最終章 闇落ち不実から脱却した、旦那様と私の話

 主人二人の騒がしい声で目を覚ますのは、ここに来てから何回目だろうか。


「ちょっとお兄様、いい加減にしてください! いくら婚約者でも勝手に添い寝をするなんて許されません。……先日も申し上げましたわ」


 セラフィーナの怒りで、アデリナは状況を理解した。

 ヴァルターが懲りずにアデリナのベッドにもぐり込んできたのだ。


「これは仕方がないんだ。……治療だから」


「治療なら、とっくに終わっているでしょう?」


「夜中にうなされていたんだ。……私の婚約者が、私のせいで怪我をしたんだから、看病するのは当然だ」


 なぜこの人たちは、毎度毎度、体調不良で眠っている者の近くで言葉の応酬をするのだろう。

 さらにセラフィーナはヴァルターの身体をグイグイと引っ張り、ベッドから落とそうとしていた。

 ヴァルターがしっかりと抱きしめているため、アデリナまで一緒に引きずられる。すでに眠っていられる状況ではなかった。


「はぁ……もうっ! あんまり節度がないようでしたら、アデリナを伯爵家に帰しますよ」


「好きにしろ。セラフィーナの侍女を辞めてくれるのなら、こちらも万々歳だ。私の婚約者として、オストヴァルト王家のしきたりを覚えてもらうために改めて呼び寄せるから。……私がアデリナを独占できる」


「残念でしたぁ。賢いアデリナに教育なんて必要ありませーん」


 二人とも、それぞれの役割を果たしているときは優秀で大人だが、プライベートになると途端に精神年齢が下がる。

 この馬鹿げたやり取りを聞いていることに耐えられなくなったアデリナは、勢いよく身を起こした。


「お二人とも、喧嘩はやめてください!」


「おはよう、アデリナ。……心配してくれるのか? ありがとう」


「いいえ、病み上がりなので、付き合うのが面倒くさいんです」


 すっかり銀髪に戻ったヴァルターは今日も麗しかったが、それに惑わされてはいけない。


 周囲を確認すると、窓から入り込む光の角度からして、午前中の比較的早い時間だとわかった。

 昨日、昼間のうちに倒れてから随分長く眠っていたのだ。


(そういえば、夜中に何度か目が覚めた気がする……)


 治癒魔法が使われていても失った血が戻るわけではない。

 魔力切れと体調不良で嫌な夢を見ていたら、ヴァルターが「大丈夫だ」と言って抱きしめてくれた。

 うなされていたので曖昧だが、たぶん夢ではないのだろう。


(心強かった……。ですが、正直に言ってしまうとさらに調子に乗りそうだから黙っておくべきでしょうね)


 ずっと報われない恋をしてきたせいで、愛され、執着されている状況にはまったく慣れなかった。

 セラフィーナの真似をしたいわけではないけれど、アデリナはツンと澄ました態度でごまかす。


「すっかりいつものアデリナだ……よかった……」


 苦情と冷たい態度にめげず、ヴァルターがアデリナをギュッと抱きしめてくる。


「お兄様! そうやってちゃっかりくっつかないでくださいませ」


 そしてまた引っ張り合いが始まるのだった。


(……なんというか、あんな事件の直後とは思えない……日常が戻ってきたみたい……)


