7-5

 ついに初デートの日が訪れてしまった。


 暗殺者も来なかったし、誰も風邪を引かなかった。そして天気もいくつか雲が空に浮かんでいる程度の晴天だ。

 デートから逃げ出す理由が一つもないため、覚悟を決める。

 アデリナは街歩きに最適な踝丈のデイドレスをまとい、ヴァルターとのデートに挑むのだった。

 首元はお決まりの真珠のネックレスで飾る。髪はハーフアップにして、淑女らしい帽子もかぶった。


「とても綺麗だわ! さすがはわたくしの妹」


「これでヴァルター殿下もメロメロですね」


「派手すぎず、地味すぎず……素敵な淑女ですよ、アデリナ様」


 セラフィーナとユーディット、そしてリンダが支度を手伝ってくれて、それぞれが感想をこぼす。


(べつに、ヴァルター様をメロメロにしても意味がないと思うのですが!)


 セラフィーナとヴァルターを守りたい。けれど、いずれは離れたい――と、思えるようになれたら……。

 どうせ味方などいないとわかっていたから、アデリナは支度を手伝ってくれたことへのお礼だけを言って部屋の外に出た。


 しばらく歩き、館の中央にある階段を下りはじめるとすぐにヴァルターの姿が見えてきた。

 彼のほうも出かける準備を整えていて、アデリナを待っていたのだ。


「支度が終わったのか? ……俯いていると顔が見えない」


 日よけの帽子をかぶった上に俯くと、確かに顔が見えない。負けたくないアデリナは勢いよく顔を上げて、どうだ、と勝ち誇ってみた。


「似合っているし、可愛いよ。……そんなに恥ずかしがる必要はないと思うが?」


 ヴァルターがわざわざ手を差し出してくる。


(かわ……?)


 ヴァルターの辞書にその言葉があったという事実がまず信じられなかった。

 アデリナはうるさくなった心臓の音を静めるので精一杯になり、お礼すら言えないまま手を取る。


(ヴァルター様の装いも、いつもと違う)


 あまり着飾ることに興味がないヴァルターは、軍服で済ませられる場所では常に軍服を着ている。

 もちろん、回帰前は妃として一緒に生活をして、今もセラフィーナの侍女として一つ屋根の下で暮らしているので、軍服以外の装いも見たことはある。それでも、わざと地味なフロックコートをまとうヴァルターはめずらしい。

 アデリナは、綺麗なものが好きだから、うっかり見とれてしまうのだった。


 二人はセラフィーナたちの見送りを受けながら外に出る。


「ほら、足下に注意しろ」


「……は、はい」


 差し出された手を取り、馬車に乗り込んだ。

 向かい合わせで座ったあとに、アデリナは違和感を覚え、首を傾げた。


「なんでいちいち困惑するんだ?」


 質問の最中、さっそく馬車がひかえめな音を立てながら動き出す。


「ヴァルター様がエスコートしてくださったのが、いつぶりかわからなくて」


 婚約者時代は、おそらく今みたいにしてくれていたのだ。

 けれど、内戦が始まってからのアデリナは、秘書官として斜め後方を歩くようにしていた。

 そして、妃になってからもそれはあまり変わらなかった。


 すると、ヴァルターが盛大なため息をついた。


(私ったら、今のヴァルター様に言っても仕方のないことを……。いいえ! 違うわ。ヴァルター様だけは、私の憤りを全部受け入れるべきよ!)


 一瞬、謝罪の言葉を口にしかけたアデリナだが、すんでのところで呑み込んだ。


 消え去った未来に起こるかもしれない出来事を理由に悪く言われたら腹が立つのは当然だ。けれど時戻しの張本人であるヴァルターだけは、ほかの者とは異なり、責められるべきなのだ。


「ご……ご不満ですか?」


「あぁ。だが、君にではなく未来のダメ夫に対しての不満だ。……それで、ほかには?」


「ほか?」


 アデリナはまた首を傾げることになった。


「この際だから、ダメ夫にされたことをほかにも教えてくれないか?」


「ええ?」


 確かにこれまでのヴァルターのダメな部分については、重要な事件に繋がることのみを伝えていて、日々の生活で傷ついてきた詳細までは語っていない。


「ストレスが発散できるかもしれない」


 そう言いながら、彼は胸のポケットから小さな手帳を取り出した。


「そ……そうですか?」


 本人を目の前にして悪口を言って、アデリナの気が晴れるのだろうか。かなり疑問だが、ヴァルターが聞きたそうにしているため引くに引けなくなっていく。


「真珠のネックレスのことはもうお話ししましたし……あと観劇の件は誤解だった気がしますが、でも断る理由をもう少し工夫してほしくて。あっ! ブローチ事件を忘れていました……」


