3-2話【一方その頃ォッ!(妙に低い声)】



「…………いやヤらないよ。覚えたての若人わこうどでもあるまいし、何を好き好んでそう何度もハメ倒さないといけないんだい」

 睡眠不足により暗く濁り切った瞳を半目にしたペール・ローニーは、全裸のままで濡れた髪をタオルでわしわしと拭きながら呆れ果てた声色で嘆息する。そんなペール博士に僕は「そこを何とかァッ!」と拝み倒すように頼み込んだが、ペール博士はそれを無視して、まるで道路脇で交尾する野良猫を見てしまった時のような顔をしながら「昨日散々しただろう」と言って僕を見下ろした。

「いやだって風呂上がりのペール博士見てたらムラっときて………互いの気持ちはさておき、一度ヤッたんだし何かもう別に良いかなって」

 それに対して僕がそう言うと、ペール博士は叱責するように「一番大事な事をさておくな。自分が言っていた事すら忘れたかい」と言いながら僕に背を向けると、腰を曲げてベッドの上に乱雑に置かれていた衣服を手に取る。

 全裸で背中を向けながら腰を曲げれば僕の視界に何が入るかは想像に難くないはずだが、ペール博士は狙っているのか分からない様子でふりふりと僕に生尻を向ける。

 それが博士なりのお誘いというかオーケーサイン的な何かなのか判断しかねた僕が一か八かその尻を鷲掴みにしてみようと体を動かした瞬間、博士は「ふむ」と鼻を鳴らして僕に向き直った。

「服を買ってきてくれ。銭は渡す」

「え?」

 動かし始めていた体を動画の逆再生のように元に戻した僕が疑問を口にすると、博士はどこから取り出したのか分からない財布を僕に投げ渡す。弧を描いて僕に向かって投げられる財布をキャッチしようと手を動かすが、しかし即座にラムネが「ちょうっ」と叫んで財布を叩き落とした。

「その中の銭は好きに使ってくれて構わないから、さっさと服を買ってきてくれ」

 喋れるだけで他は殆どただの猫であるラムネが飛翔物に過剰反応するのにはもう慣れたが、ペール博士も大した事は思っていないのか床に落とされた財布には目もくれず、ベッドの端に腰を下ろして再び髪を拭き直す。

 腰を伸ばして落とされた財布を拾ってみれば、それは折り畳みタイプの財布でかなり重かった。財布自体が重いという訳では無く、中に大量の小銭が入っている故の重さだろう。

 何にせよマジックテープをベリベリするような財布ではなくて少し安心した。僕の事だからラムネと僕だけでの買い物にも関わらず、変に悪ノリして「会計は僕には任せろー!」とか言い出し店員さんを困らせてしまいかねない。

「いきなり何ですか。何で服なんか買うんです。服あるでしょそこに」

「風呂に入ると、それまで着ていた服の臭いが気になるだろう? 帰るまでのその場しのぎで構わないから、とにかく服を買ってきてくれたまえ。当然下着もだ」

「下……え、パンツも? 博士あんた僕に女性物の下着買わせに行かせるつもりですか」

 僕がそう言うと、博士は宙を見渡すように目線を彷徨わせながら「ふむ……」と小さく唸り「私の記憶が正しければ、」と思い出すように口を開いていく。

「何発ヤラれたかな。少なくとも二〜三回じゃなかった気がするが、キミは私の中に何回出したか思えているかい」

「………………記憶にございません」

「遅れ汁よろしく垂れてきた液体のせいで下着がだいぶ汚れているんだが、キミは今日一日中これを履き直せと?」

秘書ちんちんが勝手にやった事。僕は関与していない。僕は無実、無罪だ」

「その秘書ちんちんを私の股ぐらにねじ込んだのは所有者であるキミだろう、有罪だよ。御託は良いからさっさと買いに行きたまえ。サイズは適当で構わない。着れれば何でも良い」

「………適当で良いんですか? 僕マジでカップとか何とかよく分かってないんですけど。あでもトップが乳首を指すのは秒で覚えた。褒めてください」

「私にとって下着なんて乳首やク◯ト◯スが直で布地に触れないようにする為のものでしかない。擦れると痛い、擦れなければ痛くない。そういう話だ、女性用の下着が嫌ならアダルトショップでハート型のニプレスでも買ってくれば良い。理解出来たならさっさと行きたまえ、この私に風邪を引かせる気かい」

 恥も外聞も無いように凄い発言をしたペール博士に「はあ、まあ分かりました」と返事をして部屋を出ようとすれば、ペール博士は僕に向かって「ほら走る!」と声を荒げてせっついてくる。それに対して不平不満よりも先に「イェスマァムっ!」だなんて返事をしながら宿の玄関まで出た僕は、そこでようやく「いや待てマジで何で僕が」と自らのアホさ加減に気が付いた。

 …………というか昨日見た限りでは、別にノーパンで過ごした所で布地に擦れる程ペール博士のク◯ト◯スは大きくなかったように思えるが……それでも擦れるんだろうか。座った時とかにぎゅむって擦れるのかな。だとしたら女性は中々大変だ。


 とはいえ、である。

 自身の恩師が神隠し同然の怪死を遂げてから昨日の今日だというのに、ペール博士はもう既に今まで通りの調子を取り戻していた。昨日の博士だったらこんな傍若無人さは見せなかったろうから、少なくとも感情整理の為に博士と抱き合った事は間違いでは無かったのかもしれない。

 もしもあの時僕が博士を拒否していたらどうなっていたのか気になる所はあるが、もしもの話を考えた所で、空が落ちてくる事を恐れて家から出られなくなるだけで何の意味も無い。

「ラムネ、宿の匂い覚えといてくれるか?」

 宿の外観をざっと視界に入れた僕がそう言うと、ラムネは「んーい」と返事をして、ふひふひと鼻を鳴らす。本当は宿の名前が分かれば良いんだけれど、生憎とこの世界で使われている言語は僕にとって未知の文字。ヴォイニッチ手稿ばりに理解不能であり、文字一つすらその見た目を十秒後まで覚えていられない。

 ルーナティア語もサンスベロニア語も分からない僕が迷子にならないようにする為には、ラムネの嗅覚と、建造物の外観や周囲の景色を目で覚えるぐらいしか方法が無い。



「げぼくっ! あっち! あっちおさかな! おさかなある!」

 服屋に行けとは言われたものの、そも服屋がどこにあるかなんて僕は知りもしない訳で。道行く人々に聞こうにも揃いも揃って皆足早、ベースが陰キャである僕には声を掛ける隙が見付けられない。

 すると必然、僕はそれらしい場所を探してうろうろするしか無くなるのだが………うなると好奇心の塊みたいな空色の幽霊猫があれもこれもと目移りし始める。サンスベロニア帝国に来た時と同じようにラムネを肩車しながら通りを練り歩けば、おおよそ十秒毎に一回は「はいはい、後でね」だなんて事を言う羽目になる。子供連れで縁日に来た親子ってこんな感じなのかなーなんて思いながら、僕も周りをきょろきょろと見渡しながら通りを進んで行った。

 ルーナティア国の城下町を一人でうろついた事は何度かあったものの、ルーナティアとサンスベロニア帝国とでは色々な要素が異なる。ルーナティア国ほどでは無いが、トカゲのような種族の人や、チルティのような獣耳が生えている人もちらほら散見されるのだが、それよりも目を引くのは機械の存在。

 自動車とまでは言わずとも、店の隅っこにフォークリフトのような一人乗りの小型重機があったり、路面電車のような乗り物が通りを走っていたりと、その景色はゲームで見るような異世界そのもの。ルーナティア国も大概だったが、あっちは三国志や戦国時代の町並みを華やかにしたようなものが近かった。

 しかしサンスベロニア帝国はかなり近代的な感じで、大正中期から昭和初期の日本みたいな光景が広がっていて、もし永住するとしたら僕的にはこっちの方が住み慣れていて居心地が良いような気がした。

 そういった時代に、前述したような様々な異種族が少しだけ溶け込んでいるのがサンスベロニア帝国といった感じだった。独裁国家とは聞いていたが、どこぞの北の国に居る黒電話ヘアーやちょび髭連邦の統治する国のように国民が飢えに苦しんでいるような光景は見られない。むしろ行き交う人々は店の従業員や隣を歩く連れ合いと何かしら喋っている者ばかりであり、とても賑やかで繁栄している印象を受ける。

 昨日来た時もバカみたいにデカいトカゲ………ユキオオトカゲのにょろ吉くん(メス)が通りの約半分を占拠しながら堂々と歩いていても誰も騒ぐような事も無かったし、空色の猫が僕の周りを飛んでいたり、僕の両肩に足を乗せて「おにくある! おにく! ばかげぼくそっちじゃない! おにくあっち! あっちなのー! ばかー!」と文字通りぎゃーぎゃー騒いでいたりしても誰も見向きもしないのは、ここが確かに異世界であるという事の証明でもあった。

「お、あれじゃね」

 食べ物を扱っている店には何一つとして寄らなかったせいか、いつしか「おにく……おにくぅ……」としょんぼりした声で呻きながら僕の頭に顎を乗せるラムネをそのままぽふぽふと撫でて慰めていた頃、布々しい商品を店頭に並べた店が僕の視界に入ってきた。

 誘蛾灯に吸われる羽虫のようにふらふらと吸い寄せられれば、そこは目的の女性向けの洋服店だった。男性向けの衣服は全く無く女性向けの衣類が八割で、男女共に着こなせるようなデザインの服が一割、残る一割はウォレットチェーンやベルトのようなちょっとしたアクセサリーといった品揃えの店を前にした僕は、誰にともなく「ドンピシャァっ! この瞬間を待っていたんだーっ!」と叫んだ。しかし流石に周りの人から「何こいつ」みたいな目で見られたので、やはり人間ヒトはちょっと自重しながら生きていくのが幸せになる秘訣なのかもしれない。

 撫でる度にふわふわと毛が舞うような抜け毛お化けであるラムネ・ザ・スプーキーキャットを連れたままで布を扱うお店に入る訳には行かず、かといって僕に取り憑いている関係から犬のように店先でお座りさせて待っててもらう訳にも行かなかった僕が「す……すぃ、すいませぇん」と陰キャらしくキョドりながら店員さんを呼べば、中からシャレオツの権化のような風貌のお姉さんがくねくねした足取りで「はぁい!」と元気良く現れる。

 と、そこで僕は思い出す。


 僕は何を買いに来た?