 昨日、ヴァルター主導で政変が起こったのだ。

 国王が捕らえられるというのは大変な事態で、今頃貴族も市井で暮らす民も、混乱しているはずだった。

 けれど、青の館は普段と変わらない。

 ヴァルターがヴァルターのままであることに、アデリナは安堵したのだった。



 それからヴァルターとセラフィーナは、騒動の経過を教えてくれた。

 ヴァルターが転化しかけたのは、血だらけのアデリナを目にした瞬間であり、幸いにして秘密が漏れる心配はなさそうだった。

 カールが暴れ、大司教やリシャールの前で血染めの薔薇を使ったため、もはやこちら側がこの件を立証する必要はなくなっている。

 カールは現在、魔法を使えないように細工がされた牢獄に収監されているようだ。

 国王やバルシュミーデ公爵ほか、関わった貴族たちも同様だった。

 特に主犯となる国王、カール、バルシュミーデ公爵の三人の罪は重く、死罪は免れない。


 カールは牢獄で、どうせ死ぬのなら早く殺せばいいと訴えているらしい。

 けれど、正式な手続きを踏むことに意味があるはずだ。


 彼らには余罪がある。

 バルシュミーデ公爵にはヴァルターたちの母親の死に関わった事実を認めさせなければならないし、カールにはこれまで幾度となく異母弟妹に暗殺者を放った罪を問う必要がある。


 すべてを明らかにすることが、この国やヴァルターにとって最善の選択であってほしいとアデリナは考えていた。


 ヴァルターは、昨日より国王の代理となっている。

 回帰前もそうだったが、ヴァルター自身が血染めの薔薇の製造には関わっておらず、なおかつ自ら進んで王族二人の罪を暴いたため、正式な即位に異議を唱える者は少ない見込みだ。


 ただし、ヴァルターの評価は今のところ「目立たない第二王子」から大きく変わっていない。

 急に国王と王太子が罪人となったために、暫定的に新国王となるだけだ。

 これから、盟約に従って南部貴族の格差解消に取り組まなければならないし、早い段階で成果を見せなければすぐに廃位に追い込まれる。


 油断できない船出となりそうだ。


 そして事件から二日後。この日は聖トリュエステ国一行、そしてリシャール王太子がそれぞれ帰国の途に就く日だった。


 先にオストヴァルト城から去ろうとしているのは、大司教たちだった。

 ヴァルター、セラフィーナ、そしてアデリナは城門付近で彼らの見送りをした。


「大司教様、この度はご助力ありがとうございました」


「おお、そなたはクラルヴァイン伯爵家のアデリナ殿だったな?」


「はい」


「無事でなにより。どうか立派な妃となられますように」


「大司教様……いつまでもお元気で。ぜひ、来年も再来年も聖雨祭にいらしてください」


 アデリナはどうしても彼に感謝を伝えたかった。

 そしてできることなら、大司教には長くその地位に留まり続けてほしいと思っている。

 大司教の引退がヴァルターにとっての不安要素に繋がるという理由が大きいが、それだけではない。地位を明け渡した結果、望まない方向に聖トリュエステ国が変わってしまう結末を、大司教にも見せたくないのだ。


