4-3話【もりんちゅ】



 人は成長する。放っておいても、体は勝手に成長を続ける。生きている限りそれは止まらない。

 幼い頃や学生時代は毎日のように遊んでいた友人だって、成長すれば遊ぶ頻度も減っていく。仕事、家庭、夢、恋。余程無為に過ごしていない限りは、大抵の人間は時間と共に交流が減っていく。それを寂しいと思いこそすれ、「付き合い悪い」とか「連れない奴だ」とか言うのであれば、それは「死ね」と言っているようなものでは無いだろうか。とどのつまり、お前はもう成長するなと、お前はもう留まっていろと言っているのと変わらないのでは無いだろうか。


 ガキの頃は時間ばかりあったんだ。遊ぶ時間ばかり山程あって、でも金なんて全く無いから近所の公園や空き地に集まってみんなで金の掛からない遊びをしていた。ボールを蹴ったり、アニメやゲームのキャラになり切ったり、伝説の剣木の棒片手にその辺をふらふら探索したり。棒きれ一本拾っただけで勇者になれるようなものなのだから、ゲームなんて買って貰った日には限界まで遊び尽くしたものだ。友達の家にゲーム機やコントローラを持ち寄って「お前◯◯使うの禁止」とか「◯◯は夜にレベルを上げると進化する」とか「◯◯と◯◯を配合すると◯◯が出来る」とか。自由帳の端の方にゲームの攻略情報をメモっては言い合い、レアアイテムを手に入れて自慢するのも束の間、嘘吐きだとか改造野郎呼ばわりされたもんだが、けれどめげずに何度もデータを消して遊び尽くすんだ。怖いものなんて父親と上級生ぐらいだった。

 それを過ぎて大人になれば、金はあるのに遊ぶ時間が無くなっている事に気が付いてしまう。口座の残高が少しずつ増えていって、しかしそれを使うような予定は殆ど無くて、でも折角稼いでいるんだからと無駄に金を使っていく。プラモデルやゲーム、グッズばかりを買い漁って部屋の隅で埃を被らせ続ける日々を繰り返す。

 遊ぶ金はしっかりあるのに、けれど遊ぶ時間だけが殆ど無くて。積み上げたプラモデルやゲームを誰かと一緒に作って遊んでなんて事も起こらなければ、何ならゲームだってクリアするより前に新しいゲームを買い始める程。欲しいから欲しいからと金だけ払って、気付けば使いもしなけりゃ見向きもしない────ゴミ無価値を買うのと同然の行為を繰り返すようになっていく。

 やがてジジイババアになってみれば、金も時間も有り余っているのに体が動かなくて何も出来やしない。折角遊ぶ金があるのに、折角それを使う時間もあるのに、折角みんなで集まれるようになったのに、体がそれを拒んでしまう。家庭菜園や玄関先、道路際の雑草を引っこ抜いているだけで気付けば日が暮れ夜になり、朝日が来る前に死んで往く。

 何と侘しい生涯か。何と淋しい人生か。本人は楽しい日々だと口を揃えるが、井戸端でご近所さんと出会えば何時間でも会議を続けられるという事は、それは即ち他人との関わりに飢えている事の現れでは無いだろうか。

 人は認める事を嫌がる。自分が損して苦しんでいるのを頑なに認めたがらない。百円ショップで買った物がすぐ壊れたら「まあ百均だし、安い作りになってるよな」だなんて事を必ず言う。初見の店でマズい飯を食ったら「やっぱ個人チェーンは当たり外れ激しいから」だなんて事を言う。買ったゲームがつまらなければ「前作微妙だったし予算足りなかったんだろうな」なんて事を言う。人の振り見て我が振りを直せる人間ヒトなんて、一体この世に何人居るのだろうか。


 人間ヒトはいつだって言い訳ばかりする。


 けれどそれは決して悪い事では無い。誰だって自分が損をしたとは思いたくないのだから、言い訳をする事自体は悪では無いんだ。自分が損をしたと思う事でそれをバネに強くなれるものも居るが、それは飽くまでも極々少数派。殆どの人間ヒトはそんな強く出来ていない。

 だから言い訳を悪とする事は誰であってもすべきでは無いと僕は思うんだ。何かに対して思わずしてしまう言い訳を非難するという事は、それは「何でお前才能無いんだよ」と言っているのと大差無い。そんな事を言う権利は神にすら無いはずなんだ。

「…………ウチは何を見せ付けられとんこれ」

 ガラゴロと規則的な音を鳴らす荷馬車は、しかし不規則にガコンと大きく揺れる時がある。胡座をかいた足の間にラムネを乗せた僕は不定期に揺れるそれに何度も驚いてしまうのだが、不思議な事に僕の足の上で目を閉じて寝ているラムネはどれだけ大きく揺れても目を閉じたままで穏やかな呼吸を乱さない。

 石を踏んだか或いはわだちの中にある段差で荷台を揺らされれば、僕の目の前。片膝を立てながら荷台の中で座っている橘光たちばなひかるの大き過ぎる胸がボヨンと弾む。人によっては大興奮な乳揺れなのかもしれないが、生前も死後もオッパイーノ・ボインスキーを名乗る予定の無い僕からすれば「またブラのホック壊れそうな揺れ方だな……大丈夫かな」といった不安をいだききながらその胸を見詰めてしまう。

 ともすれば誰もが羨むその大きな胸は橘光にとって法度ルールこそ得ないもののとても強いコンプレックスらしく、生前はその胸が理由で散々不快な気持ちをしたのだと時折吐き捨てていた。

 しかしそれが理由で、光は人の目線から大まかながらも感情を予測する事が出来る。だからこそ僕がその胸をガン見していても、内心でどう思っているかが分かる橘光は僕に何も言ってこないのだろう。

「だめだよお。タクトくん他の人見るのだめだよお、ぼくを見ててよお」

 しかしルカ=ポルカは別である。僕が光の胸に被さっているブラジャーを心配していると、ポルカはすぐそれに気付いて擦り寄ってくる。この間のパルヴェルトとの言い合いで何かが吹っ切れて扉を開いてしまったのか、やたらめったら言い寄ってくるようになった。

「ぼくを見てちゃうわダボ。ウチぁタクトガチ恋勢やぞ。当て付けかコラ。お前Gスポ押し潰して膀胱突き破ったろか」

「うわあヤリマンさんだあ。タクトくん助けてえ調教されちゃあう」

「ヤリマンちゃうわ未通や未通。ウチまだま◯こ使った事無いわカス。…………折角パルもジズも居らんねんからたまにぁ甘ったれよかなーとか思うとったんに何やお前マジいきなり出て来て好き勝手言っとんちゃうぞ」

「いきなりじゃないもおん。ぼくずっと前からタクトくんとおちんちんにぎにぎする仲だもおん。されるばっかでした事無いけどお」

「知ったこっちゃ無いわアホタレ。ウチ普段どんだけ我慢しとる思っとんねん。普段どんだけ遠慮して他の奴らに譲っとる思っとんねん。たまのデートぐらい甘えさせろや」

「直前のセリフそっくりそのまま返すよお。知ったこっちゃ無いねえ。ぼくだってこのまま行けばワンチャンタクトくんと穴を掘り合う関係になれるかもしれないんだもんねえ」

「お前ウチの惚れとる男とオッスオッスする関係になろっちゅーんかお前ナメとんちゃうぞ。そんな尻穴ほじられたいっゅーならウチがほじくり倒したるけえ、オラ尻出せ尻ぃ長ドスでガバガバにしたるわ」

「やあん怖あいメスゴリラが居るよおタクトくん助けてえ」

「誰がメスゴリラや誰が。どっからどう見ても全然ちゃうやろウチどんだけぷりちーやと思っとんねん。駅前で立ちんぼしたら初日で百人狙えるぐらいはぷりちーやろが。そんなウチにケツ穴ほじって貰えるんやぞむしろ土下座しながら尻上げろや」

 漫画やゲーム、アニメの主人公はやたらと他のキャラクターから好感を持たれがちで、それを見る度に「何でこいつこんな好かれてんだ? モテる要素どこだよ」なんて事を僕は思ってしまうのだが、そんな僕なのだからいざ自分が誰かから好意を持たれると「何で僕こんな好かれてんだ? モテる要素どこだよ」とか思わずには居られない。

 でも人なんてものは基本的にどれもそんなものなのかもしれない。好きになる理由なんて分からなければ、好かれる理由だって分からない。嫌いになる理由だって分からないし、嫌われる理由なんて一番意味不明なものだ。

