2-7:二つの心と一つの印
凍月は現在、剣道部と格技研の二つに加えて映美研の広報班を担当している状態だ。今日は剣道部らしい。
美青が待っている中で、次々に生徒が帰っていく。中には美青を珍しそうに見る人もいた。
そんな中、凍月は鞄と竹刀袋だけを持って美青の所にきて、
凍月は、恐らく大事な話になるのを察している。ただ、墨桜荘はどんな所なのかとか、琴宝と二人で住むのはどんな感じなのかとか、今聞かなくてもいい事を聞いていた。
ただ――美青にとっても、それはありがたかった。
通りがかる人に、大切な話は邪魔されたくない。
少しの時間で墨桜荘につくと、美青は自分と琴宝の部屋に案内した。
玄関のドアを閉めた瞬間、明確に凍月は表情を変えた。
「昼の一件……詳しく聞かせてくれないか」
勿論、凍月はそれが聞きたくて仕方ないだろうという事も、美青には分かっている。
「うん。
「うむ」
美青が先に立ってリビングを通ってダイニングに入ると、キッチンにいた琴宝が気づいた。
「おかえり、美青。いらっしゃい、凍月」
「ただいま。雛菊さん、お茶出すから待ってて」
「すまんな……」
「あ、お茶なら私がやるから、美青は凍月と話して」
すぐに、琴宝はお茶の用意を始めた。キッチンの方は任せておいて大丈夫そうだ。
美青はテーブルのキッチン側に座って、凍月に対面を勧めた。凍月は鞄を床に置き、竹刀袋を椅子にかけてそこに座る。
「本来なら、
凍月の顔は悲しそうだった。彼女からすれば、
どんなに頑張っても、凍月と同じ地獄は見れない。
沈みがちな瞳の奥にある物を掬い上げる事は、できるのか。
弱気になるな、気持ちはまだ、活きている。
「二人の問題は二人だけの物じゃないよ。私も琴宝も、協力してくれた
美青が言った時、琴宝がレモンティーを入れたコップを二人の前に置いて、一緒にチョコが乗った皿を置いた。
「夕飯前だから、食べ過ぎないようにね」
それだけ言って、琴宝はキッチンに戻った。
「どうぞ」
「ありがとう」
凍月は、レモンティーを少し飲んだ。少し和らいだ表情で、カップを置く。
「……椿谷は、何を聞いたんだ」
「何を、か……」
改めて聞かれると、凍月を傷つけずに話す事はどうしてもできなくて、困ってしまう所はある。
「きっと、雛菊さんにとってはとてもつらい事」
前置きすると、凍月は目を見開いて美青を見た。
「雪夢は……何を言っていたんだ?」
きっと、気になって仕方ない。だから美青は、勿体つけない。
「楓山さんの言っていた事は、雛菊さんといると嬉しいけど傷つくっていう事。多分、理由が分からないと思う」
美青の言葉に、凍月は頷いた。
「私も全部は聞いてないけど、話を総合して考える事はできる」
覇子さんと
隼が言ってたのは、雛菊さんがいつも楓山さんを褒めて、その度に楓山さんは悲しそうにしてたっていう事。
覇子さんは、楓山さんの元ルームメイトだから、もっと詳しく知ってた。
楓山さんに対して『雪夢は強い』『雪夢は頑張ってる』こういう褒め言葉は、禁句って言っていい程なんだって。これは多分、覇子さん自身言っちゃったんだと思う。その上で、和解してる。
雛菊さんの言葉に、楓山さんは傷ついてたんだと思う。ただ、雛菊さんに悪気がないのは、楓山さんも分かってる。
だって、
そして――それだけが、今の二人の関係っていうわけじゃない。
楓山さんは雛菊さんが昔、言った事をずっと心に入れてる。
雛菊さんも話してくれたけど、楓山さんが家出しようとして、雛菊さんと会った日の夜――楓山さんが憶えてたのは、雛菊さんが『ずっと一緒にいる』って言った事――だけど。
その後、二人で
決定的になったのは、桜来閉校の後、楓山さんが地元の中学に戻って、雛菊さんが
雛菊さんの言葉を信じられなくなって言うのは、楓山さんが言ってた事。
「勿論、雛菊さんも雛菊さんの事情で愛殿にきたんだと思うけど……楓山さんと同じ学校を選ばなかったのはどうしてか……その部分を楓山さんは知らないし、私も琴宝も知らない。二人の問題を解決する為に、そこはどうしても必要だと思う」
美青は長い話を終えて、レモンティーを一口飲んだ。今の気分に合わずに甘いのは、琴宝の趣味かと思う。
「……私の言葉で……」
雪夢が傷ついていた、という所を、凍月はとても気にしている。もっともな話ではある。聞いた限り、凍月は傷つけるつもりなく、寧ろ雪夢を気にかけて言っていたのだと想像がつくし、それが禁句とは知りようもなかっただろう。
特に、雪夢くらい内面を見せない相手では、なおさら。
「その部分は、正直私も詳しくは説明できないんだけど……覇子さんが知ってる範囲と、楓山さんの言葉を合わせて考えると、楓山さんはある種の褒め言葉を苦痛に感じるんだと思う。ただ……」
考えると、泣きたいくらいに痛ましい思いがそこにある。
「楓山さんは、雛菊さんが傍にいてくれるのが嬉しかったから、言いたくても言えなかったんだと思う。覇子さんと話した時だと楓山さんにとっては寧ろ、つきあいが浅いのと、覇子さん自身が気になる事は徹底的に追求するタイプだから、かえって話しやすかったのかも」
