ハードクラッカー 6

「高川だ」


 本名を名乗り、右手を温存して高川は、左だけで名刺を受け取った。



御器みき 百人ももひとと読みます。敬愛する作家・池上司先生の名刺にならって肩書はつけておりませんが、交易を営んでおります」



 その黒ずくめの男の言葉に、高川はかまをかけた。


「交易って、とりあつかう品は非合法のかい」


 だが男は、


「いえ。まさか。合法品のみです」


 と、にこやかなままに、


「──ただし、我が星系が、今の主要国と結んだの範疇での合法品おはなしですが」


 と、高川の心臓をもてあそぶように、目を細めた。







 サーモグラフィー上に、観測された怪異。

 部長からの、偽の緘口令ダミー インストラクション

 そして、その記録がありえない消滅をした件。


 すべての腑に落ちない点が、この男が握る、一つの手綱の上に並んだ気がする。


 この黒ずくめ男の正体が、外国の勢力か、ほら吹きか、宇宙人を詐称するホンモノの病人であれ、上は内閣官房しかない*4 公機捜別班第五部の情報へアクセスしうる何者かであることには相違ない。


 高川は言った。


「まいったな。宇宙人さんか。聞くことが山ほどありそうだ」


 すると、ボルサリーノの中折れハットを被り、男は空を見上げ、


「今日は暑い」そう言って、


「巡査長は明けの非番でしたよね。船遊びなど、ご一緒にいかがですか」


 と、右手に見える屋形船に目をやった。







 交差点で湾岸道路11号線と区道512号が東西に分かれ、片側五車線ある新木場若洲線は大井埠頭にむけて直進する。その広い歩道をふたりは若洲海浜公園方面に向けてあるき、準工業地帯の空には、倉庫と青空が交互に見え隠れし、歩道の街路樹もまだ若く、添木を必要としている。


 それを愛でるように見ながら、御器は言った。


「この惑星ほしの人類は若い。まるで、この樹のようです」




 彼らの星系は、地球の暦でいう五千年ほど前、数万光年の航行を経てこのオリオン腕の内側の縁、天の川銀河の中心から⒎94±0.24kpcの距離に想定された炭素系生命体にとってのハピタブルゾーンへと到達し、太陽系と、この地球を発見した。


 彼らはさらなる新領域への進出にむけ、この鉄の惑星に橋頭堡を築くべく、ティグリス・ユーフラテス川流域に定住しつつあった原生人類とゆるやかな接触を開始した。


 が、ほどなくして、逆方向から深宇宙に向け進出中だった違う恒星系の文明と、彼らはこの地球で鉢合わせをした。




 



 高川は、東千石橋を渡りながら、


「こういう職業柄、胡散臭い連中ほど、俺は仲良くはしてきた。だが、あんたの話しは別格だ。その頭上に光る輪っかでも、あるいは山羊のツノでもあるのならハナシは別だが、何をもってしてこんな昼間に、おまけにシラフで、そんな雲を掴むような話を信じられる……」


 と、悪酔いのようなこの心地を吐き出した。


 御器は、「確かに」と横目を合わせてうなずいた。


「にわかには信じ難いことでしょう」


 ですが、と彼は足を止め、高川の目を見すえ、


「お察しの通り、時に我々は天使と呼ばれ、また悪魔とも呼ばれた」



 すると、彼の左の鼻から、赤茶けた虫が素早く走りでて、頬骨を駆け上がり、眼球にはりついた。



「ですが今は、外星人。地球のあなたがたは今、我々をそう呼称する。そして──」


 その黒ずくめの男は、

 

「これは、〝私〟という個を構成する、群体わたしの一部」


 と、白目に触覚をゆらしている虫を乗せたまま、高川に微笑んだ。





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