AFTER THE FILM

風座琴文

前日譚1:猿黄沢事変その後

『二〇XX年九月、民俗学者・生物学者であり私立桜来おうらい学園顧問である互田たがた三通方みつかた――本名・万年青崎おもとざき一崇ひとかたが福島県三来ざき市猿黄沢さるきざわにて大規模なテロを企て、当時猿黄沢にいた未成年を含む二十四名に阻止された。


 一崇は部下を率いて桜来の生徒を襲い、最終的にはその場で死亡し、結果として国家転覆を初めとした計画は未然に防がれた。


 一崇が行なった《未確認生命体》を用いた非人道的人体実験の場となっていた桜来学園は同年十月を以って閉校となり、在校生は希望の中学・高校への転入措置が取られた』


 彼女――椿谷つばきたに美青みおが仲間達と共に遭遇し、解決した一つの大事件は、世間的にはそのように処理されている。


 あの事件から一年と少し、美青が進路を考え出す中学二年の冬休みから、前日譚は始まる。


 桜来閉校ののち、美青は恋人の橘家たちばなや琴宝ことほと友人である白菊しらぎく覇子はること共に東京にある私立九塔くとう学園に転校した。


 そして琴宝と覇子の間にある一つの『勝負』に巻き込まれながら二年生の期間の多くを過ごした。そして現在、都心のある場所に琴宝と二人できていた。


 元々高かった美青の身長は一七八センチまで伸びた。中央分けにした黒髪はセミロングの長さに整えている。ボディラインはすらっとしていて、本人の顔が大人っぽいのと合わせて、中学二年生の制服を着ているのが不自然なくらい大人びていた。


 右腕には黒いロンググローブをつけている。その手は鞄を持たず、背中に背負っている。


 一緒にいる麗人・橘家琴宝は美青よりも身長が低い。


 とはいえ美青が高すぎると言うべきで、琴宝も既に一六四センチまで伸びている。額を隠す前髪は右側で分け、濡鴉のロングヘアは肩甲骨より少し長い。一年少しで発育はよくなったが、自己管理によって無駄な肉はない。


 誰が見ても美人と呼ぶ顔立ちの中で特に目立つ黒い瞳は、目の前で工事している一つのマンションを美青と一緒に眺めていた。


「来年の今頃には人が入る……か」


 琴宝はぽつりと言った。


「って言っても入居者の募集すらしてないし、私達以外に入る人……決めてない事も多いしなあ」


 美青は右手を少し動かしながら答えた。


 何故、こんな事になっているのか。


 美青の言葉を借りれば以下の通りになる。


[猿黄沢事変の後はもう大変だった。いや後始末らしい事は一切してないけど、寧ろ私達を取り巻いてた大人の方がとんでもない事になってた。


 一崇の所為にされてはいるけど、その一崇の後援者には政府の要人から経済界の重鎮までとにかく権威のある人がいて、一時的に国が国としての機能を失いかけた。今はその混乱は少し落ち着いているけど、捜査そのものは続いているって聞いてる。


 問題なのは、一崇の内乱罪を防止した私達桜来の一部生徒の扱い。個人的にこっちの方が自分の事な分大変だ。


 桜来そのものが国による(一崇によるってされてるけど遡ると国になる)人体実験会場だったので解体され、生徒は希望する学校へ転入した。私達一年三組も全国に散って、それでも連絡を取り合っている。


 学校周りがなんとかなったと思ったら、国からの報奨金と賠償金が合わせてとんでもない額入る事になった。特に一年三組と協力してくれた三人は多いらしいけど、多分私は一生かけてもこのお金を使いきれない。


 そこで琴宝が言い出したのが『どうせ高校入ったらルームシェアするんだし、一緒に住む建物を共同で作ろう』だった。


 そのマンション――一年三組・墨盟団ぼくめいだんを改め墨桜会ぼくおうかいから取って《墨桜荘すみざくらそう》の下見に私と琴宝はきている]


 元々は二人が住むのに充分な場所を新たに作るという話だった。そこから琴宝の方が『一生住める方がいい』と言い出し、美青が『墨桜会のみんなが上京してきた時に迎えられるように』と言った結果、かなり大規模なマンションになった。凡そ《墨桜荘》という名前が相応しくないくらいに。


 現在、不動産関係は琴宝の家族の方で進めているが、来年の三月に開く割に決まっている事は少ない。


「とりあえず、管理人さんについてはお母さんの方で当てを見つけたって」


「ほんと? どういう人?」


「んー……なんか私も一回二回会った事はあるらしいんだけど、よく覚えてない。きしって名前なのは覚えてるけど」


「覚えるの得意じゃないの?」


「優先順位が低かったんでしょ、多分」


「可哀想な人だって言うのは分かったよ……」


 琴宝は元々これくらい、人への興味が薄い。寧ろ、美青に心を開いて恋人の距離までいっている事が例外的と言っていい。


 美青はあれこれ言いつつ、今一つ実感がないまま墨桜荘を見た。これを建てて維持するのにどれくらいかかるか試算を専門家に頼んだ事があるが、琴宝と二人で一二〇年住んでなお余る。


