4章
4-1話【人非ず】
「あっ、イキっ、イキそう! タクトくっあっ出っ出ちゃっ出ちゃうっ! 出ちゃうよおっ!」
嬉しそうな悲しそうな辛そうな、色んな感情が
僕の手がその子の太ももに当たるぺちぺちという音が早くなるに連れ、その子は過呼吸のように息を早めていった。
「出るうっ! 出る出る出るもう無理い───っ!」
やがて感極まったその子は、僕の手により快楽の果てに辿り着いた。背中を丸めてびくんと大きく痙攣すると、
「あ──、あっは───ぅあっ───ぇぁ────はぁっ」
────白くべたつく何かを、僕の手のひらに吐き掛けた。
乱れていた呼吸が次第に緩やかなものへと戻っていくと、その子は
そのまましばらく余韻に浸っていたその子はやがて甘ったるく間延びした声色で「……タクトくうん」と甘えてくる。
「…………ちゅーして欲しいなあ。ぼく行為の後は好意の篭った優しいちゅーが欲しいなあ」
耳に響くような吐息混じりの声色で甘えられた僕は、その子の目を見詰めながら身動ぎし、
「良いからさっさと拭け。きしょいキモい心底不快。ホモやゲイでは無かったけど、ここまで微妙な気分になるとは思わなかった」
でろでろになった左手をぬんと突き出すと、その子は不満そうな表情で「ぷぇー」と呻き、倦怠感の残る体を億劫そうに動かしながら僕から離れ、タオルを使って僕の左手を拭いていく。それを済ませたその子は遅れ汁が垂れ始めていた自身の股間を軽く拭き、
「…………これやっぱりあれだよねえ、皮の中も綺麗にした方が良いんだよねえ。………刺激強くて抵抗あるんだけどなあ」
言いながら小さなそれを指先で抓み、腰の方へと引き戻すようにしながら粘膜を露出させる。
僕の返事を待たずにさっさとそこを拭いたその子は、汚れたタオルをぺいっと放り出し再び僕へと甘えてくる。
「ちゅーして欲しいなあー。ぼくタクトくんにちゅーして欲しいなあ」
「絶対しない」
「ぷぅー。なんでよお、イジワルう」
「どんな理由であってもポルカとキスしたら僕はその後首を吊る。紐が無ければ舌を噛む。それも出来なきゃ鋼の意思で息を止めてそのまま死ぬ。さよならみんな、僕の屍を越えて強く気高く
「ひどおいっ! なんでよおっ! 何でそこまで言うのおっ! そんなに言う事ないじゃんちゅーぐらい別に良いじゃあんっ!」
甘ったるく間延びした声を荒げさせながら抗議してくるポルカを見下ろしながら、僕は憮然として言い付けた。
「お前ちんちんあるじゃん。生憎僕はノンケだから、野郎とヤる趣味は持って無い」
「ぷぇー。ちんちん生えてるだけなのにい。ぼくの中身がちゃあんと女の子なのはタクトくんも知ってるでしょお? おま◯こだってあるのにさあ」
「中身とか関係無い、生えてたら無理。ふたなりだろうが
「あー差別う。そういうの性差別って言うんだよお。タクトくんいけないんだー」
「僕は他人の性癖は尊重する。例えパルヴェルトが生粋のホモセクシャルだったとしても僕は決して嫌悪なんてしない、あいつは死ぬまで大事なツレだと思える」
「ならぼくとちゅーぐらいしても良いじゃん。ぼくちゅーは自信あるよお? 生前いーっぱいしたもん、かなりのテクニシャンだと思ってるんだけどなあ。もしかしたらちゅーだけでタクトくんイカせれるかもしれないよお?」
「僕がお前を尊重するならお前も僕を尊重しろ。互いの思いが平行線になっても線を踏み越えちゃいけないのが人間社会だ、それが出来ないなら戦争で殺されても文句付けるなよ」
「でもタクトくん、ぼくのちんちん気持ち良くしてくれるじゃあん。おっきくなったちんちんちっちゃくしてくれるじゃあん。それは何て言い訳するのお?」
「僕がポルカのふたなり抜いてやってるのはポルカが本当に困ってたからだ。……………僕がポルカの立場だったら泣きながら
「…………ぷぅー」
「あとお前のそれは僕的に「大きい」とは言えない。……六センチぐらいか? いやもう少し小さめかな。僕とクソ味噌になりながらテクニックを見せたいなら、せめて僕の前立腺を刺激出来るサイズまで大きくしてこい。そのサイズだと多分ギリ届かないと思う」
「あーひどおいっ! 差別だ差別うっ! おちんちん差別だあっ! 何でもかんでも大きい方が良いみたいな感じにしちゃってさあっ! ちっちゃいのが好きな人だっていっぱい居るんだよおっ!? ぼく生前はおっきいちんちん嫌いだったもおんっ!」
そう騒ぎながらポルカが暴れると、包帯まみれの僕は痛みに思わず顔を
けどポルカは本当に一瞬の僕の表情の変化にすぐ気が付き「あ、ごめん……」と謝りながら体の位置を変えていく。
甘えたがりなポルカが、せめて甘えるぐらいは出来るようにと僕も体を動かしていくと、やがてポルカは僕の上に跨り、まるで騎乗位でもしているかのような格好になった。
「ラムネ、おいで」
僕の胸板に頬を擦りながら見上げてくるポルカを無視して、僕は空色の相棒の呼ぶ。しかしサイドテーブルの上に置いてある猫ベッドで丸くなっていたラムネはぴこぴこと耳を跳ねさせるだけで僕の元へやってくる事は無かった。何度呼び掛けてもゆらりと尻尾を振るだけのラムネは、要するにそういう気分じゃないという事。猫の気持ちも最近では割と分かるようになってきたもんだ。
「ラムネくんの代わりにぼくを可愛がってもいいんだよお? ぼくタクトくんにいっぱいなでなでされたいなあ」
「……………」
「あーむっしーだあ、ひどおい。あーあー、ぼく悲しいなあ。なでなでされたいのになあ。一人じゃ出来ないなあ。あーあー困ったなあ」
イタズラっぽい小悪魔のように笑いながら僕に抱き着くポルカに、僕は口を吸うようにしながら「チッ」と舌打ちをして左手を動かす。少しだけ脇腹が痛むが、今度は表情にも出さずに耐えた。
「ん〜……ふふふ〜」
ふかふかの髪を撫でていると、ポルカはラムネが撫でられている時とそっくりな甘え声を発した。そのままぺほぺほと叩くように頭を撫でていると、ポルカは僕の左手を掴んで自身の顔へと動かした。
「ほっぺ撫でてほっぺ。ぼくほっぺ触られるの大好きなんだあ」
まるで、では無いかもしれない。本当にラムネが甘えている時と同じような仕草と声をしながら甘えるポルカに、ラムネで鍛えられてしまった僕の母性的な庇護欲みたいな感情が揺さぶられる。………小顔ではあるが、ラムネのようなエクレア顔に少し似たポルカの頬肉をむにむに撫でたり揉んだり抓んだりすれば、ポルカはくすぐったそうに目を細めながらも「ん〜」と嬉しそうな声で呻く。
そんなポルカに少しだけ胸がキュンとした僕は、しかしすぐにその思考を振り払う。
ポルカがどうとかいうより、この子の甘え方がいちいちラムネに似ているのが問題なんだ。
………世界は広い。そう。世界はとても広く、そして一つでは無い。僕が生前に居た世界や、死後呼び出されたこの世界だけでは無い。ルカ=ポルカという女の子が生前に居た世界や、橘光という女の子が居た世界も存在している。平行世界論だか多世界解釈だかパラレルワールド理論だか何だか………正直その辺りは知識が足りず、僕にはどれも同じように思えてしまう分野だけれど、数多ある世界には、どれも同じように沢山の
人間が二人居れば、二つの性癖がある。三人居れば三つ、総人口何億人であれば、何億種類もの性癖が存在する。マイリ◯ルポニーでシコれる人はまだ分かるが、もはやジョークにしか見えないドラゴンカーセックスでバッキバキになれるような人だって何万何千と居るし、国によっては『ヤギとのセックスは禁止』という法律が制定されている事実だってあるし、インドネシアだかの方では『正常位以外禁止』という法律があるとも聞いた。
それだけじゃない。有機物では止まらず、信号機や扇風機に興奮する人や、ドリルが回転する時の機械音だけでイケるような人だって居るらしいじゃないか。いつだかラムネに「ペール博士に頼んで
けどちんちん生えてるのは無理。
ルカ=ポルカという愚者の子と始めて出会ったのはもう相当前の事。生前は女の子だったはずなのに、ルーナティアに呼び出されたポルカは女性器もあるが男性器もある、所謂『
それを聞いた時の僕は「うわ嘘臭っ」と一蹴したものだが、次の日の朝にやってきたポルカの困惑している姿を見て、僕はその言葉が嘘では無い事を悟った。
「タクトくうん……ねえ、これ、これどうすればいいのお」
それは朝早くの事。寝起きは必ず甘えたさんになるラムネを撫でていた僕がそろそろ飯食いに行くかと思っていた頃、泣きそうな声をしながら僕の部屋にやってきたポルカは、ズボンの股間に小さなテントを作りながら涙目でオロオロしていた。
それは朝立ち。自身の意思では制御出来ない、生物的な現象。男性の朝立ちを見た女性の中には「これだから男は」と思う者も多いらしいが、そういう方は今後二度と生理でのイライラだとかで男性に当たらないよう気を付けて貰いたい所だ。
男性の朝立ち現象………これは男性でなければ分からない、本当に制御出来ないもの。言うなれば、それは生きている証。………睡眠中の人間は心拍数が低下するが、目が覚めた直後の人間は体を起こす為に心拍数・脈拍が増加する。そして全身に血液を送り込み活動状態にしていく訳だが、男性はその時に股間が大きくなる事が多い。