「そうだな。この騒動に立ち会った者として……ヴァルター新国王陛下がどのような国を目指されるのか……まだ見届けなければならないのかもしれない」


 未来を知っていても他国に介入する権利をアデリナは持っていない。それでも、ほんの些細なきっかけで別の道が開けることを願った。


 大司教たちの旅立ちからほどなくして、リシャールも出立の時間を迎えた。


「セラフィーナ王女……。近いうちにまた、口説きに来てもいいですか?」


 堂々と次の訪問の予告をするリシャールは今日もさわやかだった。


「べ、べつに……わたくしは友好国の王族の方の来訪を拒否する立場にはありません」


「よかった。手紙は頻繁に出します。ですからどうか、私が離れているあいだに誰かにそのお心が奪われませんように」


 リシャールは自然な動作でセラフィーナの手を取り、そこへ唇を落とした。

 挨拶のキス程度なら、セラフィーナには慣れたもののはず。けれど、みるみるうちに顔を真っ赤にした。

 その様子が可愛らしくて、アデリナは思わず笑ってしまったのだった。


 回帰前にはわからなかったが、リシャールは一目惚れや個人的な感情だけでセラフィーナに求婚しているわけではないらしい。

 マスカール王国の国策として、光属性のオストヴァルトの女神を自国に迎え入れたいと考えているのだ。

 けれど、政略のみで恋する演技をしているわけでもないといったところだろう。

 セラフィーナも今回協力してくれたリシャールを憎からず想っているみたいだ。


 本来悲恋で終わっていたはずの二人の今後が明るいものであれば、アデリナも嬉しく思うのだった。



   ◇ ◇ ◇



 アデリナは、一応ヴァルターの婚約者である。

 けれど命じた者が罪人となったため、二人の婚約はすでに不要なものになっているはずだった。

 もちろんヴァルターが婚約解消を許すわけもない。そのため、アデリナは結婚前から近い将来の王妃としての役割を果たしていた。


 ヴァルターが正式な国王となる戴冠式は三ヶ月後の予定だ。

 諸侯をまとめ上げるため、新国王もその婚約者も大変忙しい。


 それでも回帰前とは違って「王妃」が職業やただの役割になってしまう心配はしていなかった。

 ヴァルターが言葉でも態度でも、アデリナを恋人として扱ってくれるからだ。


 この日も彼が急に息抜きのデートに行くと言い出して、二人で馬に乗り都の郊外までやってきた。


「ここは……?」


 馬を下りてからしばらく歩いた場所に広がっていたのは、美しい花畑だった。


「視察の帰り道に、案内役の者から教えてもらったんだ。綺麗だろう?」


「はい、とても……」


「アデリナ、こっちを見て」


 花畑に来たばかりだが、ヴァルターは景色を堪能することを許さない。

 アデリナは理不尽な要求に腹を立てながら、それでもヴァルターをまっすぐに見据えた。


「君はこういう場所が好きだろう?」


 ヴァルターがアデリナの両手を包み込むように握った。


「ええ……。でもよくご存じでしたね?」


 うっかり「王子様」と口走ったことはあるが、アデリナは精神的には二十八歳の立派な大人だと自認しているため、子供っぽいと思われそうな発言は自重しているつもりだった。


 花畑が好き……どころか、花が好きだなんて話すら彼とはしていない。アデリナはそれを疑問に思う。


「アデリナ」


 考え事をしていて、ヴァルターに注目していなかったのを咎める視線だった。

 ヴァルターが手に込めている力がわずかに強まる。そして頬がほんのり朱に染まっていた。


「私と結婚してくれ」


「一応……そのつもりですが……?」


 それは突然の言葉だった。予想外の事態に驚き、アデリナは気の利いた返事ができなかった。

 普段、ヴァルターの不器用さを咎めているのに、これでは彼にとやかく言えなくなってしまう。


「私の言葉で求婚していなかっただろう? 愛しているから、結婚してほしい」


 真摯なまなざしで、見つめてくる。


「あ……うっ」


 アデリナの心はヴァルターよりもずっと大人である。

 けれど彼に振り回されたせいで恋愛経験がないに等しく、甘い言葉への耐性は皆無だった。


「答えて」


 急に身体が熱くなる。気恥ずかしさが込み上げてきて、涙が出そうだった。それでもヴァルターが真剣だから、ごまかしてはいけない気がした。


「私も……ヴァルター様のこと……愛っ、して……離れたくない、と思っています……」


 心が囚われて、どうあっても彼から逃れられない。

 最近認めつつあるその感情を、はっきりと伝える。

 ヴァルターになにかを望むのなら、アデリナのほうも己を変えていかなければならないのだ。


 アデリナが素直な言葉を口にすると、ヴァルターがほほえみ、顔を寄せてきた。

 キスされるのだとすぐにわかった。