 むしろ好きになる理由を口にされたら、僕はその人を信用出来なくなってしまうまである。愚者として異世界に呼び出されるぐらいにはまともな人生を送れなかった僕なのだから、誰かから「優しいから好き」とか言われていれば「じゃあ優しくなかったら惚れてなかったんだね」とか思ってしまう。

 光の胸だって本来の健康少年だったら鼻の下を伸ばすべきなんだろうけど、僕はどうしたって素直にそれを見る事が出来ない。ブラジャーがどうとかクーパー靭帯がどうとか、揺れた時に乳首擦れて痛くねーのかなとか。そんな的外れな事ばかり思ってしまう。

 素直になれない僕だからこそ、きっと光は素直に好きと言ってくれるんだろう。

 だがどうしても、僕は素直に受け止められない。

「……何でお前ら僕の事好きって言うんだよ。別に好きになる要素ねーだろ。強くないし、気遣いだって得意じゃないし、ブサイクでこそ無いけどイケメンでもねーしぁ待って何か死にたくなってきた」

 人はいつだって言い訳ばかりする。素直に認められない僕は、それを受け止められずに言い訳ばかりしてしまう。

 そんな男の何が良いのかと思ってみれば、光とポルカは顔を見合わせ言い合うのをやめる。かと思えば照らし合わせたかのように二人同時に溜息を吐いて「だから良いんだよねえ」「せやでほんま」だなんて事を言い合う。

「ウチは出来る男なんぞに興味無いわ。………頭良くてぇ? 運動出来てぇ? ここぞという時に颯爽と現れバチィっと決めて全部解決ぅ? ………ハッ、くっだらな。それどこに惚れる要素あんねん。自分がなりたいって憧れこそすれ、そいつと付き合いたいとか死んでも思えんわ。それ隣にるの誰でもええっちゅー事やん。ま◯こ付いてりゃ誰でもアクセサリーになれるっちゅー話やん。ほならそれウチである意味無いやん別の女ぁ探してちょーや。なあふたなり、お前もそう思うやろ」

「ね〜デカパイ。何でも出来るような人がたならその人に何でもやらせておけば良いんだよお。頭が良いとか悪いとかあ、運動出来るとか出来ないとかあ。そんなの誰かと比べる事じゃないんだよお? 自分の苦手分野と誰かの得意分野を比較してもなあんにも意味が無いからねえ」

「ほんまやわ。せやからタクトはへなちょこでええねん。ウチ頭は悪いけど助けられるお礼にま◯こ貸すような馬鹿女にはなりたないからな。持ちつ持たれつ抜きつ挿されつ、抱くだけ抱かれるだけのセックスなんざぁただの作業やわ。まだイッとらんに先にイッたとか、いつもよりは我慢出来たとか…………そういうやり取り無くなったら全部終わりやでよ」

 下品な言い回しである。本当に下品な言い回しばかりする女である。だというのに、こいつの言葉はこんなにも胸が暖かくなる。

「…………迷惑ばっか掛けるぞ。僕と関わっても良い事なんて無いかもしれんぞ。「いつかでっかくなるから」って言い続けてそのまま死ぬヒモみたいになるぞ」

 不貞腐れるようにしながら僕がそう言えば、光は戯けるように手をひらひらと振りながら「なんもなんも」と言ってのける。

「迷惑掛ける側の気持ちは分かるよお。相手がどれだけ「気にしなくて良い」って言ってても気にしちゃうのは良く分かるよお。それが実は建前でえ、内心では物凄い煩わしく思ってるんじゃないかあって考えちゃう気持ちは分かるよお。けどぼくらは迷惑すらも楽しんでるんだって事は忘れないで欲しいなあ」

 頬擦りするように僕に寄り添ったポルカにまでそんな事を言われてしまえば、もはや僕には黙り込むしか出来る事なんて無くなってしまう。

 なかなかどうして、僕も恵まれたものだ。

 仲間か、友か。良い奴らに恵まれたものだ。

「………お前らみたいなのと、生前に出逢いたかったな」

 感謝の代わりに本音を口にしてみれば、光はふんと鼻を鳴らし微笑んだまま目を閉じる。ポルカも何も言わず僕の頬に擦り寄って来て、僕の顔が温かくなる。

 ガラゴロと規則的な音を鳴らす荷馬車は、しかし不規則にガコンと大きく揺れる事がある。胡座をかいた足の間のラムネ撫でながら、しかし僕はもうその揺れには驚かない。ラムネと同じように目を閉じながら居心地の良さに抱かれた僕は、


「完全に忘れ去られておりますけどトリカもりますからね? 二頭牽にとうひきの馬車扱えるのトリカぐらいですからね? 馬車に乗ってるイコールどっかに絶対トリカも居る、ですからね? トリカ居なかったら徒歩で行く事になりますからね? 内心でそっと感謝とか要りません、ちゃんと口に出して感謝して下さいね?」


 ガチで存在を忘れていたデカ女の言葉に目を開き「ごめんマジで忘れてた。ありがとう」と素直になって感謝した。




 そこから始まる飽きるぐらい長い馬車の旅。最初こそポルカから過度なスキンシップを受けたり、光からシモネタを吐かれたり、ラムネが僕の膝で爪研ぎして刺さった爪の痛みで泣きそうになったり、再び忘れ去られたトリカが文句を言ったり。………まあ色々とあったものだが、こうも長く続けば流石に飽きてくるもので。揃いも揃ってみんな目を閉じうとうとし始めるのを見やれば、最初からうとうとし続けていたラムネはマジで先見の明があったんだなあとか思ってしまう。

「もうすぐ着きますよ」

 荷馬車の前方。二頭の馬を牽くトリカトリ・アラムの言葉を聞いた僕らは、まるで年末の初詣で車に揺られ続けた子供のように口々に「ようやくかあ」だなんて言いながら全身をぐっぐっと動かして起き上がる。

 やがて荷馬車が止まるのに合わせて後部から降りれば、トリカトリが入れ替わりで荷台の中に入っていく。身長三メートルを超える大柄な種族であるトリカトリは「ふんぬふんぬ」と鼻を鳴らしながら荷台の中に入り込み、うつ伏せになった状態で後部から顔だけ出す。

「ここから先は馬車が入れませんが、かと言って馬車を置きっぱにしてると盗賊や野生動物に馬が狙われてしまいます。そんな訳でトリカが馬車を見張る振りをしながら昼寝していますので、皆様はこの森の中央を目指して下さいまし」

 そうれだけ言ったトリカトリは、再び「ふんぬふんぬ」と芋虫のように体を動かし馬車の中に戻っていく。その姿は完全に炬燵の中に体を戻そうとするコタツムリのそれだった。

 ………しかしルーナティア城で現役メイドを勤めるトリカトリ・アラムは、きっとこういう時ぐらいでしか自由気ままに休める瞬間が無いのだろう。メイド喫茶のコスプレ従業員と比べると異次元レベルで忙しい本職メイドというものは、魔王さん程では無いにせよ殆ど週休ゼロ日に近しいブラックなお仕事なのだという。メイド喫茶のメイドもそれはそれでキモ豚相手でもにこにこしていなければならない別ベクトルでの大変さがあるのだが………ああ、誰かの長所と誰かの短所を比べてはいけないっていうのは、こういう所でも通るのか。

 そんなこんなでコタツムリよろしくバシャツムリとなったトリカトリに「ありがとうトリカ。しばらく休んでて」と手を振る僕らは、鬱蒼と茂る森の中央とやらを目指していった。


 大した装備も無い状態で見知らぬ森の中に入る際に気を付けるべきは幾つかあるし、人によって何を重要視するかはかなり異なる。だから定期的に「本に書いてあった事と違う!」とか「俺はそんなの気にも留めないぞ!」とかいう不毛過ぎる争いが発生するものなのだが、最も気を配るべきは『太陽』に他ならない。これに気を配っていればどうにかなる事は多いが、逆にこれに気を配れなければ何をどうしても遭難してしまうケースが多い。

 森に入り込む直前に、まず太陽を見る。その大体の位置と方向を覚えたら、入り込む直前に生えている木々の影を見る。

 太陽の位置、影の長さ、傾いている方向。方位磁石コンパスが無ければこれらを参考にして、森に入る前の自分が今向いていた方向がどっちなのかを読み取っておくのだ。

 実際森の中で遭難した事がある者ならば分かるだろうが、舗装所か獣道すら無いようなガチの森を真っ直ぐ歩くのはプロでも極めて難しい。大きな木々や細い小枝、掻き分ける事すら大変そうなやぶはどうしたって避けて進む必要がある。すると体は様々な方向を何度も向き直る事になり、気が付けば入り込んだ入り口がどっちだったもう誰にも分からない。

