四 盗っ人の女房
八重が十五歳の梅雨。(妹の多恵と母の奈緒がともに仙台に戻った一年後)
妹の多恵は、仙台城下の南の入り口の南河原町の北隣りにある、北河原町の口入れ屋の山王屋にいた。
雨が降りしきるその夜。山王屋の奥座敷には酒肴の膳を囲んで、山王屋の主の与三郎と多恵、四人の奉公人と四人の女がいた。
「美乃。まあ、飲め・・・」
与三郎は一人の女に徳利を差し出した。
美乃と呼ばれた女は、膳のぐい呑みを取った。
「大黒屋から苦情が来た。無宿人の美乃はここが親元だから、ここに宿下がりしてもらった。上女中はうまくゆかねえか・・・」
与三郎は美乃のぐい呑みに酒を注いだ。
「下働きと読み書きはできるが、算盤と、日々の行事すべてを憶えるのはできねえ。
与三郎。上女中を他の者に代えてくれ。あたしじゃあ、身も頭も限度がある・・・」
美乃はぐい呑みの酒を飲み干した。
「やはり、それなりの者でねえと、仕事をこなせねえか・・・」
与三郎は徳利の酒を美乃のぐい呑みに注いで、己のぐい呑みに注いだ。
無宿人といっても、この美乃は毒消し売りをしていた辻売りで、その筋では切れ者だ。この女が上女中の仕事をできぬなら、そんじょそこらの町人の娘に上女中は務まらぬ。ここにいる他の女たちは美乃より才覚も器量も劣ってる。いったい、与三郎は誰を奉公させる気か・・・。
そう思って、多恵はぐい呑みの酒を飲んで肴を摘まんだ。
それにしても、与三郎はどうしてここまで美乃に入れ込むのか。口入れ屋なんだから、上女中奉公したいと言う女御が現われるのを待つしかなかろうに。それを無理して、いくら切れ者とはいえ、辻売りの女なんぞを上女中に仕込んで送り込むから、こうなるのだ。
この女に、もっと上女中修業させ、良く仕事を覚えさせてから送り込めば良いものを、与三郎は何を考えてる・・・。
多恵は与三郎の振る舞いを忌々しく思いながら与三郎から徳利を取った。与三郎のぐい呑みに酒を注ぎ己のぐい呑みに酒を注いだ。
すると与三郎が多恵から徳利を取り、多恵を見て真顔になった。
「多恵。頼みがある。聞いてくれねえか」
「聞かねば、叩くか・・・」
多恵は与三郎を睨みつけた。多恵といっしょになれねば首を括る、一生不自由はさせぬと言って泣きつき、あたしをものにした与三郎だ。ここは話を合わせて与三郎の腹を探るしかない・・。
「そんな事はしねえ。多恵を夜通し責めてやる」
「うれしい事をしてくれるんか・・・」
くそっ、あたしの弱みを突いてきやがった・・・。
「頼みを聞いてくれ・・・」
「何をするんだ」
「まあ、飲め・・・。
これからは多恵が女たちに上女中の仕事を仕込んでくれ。この口入れ屋の山王屋から、まともな上女中を大店の商家に奉公させてえのさ。
今、奉公に上がってる上女中たちは、先方から、上女中にふさわしくねえと苦情が来てる。多恵がもっと女たちに行儀作法を仕込んで、奉公するにふさわしい上女中にして欲しいんだ。今奉公している女は下賤の身。何かと支障が出てる・・・」
「女たちを上女中に仕込むため、礼儀作法を身につけた武家の娘の、生娘のあたしを捜して、手をつけたんだな・・・」
多恵の言葉に与三郎の顔色が変わった。
「そっ、そんな事は、考えてねえ・・・」
「どこの御店に押し入るんだい」
「何を言ってる。私は口入れ屋だ。先方から頼まれた上女中を斡旋するだけだぜ」
「武家の女でも、それなりの礼儀作法を身につけねば上女中はできぬ。
礼儀作法を身につけて読み書き算盤をこなせるようになるには、早くて一年はかかる。
奉公先はどこだ」
多恵は与三郎に、どこの御店に押し入るのか、と訊きたかった。多恵がそう思うのは訳があった。与三郎と仲間が美乃に、金蔵の錠前の鍵がどこにあるか、そして、いつ銭金が集まるかを探るよう指示していたからだ。
「美乃が奉公していたのは四穀町の穀物問屋、大黒屋だ。
上女中として奉公した美乃は、素行が怪しまれて信頼されなかった。
このままでは、この口入れ屋、山王屋の沽券に関わる」
与三郎は取って付けたような言い訳をしている。
与三郎は、大店に潜りこませた上女中を大店の主に信用させ、銭金が集まる日と金蔵の開け方を探らせようとしている。そのために、与三郎の信頼できる女で、大店の主に信頼される上女中が必要なのだ・・・。
やはり与三郎は大店の金蔵を襲うために、それなりの礼儀作法を身につけた上女中を大店に潜りこませる気だ。女たちを上女中に仕込むため武家の女を捜していたのか・・・。いや、もしかしたら、あたしを大店へ潜りこませる気だ・・・。
「上女中に仕込むのに一年。
奉公先に信用されるのに一年。
全ての切り盛りを任せられて主に信用されるのに一年。
店を任されるには、足かけ三年もかかる・・・」
与三郎は何か思いつめたようにそう言った。
与三郎は三年もかけて大店の金蔵を襲う気だ。いや、すでに上女中奉公して御店の主に信用された上女中がいるのかも知れない。その女たちは、あたしのように生娘で与三郎の女になった者たちではあるまいか・・・。あたしはとんでもない男の女房になってしまったらしい・・・。
与三郎は多恵が武家の一人娘と思っており、三つ子の次女であるなどと思ってもいなかった。そして、このような多恵の行動を、江戸の八重は知る由も無かった。
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