第4話 限りなく…近いもの
こちらの世界では、日本を侵略しようと、明らかに狙っている国がある。各国は、日本という国を不思議に思っていた。
というのは、何と言っても、日本の歴史を調べれば調べるほど、
「どうして、侵略されることがなかったのか?」
ということであった。
確かに、古代であれば、京極女帝の頃、
「乙巳の変」
から続く、
「大化の改新」
の後、ちょうど、朝鮮半島では、騒乱の時代であった。
元々、古代の朝鮮半島というのは、北から、高句麗、新羅、百済、任那と、4つの国だったのだが、そのうちに、任那がなくなり、高句麗、新羅、百済の3国となったのだが、その時、高句麗、新羅の連合軍が、百済に襲い掛かったのだ。
そこで、百済の使者が日本の朝廷に、
「百済を助けてほしい」
ということで、援軍を要請したが、それを、当時の朝廷は了承し、朝鮮半島に軍を派兵した。
しかし、そこで、日本、百済の連合軍は、高句麗、新羅の連合軍に、
「白村江の戦い」
にて大敗北を喫し、百済は、結局滅びることになった。
しかし、日本もこのまま無事で済むわけはない。
「急いで、国防に走らなければならない」
ということで、九州の筑紫地方。さらには、博多湾を守る必要が出てきた。
急いで、軍を編成し、筑紫に派兵。さらに、古代山城や、防波堤を建設。
それは、
「大野城」
であり、
「水城」
なのである。
そして、朝廷、つまり首都機能を筑紫に移すということで、当時の難波にあったとされる都を、急遽、遷都することになったのだ。
そこまでして、日本の防衛を図ったのだが、なぜか日本に連合軍が攻めてくることはなかった。
それだけの防衛が無駄になったわけだが、それでも、攻めてこられなかったのは、実に幸運だったといってもいい。
それが、日本においての、最初の、
「外国からの危機」
だったのだ。
そうやって考えると、まずよかったのは、
「日本という国が島国だった」
ということであろう。
どこの国とも陸続きで接していないというのは、ある意味幸運だったのだろう。台湾や琉球などの狭いところではいざ知らず、
「侵略されても仕方がない」
というわけではなかったのだ。
もう一つ言えることは、地理的問題もあるのではないか?」
同じ島国でも、フィリピンは、アメリカに植民地化されてしまったではないか。それなのに、日本は、植民地化されず、不平等条約に苦しめられるだけだった」
と言えるだろう。
「もっとも、地理的事情だけではなく、その時の、相手国の情勢もあったのではないだろうか?」
と考えることもできるだろう。
その時、日本が侵略されなかったことも、いろいろな理由があるのだろうが、とにかく、
「侵略を受けてもおかしくない状況」
だったにも関わらず、攻めてこなかったというのは、ありがたいことであった。
その次というと、時代は、中世に入る。
ちょうど鎌倉時代の末期、ちょうど、中国大陸であ、モンゴル族の王朝、
「元帝国」
によって、当時は、世界最大と言われた、モンゴル帝国が出来上がりかけていた。
東アジアから、中央アジア、中東あたりまでの大帝国を築いていた。
次に目指すは日本であり、鎌倉幕府としては、
「モンゴルに屈するわけにはいかない」
ということで、通称を求めてきた元の使者を処刑したことで、いつ攻められても仕方が逢い状況になった。
まるで、デジャブであるかのように、博多湾に御家人を終結させ、石にて、石塁を築き、蒙古の来襲に警戒していた。
今度は、さすがに大軍が博多湾に集結して、上陸してきたのだ。
相手は、それまでの日本と戦い方がまったく違った。
日本の基本的な戦い方は、まず、先陣同士が名乗りを上げて、そこからの戦闘ということであったのに、モンゴルは敵対すれば、すぐに攻撃してくる。
さらに、日本人が見たこともないような新兵器で向かってくるので、相当戸惑ったことだろう。
何と言っても、同じ国内での戦闘ではないのだ。
これは、逆に島国であることが、災いしたといってもいいのかも知れない。
なぜなら、元は、島国であることから、欧州や、他の国の優れた戦というものを身に着けているが、日本では、
「陸続き」
ということで、そのような情報も入ってこない。
「天然の鎖国状態だった」
といえるのではないだろうか?