 イエス、おパンティー。


 まかり間違っても「彼女に中出ししまくったら垂れた精液で下着汚れちゃって」とか言えるはずは無かったものの、とはいえもう既に店員さんを呼び出してしまっている関係上それっぽい嘘を考える時間が無かった僕は「ぁぇあっと、……その」と悩んだ末、

「えっと、上下一式、適当に見繕ってくれませんか。値段は常識的な範囲でなら好きにしてくれて構いません。あ、あの、僕センスとかそういうの、じ、自信無くて………」

「あら! でしたらお兄さんに似合うよう頑張ってコーディネートさせて頂きますね! クール系が似合いそうかな……いやお顔の隈が濃いから少しパンク寄りの方がガッとキマるかも……。……うぅんっ腕が鳴りますねえっ! 久々にワクワクしてますよ私っ!」

「あぃえ………。………えっと、」

 見ているとこっちまで楽しくなって来るような程にウキウキくねくねし始めた店員さんには申し訳無いが、僕は何とかして女性物の下着を手に入れないといけない。シャツとズボンに関しては僕向けでも良いんだけれど、それに加えておパンティとおブラジャーを是が非でもこの手に掴まねば僕がペール博士にネチネチと怒られる。トランクスだのボクサーだのならまだマシだろうが、ブリーフ片手に舞い戻った日にはもう想像すら付かない程にネチネチ言われるだろう。

 そう考えると僕の脳内で色々な何かが駆け巡る。どうすればブラジャーとパンティも一緒に買えるのかについて脳内細胞ニューロンが駆け回る。スローモーション再生のように周りの動きが遅くなるのに反して、思考は倍速再生かのように脳内を駆け巡る。怒りを感じた訳でも無いのに、ノルエピネフリンがドバドバ出ている気がする。

 ………何で日本の学校では『男性が女性用下着を買う時』に関する教育をしてくれなかったんだ。受験面接でのノックの仕方とか椅子に座る方向とか少しネットで調べれば出てくるだろうが。それよりネットで調べても簡単には出てこないような事を、義務教育中の子供に教えるべきだろうが。くそが、長所を潰してでも短所を減らす平均量産型カリキュラムめ。やはりジオ◯軍は全体的に高水準なゲル◯グじゃなくて格闘特化のギ◯ンを採用すべきだったんだよ。戦争で使用する量産機を現場の意見じゃなくコンペティション形式で決める余裕があるならグ◯にフィ◯ガーバルカンなんか付けずに脚部ミサイルポッドでも付けとけ。フィンガーバ◯カンのアホみたいな構造で何人の整備士がゲロを吐いたか計り知れんぞ。やはりガトリングシールドって凄えんだな。

 いや違う。ジークジ◯ンは関係無い。今はザ◯家の妄執なんてどうでも良い。

 

 考えろ、考えろ僕。思考をフル回転させろ。

 どうすれば警邏を呼ばれずに女性用下着が買える。

 えーと、えーと。うーんと、うーんと。

 ばなな。


「ぶらとぱんてぃーもおねがいします。ぼくのさいずにあったやつでおねいします。ぼくがきます。がらはしんぷるけいでおねがいします。しょうぶようじゃないふだんようでおねがいします」

「……………………………えぇ、っと……ぅけ、承りました……」



「…………………………」

 そんなこんなで目的の代物は手に入った。『無事に』と言って良いのかは果てしなく疑問だが、ご丁寧にも「な、慣れていないかもしれないので下着………ブラジャーとショーツは二種類ずつご用意させて頂きました」と気を掛けてくれた店員さんのお陰で、僕は二種類の下着と一セットの服が入った紙袋を提げて店から離れる事に成功した。恐らく店員さんは僕を女装デビューしようとしてる奴だと思い込んだのだろう、スポーツブラとホックブラに加えてノーマルショーツとストッキングのような不思議なパンツを手に入れる事が出来た。

「げぼくげんきないな。げぼくげんきか?」

 代わりに何か大事なものを失った気がする。いやあの店員さんとは恐らくもう二度と関わる事なんて無いだろうから何を思われた所で関係無いのかもしれないが………。

「………そういう事じゃ無いんだよぉ……」

「どういうことだ? げぼくおなかいたいか? おなかいたくてげんきないか?」

 紙袋を持ったのとは反対の手で肩に乗るラムネを撫でると、ふかふかとした柔らかい手触りが僕の指を滑っていく。

 ああ、全く。ラムネはかわいいなあ。

「ラムネ女の子になってよ。ペール博士に頼んでヒト型の女の子にしてもらってよ。そして僕に優しくキスをして、頭をひたすらなでなでしてくれ。柚子の香水を付けてくれると尚素晴らしい。当然ながら超低身長の壁乳で頼むよ」

「げぼくなにいってんだ? げぼくばかになっちゃったか? …………げぼくもとからばかだったな。げぼくばかになってないな、もとからばかだからな」

「ちくしょぉぉぉぉおお……」

 喋れるというだけで高い知能を持っているように勘違いしてしまいがちだが、ラムネは本当に喋れるだけで中身はその辺の子猫と全く変わらない。そのラムネから「元から馬鹿だった」とか言われれば、女装デビュー疑惑も合わさり心が折れそうになる。

 思い返せば僕とラムネはどんな時だって一緒だ。何らかの理由で一時的に憑依先が変わる事はあっても、それはあくまで一時的。僕に取り憑いている期間が長くなった弊害なのか他の人に取り憑くと自他共に落ち着きが無くなってしまうぐらい、僕とラムネは一緒に居る。

 食べ物以外には大した興味を示さないから忘れがちだが、昨日ペール博士と乳繰り合っている時も、いつだかジズの下着をくんかくんかしてボコボコにされた時も……何だったら自室で息を荒くして股間の隠し刀を研磨している時だってラムネは僕の近くに必ず居る。

 そんなラムネに元から馬鹿だったと言われてしまえば、………なるほど。僕はもう手遅れなのかもしれないな。

「…………まあ良いやや。さっさと帰ろ」

 膝を折って泣き出したい衝動に駆られる僕だったが、そんな事より早くこの紙袋の中身をペール博士に届けないと面倒臭い事になりかねない。

 あの人は口にしないだけで内心ではかなり根に持つタイプなのが最近分かった。「飲んであげる」って言ってたのに実際飲ませたら後々かなり文句を言い続けていたし。

「ラムネ、帰るよ。方向はどっち?」

「なんの?」

 そう問い掛ける僕に、嫌な答えを返すラムネ。数秒の間を置いて「いや宿に帰るからさ」と注釈を入れれば、ラムネは僕を見ながら「んい」と可愛く返事をして………僕を見ている。

「………ラムネ?」

「ん? どうしたげぼく、かえらないのか?」

「うん、帰るよ、帰る。帰りたい」

「んじゃはやくかえれ。おれねむい。あかるいのいや」

「うん、そうだね。……宿の方向はどっち? 匂い覚えといてって言ってたでしょ? 匂い嗅いでくれてたでしょ?」

「んあ?」

 喋れるというだけで高い知能を持っているように勘違いしてしまいがちだが、ラムネは本当に喋れるだけで中身はその辺の子猫と全く変わらない。

 そう………それを最も理解していなかったのは、誰あろう僕自身だったのかもしれない。

「この馬鹿猫ぉぉぉおおおっ!」

「んわぁーっ!? なにするげぼくばかんにゅぉわぁぁぁーっ!」

 シレッとしていたラムネの顔を両手で掴んでぐーにぐーにと揉み倒しながら頬のヒゲを軽く引っ張るが、ラムネの悲鳴が木霊するだけで状況は何も変わらない。むしろまだ服屋のすぐ前に居るので、場合によっては営業妨害になってしまいかねない。

 …………と、

「…………お兄さん、ちょっと良い?」

 僕がラムネとイチャついていると、背後から女性に呼び掛けられた。

「え? あ、すいませんすぐ退きます」

 営業妨害になってしまい店員さんに声を掛けられたのか、それとも女性用の下着を見繕ってくれと堂々と宣言した事でセクシャルハラスメントに抵触してしまったのかと思った僕がラムネの顔をおにぎりのように握るのをやめて振り返ると、そこにはさっきの店員さんでは無い見知らぬ女性が不機嫌そうな顔をしながら立っていた。