男性の股間の中には海綿体と呼ばれる特殊な筋繊維がある。それは乾いたスポンジのようになっていて、送り込まれた血液を蓄える事が出来る。蓄えられた血液によって形状を固定させ、性行為がスムーズに行えるようにする訳である。
それは性的興奮時だけでは無く、寝起きで心拍数が増加した時に送り込まれた際にも血液を海綿体に溜め込んでしまう事があるのだ。
それが朝立ち現象。それは生きている限り全ての男性に起こる可能性のある事で、心臓の動きを制御出来る特殊能力でも持っていない限り、男性自身では一切の制御が出来ない。
「これ……ぁっ……これさきっぽ擦れてやだあ。どうすればいいのお? これどうすれば治るのお?」
困惑し切ったポルカは、今にも泣きだしてしまいそうな声色でオロオロしながら僕を見る。
朝立ち現象が起こる仕組みは男性ですらしっかり把握していない者が殆ど。「何故か起きる、そういうもの」としか認識して居ないものが殆どだが、殆どの男性はガキの頃からほぼ毎日起きるその現象に慣れ切っているから、朝立ち如きで慌てふためき騒ぐような事は無い。無視する事もあるし、サクッと抜く事もあるし、「とりあえずトイレ行きたい」とそのままトイレに向かってバッキバキのそれから吹き出す方向支持の効かない尿でトイレを汚しまくったものだっているだろう。
しかしポルカは違う。ルカ=ポルカという愚者はルーナティアに呼び出されるまでは正真正銘の女の子だったというから、寝起きでちんちん元気になっちゃう経験なんて未だかつて無かったのだ。
…………まあ一応、女性でも朝立ちや
女性器の中でも特徴的な部位である陰核の中にも、男性器と同じように海綿体が入っている。だからこそ性的興奮時にはク◯ト◯スが大きくなるし、朝起きた時力強く動き出した心臓に伴って陰核も勃起するのだ。
しかしサイズが全く違う。男性器と同じように女性器……陰核の大きさも個々人によって全く異なるが、基本的には小指の爪よりも小さいケースが過半数を占めるらしい。そんな小さな部位が寝起きで頭回っていない時にぷっくり膨らんだ所で、殆どの女性はそれを自覚出来ないのだという。
「放っとけば勝手に治まる。まあ朝勃ち中……っつーか勃起してる時はやべーぐらいおしっこし辛いから、朝からトイレ掃除するのが嫌ならパパっとシコっちゃのが良い。まあでも朝立ちは無理に抜く必要無いか………親の顔想像すれば朝勃ちはすぐ治まるよ」
むしろ朝立ちは抜かない方が色々と良い。性行為を健康に良いとする医学関係者は多いが、その人達は金を貰って記事を書けと言われている場合が殆ど。セールスマンや営業マンは総じて良い事しか言わないものだから、射精後のデメリットを一切語らない。
男性は射精後、およそ十二時間程度は尿道から精液が垂れ続けるのだという。だばだば出るようなものでは無く、まるで根本が錆び付いて腐り始めてきた蛇口のように、じわじわと少しずつ少しずつ射精後の残滓が滲み出てくる。陰茎の状態にも寄るが、仮性や真性であれば皮の中に留まった残滓が臭いや恥垢の元になったり、ズルムケであっても下着を汚してやはり異臭の原因になり得る。カントンは今すぐ泌尿器科に行け、壊死しても知らんぞ。
「……あー。今回は僕の部屋でシコってて良いけど、次からは自分の部屋でシコるか落ち着くの待ってから出歩てくれ。んじゃ僕飯食いに行くから」
そう言って立ち去ろうとした僕を、しかしポルカは「待ってえ! 待ってよお!」と強く呼び止める。そして中腰になりながら僕の服を掴む。
「シコ、シコれって言われても困るよお! 他の人のとは違うもん! 自分のなんてした事無いよお! どうすればいいのお!」
涙目でパニックになるポルカに、僕は「いやだから握って上下に動かしてりゃその内どっかでイけるから……」と説明するも、ポルカはそれでは納得しなかった。それ所か、
「するの見ててえ!」
「は?」
「間違ったやり方で覚えちゃうのやだもん! ちゃんと出来てるとか間違ってるとか、ぼくがやってるの見ながら教えてよお!」
そんなすげー事を半泣きで言い始めた。
これが例えばパルヴェルトとかに言われた話であったら、僕はきっと「知らん。テメーで覚えろ。んで後日それを言え、間違ってたらそこで指摘してやる」とか蕎麦屋や寿司屋の大将みたいな無責任な教育の仕方をしていたかもしれない。
けれど目の前で涙を流しながら性器の悩みについて懇願する子に、そんな無責任な事を言うのは
逆のパターンならまだ救いはあった。男性が女性に変わったとかなら幾らでも救いはあった。それこそ兎のように年がら年中どこでだって発情が可能な
しかし女性はそうでは無い。特定のタイミングでしか性欲が高まらず、それ以外の状況ではむしろ性に対して忌避感すら抱く事が多い
でもそれが悪い事だなんて言うつもりは全く無い。女性は毎月来るお腹の痛みで精一杯なのだ、毎日起こりながらも数分経てば治まる野郎のちんちんどうのこうのなんて調べる気にならなくて当然である。
だからこそルカ=ポルカという女の子は、ある日いきなりちんちん生えましたという状況に置かれて心底から困惑している。
知らなくてはならない事柄に、知る間も無く直面して困っている。言うなればそれは、全く知らない街に一人放り出されるのと何も変わらないのではと僕は思う。
誰かに聞かなければ、誰かが手を貸してくれなければ、きっと一生迷い続け、そのまま路上で冷たくなるのを待つしか無い。
「……………チッ」
だからこそ舌先を吸って舌打ちしながらも、僕はその手を振り払うような事をしなかった。………そんな無責任な事、出来る訳が無かった。
性に関する話だけでは無い。こういう所で正しい知識を正しく教えられる者が殆ど居ないからこそ、某匿名掲示板に「浮気がバレたら慰謝料払えって言われました」というようなスレッドが立ってしまうのだ。「浮気したのは私ですが、私は女です。女が慰謝料払うんですか?」とか「日替わり弁当のラベルに描かれている箸が男性器を連想させる」とか言っちゃう伝説の馬鹿女が少しでも減って欲しいとするのなら「恥ずかしいから」とか「何か照れ臭い」とかいうしょうもない理由で手抜き教育をする訳には行かないだろうと、僕は強く思ったのだ。
…………しかし、である。
「はっ、あっ、やだあっ! なんかっ、なんかくるっ、なんかくるよおっ!」
僕は酒も煙草もやらないが、ルカ=ポルカのオ◯ニーショーを眺める羽目になったこの瞬間ほど煙草を吸いたいと思った事は無かった。
何せクソ暇なのだ。ホモでもゲイでも無いし、ふたなりに対しても「それホモやゲイと何が違うの?」と思うような僕なのだから、ハムスターの尻尾みたいなちっちゃいちんちんを懸命にしこしこしてる姿を見せ付けられても眠くなるだけである。二度寝しようと枕を整えたり、ちょっとだけよだれが垂れた腹立つ寝顔で丸くなっているラムネを撫でたり、或いは女性を感じさせられない下手糞と当たってしまった女のように天井の染みでも数えてやろうかと上を向けば、即座に「やだあ! ちゃんと見ててよお!」と理不尽に怒られる。
しかもポルカは絶頂が近くなる度「やだあ……なんか怖いい……」と言って、手を動かすのをやめてしまうのだから、何でも自分でやりたがるナルシズムの強い馬鹿男のように「あーもう! 僕がしてやるちんちん貸せ!」と怒鳴るのも仕方が無い事だろう。だって僕めっちゃ腹減ってるんだもん仕方が無いよ。
………そも、男性と女性の絶頂は言葉こそ同じだが中身が全く異なる。射精を伴う男性の絶頂はディープオーガズムと呼ばれるもので、そうでない絶頂はドライオーガズムと呼ばれる。後者は恐らく聞いた事のある者も多いだろうが、早い話が男のオーガズムは女性よりも深く大きいのだ。
だからこそ女性は何度も連続で絶頂を感じる事が出来るし、男性には
ルカ=ポルカとの出会いはこんな感じで、思い返せばとんでもねえ事したかなーとも思う。実際ポルカはそれで味をしめたとでも言うか、ちょっとした事でも僕を頼るようになった。本人が言うには今でも自分一人では怖くてオ◯ニーが出来ないようで、慣れるまでは手伝って欲しいのだというが、正直勘弁して欲しい。自慰行為なんて誰でもするもんだが、だからといって「しなくてはならない」では無いのだから、適当に親の顔でも想像してゲロを吐きながら治まるのを待っていても良いだろうに。
けれど袖が擦り合ってしまったのだから、他生の縁もやむ無しだろう。
ペットと同じだ。飼えないなら買うな、拾うな。途中で捨てるぐらいならそもそも最初から関わるな。関わったならどちらかが死ぬまで責任を持ち続けろ………と、僕はそう思う人間だからこそ、ポルカを突き放す事が出来なかった。
「あーあー……ぼくがちゃんとした女の子だったらなあ。今すぐにでもタクトくんと付き合ってるのになあ」
僕に頬をいじられながら、少し不満げにそう言ったポルカは、まるで騎乗位のように跨っていた腰をすりすりと擦らせ始める。