 自分の小さな肝っ玉はもつのだろうか……そんな事を思ってしまう。


「ま、今の所はこれくらいか」


 琴宝は美青の、ロンググローブをしている方の手を柔らかく握った。


「そろそろ帰ろ。雪降りそうだし」


「うん」


 美青は僅かに力を入れて、琴宝の手を握り返した。思い切り強く握りたいが、この右腕ではそれができない。


 少しの不満と不安を抱えた状態で、美青は琴宝と並んで歩いた。二人の家は結構離れているので、一緒なのは途中までだ。


「みんな高校どうするのかなあ」


 どことなく不安な声が漏れるのは、墨桜荘にあの頃のみんなが集まってくれればという気持ちがあるからだろう。


「んー……せっかくだから墨桜会のみんなに連絡してみる? そろそろ考え始める時期だろうし、中には上京しそうな人もいるし」


「あー、羊日ようひとか高校は絶対東京にするとか言ってたね……」


 墨桜会のメンバーの中で、桜来入学以前に東京に住んでいたという者は寧ろ少ない。美青が話題に挙げた棗井なつめい羊日など長野の実家に戻っているが、桜来在学中に組んだメンバーとバンドデビューを夢見ている為、高校に入ったら上京すると常々言っている。


 他にも数名、上京を考えている風な事は言っていた。中には現在、海外にいるメンバーもいるので全員というわけにはいかないだろう。


「ん? あ、けいからライン。グループの方に」


 琴宝がスマホに気づいて、美青に声をかける。美青は自分のスマホを取り出して、そのメッセージを見た。


〈三来市に住めなくなりました……〉


 絵文字も何もなく、慶は短くメッセージを送ってきている。


 菫川すみれかわ慶――墨桜会の前身である墨盟団ではオリジナルメンバーであり、桜来在学時には当時の中等部生唯一の地元・三来市猿黄沢の出身だった人物でもある。美青は何度となく助けられている。


 猿黄沢事変の後、慶の一家は猿黄沢という範囲を出て三来市の中心寄りに越している。そこから一年と少しで住めなくなったとはどういう事なのか。


〈何かあったのかな? 慶の家に〉


 尋ねたのは琴宝と小学校の頃からのライバルであり、墨盟団の発起人、今では美青とも同じ中学の白菊覇子だった。


〈ニュースでやるみたいだけど、三来市だけじゃなくて、周りまで四方手神よもてかみ因子の土壌汚染が判明したみたい……〉


 少し混乱した文章だったので、美青は恐らく慶も知ったばかりなのだろうと判断した。


「ねえこれ……」


 美青が琴宝の方を見ると、琴宝も美青の事を見ていた。


「四方手の神様が……って事なのかな」


 考える事は琴宝も一緒らしかった。


 四方手の神様という、猿黄沢で信仰されていた神様の正体――専門家曰く『地球上のあらゆる物質と異なる性質を持つ』とされる『四方手神因子』と呼ばれるもの、これを用いて一崇は人体実験と国家転覆を行なおうとした。


 四方手の神様という存在自体は『一つの意思を持った群体』とでも言うべきものだと美青は聞いている。ただ、その『意思』の中核になっていた物については猿黄沢事変の際、覇子によって消滅させられている。


 その存在がまだ生きていると言う疑問については、全員が抱いているらしく、すぐに返せるメンバーはそれぞれ慶を質問責めにしている。


 四方手神因子は様々な不可思議現象を起こすが、事件収束以降は一切確認されていない――というのは、大本営発表だけではなく、慶が実地で聞いた話も混じっている。


〈今現在何か起きてるわけじゃないけど、覚えてるかな、地下水経由で四方手神因子が入り込むっていう話〉


 慶は簡潔に説明してきた。


〈調査チームが三来一帯の水を調査したら、微量の四方手神因子が見つかってっていう話。今の時点で異変らしい異変は起きてないけど、住民は緊急避難になるみたい……〉


〈蟹ちゃんはどうするの?〉


 すぐにレスを返したのは牡丹座ぼたんざメロメというメンバーだ。


〈東京にいる親戚を頼るって聞いてる……〉


 慶が東京にきた時の事を考えると大分絶望していそうな返しだった。猿黄沢自体がとんでもない田舎な上、ほぼ都会に出ずに育った慶は新幹線で東京についた途端にかなりの拒絶反応を起こしていた。


「菫川さんくるんだ……」


「うーん……」


 美青の呟きに、琴宝が何か考えるように足を止めた。二人の手がするりと離れる。


 琴宝がどうしたのかと思って美青が見ると、まだ小さく見える墨桜荘を見ていた。


「完成早めるか!」


「手抜き工事できるわけないでしょ!!」


 思いきり早まった琴宝を、美青は慌てて止めた。


「でも、またみんな揃うにはいいチャンスじゃん」


 琴宝は不敵な笑みで振り返った。


「それは――うん」


 本音を言えば、私もまたみんなと一緒に過ごしたい。


 誤魔化しようのない本心を琴宝に見切られる事は、もう慣れている。


「年末、集まれるだけ集めるようにはなに頼もう」


「急だね……でも白生かおが帰ってくる時期そこ逃すとしばらくないか……」


 幹事役の柳下やぎした英、そして海外に留学した桃坂ももさか白生の話題を出しながら、二人は慶の話も聞きながら一緒に帰った。


[あれ? って思った時にはもう、琴宝は私の家に泊まるつもりになっていた。もうそろそろ慣れるべきなのかも知れない]


 美青は今でも癖でつけているこの日の記録を、そんな言葉で結んだ。



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