 ………店員さんに言われてバックヤードから出てきた偉い人とかだろうか。僕が慌てて「すんませんもう帰ります」とヘコヘコ頭を下げれば、その女性は不機嫌そうな顔を更に不機嫌そうに歪ませながら「帰らないで。ちょっと手伝って欲しい事があるの」と言って僕の腕を掴んだ。



「…………そこのお店のさ、パフェがあるんだけどさ」

 不機嫌そうに吊り上がった目元以外、どこをとっても橘光の下位互換みたいな感じの女性は、その吊り上がった目元の割に酷く冷徹というか、冷淡な声色をしていた。

 日本人っぽい顔立ちに反して日本人らしくない大きな胸元に目を惹かれるが、僕普段これの三倍近い大きさの胸を持った女から頻繁に好意的なボディタッチを受けているんだよなと考え至ると、自然と僕は大きな胸から興味を失い目線は別の部位に向かっていく。

 背はそこまで高くなく、どちらかと言えば低め。ぺよぺよと跳ね回った短めの髪は、癖っ毛なのかパーマなのか、それとも寝癖そのまま気にしない系スタイルなのか判断しかねる、文字通り癖のある髪。

 学生の可能性も感じられる声色は、女子高生ですとか言われたらテンション高いインコの如く高速で頷いてしまいそうな若々しい声質をしているが、感情が感じ取りにくい冷淡な喋り方をしている関係からどうにも年上に感じてしまう。女の人は年齢のあれやこれやにやたらとうるさいが、女性と女の子の間に居るぐらい感覚で居れば揉め事にはならないだろう。

「このお店のパフェを食べてみたいんだけどさ」

 直前におにぎりの刑を受けたラムネが器用にも宙を飛びながら顔の毛繕いをしつつ「このばかげぼく! ばか!」とネットゲームで少しだけ日本語を齧ったベトナム人のような罵り方をしてくるが僕はそれを華麗にスルー。そのまま何も言わずに女性に追従していけば、やがて視界に入るのはオシャレの極地みたいな外観をしたお店。生前からこの手のお店の事をカフェと呼ぶべきか喫茶店と呼ぶべきか、それともレジ前で豆挽きのコーヒーを売っている事からコーヒーショップと呼ぶべきなのか全く分からない僕が「はあ」と適当な相槌を打てば、女性は「凄い美味しいってニェーレさんに聞いてたんだけど、最近新メニューが出たらしくてさ」と誰かの名前を挙げる。

「折角だから新メニューのパフェ食べてみたいなって思ったんだけどさ、そのパフェがカップル限定なんだよね。そんな訳で、お兄さんの分も奢るからさ。ちょっと手伝ってよ」

「はあ」

 正直断りたいと思った。何せ僕は人を待たせている。それもネチネチと根に持ちかねない面倒なタイプの人が、文字通り全裸で待っている。……よくよく考えると凄えなそれ。

 とはいえ流石に白衣ぐらいは羽織っていると思うが、僕がモタモタしたせいで万が一風邪を引かれてはマジでクソダルい事になる事は明白だ。ペール博士本人に色々言われるのもそうなのだが、ペール博士の弟子だか部下だか何だかよく分からないあの湯気子から物凄い文句を言われる事が請け合いなのである。そうでなくとも何故か僕は湯気子から有り得ないぐらい見下されているので、そんな湯気子に噛み付く隙を与えるのは正直気乗りしない。

「奢りっていうのは一品だけ? 物凄い高いのとか頼んでも良い?」

 だが、どうにも僕は頼まれると断れないたちのようで。不機嫌そうな顔をした女性に向かって僕はそんな事を言っていた。

「二品とかでも良いよ。パフェとドリンクとか、そういうのでも良い。値段も気にしない。食べたいの頼んで。最悪ツケれるから」

 相変わらず不機嫌そうに目を吊り上げた女性が僕に向き直ってそう言うと、僕は「それなら手伝うよ」と返事をしながら店の方へと歩いていく。

 シャレオツの極点みたいな外観の店は想像通り店内の内装もお洒落で、生前も死後もそんなお店には入った事が無かった僕は踏み入った瞬間少しだけ気後れし、小声で「うわぁシャレオッティ武山敏夫だ」とか呟いてしまう。

「ア◯エ◯ティ? たけ───え誰?」

 僕の呟きを聞き取った女性が聞き覚えのある単語を口にするが、僕はそれに対して何も言わずに店内に入る。…………ア◯エ◯ティを知ってるって事は、もしかするともしかするかもしれない。武山敏夫は僕も知らない。誰?

 ………だがルーナティア人であり悪魔でもある癖に僕や光のネタに乗る事が出来るジズとかいう女の例もある。あいつは僕の中でユダ的ポジション、隠された十三人目の異世界人説が浮上しているが……まあ詮索はしないでおこう。この女性が勇者だったとして、今ここでそれが分かったとして、末路はどちらかの死しか無い訳だが今の僕はそのどちらも望んでいないのだから。

「ただいま混み合っておりまして、テラス席ならすぐにご案内出来ますが、どうなさいますか?」

 人口密度の高い喫茶店の中、忙しそうに小走りで歩み寄ってきた店員さんの言葉に、僕は何も言わずに後ろを見る。すると僕の後ろに居た女性が意思を汲んで「良いよ。そこのテーブルでしょ」と返事を返す。その言葉を聞いた僕が店員さんに向き直って「問題無いです」と返せば、店員さんは「かしこまりました、ではお好きなお席へどうぞ」と手振りで外の席を指し示す。

 案内されたテラス席という名の屋外テーブルに備え付けられた金属椅子に座ってメニュー表に目を通せば、世界的に写真でこそ無いものの丁寧に描かれたイラストと異国の言葉で名前が書かれた様々な飲食品が目に入る。色鉛筆で描かれでもしたのだろうか、淡く優しげなタッチのイラストはメニュー表を傾けた際の光の反射の仕方で、コピーアンドペーストでは無くメニューの表一つずつに手描きで描かれているものだという事が分かった。

「……………………」

 が、商品名が読めねえから何が何なのか本当にさっぱり分からない。海外旅行に行ったらこんな感じなのだろうか。大通りで競りのように商品を広げているような店に比べればイラストがある分まだマシな部類ではあるのだが、そんなもの「言語が分からない異国を経験した事無え奴の言い分だな」としか思えない程、何がどうなのかが分からない。何となくイラストで雰囲気は分かるのだが、分かるのは本当に雰囲気だけ。

 かといって目の前の女性に聞きでもすれば、下手をすれば荒事に発展しかねない。僕は隣国を攻め滅ぼす為の手段勇者に対抗した手段愚者の一枠。穏やかな空気に惑わされて忘れがちだが、サンスベロニア帝国とルーナティア国は本来敵対国であり現在進行形で戦争中なのだ。僕の知らない所でも色々と軍略が行われているらしいし、諜報活動だって盛んに行われているはず。

「…………にしては入国審査かなり雑だったけどな」

「ん? なに? 決まったの?」

 声に出ていた素朴な疑問に、これ以上迷ってられないかと思った僕は「決まった。そっちは?」と返せば、女性は素っ気無い口調で「わたしは最初から頼むの決まってるから」と返してきて、そういやそうか、なんて事を思ってしまった。

 手押しタイプのベルを少しだけ強めに叩いて店員さんを呼び、お互いに注文を行う。

「キングオブパフェと、ルイボスティー。ストローお願い」

「僕はこれ……そうそう、これ。あとルイボス。ストロー無しで」

 メニュー表に指を指して商品を示す。飲み物に関しては商品名が無いと何が何だか予測が付かないので、女性が頼んだものと同じものを頼んでおく。ルイボスティーは飲んだ事が無かったが、ティーって言ってるし紅茶の一種なのは間違いないだろうなら問題無いと思う。

 頼んだものを復唱し、問題無い事が分かった店員さんが小走りに店内に戻っていくと、さて始まるのは空虚な待ち時間。

 例えば目の前に居るのがジズとかだったら色々話を振れるし、光だったら向こうから勝手に話を振ってきてくれる。トリカトリだとしても「流石に椅子小さくない?」みたいな話を振れそうなものだし、仮にパルヴェルトだったとしても「何で野郎二人でこんなシャレオッティ新島幸雄な店に来なきゃいけないんだ」といった、男同士ならではの文句談義で会話が広がっていくが………今僕の目の前に居るのは見知らぬ女性。合コンだのナンパだのなんてした事無いまま死んだ僕に、空虚な待ち時間を賑やかせる話術なんてある訳が無かった。

「……………………」

 頬杖を付いて通りを眺める女性を、僕は腕組みしながら眺める。

 そういう絵画にありそうな、まさしく絵になる格好で通りを眺める女性。まるで眼鏡を忘れた眼鏡人のように不機嫌そうな表情は何一つ変わらないが、こうして眺めていると冷淡とか冷徹というよりクールという表現の方が適当なのではないかと思える。

「……………………………」

 切れ長の目元はどことなく冷めた視線で通りを眺め、薄めの唇はへの字に歪んで結ばれている。かなり大きめの胸は、もう少し頑張ればテーブルの上に乗せられそうな感じがするが、テーブルに乗せられるぐらいの巨乳になると日常生活でかなり不便だという話を聞いた事があるので、そこまでを求めるのはチチスキーのエゴになってしまうだろう。