「ぼくタクトくんの事だいすきだよお。タクトくんやさしいもん。いじわるしないし、酷い事も言わない。ぼくが困ってるとすぐ助けてくれるし、されたら嫌な事やしちゃ駄目な事はちゃんと口に出して教えてくれる。………生前に会いたかったなあ。そしたら普通に恋して普通に愛し合って、普通のセックスいっぱいしてたのにねえ」
一部の勘違い系自称フェミニストが発狂しそうな事ではあるが、男性と女性とでは女性の方が圧倒的に性欲が強い。男性はいつでも射精出来る分性欲の強さ自体はそんなでも無いらしいが、女性は特定のタイミングでしか子供を作れない関係上、その時確実に子供を作り
「騎乗位での素股や床オナはやめとけ。中イキ出来なくなるぞ」
僕のその言葉に腰の動きを止めて「そうなのお?」と言ったポルカは、しかしすぐに小悪魔のようなような表情で微笑みながら腰を動かし出す。
「じゃあ止めてよお。他のやり方でイカせてよお。タクトくんがシてくれないと、ぼくおかしくなっちゃうよお。責任取ってえ」
………ああ。全くとんでもねえ事したな。完全に付け上がってるポルカを見ながら、しかし声を荒げて追い払う気にもならない。それは可哀想だし、何より僕はそんな無責任な奴になりたくない。
ちんちん付いているにも関わらず、……いや、ちんちん付いてるからこそだろうか。
発情し切ったメスの面をしながら甘えてくるポルカから僕は目を逸らして横を向くと、
「…………あ」
首を曲げて横を向いた僕の視界で、僕らの事をじっと見詰める者が二人居た。
部屋の扉を開けて棒立ちする二人を見た僕が呻くと、釣られたようにポルカも「どうしたのお?」と目線を追い掛ける。
目線の先に居る二人の内の一人が、手からバスケットを取り落とす。がしゃりと鳴らして床に落ちたバスケットからフルーツが散らばり床を転がる。
それの横に居たもう一人の女性…………珍しく執務室から出歩いている魔王さんが「よいしょ」と腰を曲げてそれらを手に取っていくが、バスケットを取り落とした男は感情の消え失せた絶望の表情で僕を見詰めて動かない。
「………………ブラザー……?」
「……よう、パルヴェルト。久し振りだな。元気してたか?」
「………………寝たのかい? ブラザー。ねえブラザー、キミはもしかしてボク以外のちんちんと寝たのい? ボク以外のア◯ルを掘り起こしたのかい? それともボク以外のちんちんにア◯ルを掘り起こされたのかい?」
「いやどっちもしてねえしする予定も無いし何ならお前とすらする予定ねーよ」
「……へええ? この人がタクトくんの
「いや違うけど、知ってないけど。僕今彼氏居ないし今後作る予定も無いけど」
「気持ち良かったよお? タクトくんにしてもらうの、すっごい気持ち良かったよお」
「間違っちゃいないけど今その言い方するのは悪意しかねーだろ」
「間違っちゃいないッ!? つまりしたんだッ! やっぱりブラザーはボク以外の男としたんだねッ!」
「待て待てウザい何だお前ちょっと落ち着け」
「退いてブラザーそのふたなり殺せないッ!」
「わあヤンデレだあ恐あい! 助けてタクトくうんボク頭おかしい人に殺されちゃあう!」
「いやちょレイピア………武器取り出すのはやめろお前危ね────おい魔王さんあんた見てないで止めろよその馬鹿! あんたが呼び出した愚者だろ責任持って最後まで育てろ!」
「えークソ面倒臭いわよ。思ってたのと違って可愛くないんだもの、それを教えなかったペットショップが悪いわ。それに止めない方が面白そうじゃない? 昔良く読んでた漫画にこんなシーンあったの思い出したわ。………いや〜あの頃はまだ若くてさあ、漫画に出てくるデカチ◯ポがマジで実在すると思い込んでたのよね〜うわ懐かしっ」
「いやそういうの要らないから! 魔王さんの過去とかそんな興味無いからさっさと止めろ!」
「あらこのクソガキ酷い言い草するじゃない。今でこそシワとか増えてきちゃったけどピチピチプルンだった頃の昔話聞いたらタカシくんだって良い事沢山よ? 身近に居る人のエロい話とか男の人にとっては最高のオカズになるんでしょ? タケシくんもアパートの壁越しに隣の部屋のお姉さんの喘ぎ声聞こえてきたら耳押し付けるでしょ?」
「何ならスマホで録音出来るか試すぐらい興奮するけど今はそういうの要らないっ! あと僕タクトです良い加減覚えてっ!」
「そうだよそういうの要らないよブラザーッ! 今するべき話はその泥棒猫の皮を剥いで作ったシャミセンを幾らで売るかどうかだよ!」
「やあん! タクトくん助けてえ! タクトくんに気持ちよくしてもらったぼくのおちんちんの皮がシャミセンにされちゃうよお!」
「ブラザァァァァァァァアアアアアア───────ッ!」
して。
「…………すみませんでした」
床に土下座したパルヴェルト・パーヴァンシーがボコボコに腫れ上がった顔面を僕の方に向けて謝罪する。遂に暴れ始めたパルヴェルトは、直後魔王さんに胸倉を掴まれたかと思うと爆速で殴られまくり黙るしか無くなった。まるでパンチングボールの如く凄い速さで乱打されたパルヴェルトはしばらくの間意識を失っていたが、すぐに意識を取り戻し、
「………電車に乗ってたんだ。電車。そうしたら駅に着いて扉が開いたんだけど、外で虎柄パンツのオニが名刺片手に待機しててさ。あの時電車から降りていたら、ボクはオニに捕まって二度と戻ってこれなかったろうね」
その言葉に「だろうな、あの
「………ひぃぃだだだだだ
ぎゅんむと抓んで頬を引っ張る僕に合わせてポルカが泣き出しそうな声で悲鳴を上げる。その声にダンディズムに満ちた声色で「降りろ。早く。今すぐにだ」と僕が呟けば、ポルカは「自慢のほっぺがあ」と呻きながらいそいそと僕から降りていく。……しかし何か強い意志的な拘りでもあるのだろうか。僕の側からは頑なに離れようとしない。
やがて部屋の中に落ち着きが戻って来た頃、備え付けの机で見舞い品の林檎を切っていた魔王さんが「はいこれ」と言いながら僕に小皿を差し出してくる。
「………何これ」
「いや林檎よ林檎。……林檎知らない? タケシくんの世界にはアダムとイブ居なかった?」
「それは知ってる。林檎は知ってるしアダムとイブとリリスとリリンもエ◯ァで全部知った。やそうじゃなくてさ」
差し出された小皿に乗っていたのはカットされた林檎と小さな果物ナイフ。フォークが無いのでナイフぶっ刺して食えという事なのは何となく伝わってくるのだが、林檎が見た事の無い切り方をされていたのだ。
「………うさちゃんカットは? こういう時の林檎って兎みたいな形にカットしてくれるんじゃないの?」
受け取った小皿に乗っている林檎はよく見るような形で切られた林檎なのだが、それの背中に菱形の切れ込みが三つほど入っている。そしてその切れ込みはどれも少しだけズレていて、そんな不思議な切り方をされた林檎が放射状に並べられている。
「あら。タカシくんはリーフカット知らない? 葉っぱ切りとか言うんだけどさ」
そんな魔王さんに言われて林檎を見直せば……おお、凄い。確かに葉っぱに見える。良くある林檎の皮の部分に入った菱形の切れ込みは葉っぱの葉脈を表しているのだろう、それが少しずつ上にズラされていて………マジ凄えな葉っぱに見える。僕でも簡単に出来そうだ、覚えておこう。
「うさちゃんカットも出来るけど面倒臭いのよ。切り取った部分の皮は食べるか捨てるかの二択だけど、皮だけ食べても美味しくないし。かといって他人のお供え物をもりもり食べる訳にもいかないし。だからリーフカットにしたんだけど、タケシくんは知らなかったのね」
「シレッとお供え物とか言わんで下さい。僕まだ生きてます。あと僕タクトくんです。良い加減訂正するのも疲れるんで覚えて下さい」
そう言う僕を「その内ね」と軽く流した魔王さんを尻目に、僕は体を起こして腹の上に小皿を乗せるが、その小皿はすぐポルカにひょいと取り上げられてしまった。
「……ポルカ、生前の僕が居た日本という国には『ヤランゾ』という名の妖怪が居てな」
「食べないよお。今のタクトくん右手上手く動かないしい、ぼくがあーんしてあげようと思っただけだよお。……ほらあ、体起こしてえ。……あーん」
「駄目だァっ! あーんは駄目だよブラザーっ!」
「…………何でだよ。僕かなり腹減ってるんだが。よっこいしょ」
「あーんはボクがしたいッ! ブラザーへのあーんはボクがしたいッ! いやするべきだする義務があるッ! 何せその林檎はボクが今日の明け方トリカくんの買い出しに付き合って買ったものだからねッ!」
「ええ〜? 顔ボコボコのぶちゃいくさんにあーんされても男の子は嬉しくないよお? ぼくみたいな可愛い娘にあーんされた方がタクトくんも嬉しいよねえ」
「何たる言い草ッ! 気を付けるんだブラザーそいつは自分で自分の事を可愛いとか言っちゃう系のヤバい奴だッ! 安易に肌を重ねるな性病を貰うぞッ!」
「それには同意する。いや性病は知らんけど。………自分で自分の事可愛いって言っちゃうタイプは大体ロクでも無いってイメージある」
