今夜一緒に過ごしませんか

本間和国

今夜一緒に過ごしませんか

「筋萎縮性側索硬化症、息子さんはこの病気です。」


めぐみは愕然とした。

目の前が真っ暗になるという人生で初めての経験をした。

奈落の底・・・というのを良く聞くが、まさに、そこに突き落とされた感覚だ。


石川恵 50歳は1人息子、翔彦しょうひこ 24歳を女手1つで育てている。

夫、石川智久とは10年前に離婚、それ以来パートを掛け持ちしながら、大切な息子を育ててきた。


夫は2歳年下で、職場で出会い、元々姉さん気質だっためぐみは、夫の素直で天真爛漫な性格に惹かれ、結婚に至った。

結婚後、2年で長男を授かったが、少しずつ、お互いの性格や、金銭感覚にズレが出て、16年で離婚した。


病院からの帰りの車の中、恵は、溢れる涙を止める事ができなかった。


「ふっ・・・うっ・・・うっ・・・」


周りから見られないように声を抑えながら泣く。


―――なんでウチの子が・・・なんで、あたしが、こんな苦労をしないといけないのよ


ひとしきり泣いた後、うつろな目でハンドルを握り、家路に着く。

どこを通ってきたか、記憶に残らないほど、気がついたら家に着いていた。


「おかえり。母さん、検査結果どうだった?」


玄関を開けると同時に、翔彦が駆け寄ってきた。

恵が帰ってくるまでの時間を、翔彦はどれだけ長く感じていたのか。


「筋萎縮性側索硬化症、あなたの病名よ。」

「え・・・何その病気・・・」


◇◇◇◇


翔彦は高校を卒業して、町工場に就職した。

休む事は、ほとんどなく真面目に働いていた。


カチャン・・・


「すみません。」


取り付けのネジを落とす。


――まただ・・・


「はい。石川君、最近よく落とすね。気を付けてね。」

「すみません、ありがとうございます。」


同僚からの言葉に、翔彦は少し傷ついた。


――おかしいな・・・力が入りにくい気がする。


翌日になっても手の感覚はおかしいままだった。


「お母さん、手がおかしいから、病院に連れてってほしい。」

「手がおかしいって?」


――何それ。腱鞘炎か何かじゃないの?