「ラムネ、おいで」

 人間観察をする人間を観察する事に飽きた僕がその名を呼べば、ラムネ・ザ・スプーキーキャットは「んい」と返事をして僕の膝に乗ってくる。その反応を見るに、さっき僕が行った顔面むにむにこね回し、通称『おにぎりの刑』の苛立ちはどこかに飛んで行ってしまったようだ。

「んー………ぃ」

 膝に乗ったままだと結構揺れる為、お姫様抱っこのように横抱きしながら右の手で頭を撫でれば、ラムネは目を細めてご機嫌そうな声を上げる。サーベルタイガーの血を引くネコ科の生き物とは到底思えないその姿は、品種改良の結果野生を忘れてしまったイエネコの姿だった。

「………毛、凄い抜けるね」

 いつの間にか人間観察をやめた女性が、頬杖を付いたままで僕に向かって声を掛ける。それに「抜け毛に関しては見ないふりしてくれると助かる」と返事を返せば、女性は「パフェ食べてる時にやらなければわたしは服に付いても気にしないよ」と返す。

 …………そうか、普通は食べ物に猫の毛が入り込むとよろしくないのか。四六時中通り越して二十四時間ラムネと一緒に居るから忘れていた。

 ここまで連れ合っていると、もはや食事の中に猫の毛が入り込んでいた所で何も気にならない。流石にそのまま口にぶち込む事は今の所無いが、何も考えずに指で抓んで皿の縁にでもくっ付けて食事再開になるから、僕ももう良い感じに猫との生活に慣れてきたのかもしれない。

「…………お兄さん、猫好きなの?」

「別に好きでは無かったよ。けど少し前にこいつと出会って、最近では寝る時に猫の事を優先して寝るぐらいにはなった」

「猫の事を優先? どういう事?」

「こいつ、僕が寝ようとすると見計らったように僕より早く布団に寝っ転がるんだけどさ。その時必ず僕の枕を半分以上陣取るんだよ」

「……それで?」

「うん。最初の頃は「退いて退いて」ってっつって容赦無く別の所に退かしてたんだけど、最近じゃあ「もうちょっと詰めて」って言いながら、丸くなったこいつの背中に僕の頭押し付けて一緒に寝るようになった。猫が寝やすい体勢を邪魔しないように、僕が寝辛い体勢でも我慢するようになった」

 僕の枕を陣取るラムネに向けてぐいぐいと頭を押し付けて位置を奪い合うと、その内お互いが納得出来る程度のポジションに落ち着く。やがてお互いの呼吸音だけが耳に入るようになるかと思えば、幽霊猫であるにも関わらず背中越しにラムネのお腹の中の音が聞こえてくるようになるのだ。心臓の音こそ全く聞こえないが、きゅるるるという空気が動く音や、何の音なのか想像すら出来ないぷち…ぷち…という謎の破裂音が延々と聞こえてくる。調子が良いとブ……ブス……プスス……という可愛いイビキが聞こえてくるぐらいだ。

「こいつの体に耳を押し当てながら寝る事になるからさ。意識が飛ぶまで延々と内臓が動く音が聞こえてくるんだよ」

「え、うるさくないの?」

「結構うるさいんだけどね、不思議と凄い落ち着くんだ」

 通常人間ヒトの平熱は三十六度前後とされる。対して猫の平熱は三十七度前後。幽霊だし喋れるし法度ルールも使えるが他はただの猫であるラムネの背中に頭を押し付けるようにして寝ていれば、五分も経つ頃には何故かしっかり体温のある幽霊猫から伝わって来たその熱が、片側の耳だけホッカホカにしてくれる。気候にも寄るが、ほんの少し肌寒いような日は前述の音も相まって脳髄がとろけるような感覚に陥ってしまう。

「喉鳴らしてる時の方がよっぽどうるさいよ。あれ脳にかなり響く」

 猫にとってのご機嫌の証であるゴロゴロ音は、吸う時に高い音でゴルルル……音がして、吐く時にブルルル……と低い音がする。猫博士であるジズが言うには「どういう仕組みで喉が鳴ってるのか未だに分かってないらしいわよォ」との事らしい。

 そんな猫のゴロゴロ音は、撫でている時であれば猫のご機嫌に合わせてこっちも機嫌が良くなる音なのだが、何せそれは重低音。耳を押し付けている時に鳴らされると正直寝れたもんじゃない。

 だがラムネのご機嫌度も良く分からないもので、寝ているだけで喉を鳴らす時もあればなんにも鳴らさないでプスプスと寝息を立てながら寝始める事もある。そんなラムネを枕から落とさないように、でも自分の頭も何とか乗るようにポジ取りしていれば、自然と僕の首は変な方向に曲がった状態で眠りに落ちる事だってあり、首を寝違えた痛みで目を覚ますような事だってある。

 そんな日々が、ここ最近では増えてきたような気がするのだ。

「へえ。お兄さん、いい感じにお猫様の下僕キマってきてんじゃん」

「…………君も皆と同じ事言うね」

 嘆息混じりに僕がそう言うと、女性は「お兄さんの知り合いも?」と小首を傾げる。仕草自体は可愛いものだが、何せ眉間がシワシワで不機嫌そうな表情なので、どことなくジズに「あァ?」とメンチを切られた時を思い出す。

 余談だがジズにメンチを切られたければ胸の話題を振ると良い、即座に反応して食い気味にメンチを切ってくれる。機嫌が悪いと「良く聞こえなかったわァ」とか言いながら胸倉を掴んできて、特徴的な三叉の尻尾で有無を言わさずボコボコと殴ってくるが。

「僕の友人たちもさ、揃って『げぼく』が板に付いてきてるじゃんって言うんだよね」

 ジズや光だけでなく、トリカトリやパルヴェルトすらそんなような事を言ってくるのだから、もう本格的に僕は猫の奴隷になってしまったのかもしれない。

 そんなつもりは全く無いのだけれど、それでも話している間ずっとラムネを撫で続けている辺り、認めざるを得ないのだろう。

「……ね、わたしも撫でたい。だめ?」

 隣の芝では無いが、猫を撫でている人を見ると自分も猫を撫でたくなるものなのだろう。変わらず不機嫌そうな顔ではあったが、躊躇うような雰囲気を孕んだ声で女性が聞いてくる。

「良いと思うよ。ちょっと待っててね」

「あ、そのままで良いよ。起こすの悪いでしょ」

 椅子から腰を上げて僕の真横まで来た女性が、寄りにも寄って僕を追い越すように横から体を伸ばしてラムネの頭を撫でようとするが、その手はまるで宙を掻くようにラムネを素通りしてしまう。そしてそれに合わせて僕の鼻腔を甘ったるい、それこそパフェのような香りが突き抜けていく。

 自身の体を通り抜ける女性の手にラムネが「んぁ?」と反応し、僕の視線の端にある女性のおっぱいに股間が「……呼んだ?」と反応する。………女性の手はラムネを突き抜けてって、ラムネの体の下にはお前ちんちんが居るんだ。お前が起き上がったら先っちょ擦れちゃうじゃないか大人しくしてろ。

「…………触れない。……魔法生物ってやつ?」

 戸惑ったような声色のパフェおっぱい……じゃなくて女性に向かって極めて冷静を装った僕が「違うよ」と返せば、女性は腰を戻して不思議そうな顔でラムネを見る。

「ラムネは死んでるんだ。一度死んで、幽霊として今ここに居る」

「……………死んでるの……?」

 恐怖は孕んでいない。その声に孕まれているのは、恐怖というよりは純粋な疑問。それにラムネが「おれしんだ? しぬしたらおいしい?」と僕を見る。

「基本的にラムネは誰も触れないし、ラムネが意識すれば壁とかもすり抜けれる。本人は壁抜けするの気持ち悪いって嫌がるけど」

「……お兄さんが触れてるのは何で? お兄さんも死んでるの?」

「ううん。僕はラムネに取り憑かれてるんだ。だから僕はラムネと触れ合えるんだって、詳しい人が言ってた」

「へえ……」

 僕以外の誰かがラムネに触る為には、ラムネが取り憑き先を変更する必要がある。僕から離れて別の人に憑依する。そこで初めて第三者はラムネに触れる事が出来るようになり、僕はラムネに触れなくなる。

 もしくはラムネに法度ルールを適応して貰えば誰でもラムネに触れる事が出来るようになる。

 ラムネの法度ルールは、簡単に言うなら生者を対象にしたパワードレイン。一定範囲内に居る他者から割合で強制的に生きようとする力を奪う。

 エナジードレインやライフドレインとごっちゃになりがちだが、魔力的なものは何一つ吸い取っておらず、飽くまで奪うのは生きる為に必要な基礎体力。それを奪われる事で、ラムネの法度の範囲内に居る者は立っている事すら億劫になる程の強い虚脱感に襲われ、それに伴って武器を握る手の力すらも奪う関係から僕はラムネの法度ルールをパワードレインだとしている。