 二度目のキスは、妙に甘ったるくて長かった。アデリナは呼吸を忘れて、息苦しさを覚えていく。それでも、込み上げてくる感情は喜びしかない。

 昔の自分も、今の自分も、ようやく救われた気がした。


 それからしばらく、二人は手を繋ぎ花畑の中を歩いた。

 景色を見ている最中も、自然とヴァルターが気になり、横を向いては目が合ってほほえみ合う。

 かつてないほど、恋人らしいひとときだった。


「じつは、初めてのキスのやり直しがしたかったんだ」


 ヴァルターがボソリとつぶやいた。

 初めてのキス、花畑――アデリナは妙な既視感を覚える。

 それは、あの薄暗い森で闇に呑み込まれそうになっていたヴァルターの気を引くためにキスをしたとき、アデリナが願ったそのままの内容だった。

 まるで彼に心を読まれたみたいだ。


「あの……? どうして花畑だったんですか?」


 だんだんと焦りが込み上げてくる。

 問いかけると、ヴァルターは褒めてもらいたくて仕方のない飼い犬みたいな顔をした。


「気絶している宿敵が転がっている森でファーストキスを捧げるなんて最悪だ。綺麗な花園とか満点の星空の下とか……そういう素敵な場所がいい、やり直せ……と君が言っていたから」


「いつそんなことを?」


「うなされているときに、寝言で」


「それは……」


 今度は純粋な恥ずかしさで泣きたい気分になった。

 やはり、急に気が利く人間になんてなれるわけがなかったのだ。寝言で口走った内容をそのまま実行するところまではいい。

 けれどなぜ黙っていたほうが得をする事実を、こうも素直に語ってしまうのか。


 アデリナの心情など察してくれないヴァルターは、まだ話を続ける。


「最近、ようやくわかった。……大切な者が増えれば、その者たちのために私はきっと光の道を進めるんだ。誰か一人の死がきっかけで闇に落ちる危険性は、格段に減ると思う」


 回帰前の世界で闇に染まる以前のヴァルターにも、きっとベルントやコルネリウスなど信頼の置ける者はいた。

 けれど愛を知らない人だった。唯一の例外がセラフィーナ一人に向けられていた家族の情なのだろう。

 愛する者が複数いれば、残った者の幸せのために、まだ足掻けるのだ。


(でも、なんだろう……ものすごく胸騒ぎがする……)


 ヴァルターにしてはめずらしく、前向きな発言だった。にもかかわらず、悪い予感がするのはアデリナが疑り深い性格だからだ。


「だが……アデリナだけは別だ」


「は!?」


「君になにかがあれば……私はたぶん闇に囚われる。そして……時戻しの魔法を研究してしまうかもしれない。いいや、絶対にやるだろう」


 普通の告白まででやめてくれれば、アデリナも素直に受け入れられたはずだった。けれどヴァルターは、まったく嬉しくない愛の告白の続きを始めた。


 時戻しの魔法には闇属性と時属性の力が必要だ。

 アデリナが命を失っても、時属性は唯一無二のものではないから、第三者の魔力を利用してあの魔法を使うことは可能だった。


「カールに傷つけられた君を見て、私は我を忘れた。……正気に戻してくれたのもアデリナだ。つまり、君がいないと私は……」


「その言葉……今、言う必要ありますか? 私、ヴァルター様の求婚をお受けしたはずですよね?」


 ほとんど、アデリナが死んだら世界を滅ぼすという宣言だった。

 そこまでの重い愛を望んだつもりはない。


「だが、それが私なんだ」


「開き直らないで、誠実で心の広い旦那様になってくれないと……嫌いになります!」


「君の嫌いになる宣言は、今は好きという意味だから、あまり響かない」


「図太い!」


 不用意に死ねないのは事実だ。

 例えば大往生での老衰など、ヴァルターが納得できる死を迎えなければ、アデリナはまた強制的に人生をやり直すことになるのかもしれない。


「だったらヴァルター様。……あなたが私を守って……幸せにしてください。約束してくれるのなら、私はこれからもヴァルター様の心を全力で光の方向へ導きますから」


「ああ、必ず……」


 ヴァルターの闇落ちはひとまず回避できたのだろう。

 この先もアデリナの苦労は続きそうだが、不思議と前向きでいられた。

 回帰前の自身が知らなかった幸福な世界が、この先も続くと信じられるからだ。



 おわり



【あとがき】

最後までありがとうございました!

ブックマークや★★★で応援していただけるととても嬉しいです。

これからも闇落ち不実をよろしくお願いいたします。

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【書籍化決定】闇落ち不実な旦那様、勝手に時を戻さないでください! 日車メレ @kiiro_himawari

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