魔術師アテナの事件簿

邑樹政典

プロローグA .《幾万の顔》と《銀の大槌》

 誘い出せたのか、誘い出されたのか――気づけば戦場は前線からかなり離れた森の奥へと移っていた。鬱蒼と茂った草木が視界をふさぎ、葉擦れの音が感覚を狂わせる。

 彼奴から離れてはいけない。離れれば離れるだけこちらにとって不利になる。全神経を尖らせ、次の一撃がどの位置からくるかだけに意識を集中する。

 刹那、右後方から強烈な殺意を感じた。身をひねり、避けるのではなく、そちらに向かって思いきり大地を蹴る。

 眼前に、目には見えない破壊的な圧力が迫るのを感じる。進む脚はとめず、その場で高く跳躍した。すぐ足元を不可視の衝撃波が駆け抜け、後方の大木がまるでおもちゃのように根元から千切れとぶ。

 当然、それで終わりではない。跳躍するということは、新たな隙をさらすということでもある。こちらに向けて、彼奴が追い打ちをかけて来ないはずがない。

 直感の導くままに魔術を行使する。瞬間、重力が増したかのように頭上から地面に向けて強烈な圧力がかかり、宙にあった身体を強制的に地面へと落下させる。そして、その頭上を再び不可視の衝撃波が駆け抜けていく。

 今一度、魔術を行使する。力強く大地を蹴り出すとともに、今度は自分の後ろから前に向けて、ただ一点を目指して進むための推進力として、自らに衝撃波を放つ。

 背骨が折れるかと思うほどの強烈な圧力と、視界が眩むほどの加速――さらに何度かの衝撃波をやり過ごしてようやくその先に待つ者は、狂気をはらんだ瞳で満足げにこちらを見やる銀髪の男だった。

「やっぱり、お前は最高だ。俺に死を予感させてくれる。たった一人で、俺に生きていることを実感させてくれる」

 まるで恋人にでも語りかけるような口調で、男が告げる。

「あの砦を攻めた落とした時でさえ、これほどの昂ぶりはなかった……」

 一度、目を伏せながら胸もとに手を添える。

 そして、そのままゆっくりと両腕を広げ、凄絶な笑みを浮かべながら声を張り上げた。

「もっと俺を追い詰めてくれ! 俺に死を感じさせてくれ! それが俺に生きている実感をくれる! 生へと執着させてくれる!」

「あなたは壊れている……」

 無意識のうちに、そう呟いていた。これまでの人生で、抱いたことのない感情が胸中に芽吹いていくのを感じる。

「あなたは、壊れている。自らの感情のために、この戦争を利用しているとでもいうのか?」

「何がおかしい。お前がどうかは知らんが、傭兵なんてみんな似たようなもんだろう」

「違う。皆、何かのため、あるいは守りたい者のために戦う。でも、あなたは違う」

「奇麗ごとを言うなよ。俺は命のやりとりがしたいんだ。だから傭兵になった。お前の言葉を借りるなら、それだって立派な『何かのため』だろう?」

「違う! 戦場は命を懸ける場であって、おもちゃにする場ではない! ここで戦う者たちは誰しも様々な想いを抱いている! 国のため、民のため、名誉のため、金のため、守りたい何かのため、そして、生きるため! そのために命を懸ける! わたしは、そんな命が失われていくことを、少しでも早くとめるためにこの戦場に遣わされた!」

「だったら! もっと俺を憎め! 俺を呪え! お前のその力で、今すぐに俺を殺してみせろ! でなければ、これまで散っていった幾千万の命と同じようにお前も無様な死を晒すだけだ!」

 男が手をかざすより先に、横へと大きく跳躍する。刹那、どずんっという鈍い音とともに自分の立っていた場所に円形の穴が空いた。強烈な重力場の形成によって地面が陥没したのだ。まともに受ければ、人間の身体など一瞬で押しつぶされるだろう。

「《銀の大槌シルバースレッジ》……! わたしがあなたを殺すのは、憎しみからでも恨みからでもない! この戦争を終わらせ、人々の希望を繋ぐためだ!」

 握りしめた刃を構え、魔術によって自らの身体を無理やり加速させながら男に向けて一撃を放つ。しかし、男はこちらの予想をはるかに上まわる体捌きで身をかわすと、さらに追撃の重力波を放ってきた。

 避けていたのでは間に合わない。魔術で自らの身体を後方につき飛ばし、距離をとりながら腕に差していたスリングナイフを投擲する。しかし、それも男の眼前まで迫ったところで不可視の障壁によってあらぬ方向へと弾かれてしまう。

「惑うなよ、《幾万の顔ミリオンフェイス》。動きが鈍ってるぞ」

 男の表情にはじめて陰りが見える。

「お前がどんな理想を掲げようが、お前を戦場に送り込んだお偉方は自分たちが旨い汁を啜りたいだけだ。詭弁に踊らされるな! 大義名分なんて捨てろ! もっと純粋に殺意を向けてこい!」

 胸の奥がざわつく。狂っている。この男は、明らかに狂っている。そして、自分はどうあがいてもこの男に利用されるのだ。殺しても、殺されても。

「わたしは、あなたを殺す。でも、それは、あなたのためじゃない……!」

 喉が渇く。必死に放ったはずのその声も、掠れて森の葉擦れの音に紛れていく。何故、こうも心が騒めくのか。

「どうでもいいんだよ。迷いを捨てろ!」

 吐き捨てるように、男が言う。

「俺の目的も、お前の理想も、ここじゃ何の意味もないんだよ! 生きるか死ぬか、殺すか殺されるかだ! 俺を殺せないなら、お前はここで大人しく俺に殺されていろ!」

「……っ!」

 駄目だ。体が動かない。

 殺される――自分は、この男に殺される。ほとんど確信に近い形でそう直感する。

 戦争のために生み出された者。《幾万の顔ミリオンフェイス》。人を殺すための人型兵器。しかし、それはすべて未来を繋ぐためのものだった。少なくとも、自分の中では。

 だが、その理想も、この男によって汚される。この男に殺されても、あるいは自分がこの男を殺したとしても、彼奴は満足のうちにその生を終えることだろう。

 どう足掻いても、自分はこの男の欲望を満たすための存在となる。少なくとも、今この瞬間においては。

 恐怖――はじめて胸に去来するその感情に、やがて目の前が真っ暗になっていく。

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