 そんなラムネの法度ルールだが、適応後のラムネは実体を持つようになる。これに関する理屈は結局良く分かっていないが、ペール博士とラムネの法度ルールに対して検証を行った際には、恐らくラムネは生きる者から生きようとする力を奪った事で、生きていられるようになるのではという説が浮かび上がった。通常のスプーキーほんのり怖いとは違い便宜上スケアリーマジ怖い化と呼んでいる化猫状態のラムネは、僕らのような第三者から法度ルールで力を奪わないと成り得ないのだから、要するにラムネは誰かから力を奪わないと生きる事が出来ない訳だ。

 そして複数回の重ね掛けが出来るというチートレベルなその法度ルールは、適応する度に理性が希薄化しどんどん凶暴になっていく。

 それはきっと、適応すればする程、他者から生きようとする力を奪えば奪う程、ラムネが生きる事に必死になるという事なのかもしれない。死んだ猫であるラムネは、生きる為に誰かから生きる力を奪い、生きる為に生きる事だけ考えるようになっていくのだろうと、ペール博士は結論付けた。だからこそ重ね掛けした際に理性が希薄化していく。

 野生環境であれば、人が持つような理性だの情だのなんてものは生き残る上では必要無いのだ。それは死の恐怖を味わった人間ヒトが幼児対抗する事と理屈は同じ。ただ生きるだけの事には使わない記憶要らないものを捨てて生き残る事に全てのリソースを割けるようにしているのと、理屈的には同じなのだろう。

「ラムネ、この人に憑いてあげて。ラムネの事なでなでしたいんだって」

 僕がそう言うと、ラムネは「んお? おれのげぼくなるか?」と言い、横抱きされたままで腰をくっと曲げて取り憑き先を変更する。

 すると女性は眉間に深い皺を寄せて「ん……何か……」と小さく呻く。反して僕は酷く体が軽くなったような、肩の荷が下りたような感覚になる。

 いや、むしろこれが元の状態なのだろう。腐ってもラムネは幽霊、亡霊、亡者の類。そんなオカルトに取り憑かれているという事は、言ってしまえば呪われているのと何も変わらない。だからそれから解放された僕は体が軽くなり、ラムネに取り憑かれた女性は恐らく肩が凝ったような体の重さを感じている事だろう。

「おら、なでろ。げぼくにごう」

 僕に横抱きされたままのラムネが腹筋でもするかのように腰を腰を曲げながら頭を寄せていく。下僕二号はジズじゃなかったっけなと思いつつそれを眺めていれば、女性はラムネを撫でずに、まずその鼻先に指を近付けた。

 ………へえ、分かってんじゃん。この人も動物好きなのかな。

 頭を下げていたにも関わらず鼻先に指を寄せられたラムネは、頭を上げてその指をふすふすと嗅ぐ。やがて嗅ぎ終えて満足したラムネは、その指に自らぐいぐいと頭だの顔だのを押し付け始めた。そこでようやく、女性はラムネの頭を撫でる。

 ………猫に限った話ではなく犬でも良くある事らしいが、猫博士ことジズにゃん博士が言うには犬や猫は基本的に人間の手を怖がるのだという。自分の顔をより大きい人の手が上から迫ってくるのを、犬や猫はかなり怖がるのだそうで。何年も一緒に過ごして慣れ切っている家族であればまだしも、慣れていない相手だと恐怖から自衛の為に噛み付いたり引っ掻いたりする事もあるのだとか。

 だから慣れていない内………初めて触れる場合は、まずは下側から手を差し出し匂いを嗅がせるのが良い。自分より物理的に下の立場であるその手に敵意が無く、危険な匂いがしない事を犬猫自身に理解させて、それが終わってから撫でるのが一番良いのだとジズにゃん博士は言っていた。余談だがジズは猫だけでなく様々な生物………魚にすらかなり詳しい。

「ここか? ここだな? ここだろ」

「んーぅ………ぃぃぃ」

 眉間に皺を寄せながらも口元だけ柔和に微笑み、まるでおちょくるかのようにラムネを撫でる女性は、爆速でラムネの弱点を見抜いてそこを撫でていく。

 猫によって異なるが、ラムネは耳の付け根のちょっと薄い生え際みたいな部分と、肩と首の間らへんと、顎の先。その三点を繋いだデルタゾーンの辺りをわっしわっしと掻かれるのがお好みなのだが、女性は一撫でか二撫でぐらいでそれを見抜き、くたくたにふにゃけていくラムネを楽しんでいる。

「ほれほれ、ふふふ」

「くぬやろっ、くぬやろっ」

 かと思えばラムネの腹をちょいちょいとつつくように撫で、ラムネの反抗心を誘う。生物的な弱点である腹部をつつかれたラムネが防衛の為に高速腹筋でもしているみたいに体を曲げながら女性の手を猫パンチで追い掛ける。


 と、そこでふと気が付いた。

 ラムネは今この女性に取り憑いているはずだ。だから女性はラムネに触れるのだ。

 けれどラムネが居るのは僕の膝の上。お姫様抱っこのようにお腹を上に向けて抱かれている。ラムネが僕から憑依先を替えたのなら、僕はラムネに触れないはず。にも関わらず僕の膝にはラムネが動く感覚がする。……錯視みたいなもんか? 脳が勘違いしてるとかか?

 そう思った僕がラムネの頭に手を伸ばすと、お腹を突いてくる女性の手と戦っていたラムネが鬱陶しげに僕の手を避けようとする。

 その際、僕の指には触り慣れた柔らかな手触りが感じられた。


 ……………何で僕も触れるんだ?


 違和感を感じる。目の前で起こっている微笑ましい光景に反した、言い様の無い吐き気のような違和感。憑依されている人しか触れないはずのラムネに、憑依されていない今の僕が触れている。

 ラムネが僕を認めてくれた? 長い付き合いの結果、ラムネが僕に心を許してくれた?

 それだったらよっぽど良い。素敵な話じゃないか。猫の下僕が極まっている証だ。


 ではそうじゃなかったら? その逆だったら?

 生者の体がラムネ死者の体を認め始めているとしたら?

 それは、………それは一体どういう結果を生み出すのか。


 浮かんでくる嫌な考えをかぶりを振って追い払う。

 そんな事は無い。だって僕は生きている。

 生きている。生きているはずだ。

 死んだはずの僕は、この世界でしっかりと生きているはずなんだ。


 …………帰ったらペール博士に相談してみよう。何だか少し嫌な予感がする。

 そんなことを考えていると、ラムネが僕の方を見て「んお?」と声を出す。

「げぼくもなでられたいか? あたまふってた。げぼくもなでなでされたいっていってるな」

「「は?」」

 唐突なラムネのその発言に、僕と女性は声を揃えてしまった。そして互いに見詰め合うが、直前までネガティブな思考に頭を支配されていた僕は、まさしく泡を食ったかのように何を言っていいかよく分からなくなり、

「………………どうぞ」

 撫でやすいよう女性に向けて頭を下げた。思い返せば今の僕はカップルのふりをしている訳で、キスやセックスとまでは行かずともこれぐらいの役得はあっても良いだろう。

「…………………」

 やがて躊躇うようにおずおずと頭に指が触れ、それが優しく撫で回すように僕の髪を解していく。いつだかジズに頭を撫でて貰った時もそうだが、どうやら僕は誰かに頭を撫でられるのが好きなようだ。

 だが、

「「何だこれ」」

 二人して声を合わせ、素直な疑問を口にする。撫でられたままで様子を伺うように顔を上げれば、不機嫌そうに吊り上がった女性の目元は照れているのか朱に染まっており、への字に曲げられていた口元は歯を食い縛るかのように鋭角に曲がっていた。

 そこにタイミングを見合わせたかのように「すいません……」と誰かから声を掛けられ、僕と女性は二人して「「パァオッ!」」と奇声を上げて飛び上がる。

「あの、ご注文のお品が……」

「「あ、どうも……」」

「………」

「………」

「「ハモんなっ!」」

 僕と女性が夫婦漫才でもしているように見えたのだろうか、店員さんが穏やかに「ふふふ」と笑うと、僕と女性は二人揃って「「くっ」」と呻く。それを見やりながら「ご注文のキングオブパフェと宇治金時パフェに、ルイボスティーがストロー有り無しのお一つずつで宜しかったでしょうか」とテーブルにそれらを並べていく。そこで僕は自分が頼んだものが何なのかを思い出したが、正直今更どうでも良い。

 僕が「問題無いです。ありがとうございます」と店員さんに返事を返すと、店員さんはにこにこと笑いながらそそくさと店内に戻っていく。

 そして訪れる静寂。女性は何も言わずに椅子へと座り直し、それに合わせてラムネが憑依先を変更したのか僕の肩が重くなる。だがこの気怠さが本当にラムネの憑依由来のものなのか、それともこの気まずさからなのかは判別出来なかった。

 そんな肩の重さに耐え兼ねた僕がお茶濁し感覚でルイボスティーを口にすれば…………何だこれ。なん……いや、……何だこれ。本当に飲んで大丈夫なのか? 凄い独特な、こう、何というか。その、鼻の奥をぶち抜いて脳髄まで突き抜けていくような不思議な香りが口いっぱいに広がる。