 そんな時に参考になるのが太陽と影の記憶。陽の沈む方向を計算に入れながら何度も向きを調整し、頭上の葉が少ない場所を見付けたらすぐに影の向いている方向や長さをチェック。どれだけ時間が経ったか、影はどっちに向いているかを確認して現在自分が向いている方向を確認して行く事で、特定の方向へと進み続ける事が出来るようになる。それが出来ればいずれどこかで必ず森を出る事が出来る。夜だったら諦めて寝ておけ、休める時がいつなのかを見極めるのも大事な事だ。


 しかし、である。


「何や割と道あるやん。これなら歩くの楽でええな」

 何という事でしょう、僕らが入り込んだ森の中には普通に道があった。確かに道幅は狭く馬車は通れないだろうし、その道だって舗装なんて当然されていない。しかし獣道とは程遠い、頻繁に人の足で踏み固められた整っている道がしっかりと存在していた。

 ……………僕の時間を返して欲しい。モノローグで一生懸命解説した僕の時間を返して欲しい。くそが。

 そんな呟きをぐっと飲み込み歩き続ければ、時折周囲で何かが動く葉擦れの音が聞こえるようになる。

「………ポルカ。光と一緒に先に進んで」

「………? なんでえ?」

 小首を傾げるポルカに「良いから」と言った僕は、そのまま足を止めて二人から距離を取る。やがて二人の姿が小さくなり始めた頃、僕は相棒に声を掛けた。

「ラムネ」

「───おなかへった───」

 もはやお互い慣れたもので、呼び声一つで全てが伝わる。世界に向けて思いを宣言したラムネは、隣に居た僕から生きる力を奪い取って巨大化していく。気を抜けば瞳がぐるんと上を向いてしまいそうな強い虚脱感に耐えた僕の前には、僕よりも遥かに大きな体になったラムネ・ザ・スプーキーキャットの姿。法度を適応して化猫スケアリーとなったラムネの毛を掴んでその背に乗った僕は、可能な限り耳を澄ましながら前方の二人の元へと戻る。

「………怖あ」

 のっしのっしと背後から歩いてくるスケアリーマジ怖い状態のラムネを見たポルカが呟いた。

 くりくりとした黄色いラムネの瞳は法度ルールを適応する事によって赤くなって大型化………目玉は僕の頭よりも大きいし、チャーミングだった口元は大きく裂けて、どういう理屈なのか外向きに口から飛び出た犬歯は個別でうねうねと動く。

「げぼく、かこまれてりゅぞ。いっぱいいりゅ。たびゅん」

 それでも唯一救いなのは、急な巨大化に伴い舌が回らなくなって口調がいつもより数倍可愛くなっているという事ぐらいだろうか。

ろうと思ったらなんぼでも殺れるけど、どうするよ。タクトに判断仰いだるわ」

「いや殺らないだろ。仕掛けられたら最低限反撃するけど、争う為に来てる訳じゃ無いんだ。こっちからは仕掛けない。TFT戦略専守防衛だよ」

 僕の言葉を聞いた光は「あいよ」と応じて前に進み直す。

 そこで僕は眼下のポルカを見下ろしながら「そういえば」と口を開いた。

「ポルカは戦えるのか?」

 僕が問い掛けるとポルカは何でも無いような声色で「条件満たせば戦えるよお」と間延びした答えを返す。

法度ルール頼りな所はあるんだけどねえ。条件さえ満たせば自衛ぐらいはどうにでも出来るかなあ。………囲まれると大変だけど一対一なら負ける理由は無いと思うよお」

「………その条件ってのは? 僕や光がフォローしたら満たせるようなものなのか?」

 するとポルカは困った声で「うーん」と唸ってから「まあ、多分ねえ」と不安だらけな返事をした。

「相手がぼくを殺そうとかあ、痛め付けようとかしたら十割ぼくが勝つと思うんだけどねえ。………逆にそういう思考の無いロボットとかが相手だとなあんにも出来ないか弱い乙女になっちゃうなあ」

 そんな言葉に不安を覚えた僕は「そもそもポルカの法度ルールってどんなのなんだ?」と率直な疑問を口にするが、ポルカは「秘密う」だなんて言い出した。

 小悪魔的な悪戯っぽい顔で笑いながら僕を見上げるポルカに「何でだよ。教えろよ」と問い詰めれば、しかしポルカは「知りたあい?」と笑うばかりで答えてくれない。

「タクトくんがぼくの事を好きになってくれるなら教えてあげるよお。ぼくの法度ルールはぼくの過去そのものって感じだしい、法度ルール頼りって言った通り弱点とかバレると何も出来なくなっちゃうからねえ」

 そんなポルカに、魔王さんの言葉が脳裏を過ぎった僕は「そっか」とだけ答えてそれきり問い詰める事をやめた。

 ………法度ルールは一生掛けても揺るがない程の強い決意の果てに得る事が出来るもの。並大抵の「強くなりたい」如きでは死んでも得られないそれは、言うなればその人の本心が形を持ったようなもの。

 そして僕ら愚者は『しくじって死んだもの』である。納得なんて到底出来ないような酷い死に方をしたものが愚者として呼び出されるのだから、そんなものが持っている法度ルールが持ち主の『悔い』に直結しているだろう事は想像に難くない。

 『責任持って最後まで』というのは僕が魔王さんに言った言葉。愚者であるルカ=ポルカという子の法度ルールを知ろうとするという事は、即ちルカ=ポルカの過去を知ろうとするのと同じ事。他人の過去───愚者の過去にズケズケと踏み入るのなら、その最奥まで入り込んで共に背負って歩くぐらいの気持ちが無ければ無礼の極み。秘密にされれば気にはなるが、誰かの心の傷に対して興味本位で触れるだなんて許される事では無いだろう。

 しかし能力や実力の性能、内訳が分からないのであればいざという時に困るのも事実。ポルカは戦えると言っていたが、どう戦えるのかが分からない以上、実質的には戦えないと思っている方が向後の為には良い。予測するしか出来ないウチはマイナス面で予測していた方が実際にマイナスになりそうな時に対応しやすい。

「ポルカはラムネの顔の下ぐらいに居てくれ。そしたら何かとケアしやすい」

「はあい。……タクトくんと二人乗りは駄目なのお?」

「悪いなの◯太、このラムネは一人乗りなんだ。………ラムネ、ヤバい時はポルカをお願いね。僕は良いから」

 軽口を叩くポルカに軽口を返せば、ラムネは「んい」と可愛い返事をしてくれた。



 そんなやり取りをしてからしばらく進み続けた僕らだったが、しかし囲まれていると聞いていた割には何も仕掛けてくるような様子は無く。ラムネと違って聴覚や嗅覚に優れていない上に何なら野生の勘すら退化してしまったヒトからすれば、囲まれてるとかそうじゃないとかが何も分からず自らの置かれている状況に疑問を抱き始めるのも至極当然の話であり、正直この緊張感に飽きてくるのも無理は無いのかもしれない。

 しかしその飽きが命取り。毛沢東やゲバラが得意としたゲリラ戦術が何故そんなにも強い強いと謳われているかはここにある。

 相手から見えない位置に陣取り続け、完全な不定期で不意打ちを仕掛けては成否を問わず一撃離脱で絶対に深追いしない。そして再び気まぐれな攻撃を仕掛けるのがゲリラ戦法なのだが、視覚的有利を取り続けるだけがゲリラ戦法では無い。………この戦い方の最も強いとされる所以は『いつ来るか分からない』にある。

 個々人によって大なり小なり差はあるが、人間ヒトの集中力というものはびっくりする程長続きしない。短期的な集中力には長けるものの、長期的な意識の集中は大多数の人間ヒトにとっては苦手分野の一つである。そんな愚鈍な人間生物が『いつ来るか分からない』に対して警戒していられるのは精々一時間が良い所。それを過ぎれば「もしかして撤退したのでは」なんて疑問がやってきて、疑問はすぐに飽きに変わる。飽きはやがて疲れに変わり、「この隙に休もう」なんて思い始めれば狙い澄ましたかのようなタイミングで現れたゲリラ兵のグルカナイフに首を刈り取られてはいお終いである。