あくまでも、外国とのかかわりは、今までは、貿易だったということなので、攻められることもなかった。
そういう意味で、
「元寇」
というのは、
「初めて、外国から攻められた」
ということでは、特筆すべきことであった。
しかし、この戦で、
「もっと特筆すべきこと」
というのは、
「神風が吹いた」
ということである。
「二度に渡る元寇であったが、その両方とも、台風が、元の船を全滅させてくれた」
ということで、日本人の心に、
「日本という国は、神の国だ」
ということを、改めて思い知らされることになり、天皇の権威を示す意味で、
「実に利用するにありがたいエピソードだ」
ということであった。
そういう意味で、
「日本は、侵略を受けることはあっても、こちらから侵略する国ではない」
といってもよかった。
それは、本当の意味での、統一国家になっていなかった。
ということもあるかも知れない。
平安時代でも、ずっと東北地方に勢力が伸びていないし、関東では、平将門を中心とした勢力があったりと、それぞれの土地に、強い豪族が、その地に根を生やしているからであった。
朝廷と言っても、貴族中心の軍隊で、出撃するとしても、各地の反乱を抑えるということでのものだった。
そのうちに。
「武士」
という戦闘集団が起こってくる。
「荘園を守るため」
という守備芸だったものが、次第に力をつけていき、平清盛のように、公家化していくものもあったが、平家というのは、海外との貿易に力を注いでいた。
福原の港を改良したのも、そのためであり、一時期とはいえ、その福原に遷都したというのも、そういう思惑があったからだろう。
平家は、一時の栄華を築いたが、結局、各地の反乱において、滅んでいった。
平家の失敗は、きっと、公家化したことで、各地の武士たちとの格差が激しくなあり、各地の武士は、朝廷のために働かされているのに、平家だけは、栄華を誇っているということに我慢ができなくなり、各地で、平家追討という機運が巻き起こり、最終的には滅亡することになった。
しかし、せっかく平家が諸外国との貿易こそが、繁栄だという状態にしていたのに、平家が滅んでしまい、鎌倉幕府の時代になると、
「土地を保証することで、主従関係が生まれる」
という、封建制度が確立されることになるのだ。
ただ、この考え方が、
「元寇」
の際に、裏目に出ることになるのだ。
というのは、
「元寇によって、日本は、侵略の危機を逃れることができた。しかし、問題は後だったのだ」
と言われる。
つまりは、
「この戦のために駆り出された兵士たちは、下手をすれば、借金をしてでも、奉公をしたのであるが、それに見合う恩賞がない」
ということであった。
戦で勝利すれば、その後に待っているのは、手柄を立てた人への、恩賞であり、そのために行われる、
「論功行賞」
である。
しかし、この時の元寇の場合は、
「一方的に外国から攻められ、それを撃退することが問題だったのだ」
ということである。
そうなると、日本の土地はすべて、誰かの土地となっているので、どこにも、褒美として与えるものがないのだ。
そう、
「戦によって奪い取った土地というものがない」
からである。
これがもし、少しでも、貿易などで挙げた利益があれば、それを褒美の代償とできるのだろうが、そういうものもない。
馳せ参じた御家人の中には、
「褒美を期待して、借金をしてまで、軍に加わった御家人もいる」
というではないか。
それなのに、褒美がないということであれば、
「幕府はもうダメだ」
ということになるだろう。
幕府は、最後の手段として。
「借金棒引き」
というような徳政令を出したが、そんなものは、焼け石に水だった。
結局、満を持した後醍醐天皇によって、鎌倉幕府は滅亡することになるのだが、ある意味、気の毒といえば気の毒だったであろう。
考えてみれば、その後、
「足利幕府」
「徳川幕府」
と、時代としては、長期政権ではあったが、実際には、
「名前だけの時代が長かった」
ということであり、さらには、
「ほとんどが財政難で火の車だった」
ということでもあったりした。
そういう意味で、
「元寇というものがなかったとすれば?」
という歴史のタブーである、
「IFというものは、想像が許されるのであれば、どんな時代を描くことになるのだろうか?」
これも面白い発想だといってもいいだろう。
しかし、戦国時代の末期、織田信長の登場によって、それまでの群雄割拠が、天下統一という状況に変わってきた。
織田信長という男は、それだけ時代を動かす力を持っていたということであろう。
明智光秀によっての、
「本能寺の変」
がなければ、これも、
「どんな時代になっていたのだろうか?」