 椅子に座り直した女性に負けないレベルで眉間をシワシワにした僕を見たのか、女性は「どうしたの? 何か変なの入ってた?」と僕を心配してくれる。

「……いや…………ルイボス初めて飲んだんだけど……これ凄いな。ルートビア飲むサ◯ンパス飲んだ時みたいな感じがする」

 眉間だけでなく顔全体をシワシワにした僕がそう答えると、女性は特徴的なその眉間の皺を少しだけ緩めながら「あははっ、なるほど」と元気に笑った。

 そして小首を傾げながら「お兄さん花粉症は持ってる?」と唐突に的外れな事を聞いてくる。

「花粉症? ……いや、持ってないけど、それがどうしたの?」

「なら無理して飲む必要は無いかもね」

「………花粉症だったら無理してでも飲む必要があるのか?」

 僕がそう聞くと、女性は「割とあるかもしれない」と予想外な答えを返す。

「ルイボスティーは花粉症に効くんだよ。飲み始めて一ヶ月とかそんな程度じゃ効果は出ないんだけど、半年越えて年単位で常飲し続けてると目に見えて花粉症が和らいでる感じがしてくるの」

「…………効能・効果には個人差が?」

 茶化すようにそんな事を言えば、女性は鈴が鳴るように笑いながら「そりゃありますよ」と、同じく茶化すように答えてくれた。

「わたし花粉症なんだけど、ルイボスティー飲み始めてから全然変わったよ。花粉の季節ど真ん中! って時期には流石にぐしゅぐしゅするけど、飲む前に比べて花粉症の始まりが遅くなって、終わりが早くなったような気がするんだ」

「……へえ」

 それを聞いた僕は素直に感嘆する。これは良い事を聞いたな、どこかで誰かに披露する雑学のネタが一つ増えた。

 僕が「そりゃ凄いな」と驚くと、女性は口元だけでにこやかに笑ってから「じゃあそろそろ食べよ。アイスの部分とか溶けちゃう」と、小さなスプーンを手に取って小さく「いただきます」と呟き。そのスプーンのサイズに何も似合っていないアホみたく巨大なキングオブパフェとやらを食べ始めた。

「…………………………………」

 そう、食べ始めた。もりもりと。それまでの穏やかな空気とは似ても似つかない、見てて気持ちの良くなるレベルの食べっぷりでパフェの王様を、がっふがっふと貪るように食い始めた。

 ………パフェのサイズに驚きもしなかった事もあり、僕の中でこの女性に対して『大食いキャラ(疑惑)』というレッテルが貼られた。

 それを見て、僕も同じように「いただきます」と呟いてから宇治金時パフェを食べ始める。

「……ラムネも食べる?」

 大量の湯で小豆が乗ったパフェに顔を近付けながらふひふひと鼻を鳴らすラムネに僕がそう聞けば、パフェの王様ことキングオブパフェとやらをもりもりと食っていた女性が「猫にあげていいの?」と聞いてくる。

「普通の猫にはあげちゃ駄目だよ。必要カロリーとか一日の摂取量を大幅に超過しちゃうから。でもラムネにはあげても良い、ラムネは死んでるから栄養バランスとか関係無い」

 それ所か、むしろ人間ヒト用の食べ物であってもなるべくラムネに食べさせてあげないといけない。いやいけないとまでは行かないかもしれないのだが、ラムネにも分け与えてあげた方が色々と都合が良い。変に喋れる関係上、僕だけが食べ物を食べているとラムネは横で不貞腐れてしまいがちなのだ。

 そして何よりも、これはラムネの死因に関係する事っぽいのだが………ラムネはどれだけ食べてもお腹が膨れない。法度ルールを適応させてスケアリー化している間はそうでも無いようだが、通常のスプーキーキャットである時のラムネは常にお腹を空かせている。これはラムネが食べ物に執着する性格とは別枠で、ラムネの死因が餓死である事が要因らしい。………どれだけ食べても満たされる事が無く、スプーキーキャット状態のラムネには満腹中枢という概念が存在しないのだ。

 だからどれだけ分け与えた所で大した意味は無いのだが、それでもそんな悲しい咎を背負った空色の猫を前にしながら文字通り私腹を肥やす事なんて僕に出来る訳が無かった。

 指で掬った宇治金時の一部をラムネの前に差し出せば、ラムネは凄い神妙な顔をしながら無言でちゃむちゃむと指ごとそれを舐め始める。その裏で、反対の手を使って僕自身もパフェを食べ出す。

 僕が頼んだ宇治金時パフェとやらの量はそこまで多くなくどちらかと言えば割と少なめなのだが、僕のパフェの向こうにあるパフェの王様ことキングオブパフェは器だけでもラムネより大きい。

 それをもりもりと食べる女性は、しかし甘味を楽しんでいるとは思えない不機嫌そうな表情から何一つ変わらない。

「そっちのパフェ、美味しい?」

「超美味いよ。一口食べる?」

「ちょっと欲しい。あー、──────あ」

 ジズや光とするように何の気無く口を開けて待機してから、僕は本気で後悔した。無言で硬直する女性は、馬鹿みたいに口を開けて待機する僕を見て眉間の皺を更に深くさせ…………やがてゆっくりと自身のスプーンを使ってパフェを掬い、僕の口に入れてくれた。

 それをもむもむと咀嚼して飲み込んだ僕は、

「…………何も味分かんねえ」

 調子に乗った気がして、その気まずさと緊張感に味覚が飛んだようで。口に含んだパフェは本当に何の味もしなかった。或いは直前に砂糖漬け同然の宇治金時を口にしていたから、舌の甘味を感じる部分が麻痺していたのかもしれない。

「…………………………」

 僕が口に含んだスプーンをしげしげと眺めていた女性は、やがて意を決したようにそのスプーンを口に含む。パフェも掬わず、ただスプーンだけを口に入れた。


「甘ったるいわねぇ、何であんたら死後に青春してんのよ」


 そんな初心な仕草を見せ付けられどことなくドギマギとしている僕の背後から、どこかで聞いたようなオネエ口調の男の声が聞こえる。口調こそ女性だが、声質は完全に男性なそのオネエは僕の肩に腕を乗せて体重を掛けてきた。

「……………ふむ、美味そうだな」

 と思えばその後ろからもう一人現れる。その人は凛とした気高い顔付きのまま、無言で僕のパフェを睨み付けて動かない。それを見たオネエが僕の肩越しに手を伸ばして来たかと思うと、僕が持っていたスプーンをスッと軽やかに奪い取って宇治金時パフェを掬い、そのまま僕の顔の前に腕を通すようにして凛とした気高い女性の口元に持っていく。凛とした女性は無言のまま、餌を見付けた魚の如く素早くそれを口に含み、もむもむと咀嚼しながらオネエ口調の男からスプーンを奪い取り、僕には目もくれず宇治金時パフェを勝手にもりもりと食べ始めた。

「────あんたらは」

 振り返って確認すれば、その人はいつだか敵対した垂れ目のオネエと女騎士。名前は知らないが、あの時は世話になった勇者の二人だった。

「ウィリーさんじゃん。探してたんだけど、どこに居たの?」

 馬鹿みたいにデカいパフェの王様から顔を覗かせるようにして、僕の向こうから女性が名前を口にする。その言葉に垂れ目のオネエが「折角異世界来たんだしって思って、意識トぶまで首絞めセックスしてもいいプーソー探して朝から出回ってたの。でも結局無くてマジでショックだわ」と返すと、女性は何も聞かなかった事にしたのか「ふうん」と鼻を鳴らしてすぐにパフェの王様をもりもりと食べ直した。

「で、………あんた確か愚者の子でしょ? 何で敵対国でシレッとパフェ食ってんのよ」

 もりもりとパフェを食い続ける女性二人を他所に、ウィリーと呼ばれたオネエが僕にそう問い掛ける。何かもう面倒になってきたので椅子から立ち上がり、凛とした気高い顔で口の周りにクリームを付けている女性に向かって「椅子どうぞ」と譲れば、女性は「うむ、かたじけない」と答えて椅子に座る。スカートアーマーが邪魔にならないのかと思っていたが、アーマーとアーマーの合間に布が織り込んであるようで、広げたスカートアーマーを器用にズラして椅子に座り、本腰入れて宇治金時パフェを食べ始めた。

「ちょっとした野暮用で来てるだけだよ、今日の夕方にはもう帰る」

 僕がそう答えると、オネエの人はポケットから四角いケースのようなものを取り出し、そこから煙草とマッチを取り出す。それを咥えて火を点け、マッチを振って火を消す。消えたマッチを再びケースの中に仕舞ってから、オネエの人は「そう」と小さく返事をした。

 オネエの人が深く息を吸うと、煙草の先端がオレンジ色の輝きを強めてジジジと燃える。そして吸い込んだ紫煙を吐き出したオネエは、僕を流し見ながら「リナちゃん殺すのが野暮用?」と聞いてくる。

 オネエの人が口にしたリナという名前には聞き覚えがあったが、あるのは聞き覚えだけ。死に際にめちゃくちゃちんちん握られた記憶はあるが、交流と言えるような交流はそれだけだった僕は「……誰?」とだけ返す。

 しかしその際の、一瞬の間や目の動きを読み取られたのか、オネエの人は「あらもうったのね。手が早いこと」と煙草を吸いながら目線を逸した。

「メルヴィナ先生を殺ったのもあなた?」

「それは逆」

「逆?」

「メルヴィナさんの元弟子に連れられてメルヴィナさんに会いに来た。そしたら次の日に…………あー名前忘れた、あのイケメンが殺されて、メルヴィナさんが失踪した。それを調べてる内に、加害者として一人の少女が浮上した。……浮上とは言ったけど、証拠的には逃げられないレベルでクロだったしん」

