第8話 小間物屋にて
「へぇ~。これって、貴族の奥様がベッドで朝のお茶を飲むときに使うテーブル? アーリーモーニングティーって言うんだっけ」
チェリーが持ち込んだシルバーの華奢なテーブルを手にして、小間物屋のリンダは物珍しげに高く掲げた。戦争が長引く中で、いまは「何でも屋」であり、質屋のようなこともしている。
カウンターの上に、さらに真鍮製の燭台を三つ並べながら、チェリーはてきぱきと言った。
「砂糖と塩がどうしても足りなくて。それと、お庭が広いから畑を作ろうと思っているの。種芋や種をお分けしてくれるひと、知らないかしら」
リンダはチェリーを見つめ、声をひそめて確認してきた。
「本当に、盗品じゃないんだよね?」
予期していた質問に対し、チェリーは「違います」と、きっぱり答えた。
「私がいまお世話になっているお屋敷で、奥様とお嬢様に断りを入れて預かってきました。売れるなら売っても良いって。でも、お金は食べられないから、物と交換がありがたいわ」
アストン家にチェリーとノエルが暮らし始めて、一週間が過ぎた。
手始めにキャロライナとヘンリエットの部屋を掃除して、他の閉ざされた部屋も覗いてみたら、案の定「あるべきもの」がずいぶんと姿を消した後だったのだ。
置物や絵画。鏡、本など。
この屋敷の当主にあたるバーナードが、自室や書斎は鍵をかけて閉め切っていったらしく、開かずの間になっていたが、それ以外の部屋はあらかた被害にあっていた。
(ベッドカバーやシーツまで、根こそぎなくなっている部屋もあるんだもの。お屋敷を去る使用人たちが、ごっそり持っていったのよ)
チェリーはヘンリエットにそう訴えかけたが、青灰色の目を細めたヘンリエットは少しの沈黙の後「給金の代わりに、あげたものです」と答えた。
それが、使用人たちをかばっての発言というのは、すぐにわかった。
なにしろ、ヘンリエットは「物がなくなっている、誰かに持ち逃げされていますよ」というチェリーの訴えを、はじめはよく理解できなかったようだったから。
だが、事情を飲み込むなり「埃をかぶるだけの物が、生活の足しになるのなら良いでしょう。家令が気の利いた者でしたので、私の代わりに配分したのだと思います」と表情も変えずに言い切ったのである。
底なしのお人好しなの? と、チェリーは唖然としたものだ。屋敷を預かる子爵未亡人がまったく知らないのなら、家令こそが黒幕かもしれないじゃない、と。
その憶測を、チェリーは口に出さずに腹の奥底まで沈めた。
屋敷の資産は、チェリーのものではない。管財人たるヘンリエットが「譲った」と言い張るなら、責めるのはお門違いというもの。
ただ、あまり物に対して執着が無いのなら、この先は自分たちの生活のために積極的に使ってはどうかと、考えてしまった。
そこで、思い切って「屋敷にあるものを換金して、食糧を買いたい」と申し出たところ、やはり表情を一切変えないヘンリエットによって「よござんす」と了承されたのだ。
キャロライナに至っては「ベッドから起き上がって食事をしようと思っていたところなの。これは無い方がいいかも」と、自分からさっさと銀のテーブルを渡してきたのであった。まるで、チェリーの考えを見越していたかのような鮮やかさだった。おっとりした雰囲気は見せかけだけかもしれない、と思い知った。
かくして、チェリーは屋敷を歩き回り、他にも値打ちのありそうなものを見繕って、顔見知りの小間物屋まで足を運んだのである。
「貴族のお屋敷からの質流れ品、最近ではよく見るけどね。食うに困っているのは庶民だけじゃないんだねえ」
銀のテーブルをカウンターに置き、並んだ燭台に視線をすべらせて、リンダはしみじみと言った。チェリーはさりげない調子で「お屋敷には、これ以上のものはもうあまり残っていないわ」と言い添える。
「そうなの?」
「ええ。もうあらかた全部処分した後よ。本当に何もなくて。これを持ち出すのも、苦渋の決断だったわ。素敵でしょう?」
真鍮の燭台を手にして、リンダに見えるように傾ける。
(良い品物を流した結果、他にもまだ何かあるかと、欲を出した泥棒が来たら大変。実際はもう、バーナードさんのお部屋と書斎しか手つかずで残ってないんだから)
部屋の鍵はヘンリエットが持っていて、「結婚したことは、本人に手紙で伝えてありますので」とチェリーに渡して来ようとしたが、断固として受け取らなかった。
掃除をして欲しい、という意味合いだったかもしれないが、さすがに形式だけの妻が鍵を預かるのも、部屋に立ち入るのも荷が重すぎる。
「あんたが長屋から消えたって聞いたときは、何があったかと思ったけど。元気そうで一安心だよ。ノエルがいたら、工場で働くのは難しいもんねぇ。良かったね、働き口があって」
実に悪気のない様子でリンダに言われ、チェリーは口をつぐんだ。
勤めではなく、未亡人予定の「妻」でアストン家の若奥様なのである。しかし、説明が難しすぎるので、細かい事情を話すことなく適当に濁して終えた。
リンダはチェリーの持ち込み品を引き取り、食材をいくつか包みながら「種と種芋なら、あてはあるよ。どこも男手を戦争に引っ張っていかれて、女子供は工場で弾薬作りだろ。ひとの手の入らなくなった畑は、荒れ放題だ。うまく収穫できたら、買いたいって相手もいるだろうさ。畑泥棒には気をつけな」と親切に必要事項を教えてくれた。
「戦争が始まった頃は、誰もこんなに長引くなんて、考えちゃいなかったのにね。せいぜい季節がひとつ変わる程度って話だった。それが半年、一年といつの間にか続いていて、先が見えなくなって、今じゃ国民総動員だよ。暮らしにくいったらありゃしない」
はじめは軍人が駆り出され、ついで独身者の中から希望者が募られた。既婚者も含め健康な成人男性へ「義務」が課されるようになるまでは、あっという間だった。
「まだまだ続くっていうことは、ないでしょう。リンダの旦那さんも、もうすぐ帰ってくるわ。また二人でお店ができるようになる。それまでの辛抱よ」
受け取った包みをバスケットに詰め込みながら、チェリーはなぐさめを口にする。根拠らしい根拠もなかったが、チェリーの「夫」であるバーナードが最前線に向かったというのなら、戦局は常に動いているのだ。良い方にせよ、悪い方にせよ、誰もが終わりを目指しているはず。
「うちの旦那は、生きてんのかねえ。連絡もありゃしないよ」
「手紙は? 出せば届くんじゃない?」
「手紙ぃ?」
世間話をしているうちに、他の客が来た。目配せし合い、話を終えようとしたところで、リンダが何気ない様子で付け加えた。
「とにかく、あんたが無事で良かったよ。また、あんたの歌が聞けたら良いなって思っていたんだ。いまはそんな気分じゃないかもしれないけど、歌ってくれよ」
チェリーはきょとんと目を瞬いてから、やわらかな微笑を浮かべた。
「『歌姫』は私じゃないわ。ラモーナ姉さんよ。もういないの」
そこで別れを告げ、チェリーはリンダに教えられた通りに、農家に向かった。「収穫の一部を融通する」という約束で、種と種芋を融通してもらい、帰宅した。
そこから三ヶ月が過ぎ、季節が巡った頃、戦場から手紙が届いたのだ。
チェリー宛だった。
差出人は「夫」のバーナードである。
【一度も会わないうちに、人妻から未亡人になるのは、さすがにいかがなものか】
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