 それがゲリラ戦術の強い所であり、ダルい点。

「進むのよおおおおおぉぉぉぉぉぉ──────ッ!」

 鬱蒼とした森の中に木霊したその声にビクンと体を跳ねさせれば、視界に飛び込んで来るのは茶色くて小さな毛むくじゃら。目を凝らしてそれを見やれば最早見慣れた獣人族。犬か猫かが二足歩行で直立しているプロのケモナーが歓喜しそうな姿のそれに「あら可愛い」だなんて思っていられるのはほんの一秒。しっかり見ると身の丈と同じぐらいの大きな両刃の大剣をガリガリと地面に擦って引きずりながら犬歯を剥いて吠え猛る姿に「あら怖い」とすぐに思考はすぐに反転するだろう。

「───うっといなあもうっ」

 途中から折れた両刃の剣が横薙ぎに振るわれるが、橘光はそれを左手の長ドスで難無くいなす。かと思うと獣人族はその遠心力に振り回されるかのように向きを変え「下がるのよっ!」と叫びながら撤退を開始。身の丈と同じぐらいの大剣鉄板を引きずっているにも関わらず、尋常では無い程の機敏さで逃げ出し始める。

「追うなよ光っ」

「分かっとるよ」

 僕の声に苛立ち混じりで応じる光だったが、そんな事を言う頃にはもう獣人族の姿は森の奥に消えて見えなくなっていた。

 今回狙われたのは光だけだったが、これで都合六回目のゲリラ襲撃。五回目は僕とラムネが狙われたし、その前はポルカが狙われた。……ポルカが狙われたのは三回目だったか? ああクソもう訳分かんねえ。

「………やっぱゲリラレイドはクソ文化や。社会人ユーザを舐め腐っとるニート仕様のゴミ文化やな。何がレイドボスやボケが死ねカスはよ首吊って会社畳めや豚が、ニート以外まともに参加出来んもんにイベントの看板付けんなビチグソ」

 昨今流行りの量産型ソシャゲに何か恨みでもあるのだろうか。的外れに聞こえながらも核心を突いているような橘光の言い草に、しかし僕は言葉を返してやる気力すらも無くなってきていた。

 奇襲回数はまだ一桁。これの乱れようで一桁台なのだから、ゲリラのヤバさが良く分かる。


 ………きっと光に追撃させれば、この苦労はすぐに終わるだろう。さっきから何度も不意打ちを仕掛けてきている獣人族は、僕目線では機敏かつ軽快でありながら重量級の折れた大剣を軽々と振り回す脅威的存在ではあるが、脳のリミッターを任意で付け外しが出来る橘光からすれば大した相手では無いはずだ。むしろ獣人族は不意打ちのタイミングで必ず吠え猛る。それを聞いた時点で光にカウンターを狙って貰えば、十中八九獣人族の首を取ってくれるだろう。

 しかしそれでは終わってしまう。僕の役目は獣人族の集まりの動き方を知る事であり、獣人族を終わらせる為に来ている訳では無い。

 今回の遠出がジズやパルヴェルトが同行していないたった三人での遠出である事には、獣人族たちと争う意志が無い事を獣人族たちに示す意味が大きい。

 ルーナティア国とサンスベロニア帝国とでの戦争に際して、獣人族がどう動くかを知るのが今の僕の役目。ここで獣人族の生首を片手でぶら下げながら森の中央に向かって「はいどーもールーナティアからやって来ましたー」なんて軽快に笑えば、獣人族たちは確実にルーナティアに敵対する。よしんば敵対せずとも味方になる事は有り得ないだろう。


 戦争は消耗戦である。ゲームや映画、ドラマなんかの影響でバカスカ銃火を鳴らしてドンパチし合うイメージがあるが、戦争に於ける実際の土俵は資産の削り合いである。火器が発展して鉛弾一発で人一人を殺せるようになった時代から、戦争は資金の削り合いが本質となったのだ。

 例えば対人地雷。びっくりする程安価で作れる割に性能がエグい対人地雷はその関係から貧国でも大量に生産出来る上、かなりの戦果を期待出来る。

 しかし貧国の大量生産品とかいう杜撰ずさんの極地みたいな生産体制から、対人地雷という兵器ははどっかの爆発大国に「そんなんじゃチャイナボカンは到底無理アルヨー」とか言われそうなぐらいの不発地雷を産んだ。

 ある意味では「韓国製か?」と思えるぐらいカタログ通りの性能を発揮しない対人地雷は、エゾシマリスか或いはモズのように「どこ埋めたっけ」となり終戦後も常に民間人をおびやかし続ける事となった。

 それ故に生前僕が居た世界では戦争条約で禁じられていたのだが、そんな対人地雷は戦争が消耗戦である事を如実に表している。

 対人地雷は非殺兵器である。かなり派手な爆発が発生するものの、グレネード等と違って破片が意外と飛び散らない。故に対人地雷を踏んで吹き飛ぶのは基本的には足だけなのだが、戦場で両足を失った兵士が居れば国家は当然その兵士に治療を施さねばならない。治療に掛かる医薬品は泉から湧き出すものでも無ければ木に生るものでも無く、金を払って生産、購入する必要がある。また両足を失った事によって退役するとなれば、その後の手当金だって支払う必要がある。

 兵が消耗すれば国も消耗する。ゲーム等では当たり前に皆殺しにし合う戦争だが、戦争はゲームでは無い。戦力ゲージをゼロにするだけが勝敗では無く、様々な手段を用いて相手が戦争を継続出来ない状態にするのが現代に於ける戦争の勝ち方の基本。鉄砲構えて歩きながら進み、隣の仲間が撃ち殺されても止まらず歩き続けるのは遥か昔の話であり、自国の損耗を避けつつ他国を損耗させたいのであれば生かさず殺さずが最も確実に響くのだ。

 だからこそ獣人族とは敵対してはならない。ルーナティア領内に居ながらルーナティア国には属していない獣人族たちは、ルーナティア国からすれば使い捨てが可能な傭兵集団に等しく、またサンスベロニア帝国からしてもそれは同じ。もし同盟国となってくれれば御の字では済まないだろう。

 何しろ自国の兵では無いのだから、まるでフランスのデモ運動でポコスコ投げられる火炎瓶モロトフの如く乱雑に使い捨てる事だって出来る。同盟時の契約で支払った金も一時的なものなのだから、退役するまで一生金を支払い続けなればならない自国兵の損耗に比べれば圧倒的に安過ぎる。何なら戦争終結後に損耗した同盟国を潰しに行く事が出来れば、同盟時に支払った金銭は丸っと返ってくるようなもの。

 仮にそれで国民や他国から批判を受けたとしても知った事では無い。

 勝てば官軍、負ければ賊軍。勝利の二文字が結果に無いなら、正々堂々なんて単語は豚の餌にも劣るのだ。………現実に生きる割に現実を何も知らない僕みたいな雀には到底分からないかもしれないが、勝つ為には、勝つ為の手段に躊躇いを持ってはいけないのだという。

 何せ敗戦国がその後どうなるかは歴史の教科書には殆ど書かれないから。植民地になるというただその一文ばかりで、詳細については教科書になんて到底書けやしない。

 心を、体を、徹底的に陵辱される。平成を通り過ぎ令和に入った現代に於いても未だ「 Fuck'nファッキン NSDAPナチ」を家訓にしているユダヤ人が多い事からある程度は察せるだろうが、それは別にナチスドイツに限った話では無い。大日本帝国だって植民地化した敗戦国には色々としたものだ。ま◯こに酒瓶突っ込んで笑いながら女性の骨盤を砕くぐらいならまだマシだと思えてしまう程、戦争に負けるという事は悲惨なのである。

 故に、ルーナティアを終わらせない為には、このゲリラ戦も終わらせてはいけない。

「…………もうすぐ着くはずだから、それまでは耐えてくれ」

「……ええよ。それまでは耐えたる。けど到着してもこの調子なら、そっから先は知らんでな」

「…………………うん」

 あれは中学生だったぐらいの頃だったか………作戦参謀だなんて言葉に憧れを抱いていた時期を思い出す。戦争FPSゲームを純粋に楽しんでいた頃。ゲーム内で撃った銃弾の軌跡や発砲音、リロードのモーションやコッキング音を心からカッコイイと思っていた頃。指示厨よろしくチームメンバーに指令を飛ばして、まるで状況シチュエーションを自分の手のひらで転がしているような感覚を気持ち良いと思っていた頃。

 今なら分かる。司令官なんてクソな役職、人の気持ちが理解出来ないクズ以外は絶対になるべきじゃない。

 大して体も動かしていないにも関わらずこんなにも疲れている。身体的では無い。精神的に疲れているのだ。


 兵士に無理を言わねばならない。

 前線で無茶をさせねばならない。

 争いを無為に終わらせてはならない。


 嫌気が差す。胸が痛い。光に、ラムネに、ポルカに謝りたい。役に立てなくて御免って、せめて謝っておきたい。

 ああ違う.謝ってはいけない。それすらも保身だ。先に謝る事でしくじって・・・・・も良いように保険を掛けているんだ。転ばぬ先の杖だなんて笑ってしまう。いっそ転んでしまった方が痛いと泣けて楽になるのに、杖が折れるその時まで、僕は歯を食い縛って仲間に無理を強いねばならない。


 ……………何で? どうして僕は仲間に無理を強いなきゃいけないんだ?

