……人間じゃなかったのか?」
誠が、さすがに驚いたように訊いた。
「わからない。庭でいつも見ていた四兄弟と全く同じ姿だった。絶対見間違えるはずがない。ああ、でもフリージアじゃないって言ったんだ。僕がフリージアって呼びかけたら、違うって。ニッコウキスゲ ……だって。花の精なのかな。この敷地以外で見たのも、キクちゃん以外と直接話したのも初めてだった。どういうこと? なんで? みんな消えちゃったのに。夢なんかじゃないんだ。本当に……」
話すうちに、フリージアそっくりな青年を見た瞬間の驚きと混乱が蘇ってきた。
「落ち着け。お前の話はわかった。夢じゃない。全て本当に起きたことだ。……いいか、そのニッコウキスゲとやらに会えたことで、お前が前から疑問に思っていたことが解決したかもしれないんだ」
「解決した、かも? マコちゃんにもわからないことがあるの? いつも、知っていてはぐらかすのかと思った」
「俺は全てを知っているわけじゃない。なぜ花壇の花だけが精霊として現れたのか。なぜ、フリージアたちが同じ姿かたちだったのか。推測はできるけれど、確証はなかった」
僕が気になっていたことを誠も考えてくれていたのだ。
「マコちゃんが知っていることを教えてよ。推測も含めて全部」
誠は一瞬迷ったように見えた。
「お前、怖いの苦手だよな」
「え……。怖い話なの?」
「さあ」
「怖いんだ」
「いや」
「……」
今度は僕が迷った。誠にからかわれているのだとは思う。けれど……
「まあ、お前にも見えるんだものな。あの花壇に、」
「ちょっと待ってて!」
「てて?」
誠に一分待ってもらった。
深呼吸。あと、前後左右の確認。よし、何もいない。
「はい、どうぞ」
誠に笑われた。でも、この笑顔が一番の安心材料かもしれない。
「花壇の花の精が現れたのは、たぶんここ一年くらいだと思う。俺は前の借主が住んでいる間は敷地に入ったことがないから正確にはわからないが、キクがそう言っていた。三兄弟を実際に見たのは、前の借主が転居した後だ。お前が来る少し前だな」
「キクちゃんは、いつから庭にいるの?」
「さあな。前の借主が入居する前から菊はあったから」
あ、そこははぐらかすのか。
キクは、菊を植えたのは誠だと言っていた。それなら知らないはずがないのに。
だいたい、大家だからといって借家の庭に勝手に花を植えるのは変だよな。ただ、今それを言っても更にはぐらかされる気がした。
「なあ、一郎。俺は、キクや四兄弟を花の精だと説明してきた。お前はそれで納得していた。でも、本当はあれをどう呼べばいいかわからないんだ。話がややこしいし、わかってもらうのは難しいと思ったから、花の精にしておいた。でも、きっと違うものだ」
「……やっぱり幽霊とか妖怪なの?」
「違う、と思う」
「花、なんだよね?」
「花から発生したものではあるけれど、純粋な花の精ではない」
誠は、僕が想像もつかないことを話し出した。
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