「んで殺したって訳?」

「僕はどうでも良かったけど、元弟子の人が少女を許さなかった。僕はそれらを天秤に掛けて、元弟子の側に付いた。それだけ」

「そう」

 そこまで語ると、オネエの人は灰色の煙を吐き出して黙り込む。それに向かって「殺り返す?」と聞いてみれば、オネエの人は目線だけ僕に向けて「しないわよ、面倒めんど臭い」と無感情な返事をする。

「あの娘の生き方見てりゃあ、その内どっかでキ◯ガイにレ◯プでもされて殺されるんじゃないかとは思ってたし。明日犯され倒してガバマンにされて死ぬか、今日別の理由で死ぬかってだけでしょ」

「……てっきり報復でもされるのかと思ったけどな。殺人を横で見て止めなかった僕も殺人者な訳だし、問い掛けられた時はケツ穴の心配をしたんだけど」

 そう言う僕に、オネエの人は「はっ」と鼻で笑う。

「あの娘と深い関わりがあったならまた違ってたかもしれないけど、あの娘マジで金になる男としか関わらないような娘だったからね」

「まあ……うん、そんな感じはした。ほんの少ししか会話なんてしなかったけど、落ちる所まで落ちてるなって感じの落ち方をしているように見えたな」

「あれが『大成して死んだ者』として勇者になってんだから、全く度し難い話よ。仮にあんたらに殺されなかったとしても、あの娘はもう水売りでしか生きてけないわよ。汗水垂らして月十〜二十万稼ぐより、マン汁垂らして一日五〜六万稼いでる方が絶対楽だもの」

「………何で僕に殺したかどうか聞いたんだ?」

 会話の腰を折って僕がそう問い掛けると、オネエの人は「んー?」と唸って僕を見る。

「大して仲が良かった訳でも無い奴が死んだとして、じゃあ何で「お前が殺ったのか」って聞いたんだ? 興味無い人間を誰がどう殺したって、そんなのどうでも良い話じゃないのか」

「まあね」

 気付けば半分ぐらいまで短くなった煙草を吸いながらそう言うオネエの人は皮肉めいた声色で「テレビのニュースと同じよね」と続ける。

「画面の向こうで誰が何人死んだ所で、悲しいのはその時から三十分だけ。それを過ぎたら悲しさなんかビタイチ無いし、何ならニュースを見た事すら忘れてるわ」

「じゃあ何で聞いたんだよ」

「ちょっとね。………最近サンスベロニアで小さい子が行方不明になる事例が多発してるらしいのよ。んで、……何つったかしら。ルーナティア? と関わりがあるあんたに一応聞いてみただけよ。もしあんたの国がハーメルンの笛吹きしてるんなら、あんたも何かしら情報持ってるかもしれないしさ」

「ふうん」

「まあ大体アテは付いてんだけどね。予測が外れてるとカッコ悪いじゃない? だから念の為に声掛けしただけよ」

「……てっきり仲間殺しの報復としてケツ穴掘られるのかと思ってたんだが、そうじゃないみたいで安心したよ」

 僕がそう返すと、オネエの人は「ッハハハ、そりゃ無いわね」と大きく笑った。


「あたし筋金入りのネクロフィリア死体性愛者だから生きてると勃たないのよ。ヤるとしても殺した後だから安心なさい」


「安心出来る要素ねーよ。死後ぐらい安らかに過ごさせてくれ」

 唐突なカミングアウトに対する僕の返答に、垂れ目を更に垂れさせながら「あら何それ、愚者ジョーク?」と笑うオネエの人は、気付けば根本近くまで短くなっていた煙草をケースの中に放り込み、そのままぱたんとケースを閉じる。

 愚者ジョークという言葉が良く分からなかった僕だったが、数秒もすると言われてみればそうだったなと思い至る。時々忘れてしまう事だが、僕も、そしてこのオネエの人だって一度どこかで死んでいるのだ。

「……………」

 不機嫌そうな表情でキングオブパフェをもりもり食い続ける女性と、凛と研ぎ澄まされた雰囲気に反して口の周りを小豆やらクリームやら何やらで汚しながら宇治金時パフェを食べ続けるスカートアーマーの女性にちらりと目をやる。この人達も、きっと何かしらの理由を以て既に死んでいるんだろう。

「ちょっとニカちゃん、あんたもう少し落ち着いて食いなさいよ」

 オネエの人がそう言いながらハンカチを取り出し、不機嫌そうにキングオブパフェを食らい続ける不機嫌そうな表情の女性の口元を拭う。ニカと呼ばれたその女性は「んむ」と呻きながらも素直に口元を拭いても貰い、そして再びキングオブパフェに戻っていく。パフェの王様の量は既に半分を切り始めていた。

「んっ!」

 と、それを見たスカートアーマーの女性がオネエの人に向かって強く唸った。それを見たオネエの人は口を半開きにしながら呆れた様子で黙っているが、スカートアーマーの女性はその反応に納得が行っていないのか口をつぐんだままで「んっ!」と呻き続ける。

「……は? まさか拭けっていうの? そのやべー口元を?」

「んっ」

 横一文字に口を引き結んだままで頷く。スカートアーマーの女性はそうだとでも言っているかのような声色で呻き、くっと顎を前に出すようにして口元を差し出す。

「冗談よしてよアンリエッタ。ハンカチで口元拭うっていうより、ハンカチをパフェに押し付けるって言った方が良いレベルじゃない。あたしのハンカチ駄目にする気?」

「んん……」

 オネエの人が辛辣にそう言うと、アンリエッタと呼ばれたスカートアーマーの女性はしょんぼりとうな垂れる。かと思えば、はっと思い出しかのように僕の方を向き、再び「んっ!」と呻く。

 見ようによってはキスでもねだっているような格好だが、生憎と僕は口元をパフェまみれにした女性と熱烈な口付けが出来る程キモが据わっている訳ではない。

「無視よ無視。無視しなさい。馬鹿女に関わるとドブに沈むわよ」

「ドブは嫌だな……」

 素直な感想を口にすれば、アンリエッタと呼ばれた女性は不満げに顔を歪めながら「んーっ!」と強く呻く。

 ……けれど。やはり僕は無視出来ない性格のようで、それを見て何となく可哀想な気がしてきた僕は小さく溜息を吐いてからアンリエッタと呼ばれた女性の顔へと手を近付け、頬から唇に向けて親指と人差し指でむんぎゅと掴んだ。そのままタコ口にでもさせるように力を入れてへばり付いたパフェの残滓を掬い取る。

「ラムネ、あげる」

 パフェまみれになった二本の指をラムネに近付ければ、ラムネは最初にしていたように凄い神妙な顔で目を閉じながら僕の指先をちゃむちゃむと舐め始めた。

「猫ちゃんにあげていいの? 体に悪いでしょ」

「ラムネはもう死んでる。幽霊猫だから栄養とか何も関係無いんだ」

 小豆の塊が口に入ったのか、むっちゃむっちゃと咀嚼するラムネを流し見ながらそう答えると、オネエの人は「あらそう」と素っ気無い反応を返す。

「少年は優しい子だな、かたじけない。………対してウィリー殿は意地悪な人だ。口元ぐらい拭いてくれても良いだろうに」

「冗談じゃないわ。このハンカチそこそこお気に入りなのよ? アンリエッタの好感度とかいうクソの役にも立たないもんと引き換えにオキニのハンカチ潰してらんないわ」

「何を言うか。私は尽くす女だぞ。多分」

「そもそもアンリエッタは食事周りが見てられないレベルで酷いのよ。下手な男飯よりよっぽど雑な料理するし、食い方だってお行儀悪いし。あんた焼き魚食べる時の作法とか聞いた事すら無いでしょ。ヴァルハラガールの名前、オーディンに返上してきたらどう?」

「返上も何もその設定はその時ノリで考えたものだからな。言ったら最早ガールという歳でも無し、何か別の格好良い名前に改名しても良い頃合いかも知れん。因みに焼き魚は尻尾から齧り付くのが好きだ、骨も良く噛んで全部食べたいな」

 ウィリーと呼ばれたオネエの人が天を仰ぎながら大きく溜息を吐くのなんて気にも留めていない様子で「焦げ掛けた尻尾のパキパキとした食感が好きなんだ」と言ったアンリエッタさんが宇治金時パフェを食べ直すのに合わせ、それまで黙々とキングオブパフェを食べていただろうニカと呼ばれた不機嫌そうな女性が「ご馳走様」と小さく口を開いた。

 かと思えばウィリーと呼ばれたオネエの方へと上向きに手を差し出し、何かを求めるような仕草をする。

「どしたのニカちゃん」

「ウィリーさん、さっきのハンカチ貸して。口拭きたい」

「図太っ」

 言いながらもハンカチを取り出して渡すウィリーさんにニカさんは「ありがと」とだけ答え、そのハンカチで口元をわしわしと拭う。その様子に呆れたような様子で「拭き方が遠慮無いわ! 何この子神経ふっと!」と驚くウィリーさんだったが、ニカさんはハンカチで口元を抑えたまま不意に動きを止め「失礼」とか細く呟いた。