 ……………そうだ。魔王さんに頼まれたからだ。獣人の住む森に行って、どういう身の振り方をするか聞いてこなきゃいけないんだった。


 ……………何で? どうして僕が聞いてこなきゃいけないんだ?

 ……………そうだ。僕は愚者としてルーナティアに呼び出されたから。戦争の道具として呼び出された勇者に対抗しなくちゃいけないんだった。


 …………………………何で? どうして僕が愚者として呼び出されたんだ? 死んだのに。僕は既に死んだのに。僕は遥か前に終わったはずなのに。神とやらに見守られるまま病気に罹患した家畜のように見殺しにされたはずなのに。一生掛けて、一生分の苦しみを味わったはずなのに。


 どうして僕は、────僕はどうして、


「………………………………」

 口を突いて飛び出そうになった言葉をぐっと飲み込む。言ってはならない。それだけは言ってはならない。間違っても皆に聞かせてはならない。ここに居る全員、絶対に同じ事を言いたいはずなのだ。僕だけがそんな事を言う訳にはいかない。


 けれど思わずには居られない。


 どうして僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。



 悲劇のヒロインを気取る気なんて無い。そんなものになった所で一銭も得をしないのは分かり切っている話だし、そもそも自分に降り掛かる不幸というものは誰かのそれと推し量るものでは無い。

 考えるだけ無駄なのだ。時間の無駄、思考リソースの無駄、ストレスを溜め込んでメンタルを擦り減らすだけの無駄な行為。

 それが分かっていながら、しかし思わずには居られないのが不幸というもの。何故、どうして、何でって、見え切っている答えを何度も問うてしまうのが不幸というもの。

 どうして自分が。そんなもの理由なんて明白である。

 理由なんて無い。ただの偶然。運が悪かっただけ。自分が選ばれた事に理由は無く、お前が不幸になった事はただの偶然。別にお前である必要性なんて皆無だし、お前じゃなくても良かった。けど偶然お前がそこに居たからお前が不幸になっただけの話。

 それで納得しろ。それで諦めろ。歯を食い縛って泣き寝入りしろ。確率の世界に人が手を加える余地なんて無いのだ。

 それで納得出来ないなら死ね。文句があるなら死ね。嫌なら死ね。誰よりも先に世界から逃げて終わってしまえば良い。

 それすらも出来ないのなら諦めて生きろ。世界はそうやって回っている。お前が世界に合わせろ。合わせらないならさっさと死ね。

「……………ほんで? ウチらぁ何しに来たん」

 自分の声と全く同じ声に脳内を支配されていた僕が光の言葉にハッとなる。

 慌てて顔を上げれば、そこには巨大な獣人族の男性の姿があった。



 …………二桁には届かない程のゲリラ襲撃に耐え兼ね、そろそろ頭がおかしくなってくるかという頃。先頭を進んでいた光の「あれやろ、森の中央」という何の気無い言葉により、僕らは苦難の時間が既に幕を下ろしていた事を理解した。

 これもまたゲリラ戦法の面倒な点。今か今かと襲撃に怯える僕らに対して、仕掛ける側は昼寝をしているというオチ。ゲリラ戦法は状況がマッチしていないと機能しないという致命的なデメリットこそあるが、逆を言えばゲリラ戦法を仕掛ける事が可能な状況であれば余程の事が無い限りは必ず相手を引っ掻き回す事が出来る。しくじり独裁者として名を馳せた毛沢東がゲリラ戦法の使い手だったと聞いた時は嘘臭さに鼻で笑ったものだが、要点さえ把握し徹底出来れば毛沢東に限らず大抵のものがこれぐらいは出来るのがゲリラの真の強味なのではないかと今では思う。

 言ってしまえばそれは槍と同じ。槍という武器は最悪適当に横に振り回しているだけでも十分に強い。遠心力とテコの原理によって穂先に重さが乗り、その長さ故に敵に対する恐怖心を減らし、ある程度の距離を維持しながら一方的に攻撃が可能な槍という武器は、懐にさえ入られなければ理不尽な強さを発揮出来る。三国時代や戦国時代の武将たちはその槍を持って何故か突貫していたが、本来の槍はその長所を活かした戦線維持に最も長ける。

 左右に振りつつ気紛れで突くだけで相手を困らせ、そのまま少しずつ前に進んで行けるのが槍の強味だが、反面で一度懐に入られるとほぼ無抵抗で殺されてしまう。一応柄でいなす事は出来なくも無いが、その長い柄はただ持っているだけで周囲の物や地面にガリガリ引っ掛かって心底邪魔になる。苛立ちに視界が濁れば、次の瞬間には相手が放った剣戟が柄の上を滑り、槍を握っていたはずの両手の指はコンビニのハンバーグ弁当に入っている赤いソーセージのような形の肉片として宙を舞う。

「よういらっしゃった。ルーナティアのもんだのう、話は聞いておる。わしが村長むらおさのトトだ」

 僕や光より二周りぐらい大きな体をした毛むくじゃらの獣人族が低く渋い声で僕らに微笑み掛ける。獣人族としか聞いていなかった僕はケット・シーとかヴォーパルバニー的な半人半獣をイメージしていたのだが、目の前に居る獣人族は………何というか、もう完全に獣である。二足歩行をしているだけの茶色い熊が喋っているようなイメージが分かりやすいだろうか。

「おまんらが何しに来たかは大体分かっちょる。おいらの動き方について話し合いに来たんだろう」

「…………………それが分かった上での手荒い歓迎、心より感謝致します」

「おん?」

 トリカトリ程では無いが人間ヒトより遥かに大柄な獣人族の村長に対して、僕は苛立ちを何一つ隠しもせず皮肉を込めた言葉で突き放した。

 けれど村長は小首を傾げるだけで、まるで意味を解していない様子だった。

「森に入ってからここに至るまでの度重なる奇襲による手厚い歓迎………それを受けて、僕は貴方たちと面を合わせて話し合いをする価値なんて無いと判断しました」

「…………奇襲?」

「僕はルーナティア国、ひいては現魔王の名代としてこの場を預かっている。そも魔王の使者に対して対話の意を示さず奇襲を繰り返した時点で、獣人族の皆様はルーナティアに叛意有りと判断しました」

 胸中に渦巻く苛立ちを可能な限り抑え込み「如何お考えでしょうか」と締めくくれば、獣人族の村長は「おーん?」と唸って首を傾げるばかり。


「奇襲のう。……はて、皆目検討も付きかねるが」


「付きかねるじゃねぇんだよビチグソ。尻の毛にへばり付いたうんこのカス尻の毛ごと引き千切るぞ」


 堪り兼ね遂に堪忍袋の緒が切れた僕は最早語気を荒らげる事すら躊躇わなくなった。滅多に無い所か生前も死後もこんなに口汚く誰かを罵る事なんて初めてだった僕に「うわあ、タクトくんキレてるう」「最近タクト口悪くなったよな。誰の影響やろか」と周りから小さくヤジが飛ぶ。その様子に面食らった獣人族の村長が「うむっ?」と呻くが、関を切った言葉は止まらない。

「帰る。帰るわ、もう良いよお前ら。帰って魔王さんに「獣人たちは敵意の塊」っつって報告するわ。散々ゲリラ仕掛けられていざ村に辿り着いたらしらばっくれてたっつって」

「まっ待て待て! ゲリラってなんじゃ!」

「村入った時のお前の台詞しっかり覚えてるからな。何しに来たかは大体分かってる、っつってたよなお前。こっちが敵意を捨てて対談に来たのが分かった上で道中散々奇襲を仕掛けるってそれつまりそういう事だよな。覆水盆に返らずだわ腹括れよ」

 言いたいだけ言った僕が踵を返そうとすれば、村長は「ちょっと待ってくれ!」と叫びながらその大きな手で僕の両肩をわっしと掴んで向き直らせる。それにすらも苛立った僕が「触るなノミが伝染うつる」と履き捨てれば、村長は「ぁぅぅおいノミ居らんに……」と半泣きになりながら手を離す。