僕がそう呟くとパルヴェルトは魔王さんにボコボコにされた顔を更にウザく歪めながら「そぉ〜うだろぉ〜ぅ?」とふんぞり返る。しかしポルカは、僕が思っていたのとは違う「あー出たそれえ。二人ともお馬鹿だなあ」という言葉を返した。
「ボクはボクの武器をしっかり自覚して有効的に使ってるってだけだよお。人は見た目が十割だからねえ。犬や猫もそう、鳥や魚だってそうだよお。綺麗なヒレや大きな羽根で異性を誘惑したり、体のおっきな異性に惹かれたり。……ほらね、見た目が全てを占める。
「騙されるなブラザーっ! 人は中身が全てッ! 外観で付き合ったとしても締まりが悪けりゃ中々イケないだろうッ! そいつと付き合ってもセックスレスになるだけだッ! ボクの未使用ア◯ルの方が絶対にイイはずだよッ!」
「はーあっ!? ぼくだってこの世界ではア◯ル使った事無いもおんっ! ぼくの方がキツキツで気持ちいいはずだもんねえっ! 何ならぼくはア◯ルもおま◯こもおちんちんもあるもんねえっ! ぼくの方が飽きが来なくて楽しめるもんねえっ!」
「いーや無いね無い無い有り得ないねッ! この世界ではとか言ってたからねッ! つまり生前は散々使い倒してガバガバだったという事さッ! ボクの方がずっとブラザーを気持ち良く出来る自信があるッ! 根拠は無いけど未使用ア◯ルがモノを言うッ!」
「ちーがーいーまーすーうっ! ぼくの方が気持ちよくできますうー! だってぼくにはテクニックがあるもんねえっ! 十五万払って処女とヤるより五万払って
「ッダァ五月蝿え馬鹿共がぁッ! ぼくボクぼくボク五月蝿えんだよ頭おかしくなるわァッ! 騒ぐなら僕から離れた場所で騒げッ!」
言い争いを始めた二人に僕がそんな事を言えば、横で黙っていた魔王さんが小さく「タカシくんも僕っ子じゃん」と呟いた。
かと思えば魔王さんは指を立ててくるくる揺らす。するとポルカが持っていた小皿とフルーツナイフがその手を離れて宙に浮かぶ。それを手に取った魔王さんは、
「私のア◯ルが一番気持ち良いに決まってるでしょ。引退したとはいえ私これでもサキュバスだもの、キツキツからふわふわまで自由自在だし、なんならア◯ルの締まりだけでちんぽ二つにぶった斬れるわ。淫魔ナメたらア◯ル舐め倒されるわよ?」
いつもと変わらない少し疲れたような表情でヤバい事を言い出した魔王さんに、その場に居た僕らは揃って言葉を失った。それをぐるりと見渡した魔王さんは「そんな訳で私があーんするわね」と言うと、リーフカットされた林檎にナイフを軽く刺し、僕の方へと差し出した。
馬鹿が馬鹿をやっている間に切られた端が少し茶色くなり始めた林檎を、馬鹿面晒しながら「あーん」と咥えてもりもり食う。じゅわりと広がる甘味の中にある幾らかの酸味が、僕の口内に染み渡っていく。
「美味しい?」
「うん。美味い。超美味い」
「そう。それなら良かったわね」
「もう一個くれ。おかわり」
「はいはい。……ほら、あーん」
「あー」
「「いーなー」」
そんな光景を眺める馬鹿二人。こいつらにとってはラブラブカップルにでも見えているのかもしれないが、僕的には風邪っ引きの日のママ的な感覚が近い。
確かに魔王さんは露出の多い格好をしているが、この人からはエロスというようなエロスが伝わって来ないのだ。週間少年誌のお色気シーンのあるページをガビガビにしてしまうような中学生でも無い限り、この人を見ても「寒そう」としか思えないだろう。
ラバー生地のような見た目をした衣服……衣服? 服? 紐? ……良く分からんが、胴体に纏っているその装備品はどこと無くくたびれているし、小学生が図工の授業で自画像を描けと言われた時レベルでは無いものの、整った顔に現れている
そこから目を下に向けて下腹部を見てみれば、運動不足が体に出て来ているのかお腹は指でむにっと抓めるぐらいには出始めているし、恐らくはセクシーな縦型だったおへそもデスクワークによって横型になっている。
そう考えると、
「……うん。マジでオカンみたいだ」
「あら。褒めてくれてるのかしら、それとも貶してるのかしら」
「友達ん
「褒められてるのね。ありがと。お礼にフ◯ラしてあげたくなっちゃった。今度してあげる」
「ただの美人オカンじゃない。学生時代に文化祭の美人コンテストとかで一位取って、そっから調子乗り出してレースクイーンとかやり始めちゃう感じのナルシズム強い系オカンが近いかな」
「褒めてないわねそれ、絶対褒めてないわ。フ◯ラは却下よ、貶されてる気しかしないもの」
「ヤらせてくれって言ったら最初はやんわり断るんだけど「ちゃんとゴムはするから一度だけ!」って食い下がったら渋々ヤらせてくれる感じの友達のオカン。んでお姉さんぶってリードしようとするんだけど子供産んでからしばらくシてなかったから、学生ならではの強過ぎる性欲に負けてアヘっちゃう感じのオカン。そんなオカンみがムンムンしてる」
「貶してると思ったけど少しニュアンスが違ったわね。馬鹿にしてる。貴方私の事馬鹿にしてるわ。林檎あーんしたついでに横薙ぎにして頬肉切り裂いてあげる。はい、あーん」
「あーん」
「────シッ」
「────
前歯と唇で林檎を挟んだ瞬間魔王さんの瞳がギラリと輝き、反射的に頭を引けばフルーツナイフが空を裂く。「良い反射神経してるわね。将来有望さんかも」と褒める魔王さんにもぐもぐしていた林檎を飲み込んだ僕は、余裕綽々を演じながら「僕もそう思う」だなんて返す。…………実はおしっこチビったのは内緒。後で着替えよ、ちんちんの周り気持ち悪い。
「……………ん? ………ん」
そこで僕はふと思い出し、魔王さんに向けて左手を伸ばす。そして魔王さんが持っている小皿から林檎を一つ抓むと、
「はいラムネ。食べる?」
サイドテーブルの上にある猫ベッドの中で猫座りしていたラムネに、抓んだ林檎を近付けていく。するとラムネは凄い嫌そうな顔をして背中を反らし林檎から逃げようとするが、僕が動きを止めると、やはり凄い嫌そうな顔をしながら鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。
「いや何でそんな嫌そうなの。別に柑橘類じゃないなら臭くないでしょ。一応食べれるよ。食べる?」
「……………いらない」
「まあそんな気はしてた」
ぶっちゃけ分かってた。けど後々「あれくえたのか!」とか言われるのを知っていたので、食べないと分かっていても一応嗅がせておいた方が面倒が無い。
抓んだままの林檎を口に放り込み、むぐむぐと咀嚼した僕が「……ほん
「……パルヴェルトが見舞いに来るのは分かるけど、ポルカと魔王さんは何しに来たの?」
「ぼくはおちんちん気持ち良くして欲しかっただけだよお。自分でも出来るようにはなってきたけどさあ、やっぱりタクトくんにシて貰うのが一番すっきりするんだあ。愛故にい、だねえ」
「クソみたいな愛だな。ペール博士が落ち着いたら魔法薬か何か作って貰ってちんちん消せば良いじゃんか。あの人なら多分やってくれるぞ」
「ちゃんとした女の子になれたらぼくと付き合ってくれるう?」
「十中八九付き合わない。僕好きな人居るし」
「ぷぇー。……じゃあちんちん生えたままにしとこお。そうすればタクトくんに気持ち良くしてもらえる口実になるもんねえ」
「そういうの本人の前で言うから僕の好感度低いままなんだと思うぞ」
「余談だがブラザー、ボクは別に見舞いに来た訳じゃあ無いよ」
「……そうなのか? じゃあ何しに来たんだお前」
「ただブラザーとお喋りしたかっただけさ。帝国に行っている間ブラザーの声が聞けなかったからね。言うなれば栄養補給とでも言った所か、ブラザーの近くに居ないと摂取出来ない栄養素があるんだよ」
「
「ジーザス! ……いやおいおいブラザー中指立てるのはやめてくれたまえ。ニホン人にとってはジョーク感覚なのかもしれないが
「知ってる。だから中指立ててるんだぞ。その意味をよく理解しろ」
「
僕が居ない間に何か成長の一つでもしているかと思っていたが、パルヴェルトは相変わらずパルヴェルトなようだった。
「………んで? 魔王さんは何しに来たんすか。貴女確か無茶苦茶忙しいでしょ」
向き直った僕がそう言えば、魔王さんは残り一つだったリーフカットの林檎を指で抓んでもりもりと食いながら「……
「色々理由はあるのよねえ。……何からどう言ったら良いのかしら」
「難しい事言われても良く分からないから、端的にお願いします」
「暇だから来た」
「端的過ぎる。あんたもしかして庭の木に生えた蜂の巣を火炎放射器で木ごと焼き払うタイプか? 何もしないかやり過ぎるかしか選択肢の無いメリケン人か何かなのか?」
「だって私が出向く程の理由じゃ無いもの。それでも私が出向いたのは単に今日非番だったからってだけで、暇じゃなかったらジズやトリカに任せるような内容だもの」
「………じゃあ何で来た」
「いやだから暇だったからよ。特に予定の無い日の仕事帰りとかで、いつもと違う道から帰る事あったりしない? この後予定も入ってないし明日休みだから迷っても大丈夫って時に、何だか奥まってて隣のト◯ロ感ある小道が目に入ったら行くでしょ貴方」