気休めにもならないフォローをつけて、凍月が泣きそうな顔になっては世話もないな、美青は自虐するしかなかった。
「椿谷も、何故ダメなのか分からないのか……?」
やっと振り絞った涙声に優しさを返せないのが、苦しかった。
「楓山さんが私に話したって意味がないよ。雛菊さん自身が確かめなきゃ、本当の解決にはならない。それに」
美青はチョコを一つ取って、凍月に渡した。
「楓山さんの中で大事なのは、別々の学校になった事……楓山さんは言ってなかったけど、雛菊さんが愛殿にいるのは知ってて
更に追い打ちをかけるのに、このチョコは甘すぎるかな、美青の気持ちは針塗れだった。
「雛菊さんがどうして愛殿を選んで、楓山さんから離れる選択肢を取ったのか、そこが一番大事な所。傷つけたとか、そういうすれ違いに関してはまだやり直せるけど、今の楓山さんはきっと……雛菊さんに裏切られたみたいに思ってるから」
美青の手の中にあるチョコを、凍月は力なく受け取り、口に含んだ。そして、音を立てて咀嚼する。
「……雪夢はいつも一人でいたと言っただろう」
「うん」
「それに耐えられる雪夢はとても頑張っていると思ったし、強いと思っていた」
「そう思う心自体は、間違いじゃないよ」
「……ありがとう。だが――無理をしてるとも思っていた」
それが分かるなら――美青は、一つの道が開けるのを感じた。
「だから、私は強くなって雪夢を守りたいと思った。桜来の頃から
凍月の言葉は、徐々に萎んでいった。
「……なんて、なんの言い訳にもならないな……私自身が口にした事を、私自身が裏切ったと、雪夢が思った以上は」
ここで我を通す程、凍月は子どもではなかった。
「その気持ち、楓山さんに伝えれば、きっと和解できると思う」
美青は、強く言った。
凍月は、泣きそうな顔で美青を見た。
「ずっと雪夢を傷つけてきて、裏切りまでした私を、あいつが許してくれると思うのか?」
情けない顔は、見ていられなかった。その顔にしたのは、自分だが。
「本音でぶつからなきゃ、楓山さんは答えてくれない。どんな結果になるかは分からないけど、やりもしないで諦めるなら、それは楓山さんにとって明確で本当の『裏切り』になる」
美青は、黒いロンググローブをつけた右腕を、凍月の前に置いた。
「私が雛菊さんに話を聞いて、準備が整ったら、楓山さんも本心から話してくれるって約束になってる。楓山さんは友達との約束を破る人じゃない。あとは、雛菊さんが勇気を持てるかどうか」
その右手で、拳を作る。
「できなきゃずっとこのままだよ。躊躇う事はないでしょ。雛菊さんは――」
美青の言葉を、凍月は弱い視線で聞いている。
「――友達より親友より、楓山さんが大事なんでしょ」
ガッ、美青の右手を、凍月が思い切りつかんだ。少し、痛むくらいの握力で。
「……誰より大切だから、裏切りたくなんかなかった、傷つけていたなら謝りたい。だから……」
凍月は、両手で美青の手をつかんで、泣き出した。
「雪夢の本当の気持ちを聞くまで、もう少し私に力を貸してくれ……!」
懇願されて、美青にできる事は――。
「断れないじゃん、美青」
いい匂いのする鍋を持ってきた琴宝の言う通り、ただ『断らない』というだけだった。
「琴宝も見届けるでしょ。私は勿論」
美青は凍月の手に左手を重ねた。自然、手が緩んで、美青はポケットに手をやり、カメラを取り出した。
「二人が主役になってる場面をここに閉じ込めたい」
貪欲だなと、自分で思う。ただ、凍月の本当の気持ちを撮れなかったから、結末くらいはという言い訳はできる。
「ならば、もう躊躇わない」
凍月は涙を袖で拭って、美青と琴宝を見た。
「雪夢に全力で謝って、まだ聞いていない所も聞いて、絶対に――」
涙を少しつけた手は拳と一緒に決意を握ったようだった。
「本当の意味で、『友達』になる」
覚悟を滲ませた凍月の顔に、弱気な影は一切なかった。
「うん――私も琴宝も、ついてるから」
美青が緩く拳を握って差し出すと、凍月はこつんと拳を合わせた。
「いい感じかな。二人の絵面」
「え?」
琴宝は急にどうした――思って、美青の視界の端に琴宝が置いていたカメラが映る。
「ずっと撮ってた」
「ちょ、琴宝!? いつの間に!?」
「待て橘家!! 今の私は滅茶苦茶情けないからそのデータは消せ!!」
「うるせえこのカメラは私のだ」
止める二人を躱し、琴宝は躊躇いなくカメラの録画を止めた。フィジカルで明らかに凍月より上の琴宝を二人がどうこうできるわけもなく。
「それより、二人共疲れたでしょ。鍋食べよう」
黙ってその言葉に従うしかなかった。
本当に、我が恋人はしっかりしている……美青は食器を並べるのを手伝いつつ、イイ性格をしている相棒をどうしてくれようか考えた。
勝負は、週のど真ん中の明日、水曜日――準備は、整った。
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