5-3
アデリナにとって青の館の庭は、危険領域なのかもしれない。
同じ場所で嫌な思いをするのは、何度目だろうか。
(誰か、庭を浄化して! ……なんで私ばっかりひどい目に……絶対、呪われているわ)
回帰してからの短いあいだに二度も倒れ、またもやヴァルターたちに介抱されることになってしまった。
ぼんやりと意識が戻ると、セラフィーナの声がキーンと響く。
「カール……王太子の仕業よ! あの蛇……普通じゃないわ。二人がかりで治癒魔法を施しているのに……効き目が悪いもの……」
「興奮するな」
「……わかっています!」
目を閉じたままだが、ヴァルターとセラフィーナがそれぞれアデリナの手を握り、解毒の魔法を使ってくれているのがわかった。
頭痛がひどく、呼吸が荒い。
全身に汗をかいていて不快だが拭う力がなかった。
「お兄様はそろそろやめておいたほうがいいのではありませんか?」
「まだ、……大丈夫だ」
「力を使いすぎたらどうなるのか。ご自分が一番よくわかっているはずです」
ヴァルターの声は苦しそうだ。
セラフィーナの繊細な手は心地よいぬくもりを与えてくれるが、ヴァルターの無骨な手はどちらが病人かわからないほど汗ばんで熱くなっている。
相当無理をしているのだ。
闇属性への転化はセラフィーナの死によって決して後戻りできない状態となったが、急に始まったものではない。
彼は自分の中に光以外の魔力が眠っている事実を誰よりもよく知っていて、ひたすらに隠している。
(この話、私に聞かれたらまずいはずだから、やめてくれないかしら? 寝たふりをするしかないじゃない……)
回帰した守人であるアデリナは、ヴァルターが闇属性の素養を持っていることを知っているし、気にしていない。
一方、ヴァルターにとっては、アデリナにすら明かしてはならない秘密だ。
一応味方であると認めている証拠だと信じたいが、べらべらとしゃべりすぎだった。
「アデリナは私の婚約者なんだ。私が治療すべきだ。……それに、あの蛇は私に向かっていた。障壁がなければ噛まれていたのは誰だったか」
攻撃魔法が得意であっても、不意を突かれることがある。
それはヴァルターも例外ではない。
(都にいないはずの毒蛇……王太子殿下が二人への嫌がらせで放ったの? 回帰前も同じだったら……? もしかしてヴァルター様が毒に侵され……だから観劇には行けなかったのかもしれない)
アデリナは毒の影響による患部の痛みと倦怠感に耐えながら必死に考えた。
回帰後の世界で記憶を持っているのは、時属性の魔力によって精神を保護されていたアデリナただ一人で、今更ヴァルターにたずねることはできない。
けれど、回帰前も同じように毒蛇が放たれ、ヴァルターが被害にあった可能性はある。
文字が汚かったのは、急いでいたからではなく、身体が毒に侵されていたからなのだろう。
(ちゃんと言ってくれたら……よかったのに……。そうじゃないのなら、もう少しまともな言い訳を考えてくれれば……)
本人の体調不良にしてしまうと、アデリナが見舞いをしたいと言い出しかねない。
それを避けるために、アデリナとはあまり親しくないセラフィーナの風邪とした可能性はあった。
(私を遠ざけるためにわざと冷たくして……真珠のネックレスも渡せずに……歌劇だって本当は一緒に行ってくれるつもりだったの……?)
ヴァルター本人が意図したものとはいえ、アデリナは回帰前にどれだけの誤解をしていたのだろうか。
「それにしてもなんてお馬鹿さんなのかしら!」
「おい……」
「わたくしやお兄様はこの子よりも毒に耐性があったわ。……でもアデリナは……。こんなに苦しそうにして……」
言葉は悪いが、セラフィーナの魔力は優しい。
本当にアデリナを心配してくれているのだと伝わってくる。
(でも……私、病人なんですが……!)
セラフィーナは文句を言わなければ魔法を使えない体質なのだろうか。
彼女の口を止めるためにもアデリナはそろそろ起きていることを二人に伝えるべきだった。
「苦しそう……? そういえば、こういう場合ドレスを脱がせたほうがいいのではないか?」
次はヴァルターが余計な発言をする。
「確かにそうですけれど、アデリナも未婚女性ですから、いくら婚約者の前とはいえ肌着姿になるわけには……。着替えよりも、とにかく目覚めるまで解毒の魔法を続けるべきですわ」
「ではせめて、コルセットを緩めるか」
「お、お兄様! いけません。絶対にダメですわ」
「医療行為だ。べつにアデリナの下着姿を見たからって……なんとも思わない。セラフィーナだけで女性の身体を支えられるのか?」
アデリナはどちらかといえば痩せ気味である。
確かに繊細そうなセラフィーナがアデリナの背中を持ち上げてドレスのボタンをはずし、コルセットを緩めるという力仕事ができるとは思えないが、ヴァルターの言い様はあまりにひどい。
タイミングをうかがっていたら、益々アデリナの自尊心が傷つけられる展開しか想像できなかった。
「お、お、お兄様のエッチ!」
「……違う、医療行為だ!」
ギャー、ギャーという言葉の応酬が続き、ついにアデリナの忍耐力が限界に達する。
「うぅ……う・る・さ・い……!」
仰向けに寝たまま、気づけばそう叫んでいた。
二人同時に目を見開き、一瞬だけ部屋の中が静かになった。
長くはもたず、すぐにセラフィーナが怒った表情で顔を近づけてくる。
「アデリナ! 心配かけないでちょうだい。……わたくしがいなければ死んでいたかもしれないのよ」
アデリナが寝ていても起きていても、セラフィーナの悪態は変わらない。
けれどその美しいアイスブルーの瞳は涙で潤んでいて、どれほど心配してくれたのかがよくわかる。
「セラフィーナ、お姉……さま……泣かないでください……。心配かけてごめんなさい」
「本当に……もう……」
セラフィーナの背後には窓がある。
まだ明るいから倒れてからさほど時間は経っていないようだった。
(それでも……観劇には行けないのでしょうね……)
おそらくすでに最高位の解毒の魔法が施されたあとだ。
にもかかわらず、いまだに立ち上がれる気がしなかった。アデリナの心は二十八歳の立派な淑女だから、諦めなければならない。
(私、そんなにこだわっていたの……?)
自分自身でも意外だった。
まるで恋も知らない未熟な娘に戻った気分だ。
回帰前のヴァルターに対する誤解が、また一つ解けたせいだろう。
「アデリナ。今の症状は?」
セラフィーナと言い争いをしていたときとは違い、ヴァルターの声色は落ち着いていて普段よりも柔らかかった。
「倦怠感と頭痛がひどいです。それから……噛まれたところが痛くて……。あと、眠い……です……」
「では、もう少し眠っていたほうがいいだろう」
それからすぐにヴァルターは部屋を出ていった。
入れ替わるようにユーディットとリンダが入ってきて、着替えを手伝ってくれた。
濡れたタオルで汗を拭き、締め付けのない寝間着をまとうと、身体が楽になる。
目が覚めたときにはもう少し症状が和らいでくれていることを願いながら、アデリナは再び目を閉じた。
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