手向けの約束

佐藤朝槻

第1話

 

 電車が駅のホームを通りすぎた。

 この涙も、涙が出る理由も、風で飛んでいってくれよ。


 そう思いながら何度ハンカチやティッシュでぬぐっても、涙が止まらない。


 コツ、とローファーの踏みしめる音がした。

 横をみると、同じ学校の制服を着た女子がいた。

 最低限のシワしかないローファー。校則を守ったスカート丈。後ろでまとめられた黒髪。姿勢のよさ。

 育ちがよさそうな彼女が、潤んだ瞳でこちらを見ていた。

 


「あの、手をつないでもいいかしら」


 手? 寒いのか?


「カイロ貸しましょうか?」

「違うの。つなぎたいの」

「そう、ですか。まぁいいですけど」

「ありがとう」


 そういって彼女の両手は私の片手を包み込む。

 しかし、彼女は「違うわ」と小さくつぶやいた。眉間にはしわがよっている。


「ハグしてもいいかしら?」

「ハグ!? 許可とればいいと思ってません?」

「慰めあえると思うのだけど」

「慰め?」

「だって泣いていたじゃない」

「ああ……。これは花粉症です」


 彼女は「同じ理由だと思ったのに」とあからさまに凹む。


「どういう意味ですか?」

「なかったの、わたしの受験番号」

「ああ、その……。お疲れ様です」


 私が小さくお辞儀すると、彼女は気を取り直すように首を横に振った。


「あなたは進学?」

「はい。といっても私は専門学校ですけど」

「なんの専門学校か聞いてもいいのかしら」

「歯科技工士です」

「技工士? なぜ?」


 なぜ他人に尋ねられているのか、私こそ知りたいが?

 そう言い返したいけど。

 彼女の目の輝きが、私が答えるまで解放しないと訴えかける。


「おばあちゃんが入れ歯つけると痛いって嫌ってたんです。入れ歯にストレス感じてる人、減らしたくて選びました」

「まぁ、素敵な理由!」


 彼女の目が瞬く。


「わたしも専門学校にしようかしら」


 ……急展開だな。


「偶然にも医療系志望なのは同じだわ。それに、あなたのこと気になっちゃった」

「はあ……。え、なんで?」

「わたし、切明優輝きりあきゆうき。あなたは?」


 なぜ自己紹介タイム?


「……高倉六実たかくらむつみ

「これから仲良くしましょ、六実!」


 だから、なぜ。









   ○









「あのとき本当びっくりした。なにいってんのこの人って思った」

「ごめんって」


 私たちは同じ屋根の下、キムチ鍋を食べている。


「まさか優輝が本当についてくるとはねー」

「わたしのおかげで楽できてるでしょ?」


 あのあと、優輝は私と同じ専門学校に進学した。コースは違ったが、一緒に暮らし、ふたりで過ごす時間も多い。


「まぁ……。いや引きニートにいわれたくないよ」

「こらこらー、自宅警備員と呼んでー」


 彼女は私の箸がつまんでいた豚肉をかっさらう。


「ちょっと!」

「おいしー」

「もう……。まさか優輝が辞表出すとは思わなかった」

「へへへ」

「誉めてないんですけど?」


 就職先の病院も私たちは同じだった。

 私は歯科技工士として、優輝は歯科衛生士として働いた。

 優輝が就職して一年となる前、彼女は退職した。

 

 ふいに優輝は、視線を鍋から外に移し、わぁと喜んだ。


「六実、雪!」 

「まじか」

「外、出ようよ」

「えー。寒いよ」

「いいから、いいから」

 