 そしてその直後、女性がして良いものとは思えないレベルで汚いゴァァァァという長いゲップをした。

「「マジかよ」」

 僕とウィリーさんの言葉が重なる。ニカさんは不機嫌そうな表情を更に深く歪めて「ちゃんと失礼って言ってたじゃん」と反論するが、そういう問題じゃない気がした。

「……ゲップ我慢するのは無理だけど口閉じてするとか色々あるでしょ。というか借りたハンカチにゲップ吹き掛けるって失礼のレベル超えてる気がするわよ。……ほら、あんたもそう思うでしょ。男の子の目線で何か言ってやんなさいよ」

「僕はノーコメントで」

「あこのガキっ」

 そう言って僕の肩を掴もうとしてくるウィリーさんの手をするりと避けた僕がニカさんに向けて「美味しかった?」と問い掛けると、ニカさんは僕の言葉に「うん。ありがと」と返事をし、僕は「それなら良かった」と少しだけ微笑む。………相変わらず不機嫌そうにしか見えない表情だったが、あれだけ巨大なパフェの王様を一人で完食出来たのだ。途中でダレてテーブルに肘を付くような事も無かったし、不機嫌そうな表情に反して本当に美味しかったのだろう。

「じゃあそろそろ僕は行くから。今度はアンリエッタさん……で良いんだよな。この人達と一緒に来れば良いよ」

「アンリエッタさんは女の人じゃん。ウィリーさんはあんまし見掛けなくて頼めないし。だからお兄さんに頼んだんだけど」

「レズカップルって事にしとけば良い。何か文句言われたら適当に差別がどうとか叫んでおけば店は黙るしか無くなるし、上手くいけば揉め事のリスクを減らす為に今後カップル限定とかやらなくなる可能性もある」

 それだけ言った僕は「ラムネ、行くよ」と小さな相棒に声を掛ける。ちょうど口元の毛繕いが終わったタイミングだったのか、舌を器用に使って口周りをむにゃーむにゃーと舐めていたラムネがそのままの状態で「んゃい」と上擦ったような返事をする。

「じゃあまたね」

 片手を上げてその場から立ち去る僕に、三人は「うん、またね」「気を付けて帰りなさいよ」「うむ、またいずれ」と思い思いに返事を返す。

 それを背中に受けながら僕はラムネを連れて歩き出し………数歩進んでからくるりと踵を返して三人の元へと戻っていく。

「………あのさ、この辺に宿無い? 帰り道教えて欲しいんだけど」

 三人は完全に馬鹿を見る顔で僕を見ていた。




「今日は冷える日だと思わないかい?」

 全裸の上に白衣だけ羽織ったペール博士は、いつもと何一つ変わらない声色で僕にそう問い掛ける。声色も、口調も、態度も、いつもと何一つとして変わらないペール博士は、しかしいつもと違う点が二つある。

 一つは全裸に白衣を羽織っただけという事。


 もう一つは、少しだけ鼻水が垂れている事。


「すみませんでした」

「いやいや、謝罪が欲しい訳では無いんだよ。むしろ謝罪は要らない、謝罪された所で何の意味も無いからね。謝罪で現状は変わらないのさ」

「はい」

「私が求めていたものは謝罪では無く、ほんの少し肌寒い中、女性を全裸で待たせる事に対する小走り程度の焦り…………私に対しての小さな気遣いだよ」

「仰る通りでございます」

 板張りの床に正座した僕がそう言うと、ペール博士は「っぷし!」と可愛くくしゃみをしてから「来世は油屋さんにでもなると良い」と言って、そのままガサガサと紙袋を漁る。

「………何で下着が二着入っているんだい。その割に上下の服は一着だけ。意味が分からないんだが」

 その言葉に「ああ、それは」と下げていた頭を上げて僕が事情を説明する。いわゆる所のかくかくしかじか、まるまるうまうまという流れで僕が説明を終えると、ペール博士は「なるほどね」と鼻を鳴らしながら紙袋から下着を取り出し、

「ならこっちはキミが着るといい」

 そう言いながらホックタイプのブラジャーとショーツを僕に向けて放り投げる。僕が「は?」と口を開けば、ペール博士は「私はこっちの方が好みだ」と言いながらスポーツブラと、それのセットのようにも見えるストッキングのようなパンツを取り出し、折り畳んだ際の形がズレないようにする留具を外していく。

「根も葉も無い嘘をくという事は、詰まる所自分には到底有り得ないような事柄を他者に「出来る」と吹聴したという事だ。誰かに対して吐いた嘘は、同時に自分に対して嘘を吐いたという事でもある」

「……え、と。それが、なんすかね」

「キミは「僕が着ます」と言って買って来たんだろう? 自分に吐いた嘘ぐらい吐き通したまえ、男の子だろう」

 そのまま博士はすっくと立ち上がり、羽織っていただけの白衣を脱いで下着を着始める。その姿に向かって「男女差別だ!」と声を荒げれば、博士は半目になったしたり顔のような表情をしながら「湯気子の事は知っているね?」と問い掛けてきて、僕は思わず「ぐぬっ」と呻いてしまった。

「湯気子は私の研究成果の一つだが、元々あれは私の補佐役では無く研究室の防衛用として作り出したものだ」

「…………防衛用?」

「戦闘用という事だよ。書類上は対肺呼吸生物用迎撃兵器……だったかな。呼吸をする生物が相手であれば湯気子は簡単に対象を殺める事が出来るからね。研究室を荒らさず汚しもせず侵入者を加害出来るようにと、私はあれを研究室に置いているんだ」

「……………………」

「他の研究成果と違って実験や治療の補佐が出来るから、普段は補佐に回っているというだけ。本来の用途は私の研究記録を盗みに来た者をぶつりてきに黙らせる事だ」

「……………………」

「して、着ないのかい? 折角買ったおニューの衣類だろう。帰ってきたなら早速着たいと思うものじゃないのかね」

 要するに、チクるぞと、そういう話だろう。正座した膝の上にあるセットの下着を見ながら、僕は無言で考える。……だが考えるような事は何も無く、頭に浮かんでくるのは霧状の体を持った湯気子に包まれて窒息死する僕の姿だけだった。

「………………はい」

 力無く立ち上がっていそいそと服を脱ぎ、そのままと全裸になった僕は何も言わずにブラとショーツを着始める。新品で糊が効いているのか少しお尻に擦れるような感覚がするが、それを我慢してブラジャーも着用する。爆乳にも関わらず全身を動かして荒事に挑むどこぞの金髪女で女性下着に慣れていた僕は、両手を背中に回して手早くホックを留めた。

「………………………………ぶふっ」

 ブラとパンツを着終えた僕の姿を見たペール博士が吹き出す。唇の下に指を当てるような仕草をしたペール博士も僕と同じような下着姿だったが、その差は歴然だろう。今までに見た事も無いようなニヤニヤとした顔のペール博士は、唇の下に当てた指に力を入れて必死に笑いを堪えながら僕を見る。

「に、似合って────ぶふっ………ふふふふ、似合っているよ、うん。想像以上にお似合いだよ」

「……………………そっすか、あざっす」

 屈辱の極みかもしれないが、どういう事なのだろうか。不思議な事に僕の股間My Sonは張り裂けんばかりに大きくなっていた。

「……………いや何で大きくなっているんだい。キミは変態か?」

 何ででしょうね。何ででしょう。変態なのかもしれません。

 どうした事か、女性物の下着を着用した僕は異様なまでに興奮していた。

 センスがあったのか? 女装の? 女装紳士の素質が?

 いや多分違う。これは普段とは全く異なる装いをした事に対する好奇心から来るものだろう。そうだと信じなくてはやっていられない。

 ………いや、ヤッてしまうか。良いだろ。もういっそ突き抜けよう。

「待ちたまえ。止まれ、そこで止まるんだ。ヤらないよ、ヤらない。新品の下着だぞ? 汚してなるものか」

 普段とは異なる行為や装いをした事での興奮に、異性の下着という性対象が関わっているからバッキバキにイキり勃ってしまっているんだろう。

「嫌だ、嫌だぞ馬鹿。ヤらない。嫌だ。ヤらな────あぅっ」

 ぽふんと音を鳴らして背中からベッドに押し倒されたペール博士が小さな声で可愛く呻く。一度頭が切り替わると何から何まで愛おしく感じるもので、小さな力で僕の腹部に手を押し当てるペール博士のその抵抗すら、とても愛おしげに思える。

「いや大きいよ。大き過ぎる。この間シた時の倍はあるだろう馬鹿かキミは。何でそんなになってるんだ。そんなもの人の腹の中に挿れようとするな、殺す気か」

 いつも着るような下着姿で異性の前に立ったとしても、こんなに勃つような事は無い。ペール博士と始めてした時もそうだったが、異性の体に触れるまではむしろ割と冷静なのだ。体に触れて、体に触れられて、そこで始めて性交渉を行うのだと体が理解するのだ。

「…………着たばっかですけど、下着、脱がせますね」

 さっきまでのしたり顔とは打って変わって悔しげな顔をしたペール博士は、僕のその言葉に返事をしない。ただベッドの上に押し倒された格好のまま、唇の下に指を当てながら横を向き、悔しそうな顔をしていた。

「………こんな展開になるとは思っていなかったよ。自慰を覚えた猿と変わらないじゃないか」

 その言葉に、僕はどことなく勝ち誇ったような気になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る