ということを考えれば、実に興味深いところである。
その後の、秀吉、家康と、いわゆる、
「三英傑」
と呼ばれる人は、
「ほととぎす」
の狂歌で表されるが、
「実際に、この歌の通りというわけではない」
というのが、最近の歴史研究によるものである。
そういう意味で、この句を将来、
「教えなくなるのではないだろうか?」
と考える人も少なくはないだろう。
確かに、
「殺してしまえ」
と信長をいうが、それは、延暦寺焼き討ちなどの、
「皆殺し」
というイメージが強いからだろうが、主君として、歴史を勉強していれば、これらのことは当たり前のことである。もっとも、これは、
「歴い研究の現在」
ということで、考えられていることであるのだが。
特に坊主というのは、当時は、
「酒池肉林状態だった」
ということなので、そんな坊主が政治に口出ししたり、敵対勢力に味方をしたりすれば、やつらのこもるのは、
「寺ではなく、城だ」
ということになるのであれば、
「城を攻撃して何が悪い」
ということになるのだ。
しかも、皆殺しにするのは、
「禍根を残さない」
という意味で、皆殺しは必要なことだった。
特に、清盛と頼朝の因縁を思えば、それは当たり前のことである。
母親の命乞いに免じて島流しにした相手が、成長して、死後の一門を滅亡に追い込むというようなことになるのだから、それは、当たり前のことであろう。
だから、皆殺しにしたからといって、それは無理もないことだったのだ。
もっといえば、
「泣かせてみせよう」
という秀吉だって、実はかなり残酷なことをしている。
自分の息子の秀頼が、
「自分の子供ではない」
というような落書きをされた時、その犯人を捕まえるように言った部下が、捕まえることができなかったからと、全員を処刑してしまったり、
さらに、秀頼ができたことで、譲ってしまった関白の職を、自分の甥から取り戻すため、
「謀反の罪」
ということで、幽閉し、さらに無理矢理に切腹させてしまっている。
さらに、秀次の関係者も、もろともに処刑である。これを残虐でないといって、どうなのだろうか?
また、城攻めということでもそうである。
「信長などは、一気に包囲して、皆殺しという方法を取っているが、秀吉はどうだったのか?」
というと、いわゆる、
「水攻め」
「兵糧攻め」
などと、相手が弱ってくるのを待つ方法である。
これほど、ジリジリと相手を苦しめるという意味で、
「残虐性」
というものではないだろうか?
それを思うと、確かに秀吉が、自信家だったというのは別にして、
「信長が、秀吉や家康に比べて残虐だったのか?」
ということになると、ハッキリといって、何も言えなくなるのではないだろうか?
と言えるのだ。
そういうことになると、
「歴史で言われてきたことや、史実として残っていることというのは、正直、どこまで信用していいのか分からない」
ということである。
例えば、徳川時代になってから、豊臣家の遺構は、かなり跡形もなく壊されたということである。
当時の権力者は、自分の前の権力者を破壊したがる傾向にある。そうしないと、基本的に自分が滅ぼしたことで、こちらが天下を握ったのだから、影で、前の政権の復活を画策している連中に、利用されないとも限らないからだ。
新政権は、絶えず、
「自分たちが正しい」
ということを国民に示しておかなければいけない。
ということになるのだ。
だからこそ、過去の政権の遺産を残すことを怖がるというのも、当たり前のことなのである。
そんな時代において、自分たちの政権の正当性を国民に見せつけるかということが、君主になると大切なことである。
何といっても、新しい政権ができるということは、前の世間を滅ぼすという、
「クーデター」
によって出来上がったものだからである。
つまり、信長であっても、秀吉であっても、江戸幕府を開いた家康は、豊臣政権を完全に滅ぼしてしまったということで、
「信長、秀吉と何が違うのか?」
ということである。
結局、政権を握るということは、
「皆殺しであったり、相手をジリジリと攻め立てたり、あるいは、前政権を、まったく何もなかったかのように葬ってしまう」
という意味で、方法は違っても、その残虐性は秘めているということになる、
つまりは、
「残虐性というものを持っていないと、天下は取れない」
ということになるのか、
「残虐性はあったことで、天下が手に入ったというのか」
意識的なのか、無意識なのか、どちらにしても、天下を取るには、残虐性が必要不可欠だといってもいいだろう。
しかし、これは、
「無意識の方がまだマシだ」
と思うのかも知れないが、実はそんなことはないのではないか?