 しかしその後「そうじゃない!」と叫んだ村長が再び僕の両肩をわっしと掴んだ時、村長の背後から二人の足音が聞こえてきた。

 一つは小さな足音で、もう一つはからころという大きな足音。まるでわざと足音を鳴らしながら歩いているかのようなそれは、やがて村長の背後で止まる。

「……小さなトトが帰ったというに、大きなトトは何を油売っておる」

「トト帰ったのよ! パパのおかえりが欲しいのよ!」

 その声に村長は僕から両手を離してバッと振り返る。

「おほぉ〜トトやぁ〜帰って来たかぁ〜お勤めご苦労さんじゃなぁ〜」

 先程名乗ったトトという名を呼びながら小さな獣人族の子を撫でくり回す大きなトトさん。どこから出してるのかと思いたくなる程の猫撫で声を発しながら小さな獣人族の子の頭をぐりぐりと撫でると、獣人族の子は嬉しそうなちょっと鬱陶しそうな判断付きかねる顔をしながら顔をこねくり回され「んい〜」と呻く。その姿にどこか空色の親近感を覚える頃、村長は小さな獣人の子を片手に抱き寄せながらもう一人の方へと顔向ける。

「というかお玉! お主まで何をしとるんじゃ! 出歩いたら腹に悪かろう! 何かあったらおいに言うとくれればやっちょるのに!」

「そのお主が出歩いておるから、妾が出歩く羽目になっておるんじゃろうが」

 女性にそう言われた村長は「ぁぅぅ確かに……」と悲しげに呻く。

 村長を一蹴したその女性は身重なのが見て取れる大きなお腹を片手で支えながら、何本もの金色の尻尾をゆらゆらと揺らめかす。身重なのが見て取れるはずなのに全裸に襦袢だけを羽織った姿とかいうその女性に目を向けた僕だったが、しかし直後に僕の視界は何者かに隠されて真っ暗になった。

「だめだよお。タクトくんえっちなの禁止だよお。見ていいのはぼくの裸だけえ」

 暗くなった視界。僕の背後からポルカの非難するような声が聞こえてくるが、既にふさふさストレートな下の毛や母乳が染みてちょっと透けてる襦袢の胸周りとかも見てしまっていたのでもう手遅れ感はある。

「まあ取り敢えず…………僕らもう帰るんで」

 両目に当てられたポルカの手を退けながら僕がそう言うと、しかし即座に村長は「待ってくれえ!」と声を荒らげる。

おいは本当に奇襲なんぞは知らんのだ! 話を聞いてくれ!」

 切実なその言葉に苛立ちが薄れた僕がちらりと周りに目を向けると、光もポルカも何も言わずに肩を竦めるだけ。奇襲を受けた事実はあるが、村長のこの言い様からして本当に知らなさそうである。けれどあの時見たのは紛れも無く獣人族の姿であり、何だか面倒臭そうな様相を呈している。

 さてどうするかと考えあぐねた頃、村長の影に隠れていた小さな獣人の子が「それよりパパトト!」とぺよぺよ飛び跳ねながら騒ぎ始めた。

「パパトト! 侵入者なのよしんにゅーしゃ! 敵が来てるのよ!」

「なんじゃと! それはいかん!」

 小さな獣人の言葉に声を荒らげる村長。その傍らで身重の女性が金色の獣耳をぴこぴこと振りながら「ほう」と呻く。……が、何だろうか。身重の女性は村長の方へと耳を向けているが、流し見るように目線だけ僕らに向けている。

 ………ああつまりそういう事なのだろうか。勘の鋭い連中に囲まれているからだろうか、もう何となくオチが見えた気がするな。

「侵入者けっこー強かったのよ! でっけー猫も居たのよ! トト一人じゃ勝てなかったのよ!」

「なんと! 怪我はせなんだか!? トト怪我はしとらんか!?」

「無傷なのよ! でもトトじゃ勝てそうに無かったからヒットアンドウェイでウェイウェイってしたのよ!」

「おおぉ〜流石はトトじゃなぁ〜ウェイウェイするなんてパリピじゃなぁ〜」

 獣人の子とズレた会話をする村長が頭を撫でると、獣人の子はむんっと鼻高々でもしゃもしゃの胸を張る。

「………して、賊の顔はどんなもんだった? 顔とか外観は覚えておるか?」

 ひとしきり頭を撫で終えた村長がそう聞くと、獣人の子は「顔?」と小首を傾げる。そしてうんうんと唸りながら僕らの方を見てハァッと何かに気付いたような驚きの表情へと変わった。

「こいつらなのよ! こいつら侵入者なのよ!」

「なんとぉ!」

「ああ、うん」

 愕然としたような顔で驚く二人に、むしろ驚きを隠せない僕ら。何だこのクソみたいな茶番は。反吐が出る。

 見れば金色の獣耳を携えた身重の女性もによによとムカつく笑みをしながら僕らを流し見ていて、……この女性はもしかしなくとも最初から分かってたんじゃないだろうか。




「……………ほんで? ウチらぁ何しに来たん」

 意味不明な奇襲と意味不明な茶番。下らない与太の繰り返しに苛立ちが隠せなくなってくる頃、何度目か思い出す事すら億劫な光の言葉に僕が顔を上げれば、そこにはお腹の大きな狐の女性と巨大な獣人族の男性に、僕らよりも一回りぐらい小さな獣人の子。そして僕と光とポルカとラムネとの総勢で、大きなテーブルを囲んで座っていた。

「それならそうと言えば良かろうに! ナハハハハっ!」

 獣人の村長が唾を飛ばしながら豪快に笑うと、横に座っていた小さな獣人の子も「良かろうなのよ! なはははは!」と一緒に笑い、その傍らで金色の獣耳と沢山の尻尾を揺らしながらしなを作っていた女性が自身の胸を撫でながら「妾は初めから気付いておったがな」と小さく呟く。

「そこな娘、布巾を取ってたもれ」

 自身の胸を両手で撫でる女性の言葉に、言われたポルカがテーブルの上に置いてあったタオルを見やり「これえ? これで良いのお?」と問い掛ける。

「うむ、それで構わぬ。あと碗も取ってくりゃれ。こっぷじゃな」

「はあい」

 まるで召使いかのようにポルカを顎で扱き使った獣耳の女性は、ポルカからタオルを受け取ると豊満な乳房の下にそれを挟む。そして唐突に自身の乳頭を指で抓み、粘土細工を伸ばすかのように捏ね回し始めた。

 唐突な行動に「ムラムラしてチクニーでも始めたのか?」と馬鹿面晒して眺める僕には目もくれず、獣耳の女性は自身の乳首をぐにぐにと捏ねるように揉んでいく。すると次第に乳頭の先端が白く濡れ始め、一雫一雫とそれが乳輪を伝って流れて落ちてく。

「………そこな娘と金の娘。妾のやり方ではあるが、お主も見ておけ」

 獣耳の女性が尻尾を何本か束ねて光を指し示す。光が「えウチ? 何で?」と問えば、獣耳の女性は「向後の為じゃ。目で見て覚えろ」と手を動かすのをやめる。

「………なーる? ……ふむ、見とこ。こういうの大事やもんな」

 椅子から降りた光が獣耳の女性の元へと向かうと、小さな獣人の子も「トトも見るのよ! 見慣れてるけど!」と椅子から飛び降りてこてこと歩いて行く。

 …………どうやら母乳のあれやこれやに関する講座が始まるようだ。「何でこんないきなり」と思った僕だったが、しかし少し考えて「貴重な経験か」とすぐに下心を消し去った。

 何しろ身重の女性というものはそこら辺にぽこすこ居る訳では無く、また仮に居たとしてもわざわざ裸体晒して被検体よろしく好奇の目に晒されたがる者は少ない。かといって本や言葉で学ぶだけでは得難いものも多いので、そういった思いがあるからこそ獣耳の女性は光とポルカに対しての気遣いとして唐突に講義を始めてくれたのだろう。