「行く。多分行く。隣のト◯ロ感は分からんけど、自転車二台並列したら誰も道通れなくなるような夜の小道が街灯でぼんやり照らされてたら吸い込まれるようにそっち行くと思う」
「でしょう? それよ」
「ざけんな」
そんなしょうもない理由で魔王がわざわざ出向くな。Uターンして帰れ。直帰しろ。
「つーか魔王さん魔王なのに非番とかあるのか。…………魔王が普段何するかは知らんけど、そんな余裕無さそうなイメージある」
僕が素朴な疑問を口にすれば、魔王さんは何事でも無いような声色で小首を傾げ「クソ忙しいわよ」と言ってのける。
「朝日が昇る少し前ぐらいに起きて、パンとワインちょこっと飲み食いしたらお仕事開始。朝の会議で運営方針の進捗報告とか受けたらそれの対処とか方向修正とか決めて、領土の中で起こった犯罪とか揉め事に対する処罰とか処遇とか今後の取締とか話すでしょ? そしたら領土防衛とかに関する軍事活動の打ち合わせと軍備品の輸入とかの調整ね、あれは足りてるからもう要らないとか。それが終わる頃には大体お昼だけどまだまだ仕事はあるから軽めにサンドイッチとか摘んで、食べ終わったら国家間の裁判とか輸入輸出とかの金銭決済に必要な公文書にサインと判子して、それが済んだら陳情書……国民から王様へのお手紙みたいなものね、それに目を通して一喜一憂。物が高いよーとか前まで売ってた物が最近売ってなくて困るよーとかって陳情があったら叶えられるよう行商人に手配……し始めた辺りで公務の勤務時間が終わるわね。だけどまだ終わってないから書類の束持って部屋に帰って、晩ご飯とお風呂で呼ばれるまで睨めっこ。ご飯食べてお風呂出たら大体眠くなるからネグリジェ羽織ってそのまま寝る。一日のサイクルはそんな感じね。因みに週休ゼロ日。偶然空きが出来れば他の奴に軽めの仕事全部押し付けて今日みたいに出歩くわ、寝るのは駄目よリフレッシュにならないもの」
「……………………」
ピンと立てた人差し指をくるくる揺らしながらまくし立てた魔王さんがようやく締め括るが、僕は茫然としたまま何も言えずに居た。
………激務過ぎんか? 殆どデスクワークではあるがその勤務内容で休み無しは死ぬだろ。働き過ぎの
「余談だけど私この仕事に就いてから七回痔になったわ。若い頃は肩の付け根までア◯ルに突っ込んでオホ声晒しながらイキ狂った事もあったんだけど、やっぱりデスクワークとフィストファ◯クは勝手が違うわね。もうドーナツクッション無しじゃイケない体になっちゃったわ」
小さく溜息を吐いた魔王さんが、両手を上げるようにしながらそんな事を言う。その姿や言葉はとても冗談とは思えず、僕は思わず体を伸ばして魔王さんの頭を撫でてしまった。
「………? あらあら慰めてくれるのかしら。ガキの癖に生意気な事したがるじゃない」
「いや何か居ても立っても居られなくて。もう魔王さんにタメ口聞けないです。いつもお仕事頑張ってて偉いですね。よしよし」
「どういう意図があるのかは知らないけど、その程度じゃ私を落とすのは無理ね。………そうね、最近忙しくなってセックス一つする時間も無いの。だからちょっと手足切り落として精液タンクになってくれない? 私が貴方のちんちん咥えたらすぐに射精して頂戴。そしたら一生貴方を愛してあげるわ」
「魔王さんを落としたいとは思ってないし手足落とすのも嫌です」
「あら。月に一回はご褒美でパイズリぐらいしてあげるのに。……誕生日はいつ? 教えてくれたらその日は特別におま◯こで飲んであげる。でもア◯ルは痔持ちだから駄目。ペロちゃんのお薬無くなったら仰向けで寝る事も出来ないぐらい辛いもの」
「どうしよう。凄え悩む」
「当社は精液タンクをいつでも募集中よ。初心者歓迎、経験者優遇。アットホームな職場だけれど仕事中に喋ったら殺すわ。邪魔だもの」
「蠱惑的で魅力的だけど致死的だからやめときます。そういう職場がホワイトだった話を聞いた事が無いんで」
「そう。賢明ね」
穏やかに微笑む魔王さんの頭から手を退けた僕は────しかし心底から恐怖に怯えていた。
怖かった。本気で怖かった。精液タンクの話では無い。手足云々の話でも無い。
穏やかに微笑む魔王さんが目だけ全く笑っていなかったからだ。
この世界の人たちは、まるでハリウッド映画のような下品な言葉を簡単に口にするが、それは決してジョークでは無い。精液タンクの
この人たちは本気なのだ。常に本気でものを語っている。良くあるヤンキーのように口で「ぶっ殺す」と言いながら結局少しボコる程度で終わらせるような事は絶対無い。
………
ジズやトリカトリは人では無い。気に食わない事があれば力でねじ伏せようとするし、それが出来るだけの力を持っている。しかし二人は魔王さんに下克上を企てるような事は全く無く、半ば言いなりのような立場に甘んじている。
それは何故か。何故言いなりになっているのか。
言いなりになるしか無いからではないだろうか。
歯向かえば死ぬのが分かっているからではないだろうか。
ルーナティアは完全なる実力社会。動物的な縦社会。きっと数え切れない程の刺客に暗殺を狙われたはずだが、魔王さんは今もこうして生き続けている。それはつまり刺客を全て返り討ちにしてきたという事であり、それだけの実力を持っているという事。
舐めていた。侮っていた。甘ったれていた。
要するに、僕は調子に乗っていたんだ。
「………………ごめんなさい」
穏やかに微笑みながらも瞳の奥は何一つ笑っていない事に気付いた僕は、魔王さんに向けて素直に謝罪を口にした。
そうだ。忘れていた。
この人は人では無い。
この
そうだ。忘れていた。
僕は人だ。ただの人。
僕が今生きているのはラムネが居たから。
僕が戦場を乗り越えたのは皆が守ってくれたから。
そうだ。忘れていた。
僕は、弱い。余りにも、弱い。
剣も魔法もある世界なのに、剣も魔法も使えない。
吹けば飛ぶような僕は、この世界では喋れるゴミと変わり無いのだ。
消そうと思えば、いつでもどこでも消せるような存在なのだ。
僕はそれを忘れていた。
「割と物分りが早い子なのね。ジズのお気に入りじゃなかったら殺してた所だけど………良いわ。特別に許してあげる」
総てを思い出して俯く僕に、魔王さんは何でも無い事のように呟いた。
「…………すみませんでした」
「貴方名前は?」
「……た、タクトです。森山拓人。十九です」
「年齢は聞いてないわよタクトくん。聞かれたら答える、聞かれなきゃ答えない。
「すみ──すみませ───」
「貴方の名前、覚えてあげる。上の名前は知らないわ、記憶のリソースは有限だもの。自分に気を遣って来ないカスに自分が気を遣う道理は無いものね」
「あり、ありがとう、ございます」
「ほら、頭出しなさい。撫でてあげるわ。タクトくん撫でられるの好きなんでしょ? ジズから聞いてるわよ」
片手をひらひらと揺らして僕を見る魔王さんは、先程のようなものとは違う穏やかな笑みを浮かべていた。その瞳は優しげで、ああ……それこそ本当に、友達の母親がするような優しい瞳。
そんな瞳で見詰められた僕が頭を差し出せば、しかし途中で僕の額にペチっという小さな音と軽い刺激。何かと思った僕が頭を上げれば、魔王さんはデコピンをしたままの手を向けながら笑っていた。
「安い甘言に釣られて簡単に頭を下げるな、頭を下げるのはプライドを捨てるのと同義よ。だから貴方は愚か者なのよ、頭を下げるのは悪い事をした時だけ。けれど私はタクトくんの愚行を既に許しているはず。そしてそこからタクトくんは何も悪い事をしていないはず」
「すみ─────ご教授、ありがとうございます」
「想い人が居るんでしょ? 善も悪も関係無いのよ、一度決めたら踏み外すな。想い人以外に簡単に媚びるな。……ペロちゃんの中は気持ち良かった? ペロちゃんの事いっぱい可愛がってくれてたわね。けどもう簡単にはしちゃ駄目よ。全部見えてるし聞こえてるもの。男の子だからそういう事がしたいのは分かるわ、けれどペロちゃんとするのは許さないわよ。だって貴方あの時「今回だけ」って言ってた気がするもの。………ねえタクトくん、責任持って最後までってのは誰の言葉だったかしら。誰が誰に言った言葉だっかしら、貴方覚えてる?」
舐めていた。侮っていた。甘ったれていた。
強い。この人は強い。実力もそうだが、心が強い。
僕がイメージしているセックス狂いの
実際若い頃はセックス狂いだったのかもしれない。そういう種に生まれ落ちたのだから、そういう風に生きるしか無かったのだろう。
そして彼女はそれを良く思っていない。だからこそ歳を重ねて落ち着くのに合わせ、性に対して厳しくなったのだろうら、
それもそのはず。この女性は魔王なのだ。
この女性は
「……僕が、さっき言った言葉です。魔王さんに言った事」
「そうね。ならもう自分からはペロちゃんのとこ行っちゃ駄目よ? もしも行くなら最後まで、その気が無いならそもそも行かない。吊られた男になりたくないなら徹底なさいな愚か者」
「───はい。ありがとうございます」
格好良い。僕は素直にそう思った。
けれどそれは最初から知っていた事だった。
僕はこの人を何と呼んでいた?