というのは、無意識にやっているわけなので、
「自分で、制御できるはずがない」
と言えるのであり、
そうなると、
「制御できないのだから、誰かに制御してもらうしかないのだが、本人が、最高実力者なのだから、逆らうこともできない」
ということは、
「そんな人物を担ぎ上げた方が悪い」
ということになり、無意識な人間を担ぎ上げたことでの、その国家の興亡は、国民による、
「自業自得ではないか?」
ということになるだろう。
そう思うと、
「歴史というのは、残っている事実だけで判断できないところがある」
ということえ、
「歴史とは生き物であり、これほど、難しい学問はないのではないか?」
と言えるのであった。
そんな国に対して、ある国が、諜報員として、一人送り込んだというウワサが流れた。
当時の日本は、基本的に、戦争になるということを恐れてはいたが、それも、国家体制で、
「日本を攻撃してはいけない」
ということを、国連で明記されていたので、
「日本を攻撃したり、占領目的で、侵略をしようとすれば、それは、完全に国連憲章に違反している」
ということで、攻撃されても仕方がない。
ということであった。
それは、日本だけではなく、永世中立国にも言えることであった。しかし、日本の場合には、
「軍備をしない」
という裁定元の条件付きでのことであったので、
「大っぴらには、日本を攻撃できない」
ということは、決められたルールの下、絶対ルールでもあるのだ。
だが、それでも、こちらの国の日本では、政治家は優秀なようで、彼らは、そんな中で、日本にたいしての、
「諜報活動」
というものには、神経をとがらせていた。
要するに、
「日本側から、攻撃するように仕向ける」
ということであり、実際に難しいことではあるが、日本という国を疑心暗鬼にさせることで、
「国家体制を転覆させるか?」
あるいは、
「日本側から、相手国に攻撃させるような方法」
ということしかないだろうと、考えていたのだった。
実際に、戦後、日本が、
「アメリカの属国」
となるかならない時で揉めていたのをいいことに、社会主義国からの、諜報部員がやってきていて、
「スパイ行動」
であったり、
「社会主義化」
というものを模索していた気配があったのだ。
そんな国家に対して、日本という国が、どのようにすればいいのかということが、問題になっていた。
もちろん、この話は、最大国家機密だったので、アメリカも知らないことだった。
もし、こんなことがアメリカにバレれば、せっかく、独立したのに、またしても、占領部隊が入ってきて、今度は、さらに厳しい状況に置かれてしまうと、ロクなことはないというわけであった。
それを考えると、
「いかに、諜報活動というものが怖いのかということが身に染みて分かり、国家自体が、このようなスパイに対して、完全にトラウマ化してしまっているかということになるのであろう」
だから、それからの日本は、アメリカに知られないような、特殊な機構を密かに作っていた。
「将来的には、アメリカも、その傘下に収めよう」
と考えていたのだ。
これは
「日本だからできること」
といえるだろう。
「アメリカは、占領下にある日本は、まったくの武装解除状態で、何もできない国なってしまった」
ということを、ハッキリ感じていた。
「タカをくくっている」
といってもいいだろう。
おかげで、日本に諜報活動に長けた人がいるなど、海外はどこも思っていないだろう。そういう意味で。やりやすいといってもいいだろう。
その人が、名前を、クロイワと言った。本当の名前はもちろん、別にあるのだが、諜報活動をしている時の名前は、
「クロイワ」
であった。
そのクロイワが仕入れた情報としては、
「別の国家で、日本を侵略しようとしている国がある」
という情報だった。
その国は、アメリカとずっと仲よくしてきたが、最近は、
「アメリカを見限って、アメリカに対抗するだけの社会体制を画策している」
と言われていたのだった。
この情報は、ほとんど、誰にお知られていない。日本ではきっと知っている人は、政府の中にはいないだろう。
何しろ、