「手に力が入りにくくて、今までできてた作業ができない。」


恵は、気のせいじゃないかと思いながらも、病院に行って、何もない事がわかれば、気がすむだろうと思い、病院に連れて行った。


◇◇◇◇◇


「筋萎縮性側索硬化症って・・・映画で見た事ある、あの病気・・・」


翔彦は肩を落とし、自分の部屋に戻った。


ぱたん・・・


「うーっっ、うっっっうっっっ・・・うわーっっ・・・あーっっ・・・・!!!」


ドアが閉まったとたんに、翔彦の泣き叫ぶ声が聞こえた。


「ふっ・・・・あーっっ・・あぁ~~・・」


恵もしゃがみこんで泣いた。

地獄の1日だった。


翌朝、恵は気力の無いまま、いつもどおり朝食の準備をする。


「翔彦?起きなさい。ご飯できたよ。」


「・・・うん・・・」


翔彦は泣きはらした目をして部屋から出る。


2人は無言でご飯を食べる。

恵は、なんて声をかけたらいいのか、わからなかった。


――翔彦・・・あたしの何倍もつらいよね。

なんで、あんたが・・・


恵の作ってくれた豆腐とワカメの味噌汁と、ご飯を3分の2ほど残し、翔彦は仕事に行った。


また込み上げてくる悲しみと涙を拭いながら、恵は元夫の智久に電話をした。

離婚して10年たっても、お互い子供の事で連絡が取れるようにしてあった。

智久はかなり、驚き動揺した。

そして夜、仕事が終わったら近くのファミレスで会う約束をした。


智久と2人で会うのは10年ぶりだ。

恵はパートの仕事を終え、服を着替える。

クローゼットの中に、捨てたとおもわれたブルーのワンピースが見つかった。


――これ来て、3人で旅行に行ったな。


懐かしい記憶が蘇った。


――結婚記念日に、毎年、家族で温泉旅行に行ったっけ。

智久が旅館予約してくれて。


待ち合わせのファミレスに着くと、智久が先に席に座っていた。


「久しぶりだな。」

「久しぶりね。元気だった?」


2人は軽く挨拶を交わし本題に入る。


「まさか、翔彦が難病にかかるなんて・・・」


水を一口飲み、智久が言う。


「これから、俺達はどうしたらいいんだ。」

「先生が言うには、すぐに症状がひどくなる事はないから、今すぐに何かをしないといけないってのは無いけど、でも、たぶん10年後には介護生活になると思うって・・・」


恵は、また涙が溢れた。

そっとハンカチを差し出す智久。

こういうところは昔と変わっていない。


2人が付き合っていた頃、一緒に映画を見に行った時、感動のあまり、泣き止まない恵に、智久はハンカチを出し、泣き止むまでずっと隣にいてくれた。


――ほんとに優しい人なのよね。


智久もまた、昔の恵の優しさを思い出した。

熱を出した時、仕事帰りに薬を届けに来てくれた事。飼っていた犬が死んだ時、花を供えてくれた事。


――結婚してからは、子育てと家事を頑張ってくれたな。


注文していた珈琲と紅茶が届いた。


「あなたが今でも1人だったら心配したけど、一緒にいてくれる人がいてくれて良かった。」


智久は再婚はしてないが、一緒に暮している1つ年下の女性がいた。


「ああ、お前にだけ子育てを押し付けてしまったみたいで・・・悪かった。」


智久は頭を下げた。


「ううん。そういう意味じゃないの。

翔彦との生活は楽しい思い出しかないわ。

それに、あなただって、経済面でかなり助けてくれたじゃないの。感謝してるわ。」

「別れてからも、翔彦の運動会や、卒業式、大事な行事の時には、いつも連絡くれて、ありがとう。

翔彦は知らないだろうけど、お陰で、アイツの成長を俺も見る事ができたよ。」


2人はこれまでの翔彦の成長を懐かしく思い出した。


「俺が変わってやりたいけど、それもできない。俺達がやらないといけないのは、今後、翔彦を支える事だ。」

「そうね。泣いても仕方ないし、頑張らないと。」


智久は、恵のワンピースに目をやる。


「それ、だいぶ古いやつだよな。まだ持ってたんだ。」

「これ?そう。クローゼットで見つけたの。」


恵は笑顔になった。


「家族旅行行く時に、あなたが買ってくれたのよね。服が無いから、どうしようって言ったら。」

「翔彦がまだ小さかったから、いつも動きやすい服しか持ってなかったからな。

お洒落な服が欲しいって言うから、一緒に見に行ったな。」

「あの時の旅行、忘れられないなぁ。

旅館に着いたとたん、それまでご機嫌だった翔彦が急に『おうち帰りたい』って泣き出して。」

「そうそう。夜中も急に起きて泣き出すから、交代で抱っこして旅館の廊下を歩いて寝かしつけたっけ。」


2人に笑顔がこぼれる。


「幸せだったなぁ。」


恵がポツリと言った。


「なんでだろうね。嫌になって離婚したはずなのに、思い出すのは楽しかった事ばかりね。」

「そうだな。キミはホントに家庭の為に一生懸命やってくれてたよな。」


恵は紅茶を飲む。


「でも、元夫があなたで良かったわ。

あたし、少し前向きになれた。

翔彦は、あたし達の大切な子だもん。残された時間を翔彦と一緒に幸せに過ごすわ。」

「俺も、父親として全力を尽くすよ。」


2人はそれから度々連絡を取る事になった。

翔彦の病気は少しずつ進行し、ついに仕事を辞めなくてはいけない程になってしまった。


ある日、智久が1つ提案をした。


「一晩だけ3人で過ごさないか。」


別れて10数年経っている。

恵はためらった。


「彼女はなんて言ってるの?」

「彼女には許可をもらってる。少しでも翔彦との時間を作りたいんだ。」


恵は考えたが、一晩だけならと、一緒に過ごす事にした。


狭い2DKのアパート。

家族3人で囲む食卓。

一緒に過ごした幸せな日々を思いだした。


翔彦と智久は一緒に風呂に入る。

楽しそうな笑い声がキッチンにも聞こえてきた。どうか、このまま時が止まってほしい。

永遠に幸せでありますように。

食器を洗いながら、恵はまた涙ぐんだ。


風呂から出ると、智久は翔彦の部屋で一緒に寝た。


夜が明け、智久は自宅に戻る。

親子3人で過ごす最後の朝食になるかもしれない・・・


――もう一度やり直せないか・・・


そんな思いが、恵に浮かんたが、智久には、もう他に愛する女性がいる。

恵は、感情を必死で抑えた。


朝食の味噌汁を飲み終えた智久は箸を置く。

そして、思い詰めたような表情で口を開く。


「じつは、出張が決ってしまって、しばらく会う事ができない。すまない・・・」


恵と翔彦は少しショックだったが、受け入れるしかなった。


◇◇◇◇◇それから、半年が過ぎて、智久から電話がかかってきた。

久しぶりの智久からの電話に、嬉しさを抑えながら恵は出た。


「もしもし。」

「もしもし。石川さんのお電話でしょうか。

私、智久さんと暮してます、山口と申します。」


電話の主は、智久の同棲相手だった。


「は、はい。」


驚く恵。


――彼女が、一体どうして。


電話の内容を聞いて、恵は愕然とした。


「昨夜、智久さんが・・・亡くなりました・・・」


智久さんは末期の肺癌を患っていた。

翔彦の病気を聞いた時はすでに自分の余命を知っていたが、息子の事で苦労をかける恵に、心配させまいと、黙っていた。

出張というのも嘘で、自分の最期を見せまいという智久の気遣いだった。


「自分が亡くなってから、恵さんや、翔彦君に知らせてほしいと言われてましたので・・・」


「・・・・わかりました・・・・」


「それと、もう1つ、彼に頼まれた事がありまして・・・・」


智久の葬儀が終り、数日後、恵は銀行に立ち寄った。

通帳を見ると、出張と嘘で会わなくなった直後に、智久から高額の入金があった。

これから恵1人で頑張らなくてはならなくなるのを申し訳なく思った智久からの、最後の元夫として、父親からの「役目」だった。


――最後の最後まで、ありがとう。ありがとう・・・


恵は1人、涙を流した。







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