こんな人になってみたい。こんな
そんな風に思いながら、僕は魔王さんに向き直った。その瞳を力強く見詰めれば、魔王さんは同じように強い眼差しで僕を見返し微笑んだ。
「
何だろうか。この気持ちは何だろうか。
久しく忘れていた気がする。こんな気持ちはいつ振りだろうか。
「ありがとうございます」
魔王さんの言葉を聞いた僕は、
誰かに認められた僕は、
久し振りに、嗚呼、本当に久し振りに、
凄く嬉しかった。
「因みにあんたらは認めてないわよ穀潰し」
くるりと向き直り目線を変えた魔王さんがそう言うと、馬鹿二人は「「ええっ!?」」と口を揃えて驚いた。
「猫ちゃんは良いわよ。可愛いもの。でも貴方たちは駄目よ。可愛くないもの。糞拭く紙ぐらいには役立ちなさい。私痔持ちだから柔らかめの紙でお願いね」
「「そんなあっ!」」
───────
「で、結局何で来たんですか」
床に置いたままのバスケットから二個目の林檎を取り出した魔王さんは、それをナイフで切り分けずそのまま齧り付いてもりもり食っていた。………おかしいな、それ僕の見舞い品だったはずなんだけど。あれ、おかしいな、他人のお供え物どうのこうのは何だったんだろう。幻聴だったのかな。そうだよな。魔王さんカッコ良い女性だもんな、そんな人がまさか僕の為の林檎をもりもり食う訳無いもんな。
そんな事を思いながら僕が二回目の質問をすれば、魔王さんはどう考えても僕のとしか思えない林檎を貪りながら「え?」と僕へ向き直った。
僕を見ながら僕への見舞い品をがふがふと急いで食べ終わった魔王さんは、やがて芯だけになった林檎を後ろに向けてぽいと放る。すると妙にキリッとした表情のパルヴェルトが両手を皿のようにしてそれをキャッチ…………まさかとは思うが、パルヴェルトはそれで貢献してるつもりなのだろうか。多分この女性はその程度は貢献に含めないと思うぞ。
「結局暇だから出向いたとしか聞いてません。ペール博士を見ているって言ってましたから、何かの能力とかでお手付きした僕を叱りに来たんだとは思います。けどそれだけでわざわざクソ忙しい中を時間作って出向くとは思えないです」
「ペロちゃんは私の友人よ? 昔からの友人なの」
「それは何となく分かります。博士の事をその名前で呼んでる時点で何となく察せます」
「私が魔王になったのは友人の為よ。友人が思うままに生きれるように、私はその場を提供したの。私はペロちゃんが望むなら何でもする。人も殺すし魔王にもなるし国も整えるし戦争だって受けて立つ。友人の為なら、どんなにクソ忙しい中でもマセガキ躾ける時間ぐらい作ってみせるわ。戦争に勝つ事と比べればその程度は屁でも無いものね、
「……し、失言でした。ごめんなさい……」
口を滑らせた僕が謝ると、魔王さんはにこにこと笑いながら臆面も無く「良いのよ。彼女ちゃんとイケたって言ってたもの」だなんて言ってのける。
「………も、もし、もしイケ無かったって言ってたら───」
「
金玉がヒュンとした。やる。この女性は本当にやる。今だけはペール博士をイカせれた僕のちんちんに感謝しよう。ありがとう
内心でそんな事を思っている僕から目線を逸した魔王さんは、片手を上げながら「林檎。おかわり」と口にする。すると今度はルカ=ポルカが即座にバスケットから林檎を取り出しそっとその手の上に乗せる。………いやだからその程度は───良いか、もう。好きにさせよう。
「ねえタクトくん、貴方ちょっとパシられてくれないかしら」
そしてやはり切り分けもせず、そのまま林檎に齧り付いた魔王さんは口をむぐむぐと動かしながらそんな事を言ってきた。その言葉に僕が「パシられ?」とオウム返しすれば、魔王さんは同じように「そう。パシられ」と返してくる。
「ルーナティアから西にちょこっと行くと獣人の村があるのよ。獣人の村っていうか……集落? 寄合所? 飯炊き場? みたいな場所があるの。結構広いんだけどさ。………貴方そこ行って来てくれない?」
リップもグロスも塗られていない唇を林檎の果汁で湿らせた魔王さんは、僕にそんな頼み事をする。特に断る理由も浮かばなかった僕は二つ返事でそれに応じようとするが、口を開いた瞬間すぐにその言葉を飲み込んだ。
「───理由と、対価を教えて下さい。………僕が貴女の為に動くなら、貴女は僕に何をしてくれますか」
僕のその言葉を聞いた魔王さんは林檎を食べる動きを止め目を細める。その反応に一瞬不味ったかと思った僕だったが、しかし魔王さんはすぐに微笑み「良い子ね」と僕を褒めてくれた。
「その獣人の所に知り合いが居るの。かなり昔に呼び出された愚者の生き残りなんだけど、そいつの所に行って身の振り方を聞いてきて欲しいのよ」
「…………身の振り方?」
「そう。タクトくんたちにはなるべく被害が及ばないようにしてるけど、生憎この国は戦争中なの。だからサンスベロニア以外の国がどういう動き方をするのか知っておきたいのよね。同盟になるのか、敵国になるのか、一切関わらないのか日和見で突然傾くのか」
「……はあ。それを僕が聞いてくれば良いと」
「そう。聞くだけで良いわ。間違っても同盟なれーとか言っちゃ駄目よ」
「理由は───クソ忙しいから、ですか?」
「そうよ。察しが早いじゃない。ご褒美にキスしてあげる。一生忘れられないぐらい濃厚なキスしてあげるわ」
「………………唇と舌。僕が貴女のキスに応じてたら、どっち噛み千切るつもりでした?」
「下顎」
「濃厚過ぎる」
キスした瞬間、歯と顎を引っ掛けられて千切り取られるって事だろ? そりゃ忘れられねえよ、一生もんのトラウマになるわ。
そんな僕の反応を見た魔王さんは口元に手を当てながら鈴玉のようにころころと笑い「本当に良い子ね。こんな楽しいの久し振りだわ」と再び僕を褒めた。そんな魔王さんに思わず嬉しくなった僕だったが、しかし慢心しないようすぐに心を強く持つ。
………多分、この人は僕の頭の回転速度を試している。
であれば僕はそれに応えたい。
「僕が行く理由は? 動かしやすいからですか?」
「そうね。タクトくんが一番動かしやすいからで合ってるわ。何でだと思う?」
けれどそんな問い掛けに、僕は否が応でも自分を見つめ直すしか無くなった。
………何故僕が一番動かしやすいのか。強い奴は他に幾らでも居る。ゲームの中に際立って強いキャラクターが居たら、基本的にはみんなそのキャラクターを使うはずだ。
だがそのゲームがキャラロストシステムを採用していたら? プレイミスでキャラが死んだ場合、二度と復活させられないとしたら? セーブ&ロードも通用しない、本当に二度とそのキャラクターを使えないのだとしたら?
強いキャラクターは失いたくない。たかだかお使いクエスト如きで強キャラをロストするリスクを負うものはそう多くないだろう。
その程度の任務であれば────、
「…………僕が、────僕が一番、弱いから。ですよね」
雑魚キャラにやらせれば良いだろう。
死んでも、ロストしても惜しく無いゴミを使えば済むだろう。大は小を兼ねるが、小が大になれないのであれば、小で済む所は小を使い潰せば良いだけの話だ。
自覚していた事。けれど見たくは無かった事。
知っていた。分かっていた。けれど思い出したくは無かった。
ああ全く本当に。
どうしてこんなに、僕は弱いんだ。
何で僕は異世界に転生してまでこんな思いをしなくちゃいけないんだ。
異世界だぞ。肥溜めよりもよっぽど酷いドブみたいな世界に居たんだぞ。
そこをようやく、死んで初めてようやく抜け出したんだぞ。
覚醒イベントは? チート能力は? 未実装ってか? クソ食らえ。
僕という存在は、一体いつになったら、一体いつまで耐えれば、
僕はみんなの役に立てる日が来るんだ。
「────そんな事無いッ! ブラザーは弱くなんて無いぞッ!」
俯きながら呟く僕に、しかし返事をしたのは魔王さんでは無かった。ハッとなって顔を上げれば、そこにはニヤニヤと微笑む魔王さんと、何故か泣きそうな顔をしながら僕を睨むパルヴェルトだった。
「自分が一番弱いとかそんな事を言うなよブラザーッ! もっと自信を持てッ! キミが本当に弱かったのならボクはキミに救われてなんかいないはずだろうッ! ボクはッ、ボクは────そんな弱気な
「お黙りクソガキ。今喋っているのは私とタクトくんよ。お前の
「く───────」
慟哭しながら僕を励まそうとするパルヴェルトを黙らせた魔王さんは「邪魔が入っちゃったわね」と言いながらも、変わらずニヤニヤと笑っている。
「タクトくんは動かしやすい。けれどそれはタクトくんが弱いからでは無いわ。まあ弱いのは事実だけれど、だからといって「死んでも惜しくないから」というような捨て駒感覚で動かしやすいとしている訳では無いわよ。そんな理由だったら早い段階で豚の餌か公衆便所に加工してるわ」
「じゃあ、何で……」
「秘密。教えない。教えたら面白くないもの。精々焦らされなさい」
ニヤニヤと笑う魔王さんにそう言われれば、僕はもう諦めるしか無かった。
…………この女性の事はこの短時間でだいぶ分かってきた。魔王さんが言わないと言ったら何がどうなっても言わないだろう。そうで無くとも、下手な事を言って墓穴を掘るのはもう嫌だ。
諦めた僕が「………じゃあ焦らされる事にします」と口を開けば、魔王さんは一言だけ「賢明ね」と返す。
…………この
ネガティブに支配され始めていた脳を戻す為に
そうだ。負ける訳には行かない。パルヴェルトの言葉を思い出せ。しくじらなければ、それで良い。勝ちに行く必要は無い。負けなければ良い。引き分けを取りに行け。