「………………………僕も見とく。知的好奇心がくすぐられる」

「タクトがくすぐられとるんは知的好奇心やのうてちんちんやろ」

「わータクトくんスケベえ。やらしいんだあ」

「小僧、お玉から色々教わっとる最中に勃起でもしてみい。おまん逸物いちもつ、油でカラッと揚げたるぞ」

 周りから飛びまくる野次を無視して獣耳の女性の前に立てば、女性は柔和ながらも何処か淫靡な微笑みで僕を流し見てから、自身の胸へと向き直る。

「子を孕んで腹が大きゅうなってきたら、その内勝手に胸が張る。そうなったらまずは上下から手で挟むように撫でると良い」

 そう言って女性は先程までしていたように両手で胸を挟み込むように押さえ、左右に撫で始めた。

「力加減は皮膚を少し持っていく程度で良い。この段階では力強く押すような事はせんでいい。軽く撫でる程度。これを一なら二分程度じゃ」

 獣耳の女性の手のひらで擦られる乳房は、しかし思っているよりも遥かに動きが無い。もっとむにょむにょ形を変えるものかと思っていたが、獣耳の女性は本当に皮膚を軽く撫でる程度の力しか入れていないようだった。

 そんな事を思っていた僕の心を見透かしたのか、獣耳の女性は僕をちらりと見ると、鈴玉のようにころころと小さく笑った。

「思っていたより面白く無いか?」

「いえ、そんな事は」

「……ふふふ、小僧のような男子おのこは大きい胸と見ると鷲掴みたがるからの。そんな鷲掴んで心地良くなる女子おなごなどそうはらんよ、指が埋まる程度ですら中々痛む。気を付けいよ」

「……………」

 完全に心を見透かされた僕が救いを求めて村長の方を見れば、村長はしょぼくれたような顔をしながら「おいも昔怒られた。おあいこじゃ」と僕の肩をぽへぽへと叩く。……こいつと同じって言われると妙に腹が立ち、僕が反射的に「マジで触るな虫唾が走る」とその手を払えば「ぁぅぅ奇襲の件根に持っとるぅぅ……」と村長はへにょけた顔で項垂れた。

「乳の張りを和らげたら乳首を揉みほぐせ。人差し指と中指と、親指で、こう……ちょっと深めに掘り起こすいめーじで揉むと良い」

 気付けば胸元に目線を戻していた獣耳の女性は、そう言って自身の乳首を指で挟む。ゲームやイラストで見たようなものとは違う、だいぶ色素が沈着して茶色が強くなった大きな乳首を、こにこにと引っ張るように揉んでいく。

「童貞でもあるまし、間違っても力強く抓るなよ。指で挟んで、擦らせながら引っ張っていくいめーじじゃ。少しすると乳管が開いて乳が出やすくなってくる」

 茶色くなった乳輪にえぐるように指をうずめると、そのまま乳首を指で挟んで持ち上げる。次第に乳頭はしっとりと乳白色の液体が滲んで来て、やがてシャワーのように四方に母乳が飛んでいく。

「まさかタクト、乳首のど真ん中から母乳出るとか思っとらんよな? 蛇口から出るみたいにどばどば出るとか思っとらんよな?」

「それは知ってる。思ってない」

「なら女の人のおっぱい揉んだらすぐお乳がたくさん出るって思ってたりもしないよねえ? お腹おっきい女の人はおっぱい揉んだらすぐいっぱい出るう、とかさあ。乳管が開くって言われてちゃんと意味分かったあ?」

「……………」

 完全に心を見透かされた僕が救いを求めて村長の方を見れば、村長はしょぼくれたような顔をしながら「おいも昔思っとった。おあいこじゃ」と僕の肩をぽへぽへと叩く。僕がその手をグーで殴り落とせば「ぁぅぅどうしよう……」と村長は半泣きになり始めた。

「この頃になったら、碗か何かを用意して絞り始めると良い。乳輪の外側から中央に向けて絞っていって……乳頭には触れずに乳輪だけ押し込んで絞るいめーじじゃ」

 そうやって胸を揉むのに合わせて、あてがったコップの中に乳白色の液体が溜まっていく。最初は音も無く溜まっていったそれは、気付けば獣耳の女性が指で胸を押すのに合わせてしょわー、しょわーとリズミカルな音を鳴らしていく。

 …………正直下心が大きかった。しかし実際それを目の当たりにしてみれば、画面の向こうで見た事のあるエロ画像を見ている時には一切無い不思議な気持ちが胸の奥にある事に気付いた。

 これは………命の神秘とでも言うのだろうか。こうやって人は繁殖し、こうやって人は育っていく。それを目の当たりにして、自分の小ささを知ったとでも言うべきか。

 下心を抱いていた事は関係無い。下心を抱くという事は、詰まる所生物的に正常であり繁殖欲求がしっかりあるという事なのだから、そこは恥ずべき事では無い。

 そうではなくて、こう……自分が世界のひと粒でしか無い事を思い知らされたとでもいうか。

 世界の何処かで、今日も人が生まれて、育って、交尾し、子を産み、そして死ぬ。何処かで必ず誰かが生まれ、何処かで必ず誰かが死んでいる。それを言葉では無く感覚で理解したかのような気持ちで胸がいっぱいになった。

「絞った乳はさっさと凍らすなりしておけ。母乳はやや・・を育てるのに一等良いが、それはやや・・以外にも同じ事が言える。一時間も経てば大人でも腹を下しかねん程に雑菌が育つぞ」

 胸の下に挟んでいたタオルで乳首を拭いた獣耳の女性に、その場の女性陣が揃って返事をする。それを見て獣耳の女性は反対側の乳房を搾乳し始める。

 命の神秘を間近で見終えた僕は、胸に手を当てて深呼吸する。そして村長に向き直って言い放った。

「じゃなくてさ。いやおっぱいじゃなくてさ。違うよ、違う。僕はおっぱい見にここまで来た訳じゃない。おっぱい見れて幸せな気分にはなったけどそうじゃない」

 唐突に真顔になった僕の言葉に「おん? ……おうっ」と思い出す村長。

「女性陣はあっちでビーチクこねこねさせておくとして。……村長、僕らはこっちで話を進めましょう」

 獣耳の女性から離れて椅子に座り直した僕がそう言うと、村長も同意だったのか黙って僕の対面に座る。



 木のテーブル越し。僕の眼前に悠然と座る獣人族の村長に向けて「さて」と一息付けば、村長は真面目な面持ちで「うむ」と返す。

「まず確認ですが、ルーナティア国とサンスベロニア帝国との現在の関係については把握しておりますか」

 大前提の大前提。全ての根幹に繋がる事を問い掛ければ、村長は直前と同じように「うむ、問題無い。進めてくれ」と僕の言葉を仰いだ。それを聞いて細々とした前置きは要らないと察した僕は本題に踏み込む。

「では単刀直入にお聞きします。獣人族の方々の、今後の身の振り方をお教え頂きたい」

 そう聞くと、村長は何度目か分からない「うむ」という呻きと共に背筋を少しだけ伸ばして椅子に座り直す。大きな体格でこの椅子では窮屈ではないかと思っていたが、どうやら村長が座っている椅子はサイズを合わせた専用のものみたいだった。トリカトリ同様、その辺りは日常生活に差し障る事柄だろうし当然こんな感じになるか。

「今の段階では口頭でしか無いがの、それでもおいらはルーナティアと、条件付きの同盟国となる事を約束しよう」

「……条件とは?」

「一つ。物資面や人材面としての支援は可能な限り行うが、それに兵役を課す事は認められない」

 ………少しだけ背伸びして慣れてる風を装ったのが裏目に出たか。小難しい言い回しが増え出した事に、僕は少しだけ後悔した。

 思い返せばこの人は僕より遥かにこの世界が長い。過去にも似たような例として戦争が起こっていたというのだから、その手の話題を調べただけ知った気になっているような僕が対談中イキってイニシアチブを取れるだなんて傲慢も良い所だ。

 ………ああ、全く。甘ったれで嫌になる。

 人慣れしているからか、それとも獣人故の第六感か。それまで真面目な顔と声色だった村長がパッと朗らかな微笑みに変わり、僕の胸中を見透かしたように「要するにじゃ」と注釈を入れ始めた。

おいらは荷運びだとか装備の手入れだとかは手伝うし、食いもんだとか医薬品だとかも差し障らん範囲でプレゼントしてやろう。けんどもその為に向かわせた連中を戦火の届く範囲に向かわせる事は認められんよって話じゃ。俺らは身内に死傷者を増やす行為には加担出来ん」

「なるほど」

 分かりやすく噛み砕いて説明してくれた村長に心から感謝を示しつつ、僕はその言葉の意味をしっかり反芻して飲み込んでいく。

 安易に頷いてそれで終わりではいけない。魔王さんから与えられた役割は、こんなに頭空っぽで頷けるようなものでは無いはずだ。そんな事で良いのであれば、使い物にならない文字通りの愚者である僕を出すよりもその辺の新兵を使って書面でやり取りしている方が絶対に良い。