「平和ボケしていて、基本的に、自分たちだけのことしか考えていない政府なのだから、しょせんは、自分たちのためになる情報であれば聞く耳を持つが、そうでもなければ、耳障りだというような連中に、誰が、そんな大切な情報を流すというのか?」
特に、日本国政府の要人に、国際的な情報を流すなどということは、タブーとされている。
それなら、
「クロイワ」
たちが所属している組織に話した方が、いくらかマシだということである。
それほど、日本という国は、
「どこの世界線でも、平和ボケとしてしか見られていない」
ということである。
だから、アメリカの属国となっても、ホイホイ従う政府なのだ。
もっとも、日本が、敗戦後、どうしようもない状態であるということが分かっているから、そんな連中しか、政府に入ろうとは思わないのだろう。選挙の時点で、
「政治家にロクなやつがいない」
といっても過言ではない。
正直、クロイワは、日本政府の腐敗した状態はわかっている。
だからといって、完全に見捨てることができなかった。
「これって愛国心なのだろうか?」
と感が遭えると、自分でもよくわかっていない。
ただ、
「自分の力を試してみたい」
という気持ちがあるのは、事実で、政府とはまったく違った形で、日本という国を憂い、影から支えるという、同じような気持ちのいる連中を知ることで、
「ここが、俺の生きる道なんだ」
として、活動するようになった。
しかし、この団体は、そんな深い団体であるのに、
「鉄の掟」
などというのは存在しない。
もし、
「自分の命が危機に陥るようなら、まずは、自分が助かることを考える」
ということを推奨する。
だから、もし、へまをして敵につかまったりすれば、
「我々は擁護はしないが、我々の存在さえ言わなければ、国家は見捨てても構わない」
とまで言われている。
それだけ、
「政府が崩壊しても、我々がいれば、日本という国は何とかなる」
ということであった。
本来なら、こんな組織は、自分中心主義の恐ろしい、
「カルト集団だ」
と思われるということであろうが、そんな集団でも、こっちの世界では、少なくとも、日本国の政府よりも、数倍信頼されている。
だから、彼らの組織は、国連でも承認されていて、その存在すら知らない日本政府は、今では、完全な、
「お飾りにしかなっていない」
だから、国連は日本政府を煽てて、バカな首相が、それに乗せられて、金だけポンポンと、戦争をしている片方の国に垂れ流すというような、おかしな構図となっているのだった。
そんな政府が、いかにひどいのかを知らない世間も、何とも、
「お花畑思想」
だった。
ただ、一つ言えることは、どちらの世界の政府であっても、しょせん、
「日本政府はバカの集まりだ」
ということだった。
ただ、パラレルワールドの世界では、秘密結社があるおかげで、まだ何とか国家としての体制が保てていて、同じ、
「アメリカの属国状態」
であっても、まだ何とかなっているという感覚であろうか?
冷戦時代は、まだ何とかアメリカの属国としても、さほど変わりなく推移していたが、冷戦が終わり、
「日本の立場が微妙になってくるにつれて、その間にある両国の関係は、少しずつ変わってくる」
といっても過言ではないだろう。
というのは、
「日本という国においては、それまで、アメリカの核兵器の傘に入っていた」
ということであるが、パラレルワールドの世界では、ソ連崩壊のあたりから、その構図が外れかけていた。
アメリカだけが、いち早く、
「ソ連崩壊」
ということを察知していて、そのうちに、同盟国にも、その情報が水面下で流されていた。
しかし、なぜか、同盟国よりも先に知っているべきはずの日本には、知らされていなかったのだ。
それは、アメリカとすれば、
「大東亜戦争前夜の、大統領の気分のようだ」
ということを言った。
以前、別の大統領が、
「真珠湾攻撃を決意した、東条首相の心境だ」
と言っていたようだが、その心境に近いのかも知れない。
あくまでも、
「ソ連崩壊」
というのは、理論的には十分にありえることだが、
「それを信じ込んでしまうと本当に、怪しい」
といえるのだ。
そんなソ連の崩壊を、
「信じてはいるが、最後まで信じられない」
と思っているのは、
「石橋を叩いて渡る」
という心境からだろうか?
