4-6

「お、おぉお兄様……気配を殺して近づくなんて……」


「私はいつもこうだが?」


 セラフィーナは焦っていた。


 そして、それ以上にアデリナも焦っている。

 彼がどんな表情を浮かべているのか確認する前に無意識に視線を下げ、淑女の礼で現実逃避をする。


「お、おお……お帰りなさいませ、ヴァルター様」


 アデリナの声も震え、裏返っていた。

 ヴァルターがアデリナに特別な感情を持っているはずはないが、常識的に考えて、婚約者が自分とはかけ離れた人物を理想として語っていたら機嫌を損ねるだろう。


 そしてアデリナの知っているヴァルターは心の広い聖人君子とはほど遠い性格だ。


(どうか、今の会話……聞こえていませんように! 聞こえていませんように!)


 あまりに長時間の礼は不自然だ。

 アデリナは諦めてゆっくりと顔を上げる。そして、目が合った瞬間、これはダメだと察した。


「……ユーディットか」


 うららかな春の午後にふさわしくない、凶悪な表情だ。


(どうしよう……。せっかく以前よりもマシな関係を築けていたのに)


 半年後に迫る危機を回避するために、彼からの信頼は必須だった。

 この失言は大きな後退になってしまったかもしれない。


「ヴァルター様……あの、私……」


「べつに私は気にしていない」


「お兄様、すごく気にしているでしょう?」


 ヴァルターのほうは説得力のない顔だし、セラフィーナもわざわざ言わなくていいことを口にする。


 アデリナにとってこの兄妹はとにかく心臓に悪かった。


「いいや、まったく気にしていない! この話はもういい。……それよりもなにがあった? アデリナのドレスが汚れているみたいだが……」


 ヴァルターが強制的に話を変えた。

 言われてみれば、汚れたドレスのまま立ち話をしていたのだ。


「そうでした! じつは王太子殿下が……」


 セラフィーナがかいつまんで、カールの来訪について説明する。

 仲よくお茶の時間を楽しんでいたところ、カールの来訪があったため、セラフィーナがアデリナをいじめる演技をした結果、ドレスが台無しになったというものだ。


「……というわけでしたの。彼女のドレスを汚したのはわたくしですから、弁償をしなければなりませんわ。どうしましょう? ……あぁ、どうしたら? お兄様、なんとかしていただけませんか?」


 セラフィーナは、まだヴァルターとアデリナのデートを諦めていなかったのだろうか。

 あわよくばヴァルターが妹の尻拭いとして買い物に付き合う方向へ持っていきたいみたいだった。


「わかった。そうだな……アデリナ、君の立場を守るためとはいえ、すまないことをした。セラフィーナの兄としてドレスについては責任を持って弁償させてもらう」


「は……はい。ありがとうございます」


 まさかセラフィーナのたくらみどおり、このままお買い物デートの予定が決まってしまうのだろうか。

 アデリナはセラフィーナに非難の視線を送る。

 すると彼女は小さく舌を出しておどけてみせた。


「損害額を報告書として上げてくれ。侍女としての給金に上乗せする」


「ええ!」


 セラフィーナが大げさな反応をする。

 彼女の作戦は、女心など微塵も察しないヴァルターには通用しなかった。


(よかった……。いずれデートに行くなら、できるだけ会話をしなくても成り立つ場所がいいわ)


 一生行かないというわけでもない。

 ヴァルターは二人で社交の場に出る必要があると考えているから、アデリナも応じるつもりだった。


「なにか問題があるのか? セラフィーナ」


「……問題はないかもしれませんが……やっぱりお兄様はユーディットに勝てないようですわね!」


 フン、と頬をふくらませて、セラフィーナがへそを曲げてしまった。

 またユーディットと比べられたヴァルターも、もちろん不機嫌なままだ。


(なんなの……この兄妹……)


 発端は自分の失言だが、アデリナの侍女生活は二人の主人のせいで前途多難だった。

 それでも勤めはしっかりと果たす。


 日々主人の好みを覚え、できる限りの助言をして、セラフィーナがより女神として輝けるように努力していった。


 セラフィーナは頻繁に、軍関連施設や病院、孤児院などを視察し、怪我人への治療を行う。

 治癒魔法は万能ではなく、怪我や毒に対しては有効だが、病には効かない。

 中には「どうして治療をしてもらえないのか」と詰め寄る患者もいたが、セラフィーナはそういう者にも真摯に語りかけ、納得してもらっていた。


 青の館に戻ると悪態をつくが、人々を救う仕事を評判のためだけに嫌々やっているわけではないみたいだった。

 心根が優しい人だが、口は悪い――ひねくれ者だった。


 公務を終えて帰ると、晩餐は大抵、ヴァルター、セラフィーナ、アデリナの三人でテーブルを囲む。

 アデリナは侍女だけれど、ヴァルターの婚約者でもあるため、食事の席はいつも二人の主人と一緒だ。

 セラフィーナとアデリナが、その日の出来事を語り、ヴァルターは頷くだけというやり取りが繰り返される。


 アデリナが侍女になってから六日目の晩餐後。

 部屋に戻ろうとするアデリナを、ヴァルターが引き留めた。


「……ちょっといいか?」


「はい、もちろんです」


「以前に話したとおりだが、そろそろ君を連れて社交の場に出ようと思っている」


 回帰前も同じような展開だった。

 そのときは手紙、今回は直接言葉で……。小さな違いが生じているが、目的は同じだ。

 要するに、貴族たちが集まる社交の場にアデリナを連れ出し婚約者として正しく扱うことで、婚約に不満がないことを国王に示すのだ。


「かしこまりました。ご一緒させてください」


 ヴァルターは頷き、胸ポケットから紙を取り出す。

 それは、回帰前にも見覚えがある歌劇のチケットだった。


「四日後。王立劇場で歌劇を鑑賞しよう。……一応、若い女性が好みそうな演目だ」


「今、公演が行われているのは『ある伯爵夫人の純愛』ですね! なかなかチケットが手に入らないので、嬉しいです」


 回帰前とまったく同じ日、同じ演目だった。

 歌劇は毎日行われているわけではないし、ヴァルターの休暇も決まっているため自然とそうなったのだろう。


「そうか……」


 当日、セラフィーナが体調不良になるかどうかは、アデリナにもわからない。

 風邪は誰かからうつされるものだ。アデリナが侍女になったこととは関係なしに行われている王女としてのセラフィーナの公務中に接触があった者からうつされたのなら、回帰後も同じタイミングで風邪を引くだろう。


 アデリナの行動により、食事の内容やティータイムのお菓子、そして私的な時間の過ごし方は違っている。その影響を受けて体調が変わる可能性も十分にあった。


(でも……あまり、期待しないでおこう……)


 そうやってアデリナは自分の心を守るために予防線を張る。

 そしてできることならば、ヴァルターが婚約者と妹のどちらかを選ばずに済めばいいと心から願う。


(ああ、嫌だな……。また選ばれなかったら傷つく予感がするのは……私がヴァルター様への想いを捨てられていない証拠みたい)


 今のアデリナは、未来を知っているからこその失望を常に抱えているのだった。

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