 回帰前、ネックレスがセラフィーナのものだったことはすでに告げていたが、贈り物をしていなかったことを妹の前でごまかした件はまだ話していなかった。

 アデリナはさっそく、回帰前の不満をぶちまけていった。


「なるほど。プライドが邪魔をして嘘をついたにもかかわらず、庇ったアデリナをにらんだ……と。確かに最低だ。ほかには?」


「あとは……容姿を褒めていただいた経験が皆無です! 容姿は無理でもせめてドレスが似合っているとか、今日の装いが素敵だとか……」


 そこまで言ったところで、アデリナはつい先ほど普通に褒められていたことを思い出し、カッと顔のほてりを感じた。


「そこは改善済みだな」


 ヴァルターが目を細める。

 回帰前の光属性時代は、ヴァルターがあえてアデリナと距離を置いていた部分がある。

 本当は、アデリナが感じていたほど冷たい男性ではない……という事実はとっくにわかっていた。


「ほか、ほかには……。初夜の晩に、後継者を望むつもりはないとか、国政が落ち着いてから養子を考えると言って一切触れてきませんでした! 最悪ですっ」


「その話だけどうにも信じられないが、君の希望は理解した」


 ヴァルターはサラサラとペンを動かした。


(待って! これ……書き留めているということは、逆の行動を心がけるという意味になるんじゃ……?)


 自身の嘘が発端で八つ当たりをするなとか、容姿や服装を褒めろというのはまだいいだろう。けれど白い結婚を否定した場合、逆の行動はなにになるのか……。

 想像して、アデリナは慌てた。


「ここ、こ、こんな話、聞いていて楽しいですか?」


 アデリナは、自ら進んでしてしまった白い結婚の話題から逸れたくて仕方がなくなっていった。


「愉快ではないよ」


「だったら、いい話もしますね!」


「いい話?」


「はい。……内戦終結間際に私は家族を失ったんですが、そのときのヴァルター様は私のことを気遣ってくれて……闇に呑み込まれても、優しさを完全に失ったわけではなくて……」


 冷徹な魔王と呼ばれた闇属性の彼は、親しい者だけには気遣いも見せた。ダメ夫だと言っていたけれど、それでもアデリナは間違いなく彼のことが好きだったのだ。


「聞きたくない」


「はい?」


 急に不機嫌な態度に変わったヴァルターが言葉を遮った。


「ほかの男との思い出を嬉しそうに語る君を見ているのは耐えられない」


「ほかの男……と言われましても。同じ方なのですが?」


 態度を改めたとしても、ヴァルターはアデリナを困らせる天才なのだろうか。

 かなり理不尽な発言だった。


「アデリナの言うダメ夫が将来の私だということは理解している。危機感を抱いて、よい夫になるべく務めるのが償いだと思っている。だが、そんな顔をされたら……さすがに嫉妬してしまう」


「そんな顔、とは?」


「聞きたいのか?」


「いえ、結構です!」


「じゃあ、この話はやめよう。私も言いたくない」


 ヴァルターがパタリと手帳を閉じた。

 会話をしているあいだに馬車は都の中でも一際賑やかな商業地区の大通りまで進んでいた。


 通りの両側には三階建ての建物が整然と並んでいる。

 馬車が余裕ですれ違うことができる広い車道がまっすぐに延びて、脇には街路樹と歩道も整備されていた。

 高級店が建ち並ぶあたりでは、貴族と思われる男女が使用人を従えて歩いている姿が多く見受けられる。

 眺めているだけで、わくわくしてくる光景だ。


 最初の目的地は、ヴァルターが予約している仕立屋だった。

 セラフィーナのドレスを時々注文している馴染みの店とのことだ。

 店の前に馬車を停め、乗り込むときと同様にヴァルターの手を借りて降りる。


 そのまま彼の腕に掴まり短い距離を歩くだけで、アデリナの心拍数は上昇してしまう。

 彼が婚約者を大切にするつもりだとわかっているし、それに対してやめてほしいなどとは到底言えない。冷たくても、優しくても、彼はアデリナの心を乱す存在だ。


 目的の店の前まで辿り着くと、店員と客がなにやら揉めている場面に遭遇する。


「なんだと。予約がないと入れない? ふざけるな! ……私をだれだと思っているんだ!」


 年は二十代前半、金色の髪をした派手な装いの青年が、やたらと扇情的なドレスを着た女性を連れている。

 大きな声に驚いて、周辺にいた者たちも歩みを止めた。


(ひぃぃ……なんだか、見覚えが……!)


 どこからどう見ても王太子カールだった。

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