 彼女は半ば強引に私をベランダに連れ出した。


「うぅ、寒っ」

「六実、これは雪というよりも桜ね」

「桜ぁ?」

「うん。門出を祝ってくれてるみたい」


 なんじゃそりゃ。

 そう思ったけど私は黙っていた。

 たしかに優輝にとっては新しいスタートなのかもしれない。

 ただ、私は。

 優輝が退職した理由を知らない私には、祝福できる気分じゃない。


 風が強く、雪は舞うように降っている。

 視界の上半分がぼやける。


 優輝の「目を閉じて」という言葉に従うと、彼女の指がまぶたを優しくなでた。


「雪のってた」

「ありがと……。雪って言っちゃってるじゃん」

「あ!」


 しまったって顔に、私は少し笑ってしまった。

 優輝もつられて笑い、「明日もこうだといいなー」とぼやく。


「やだよー。出勤めんどくさい」

「労働者は大変ですなぁ」

「くっ、どうしてだろう、腹立つのに敗北を感じる!」


 でも優輝の言うとおり、積もったらいいかもしれない。


「積もったら優輝はどうする?」

「さすがに電車は止まんないでしょ」

「本当に帰るんだ」

「うん。地元で転職先を探そうかなって。親も帰ってきていいって言ってたし」

「そっか」


 さっきまで暖まっていたはずなのに、もう指先がかじかんできてる。


「優輝」

「んー?」

「いてほしいって言ったらダメ?」

「いてほしいの?」

「いてほしい」


 優輝が不思議そうに私を見つめる。


「六実なら大丈夫だと思うのだけれど」

「無理だよ」

「どうして?」

「……優輝が好きだから」


 あーあ。言っちゃった。

 今まで突き放していたのは私なのに。

 ここで言うのは、彼女を困らせるだけだと知っているのに。


 情けなくて顔を伏せることしかできない。

 優輝の手が乗せられた。温かい。

 頭に重みを感じながら顔を上げると、彼女の優しい微笑みがあった。


「わかった。じゃあ、こうしよう」

 ――本当に無理だと思ったら帰っておいで。


 優輝は私の頭をなで回し、部屋に戻っていった。

 私も部屋に戻る。


「ちゃんと送り出すから!」


 私の大きな声に、振り向いた優輝は目を見張っている。


「本当にダメになったときは、今日の返事、ちょうだいよ」

「……バカだなぁ。わたしは六実よりずっと前から好きだよ。知ってるでしょ」

「じゃあ、なんでやめたの。なんで地元帰るなんて言うの」


 優輝が笑みをこぼす。


「あなたには夢があるじゃない。大切な夢が。壊したくないの」

「……」

「一緒にいたかったから、ここまでついてきた。でも、わたしには向いてなかったみたい。だから……」


 だから帰るんだ。

 私が苦しめてしまったのか。


「ごめ――」

「だから待つって決めた」


 予想外の言葉に、私は目を見開く。


「わたしは、わたしの生きやすい場所で生きるよ。六実は、好きにしたらいい。夢を追いかけるもよし。帰ってくるもよし。根をあげるまで待ってる。まぁ待つの飽きたらテキトーに結婚でもしようかな」


「優輝……。ありがとう」


 寂しそうに笑う優輝を、抱きしめずにいられなかった。涙を見せたくなくて。


 耳元で彼女の鼻をすする音が聞こえた。


 その後、私たちは日が昇るまで思い出を語らった。


 優輝は家族と親戚が医療従事者のため、なんとなく医療の道を選んでいたこと。

 夢を持ってる私がまぶしく見えたこと。


「ね、六実の夢を聞かせてよ」

「夢かー……」


 私は少しずつ言葉を紡いだ。

 奨学金を払い終えたら今の病院をやめるつもりであること。

 地元で開業したい思いがあること。


 優輝は、終始にこにこしながら私の手を握っていた。

 私も温もりを確かめるように握り返した。


「ねえ、優輝。数年後、絶対あなたに会いに行く」

「うん」


 うなずく優輝の笑顔は、薄暗い部屋の中で輝いていた。


 本当だよ。私の気持ちがその場限りじゃないと証明しに行くよ。

 それまで私も信じる。

 優輝が忘れてしまわないって。

 私を待っていてくれるって。


 勇気を出して伝えてくれたのだから、私も信じる勇気を持つよ。


 そうして、じきに夜が明けた。

 私は優輝を見送った。はじめて会ったときから変わらない黒髪を揺らしながら、彼女はスタスタと歩いている。


 今日からひとり。

 いいことも嫌なこともすぐには共有できない。

 寂しい。

 やっていけるか不安だ。

 怖い。

 それでも彼女との約束がある。

 これは光だ。輝きだ。

 見失わないように用意してくれた、贈り物なのだから。

 私も歩きだした。

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