強気だ。強気で行こう。強気に。
この
「………じゃあ、対価の話をしたいです。僕が魔王さんの使いっ走りになったら、魔王さんは僕に何を支払ってくれますか」
「お金は?」
「要らないです。困ったらジズにタカるだろうし」
「一生遊べる額だって言ったら?」
「一生ジズにタカるんで要りません」
「じゃあ立場は? メイド何人孕ませても許されるような立場にしてあげる。要は出世ね」
「要りません。維持出来る気がしないし」
「固定って言ったら? その後更に出世こそすれ降格する事は無いって誓約書が付いたら?」
「要りません。身に余る立場を貰っても責任に押し潰されるだけなので」
「私のおま◯こは?」
「今の所一番要りません」
「痔持ちのア◯ル好き放題犯して良いって言ったら?」
「一番要らない記録を更新です。ガチで要らない。痛がってるケツ穴掘り起こしても自分がヘタクソなんじゃないかって思うだけなんで要らないです」
「…………ペロちゃんと遊び倒しても良いって言ったら?」
「支払う対価に困って友人売ったら一生軽蔑しますよこの売女」
「ぬぐ……。………じ、ジズの……………えー、あー、ぱ、パン──」
「もう持ってます。…………他には何かありますか?」
「…………………………………後日何か報酬考えとくわ。だから今は素直に行ってきて頂戴。何かちゃんと考え────そのクソムカつくドヤ顔やめなさいっ! あー分かったわよ分かった分かった貴方の勝ちよ今回は認めてあげ────ドヤ顔やめろクソガキィッ!」
「よーぉ見たかパルヴェルト。お前の言う通りだったな。今ぐらいは誇っても良いだろ僕魔王さんに勝ったぞ見たかお前」
「おーぅ見たともブラザー。やはりキミは弱くなんて無かった。真顔でジズくんにタカるとか言ってる姿は最高にダサかったが強さとカッコ良さはイコールでは無いからね」
「泣きそうなタクトくんも可愛かったけどお、強気だった魔王さんをいきなり完全論破し出したタクトくんはちょっとステキだったねえ。ぼく惚れ直しちゃったよお」
「僕はそこまでだと思わんけどな。ポルカちょろ過ぎだろ。自己啓発セミナーとか行ってメンタル鍛えてきたらどうだ?」
「あー酷おい! ぼくタクトくん褒めたのにい! 惚れ直し直したよお!」
「頭こんがらがった」
「ぼくもお」
そんなこんなで、晴れて魔王さんからお役目を貰った僕はペール博士の診療所にやって来ていた。理由は一つ、僕の体を治す為だ。
睡眠不足で濁り切った瞳をしていたペール博士は、しかし研究にかまけて恩師の遺言を無視するような事は無かったようで。以前と違って鼻の奥をぶち抜くようなとんでもスメルはしていなかった。
「話は既に聞いてるよ。一時間程度は掛かるが怪我は全て治そう。チェチェ………チェルシーから何か頼まれる事は滅多に無いからね。パーフェクトにこなしてみせようじゃないか」
どこか懐かしく感じる無意味に尊大で堂々とした口調でそう言ったペール博士に、何故か分娩台に寝かされ両足を開かれた僕が「チェルシー? 誰?」と口にすれば、ペール博士は「は?」と困惑した声を発した。
「チェルシーはチェルシーだろう。チェルシー・チェシャー。知らない訳が無いと思うが」
「いや知らない。え誰? 湯気子の本名とか?」
「湯気子は湯気子だ。………チェルシーはルーナティア国の魔王だろう。つい癖で呼んでしまったが、基本的には陛下と呼ばれる立場に居る」
「………あぁっ!? 魔王さんの事ぉっ!? あの人そんな名前だったのっ!?」
「そんな名前がどんな名前かは知らないが、彼女の名前はチェルシーだ。………まさか知らなかったのかい?」
「初耳」
「………自己紹介は? しただろう。キミがルーナティアに呼び出された時に自己紹介ぐらいしただろう」
「………僕が名前言って、生前に能力持ってたかとか聞かれて、終わり。その後はトリカに部屋案内とかして貰って、ジズに街の案内して貰ってた」
頭を捻って思い返した僕がそう言うと、ペール博士は「はぁぁぁぁぁぁ」とデカい溜息を吐き額に手を当て項垂れた。
「………ああ、それでキミはずっと『魔王さん』と呼んでいたのか。ああ合点が行ったよ全く。あいつは昔からそうだ。………とするとヒカルくんやパルヴェルトくんもチェチェの名を知らない訳だな?」
眉間にシワを寄せたペール博士の言葉に「んー……多分」と答えれば、博士は呆れてように「……ったく」と呟く。そして天井を見上げたかと思うと、
「おい馬鹿チェチェ! 名を聞いたなら名を名乗りたまえよ! 今回は何も無かったが場合によっては色々と滞るだろう! 次は気を付けたまえ!」
そんな風に声を荒らげた。
天井に向けていきなり叫び出したペール博士に「遂に焼きが回ったか?」と思った僕だったが、書類だらけでごちゃごちゃしているデスクの上に置いてあった空のビーカーが、風も無いのにくるりと回ってかろんと倒れる。かと思えば倒れたはずのビーカーは起き上がりこぼしのようにひとりでに起き上がり、何事も無かったように元の状態に戻っていった。
「………右回転は同意だ。次は気を付けるとさ。不便を掛けたろう、彼女の代わりに謝っておこう。済まなかったねタクトくん」
「…………いえ、それは良いんですけど。…………今のは? 魔王さん、近くに居るんですか?」
僕がそう聞くと、ペール博士は「ああそれか」と僕に向き直り、慣れた手付きで体に巻かれている包帯を解きながら喋り始めた。
「彼女は
「なるほど。…………それは悪魔ならみんな持ってるような能力なんですか? ジズとかも持ってる?」
僕の問い掛けにペール博士が「いいや」と首を振る。
「この能力は契約を行う悪魔が持つものだ。契約の末に魂や体を奪う悪魔なら余程の下級でも無い限りは持っているが、契約を行わない悪魔は持っていない。必要性の問題だ。チェチェは
「………そうですか」
「ジズくんの名を呼びながらオ◯ニーでもしていたのかい? だとすればジズくんには一切バレていないだろうから、今後も安心して致すと良い」
「………嬉しいような、少しがっかりしたような。不思議な気持ちだな、何だこのトキメキは。さてはこれがラブか。偶には海も山も僕を褒めろよ」
くるくると巻かれていた包帯や右腕を固定していた石膏を取ったペール博士がそれを乱雑に机の上へと放る。そして外観が黒く中身の見えない小瓶と黒い布を手に取ると「キミも見られていると思うよ」なんて言いながら僕の腕にその布を被せていった。
ペール博士は僕の腕だけでなく自身の手と瓶も覆うように黒い布で覆い隠し、その裏で手を動かして僕の体に瓶の中身を塗っていく。……これは、あれだろうか。メルヴィナさんが使っていた、妖精の薬がどうたらとかなんとか言っていたやつ。とんでもないレベルの万能性と即効性がある代わりに、光源に晒しちゃいけない薬。
「僕も見られてるって…………僕は魔王さんに狙われてるんですか?」
「狙っている訳では無いだろうね。若い
「じゃあ何でですか?」
「気に入られたという事だよ。…………名前、覚えられたんだろう? 相当気に入られている証拠だよ」
ペール博士の指が僕の体を撫でていく。妖精の魔法薬とやらはひんやりと冷たく、しかし思っていた程粘性は無く僕の皮膚の上をさらりと滑っていく。
「彼女は私と逆でね。私は知りたいと思った事は何としてでも知りたがるが、彼女はどうでも良いと思った事は徹頭徹尾知ろうとしないし、仮に知ってもすぐに忘れる。興味が無い事柄は数秒後には忘れてしまうんだよ」
「………そういう、その、ご病気なんですか?」
「違うね。覚えられないという病は存在するが、その場合は本当に何もかもを覚えられない場合が殆どのケースを占める。彼女のように特定の情報だけ覚えて忘れてを切り替えるような事は間違っても出来ない事が多い。単に性格だよ」
「へえ……」
やがて薬を塗り終えたペール博士は、布で覆い隠しながら瓶の蓋を締めると薬が塗られた患部を布ごとテーピングする。そして別の布を取り出し、同じように被せながら布越しに再び瓶を開ける。……そうか、瓶の開け閉めも気を付けないといけないのか。面倒な薬だな。
「そんなチェチェ……………チェルシーが名前を覚えたという事は相当だよ。関わりは深く無いだろうから効力は弱いが、少なくともルーナティア領内に居る限りは常に彼女が横に立っていると思った方が良い。実際常に見続けられている訳では無いんだが、それぐらいの気持ちで居た方がヘマをやらかす事が減る」
「ヘマ? スパイ的に暗躍してるのがバレるとかですか?」
ペール博士の言葉に、僕は少しだけ苛立ち混じりでそんな事を言った。
心外だった。裏切ると思われている事が心外だった。
仕方が無い事だとは思う。僕はこの世界に
だけど嫌だった。それが分かっていて尚嫌だった。………裏切る気なんて無いのに裏切る裏切ると言われれば大抵の者は苛立つだろう。「裏切りそうな顔をしている」とかいう意味不明な理由で色々言われた魏延の気持ちが、何となく少しだけ分かる気がする。
しかしペール博士はそんな僕の思いが分かっているのかどうなのか「裏切りなんて考えていないさ」と一蹴する。
「キミが裏切るとかはどうでも良い。キミ一人が裏切った所で木っ端の一つが風に巻かれて舞い上がったようなものだろう? 無数にあるならまだしも、一枚如き宙を舞っても目に砂埃すら入れられないよ」
僕は決して強くない。それは事実だ。揺るがない。
そして僕は事実を指摘されて顔真っ赤になっちゃうタイプでは無い。そんなお猿さんはインターネット上で山程見てきた。あんな滑稽な人種の仲間入りをする気は無い。