そんな日本の国も、ソ連は崩壊すると、いつの間にやら、
「アメリカの格の傘」
から、少しずつ離れていった。
どちらかというと、
「アメリカの盾にされている」
という印象が深い。
それは、あくまでも、日本の出方次第という条件つきになるのだが、基本的には、
「日本はアメリカの属国」
に変わりはない。
しかし、片方の世界では、
「日本という国は、どこまで行っても、アメリカが守ってくれる」
という世界線があった。
しかし、それだけに、アメリカとは一蓮托生で、アメリカが窮地に陥れば、まず崩壊するのは日本だった。
ただ、そうなってしまうには、第三次世界大戦などの、
「未曽有の危機」
というものが訪れることであり、少々の、世界の小競り合いであったり、諸国の内乱くらいでは、そんな、
「世界を揺るがす」
ようなことにはならないだろう。
「ソ連の崩壊」
が、世界線を揺るがしているなど。誰が知っているのだろうか?
しかも、その世界線を揺るがしているのは、どっちなのだろうか?
「こちらの世界が、世界線を揺るがしているのだろうか?」
それとも、今感じている、
「もう一つの世界」
この世界が、揺るがしているというのだろうか?
そんなことを考えていると、
「一体、パラレルワールドって、どれだけあるのだろうか?」
ということであった。
「無限に存在するのが、パラレルワールド」
というものの、理屈である。
しかし、その無数というのは、あくまでも、
「有数に対しての、無数」
ということであり、
「数として数えられなくなると、そこから無数であったり、無限という表現をするのではないだろうか?」
ということになると、無数、無限という定義は、
「人によって、バラバラである」
と言えるのではないだろうか?
そうなると、また別の考えが生まれてくることがある。
というのは、
「無限、無数」
というのは、ある結界を越えたその先に存在するものであるが、実際には、一つしかないもので、無限といっているのは、増えないことによって、先があるという、ある意味、
「限りなく無限に近いもの」
という発想ではないだろうか?
それを考えると、
「限りなくゼロに近いもの」
という発想と、どこか似ているのではないだろうか?
「限りなくゼロに近いもの」
という発想は、
「マトリョーシカ人形」
であったり、
「合わせ鏡」
などの場合をいうのではないかと思っている。
鏡を自分の左右に置いた場合、その鏡にそれぞれ映っているものは、
「無限に続いていく、もう一人の自分たち」
という表現ができるような気がする。
というもので、その先に見えるものは、
「どんどんと小さくなっていく、自分の姿であった」
どんどん小さくなって、次第に見えなくなっていく。しかし、理論的には存在しているのだ。
「絶対にゼロにあることも、マイナスになるという考えもない」
ということになる。
それを考えると、そこから導き出される観点は、
「限りなくゼロに近い」
というものの存在である。
その考えを、先に見えるものを、どう考えるか?
ということにもよるのではないだろうか?
ロボット工学における、
「フレーム問題」
というものを考えれば分かってくることもある。
フレーム問題というものの、大前提として、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
というものだ。
次の瞬間の次には、また次の瞬間というものがある。
そんなことを考えていると、
「次の瞬間」
というものも、無限に存在していることになる。
となると、
「無限×無限」
という考え方が、時間というものを築いているとするならば、
「無限というものは、実は一つなのではないか?」
という考えも出てくるのだ。
つまり、
「本当の無限という考え方」
と、
「無限というものは、実は一つの単位の総称にすぎないという、唯一無二」
という発想とに分かれるのではないか?
ということであった。
そんな無限の可能性というものをいかに考えるかということであるが、それが、いかに難しいことであるかということも、果たして分かっているのか?
ということであった。
「合わせ鏡」
であったり、
「マトリョーシカ人形」
というものが、
「限りなくゼロに近い」
というものを目指しているのであれば、それは、
「時間というものを逆行している」
と言えるのではないだろうか?