 にも関わらず口頭での対談を僕に行わせたという事は、書面では得られない何かを得て欲しいという事では無いだろうかと僕は思う。

「…………一つお聞きしたいのですが」

 誰の癖が移ったのだろうか。右手の親指で右頬の下をぺちぺちと叩きながら思案していた僕が俯き加減で村長を見やると、村長は聞き慣れた「うむ」という返事を返した。

「戦火の届く範囲に向かわせる事は認められない、と仰りましたが……。例えばルーナティアが敗戦の危機に瀕し、本土防衛……城壁一枚隔てただけの最終決戦となった場合にはどうなさるおつもりでしょうか」

 すると村長が「ふむ」と唸り、少しだけ口角を上げてにやりと笑う。その反応を見て、僕は安心感の中に小さな充足感のようなものを得た。

 これが役目。書面では得られないもの。交渉人の仕事に就きたがる人の気持ちが少しだけ分かった気がする。

「その場合、当然おいらは身を引かせて貰う。敗戦となったらある程度は負債も請け負うが、結局の所は命が全て。おいらは勝つ為に戦うのでは無い。生きる為に戦うのだからな」

 至極ごもっともな言葉を聞いた僕は、村長の真似をして「ふむ」とか鼻を鳴らしてみる。


 さて、どうするか。


 そんなような言葉が頭をよぎり、しかし即時に自答した。……こんなもの考えるまでも無い。

 そもそも同盟国として支援物資の供給や人足周りの手助けを得られるというのだ。頷きこそすれ、ここで首を振るような阿呆はそう居る訳が無い。むしろここで否を唱えて機嫌でも損ねられては水の泡。

 感情的には物足りないが、交渉事というものは古今東西どんな内容であっても感情を混ぜ込むとロクな事にならない。気持ち的にはある程度までは前線でも戦って欲しいものの、感情に流され周りが見えなくなったものがどうなるかは、僕は過去に自身の身を持って知っている。

 ……………嫌な言い方にはなるだろうが、本当なら肉盾にしたいという思いが強かった。適当に前線に放り込んで、戦果が上げられれば御の字。死んだ所で自軍は何も痛まないというような存在デコイが欲しかったが、流石にそう上手く行くはずなんてある訳が無い。

 それもそのはず、この村長は民の命を背負っているのだ。

 良く「戦場で死ぬのは武人の誉れ」とか言っちゃう頭悪い系戦士が居るが、それはむしろ逆だろう。戦場でド派手に武人が死ぬのは先祖代々に名を遺す程の恥でしか無いと僕は思っている。

 何の為に武器を手に取り戦場で戦うのかを忘れたボンクラならばいざ知らず、本来戦士というものは、民を、家族を、愛するものを守る為に立ち上がったはずなのだ。武術とは傷付ける為の御業。誰かを傷付けてでも誰かを守る為のすべ。それを究めんとするものが武人なのだと強く思う。

 ならば武人が戦場で散るという事は、民を、家族を、愛するものを置いて道に迷わせる事と同義。敗戦国がその後どれ程酷い目に遭うのかは本来誰もが知っていなければならない事…………殴られ蹴られでは到底済まない。全ての尊厳を失ってでも生きていれば神に感謝するような程なのだから、武人が戦場で散る事を誉れするのならば、それはイコール守ろうと思ったものを失意の奈落に放り込むのと同じ意味だと僕は思うのだ。

「……問題ありません。それで進めましょう」

 だからこそ人は戦争を忘れてはいけない。日ノ本の神風だけでは無い。数多の国々で起こった戦争を忘れてはいけない。面白おかしい娯楽コンテンツにされて動画サイトで二匹の饅頭に解説されていたとしても何ら構わない。戦争を忘れる事に比べれば何倍も良い。

 忘れるという事は、思い出さぬという事は、つまり覚えぬという事。

 それは恥を忘れるという事。死ぬ事の重さを忘れるという事。

 命は死んだら元に戻らない。本当は怖い不思議道具では無いけれど、馬鹿みたいに金の掛かるというペール博士の持つ蘇生機だって、きっと僕らを生き返らせている訳では無い。恐らく限り無く僕に近い僕じゃない何かを生み出しているのだろう。

 命は死んだら帰ってこない。異世界転生だなんて笑ってしまう。チート能力がどうたらとか、未来知識で無双でどうたらとか、そんなもの何も関係が無い。

 十、二十、三十、四十。ああ……何年掛けたか知ったこっちゃ無いけれど、その異世界転生一つで、その人がそれまで積み上げてきた全ては無為に帰したのだ。僕が培ってきた努力とやらは、全て前の世界、前世での努力、過去の努力になってしまったのだ。

 そう考えてみると僕も少しは甘さが抜けてきたものだと思う。かつては異世界転生を「夢にまで見た」だなんて言いもしたが、自らの積み上げたものを否定される事を夢にまで見る訳が無い。心も体も魂も、この世界から居なくなっても屁でも無いような存在だからこそ、神様とやらは僕らを異世界に飛ばしたのではないだろうかと思い始めるぐらいには甘さが抜けて来ているみたいだ。

 とすればチート能力なんてわざわざ授ける訳も無い。居ても居なくても変わらないようなゴミの一匹に、手ずから異能力を与えるなんてそうはあるはずが無いだろうに、あの時の僕は一体何を浮かれていたのだろうか。


 いや、浮かれていたから異世界に転生したんだろう。


 自分が異世界転生したら良いなだなんて思ってしまうような奴だから。誰からも「お前如きが行ける訳ねーだろ」と言って貰えないような奴だから。自分の身の程すら弁えられない奴だからこそ────だからこそ、僕は『愚者おろかもの』と呼ばれるようになったのかもしれない。

 …………いかんな。良くない。最近の僕は少しでも気を抜くと、すぐにネガティブに落ち込む。安定剤が飲めなくなっているからだろうか。帰ったらペール博士に相談した方が良いかもしれない。

 目を閉じて深呼吸する。思考をもっと明瞭クリアにさせていけ。今はそんな与太数寄に興じていられる余裕なんて無いだろうが。

「………では二つ目の話に入らせて頂きます」

 目を開いた僕がそう呟くと、話が終わったとばかり思っていたのかテーブルの上に置かれていたコップを口にしていた村長が「うむ?」と怪訝な顔をして呻いた。

 或いはこれか本題、これが本命。肉盾なんぞ、最悪その辺で金を稼ぎたがっている傭兵にでもやらせれば良い。最後の手段にはなるが、浮浪者を雇って前線で棒立ちさせるのだって弾除けぐらいの効果は期待出来るだろう。

 一個人が戦場に与えられる影響は極めて小さい。しかしその一個人の実力や投げ所によって戦局を何度も覆す事だって出来てしまう事は、連邦軍の白いモ◯ルスーツに乗った天パや赤◯彗星が証明している。


「かつて呼び出された愚者の生き残りが、こちらにいらっしゃると伺っています」


「───── 貴様きさんお玉を連れて行きよるかッ!」


 僕の言葉を聞いた村長が、それまで口元に寄せていたコップをいきなりテーブルに叩き付け大きく怒鳴った。ガコンと大きな音が鳴り、僕用にと置かれていたコップが大きく揺れる。それを片手で抑えつつ、僕は可能な限り平静を装いながら「いえ」と繋げた。

「愚者の生き残り……その方を徴兵するような真似は致しません。僕が……………魔王さんが知りたがっているのは、その方が今後どうするかという事です」

 そこまで言って、僕はそれまでずっと黙って搾乳を続けていた獣耳の女性に顔を向けた。僕と目線が合うと、女性はふんと鼻を鳴らしながら母乳で濡れた胸元を拭き、薄い襦袢を羽織り直す。

 …………隠したかったのかも知れないが、本人自身も隠せているとは思っていないだろう。生憎と僕は鈍感系主人公では無いつもりだ。少なくとも、彼女の異質さには気付けるぐらいの感覚は持ち合わせている。

「………やっぱりお姉さんが愚者だったのお?」

 黙って搾乳を見習っていたポルカが口を開くと、荒々しく椅子から立ち上がった村長が肩を怒らせながら女性の前に立ち、僕を無言で強く睨み付ける。

 ………村長には悪いが、僕を睨んだ所で何の意味も無い。もう手遅れなんだよ。

「お名前、伺っても宜しいでしょうか」

 怒り心頭スレスレの村長には目もくれず僕が問い掛けると、女性は小さく溜息を吐きながら薄紅の塗られたその唇を開いた。

「妾は─────」

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