けれどそれはそれとして、事実を指摘されると普通にヘコむ。やめてくれ。僕の心は繊細なんだ。だからこそ僕は愚者として呼び出されたんだぞ。
「……じゃあ何なんですか」
テンションが落ち始めた僕が問い掛ければ、ペール博士は至って真面目な声色で「オナバレだよ」と言い放った。
………が、僕にはその単語の意味が分からなかった。
おなばれ? ………お名バレ? 名前バレるとマズいのか? 名前バレて不利になるのは英霊たちが聖杯を求めて戦争するアレだけじゃないのか? まあ名前バレて不利になるって設定は本当に序盤の頃だけで途中からカリバーカリバー連呼してた気がしたんだけど。言ったらそのカリバーだって連発出来ないみたいな事言ってたはずだったけど途中からパカスカ連発してた気がするな。
「キミが誰かの事を思ってオ◯ニーしたとして、それは全てチェチェに見られている可能性があるという事だよ。必ずしも見ている訳ではないが、様子を確認するぐらいの感覚で見られた時に偶然、という事は幾らでもある。そして彼女はそれを見た際飽きるまでネタにして来る。あいつはそういう女だ。実際私は過去に自慰を覗き見されて散々ネタにされた事があるし、私はそれを今でも根に持っているからこそキミに注意喚起をしたという訳だ」
「……………はぁっ!? 最悪じゃんそれ! プライバシーの侵害だ! 心の住居侵入罪だ! 見たならシろよ! シても良いんじゃん! エロいゲームや本でもヒロインのオ◯ニー見たら大体責任取ってちんちん貸すだろ! 僕のオ◯ニー見たならお前もま◯こ貸せっ!」
声高々にそう叫ぶと、先程のビーカーが机の上でころんと回って倒れる。そしてそれは同じように起き上がった。
「左回転は否定だ。残念ながらキミは
「キェェェェエエエエ僕の憧れと尊敬を返せェェェェェェエエエエッ!」
「無駄だね。彼女は『そういう生き物』なんだ。キミは彼女と関係が薄いからルーナティア領内だけで済んでいるが、私のように彼女と濃ゆい関係になってしまえばサンスベロニアまで出向いても真横に居るかのように見られてしまう。
「最低じゃんっ! 最悪じゃんっ! 仕方が無いで納得出来るかっ!」
「おや、キミは他所の文化を否定するタイプの人間かい? 昆虫食を気持ち悪いからと毛嫌いするタイプかい? 何故その国家や地域で昆虫食が広まり浸透しているのか何一つ理解を示さないタイプなのかい?」
「知るかっ! 日本人に虫は合わねえっ! 島国育ちだぞ多脚はエビかカニにしろっ! 芋虫っぽいのもナマコで枠が埋まってるっ!」
「因みに私はスシやサシミは無理だ。生臭いし食感がキモい。生卵なんて以ての外だね理解に苦しむ」
「毛嫌いすんなよズルズルやらしい音立てて食えっ!」
「加熱出来る技術や知識が完全に浸透しているのに何で加熱せずわざわざサルモネラやらアニサキスやらと愛し合おうとするのか心底度し難い。死にたがりか? ニホンとやらは死にたがりの国民性でも持っているのか?」
「やめろ! 神風スタイルの悪口はやめろ! 僕も資源に困って竹で戦闘機造り始めるぐらいなら素直に敗戦認めろよとは思うけどやめろ! その話題は夏場の女性のデリケートゾーンよりもよっぽどデリケートなんだ!」
「何と言ったかね、聞いた事はあるよ。…………回天だったか? 桜花だったか?」
「やめろその言葉は僕に効くでちッ!
と、まあそんなこんなをしている内に、やがて僕の体は布まみれになった。ミイラ男とまでは行かないものの「体にスカーフ巻きまくってるのカッコいいと思っちゃう系かな?」って感じのダサい外観に僕はなった。これで
そんなダッセェ陰キャ一歩手前ぐらいまで布を巻き付けられた僕だったのだが、その包帯の内側に塗られた妖精の魔法薬とやらの効能はとんでもなく凄いものだった。
足元でずっと大人しくしてくれていたラムネは良い加減物足りなくなったのか僕の腹の上に乗っかってスフィンクスのような座り方をしているのだが、不思議な事にラムネに乗られても体は何一つ痛まず、僕はラムネの肩にヒビが入っていた右手を手を乗せてのんびりする事すらも出来ていた。それまではラムネに乗られただけで傷が痛み大変だったのだが、今では全然違う。魔法薬とやらはこんなにも凄いのか。まほうの ちからって すげー!
とはいえまだ終わった訳では無い。効果が浸透し切るまでは下手に動き回るような事は出来ない。
痛みは無いから恐らく悪化する事も無いと思うのだが、何かで布がズレて魔法薬が光に晒されたり、布を通り越すような強い日光の下に行ってしまったりすると魔法薬は効力を失ってしまう。
………妖精は人に見られる事を嫌う。故に多くの妖精たちは森の中や海に近い場所に多く生息しており、そんな妖精たちの力を使った魔法薬は日光等に見られる事を嫌ってしまうのだという。
しかし子供は妖精を見る事が出来る。幼い子供は見えないものを見る力があるが、妖精はそれを理解しているからこそ、子供を遊び相手にしたがるのだとか。それは要するに、子供は人としてカウントされていないという事だろう。子供は宇宙人、子供は怪獣───子供は妖精、つまりそういう事なのかもしれない。
「……………………で、なんですけどね」
「どうしたね」
何故か分娩台の上で開脚させられている事はまだ良い。これしか無いんだろうなあって感じは伝わってくる。何でこれしか無いんだろうっていうのは分からないが。
「………………………めっちゃ撫でてきますね」
「気にする事は無い。私がオキシトシンの効能に負けたというだけの話さ」
「………何すかそれ」
分娩台の上で開脚しながら横になる僕の頭を、ペール博士はさっきからずっと撫で続けていた。悪い気はしないのだが………うん。悪い気はしない。むしろ良い。バブみを感じるという奴だろうか。
けれど少し前に魔王さんからお叱りを受けている上、ペール博士は基本的に探究心の鬼。本来であれば僕の治療だって後回しにして研究し続けたかったろうから、それが終わったなら後は湯気子にでも任せていれば良いだろうに。にも関わらずペール博士は何故か湯気子も呼ばず研究にも戻らず、僕の頭を撫で続けている。それが何でなのか分からなくて不安になってしまうのだ。
「どうせチェチェから色々と言われたんだろう? 私のモノだからどうとか」
「いえ、それは言われてません……。ただもうするなとは言われました。博士と初めてシた時、今回だけって言ったのはお前だからと」
怒られて怖かった記憶を嫌々思い出しながらそう言えば、ペール博士は「くハハっ」と咳をするかのように笑い出した。
「なあに気にする事は無い。後悔さえ無いのなら何も気にする事は無い。私とヤりたいと思ったならそう言えば良い。嫌だったら嫌と言う。それでも押し倒したならお叱りの一つ二つは受けて然るべきだが、私が良いと言ったのならそれは双方同意の和姦だろう?」
濁った目をしたペール博士が柔和に微笑みながら僕に言うが、こんなに穏やかに笑うペール博士は滅多に見れないような気がした。
「チェチェの言いなりになる事は無い。キミは誰かの言いなりになる必要は無い。私はキミとヤりたくなったらそう言う。キミはヤりたければヤリたいと言えば良いし、嫌なら嫌と言えば良い。仮に私に押し倒されたのなら、ぐすぐす泣きながらジズくんの所に行けば良い。彼女ならきっと溜息吐きつつ詫びぐらい入れてくれるだろう」
優しげに僕を撫でる博士の手が、僕の頭から離れて頬へと添えられ、親指で僕の目の下───僕のストレスの証を、眼下の隈を優しく撫でて行く。
何だこの人は。母性の塊みたいな人だな。やる事成す事いちいち理に適っていて、包容力に満ちていて、器のデカさに惚れそうになる。その割に時々お茶目するのだから、何だかやたらとリアルで困る。
「………ヤりたいです。今。ヤりたいです」
「そうか。私はヤりたくない」
「………話の流れ的にヤらせてくれる感じじゃないんですか」
「この後も予定が詰まっている。キミは存外優しく抱いてくれるが、一回シた程度では治まってくれないからね。正直面倒だ」
「そんなあ」
僕の目元を撫でていた指が離れていく。それに合わせてペール博士は僕に背中を向けて指をパチンと鳴らした。
すると医務室の奥にある扉から「はあい」と声がして、開いていない扉をまるですり抜けるように湯気子が医務室へとやってきた。
………湯気子は
そんな湯気子と入れ替わりになりながら、ペール博士は研究室の方へと向かっていく。
「帰って来たら頼むかもしれない。私を抱きたければ五体満足で帰ってくるんだね」
背中を向けひらひら手を振りながらそう言うペール博士は、しかしこの後僕の身に何が起こるかを理解していない。
そして同時に、この後自分の身に災難が降り掛かるなんて、この時の僕は気付いて居なかった。
「……………博士を、抱くですう……? ……どういう意味ですう? 自殺願望ですう? 窒息死と圧死ならどっちがお好みです? どっちも嫌なら溺死も出来るです。ちょっと大変だけど湯気子頑張ってあげるです。思うがまま望むまま、湯気子が全部叶えてあげますです」
そう、僕の真横には湯気子が居る。湯気子が、僕と博士の関係に気が付いた可能性がある。
それはとても不味いのではないだろうかと今気付いた。
ああとても不味い。五体満足で帰る以前に生きていられるかすら怪しい。場合によっては湯気子に殺されそうだが、ここをどう乗り切ったかはまたいつか語るとしよう。
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