なぜなら、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
ということで、時系列で考えると、末広がりに広がっているわけである。
ただ、進んでいくのは、その中の、
「一本の道であり、それぞれの世界に、それぞれの可能性の人がいたり、ものがあったりする。そうなると、無限の可能性があるように、それらの世界は、どこかが違っている世界」
であり、その
「違っているどこか」
というものこそ、
「限りなくゼロに近い」
と言われる何かなのかも知れない。
それを考えると、今度は、さらに考えが深くなっていき、
「時系列」
というものも、本当に存在するのだろうか?
ということであった。
「時間というものは、ある一定の方向にしか進んでいない」
ということから、
「次の瞬間」
という考えが浮かんでくるのであって、
「タイムマシンで過去にいく」
という考え方が、どれほど難しいものなのかということを、果たして、誰が考えるということであろう。
単純に、
「タイムマシンなどで、過去に行くということは、難しい」
と思っているのは、
「そんなことは不可能だ」
という考えが、頭の中に潜んでいるからだろう。
「しょせんは、あり得ないことなんだ」
という考えがあることから、過去に行くというものが、無意識にというのか、
「限りなくゼロに近い」
というものに近づいているということを感じているからではないだろうか?
そもそも、この、
「限りなくゼロに近い」
という発想も、
「無限」
というものと同じで、
「簡単に理解できるものではない」
と考えると、
「無限というものが、一つではないか?」
というような発想を、
「限りなくゼロに近い」
というものに、できるわけではない。
これは、そもそも、
「一つしかないもの」
なので、無限という発想のように、一言で片づけられるものではない。
そう考えると、未来に向かって進んでいく、
「時系列」
という発想は、無限という、理解に苦しむものではあっても、
「それは一つだけしかない」
というように考えると、そこから先、いくらでも発想できるという形ができていくものだ。
しかし、過去に行く。つまり、
「時系列の逆行」
というものは
「限りなくゼロに近い」
というものを、もう一つ殻を破って、
「無限という発想における。一つ」
というような発想がなければ、いけないものであろう。
ということが言えるのかも知れない。
そうなると、
「無限」
という考え方と、
「限りなくゼロの近い」
という考え方は、相対しているようであり、見ている方向が違うだけのものというわけではない、
「過去に対しての、結界というようなものが存在しているに違いない」
といえるだろう。
そういう意味で、タイムマシンにおける、
「タイムパラドックス」
というものが、
「過去に行くことにおいて、どれほどのリスクを背負っているのか?」
といえるだろう。
つまり、
「過去に行くことで、過去の歴史を壊してしまうことで、未来の歴史が変わってしまう」
という発想が生まれることだ。
しかし、これも大前提である。
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
という絶対的な発想から生まれてくることであった。
では、ここでいう、
「無限の可能性」
というのは、誰が決めたというのだろうか?
個人個人がその時々の意思によって決めたのだとすれば、どこかおかしなことにならないだろうか?
その瞬間瞬間の意思が次の瞬間を、個人単位で決めるのだとすると、今、一緒にいた次の瞬間、時間が過ぎたと意識することもなく、お互いを知らない人になることはない。
それぞれ、無限の可能性がある中で、相手のことが分からなくなることなく、同じところに着地しているということになると、考え方は一つである。
「次の瞬間に、広がっている可能性は、無限という名前の一つでしかない」
ということである。
確かに考えられることは無限にあるのかも知れないが、
「人間が進むべき道は、一つしかない」
ということである。
そうやって考えると、
「ロボット工学」
における、
「フレーム問題」
というのも、解決するのではないだろうか?
そもそも、解決もなにも、問題にすらならないというわけで、ロボットであろうが人間であろうが、
「次の瞬間に考えることが一つしかない」
ということが分かると、その一つを探しさえすればいいだけで、ロボット開発ができないわけではない。
しかし、実際にはそれができないということは、
「一つしかない、その一つを限定できない」
ということからではないだろうか?
となると、逆の発想で、
「限定できないから、その言い訳として、次の瞬間には、無限が広がっている」
というような言葉を使って、正当性を訴えているのではないか?
ということである。
それを考えると、
「無限」
というものだけではなく。
「限りなくゼロに近い」
という発想も、何かの言い訳であったり、
「正当性を訴える」
という発想からではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「しょせん、科学的な発想というのは、何か、他の学説を理論づけるために利用される、正当性なのではないか?」
と言えるのかも知れない。
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