よくある人生。よくある家族。よくある人類の滅び方。
三好ハルユキ
get a cold.
腐敗病の蔓延で、今度こそ人類は疲れ果てた。
滅びたというには数こそ揃っていたけれど、元の文明を立て直すほどの体力が、もうどこにも残っていなかった。それが無ければ人類は人類たりえず、人間はその他大勢の獣にはるか劣る虫もどきに過ぎない。
腐敗病、あるいは腐り病。作物に起こるものではなく、人間に起こるものだ。
焼け爛れたような肌に、溶けて落ちた肉に、砂のようにこぼれる骨。
腐敗病は生き物を腐らせる。
それは、不治の病であり。
ただし、致命の病ではない。
少女の右目は物心ついた時から腐っていた。
右耳にまで腐敗が広がったのはまだ小学校があった頃で、失うショックは元から持っていないことよりも受け入れにくかったことを覚えている。
父と弟は獣化病を患い、腐臭に耐え切れず少女のもとを去った。
母は自らの腐敗病で腐った胸を掻きむしって死んだ。
今はただひとり、少女の傍には姉が居る。
姉は石化病で感覚を失ってしまったが、鼻が利かないので少女の腐臭も気にせず傍に居てくれる。
二人とも名前は失くしてしまった。
両親からもらった大切なものだったけれど。
名乗る相手も呼ぶ者も居なければ、誰しも、自然とそうなるものだ。
少女は、砂にまみれたアスファルトを歩く。
足裏に板を貼り、布でぐるぐる巻きにして留めた手作りの靴は具合が良い。前のは少し出来が悪かったけれど、今回のは上々だ。靴は壊れたらそうそう手に入るものではないけれど、布と板切れは鞄にたくさん詰め込んである。
少し後ろからついてくる姉は何も履いていない。
彼女の足はとうに石で出来ていて、それを傷付けられるものなど何もない。痛いかどうか訊いても返事はないし、一度同じように作ってあげた手作りの靴は早々に底板を踏み割られてしまったので材料の無駄だと学んだ。
見上げれば灰色の空。胸いっぱいに吸い込む空気には埃と砂と腐った臭い。最後のはセルフサービスだけど。自分の匂いは慣れて感じなくなると聞いたけれど、少女には一向にその慣れがやってこないので不思議だ。でもって、不快だ。
見渡せば、いろいろと転がっている。石の柱とか、木の柱とか、瓦とか、壁とか、鉄筋とか、単語帳の内容みたいに雑多な景色だ。最終学歴は小学校中退で自分の単語帳を持っていたことはないけれど。
二人が歩いている辺りには住宅街があった。あったんだと思う。多分。
今は瓦礫や砂に埋もれて、家らしい原型を残した建物は見当たらない。
だけど左目と左耳を周りに集中させれば、ときどき身動きや視線、呼吸を感じる。きっと砂や瓦礫の中で暮らしている人達が居るのだ。家も土地もあったものじゃないけど、巣を作る能力が無い人は家だったものに頼るしかない。
少女も少し前までは、姉と二人でそういう風に暮らしていたから理解出来る。
母と、父と、弟と、姉と、五人で住んでいた家があった。
お隣のお爺さんの緑化病が進んで、地面を進んできた根っこで家が傾いて、軋んで潰れてなくなったけれど。
少女はその旅立ちを、良い機会だと思っていた。
腐敗病の症状は本人以上に周りを苦しませるのだと、家族との離別で知っていた。いつか優しい誰かがそんなことはないと言ったけれど、往々にして、自分の方が恵まれていると思い込まなければ耐えられない状況はあるものだ。
かつてご近所さんだった人達は少女を嫌った。
その腐敗の姿を嫌い、その腐敗の臭いを嫌った。
そうして、そして。
日にちを数えなくなって久しいけれど、少し前のこと。
四軒隣の家の一人娘が腐敗病にかかったとき、そこの父親が金属バットを持って我が家に乗り込んできた。うちの子はこの家から感染したのだと叫びながら壁を殴り、床を殴り、逃げる少女の背中を殴った。彼の口の端からは白い泡が吹き出て、目は程々に血走っていた。正気でないのは仕方がない。まともな方が間違っている。
背中を強く打たれたせいで逃げるどころか呼吸もままならなくなって、少女は床でのたうち回った。
もがいて暴れたせいで頭に巻いた包帯が解けて、汚れたガーゼと腐った汁が板張りの床を汚すのが左目に映る。風呂場と違って掃除が大変なのに、と呆けた頭で考えていた。
殴り足りないのか、とどめを刺すつもりなのか、襲撃者は不規則な呼吸で泡を飛ばしながら勇み歩んで少女に近寄る。
少女がどうにか言葉を発しようにも、口からは咳とよだれしか出てこない。
よしんば言葉が出たとしても、何から伝えよう。
腐敗病は感染する病ではないと説明するべきだったのか。
あるいは。
後ろから姉が忍び寄っていることを教えてあげるべきだったのか。
金属バットが、からんと床に跳ねて転がってきた。
姉は、その石化した指先で襲撃者の胴を貫き。
石化で数倍に膨らんだ体重を乗せた踵で男の足を踏み潰し。
文字通りの石頭で、娘を愛する父親だった人の額を叩き割った。
言葉をかけても反応しない姉が、何を思ってそうしたかは分からない。
二度と帰らなかった男を、彼の家族がどう思ったのかは分からない。
結局、潰れた家が全てを覆い隠してしまった。血痕も死体も犯行も。
じわりと。
少女は目元に歪な温もりを感じて、巻いた布の上から右目を抑える。そろそろ交換しなければ。包帯もガーゼもとっくに切らしてしまったけれど、抑え布は必要だ。
次に腰を落ち着けられるところがあれば、と、少女はそっと目元から指を離す。
どこか。せめて、誰の視線も感じない場所がいい。
きっと人に見られることよりも、人に見せてしまうことを恐れていた。
たぶん死んだ方がよかったと自覚したまま、少女は前と定めた方へ歩いていく。
たぶん人を殺したことにさえ心を動かさないまま、姉はその後ろをついてくる。
次に少女が足を止めたとき、姉は、共に歩みを止めてくれるだろうか。
いつか。
いつの日か、少女が少女のことを私と呼べるようになったら。
命ごと腐り落ちる前に、その痛みを認めることが出来たのなら。
そのときは、呼べるだろうか。呼んでみたいのだ。
真っ白な姉の名前を。あるいは、お姉ちゃん、なんていうのもいい。
伝えてみたいのだ。
命を救ってくれた感謝を。あるいは、この命を長引かせた恨み言を。
腐敗病は生き物を腐らせる。
それは、不治の病であり。
ただし、致命の病ではない。
腐敗が移り広がり、その内臓へ至ったとしても。
たとえ脳まで腐り果て、自己を奪われたとしても。
人はそれを致命とは認めない。
腐敗は命など奪わない。
始まりが未知の病であれ、発生する物事の意味は変わらない。
つまるところ。
腐敗とは、はじめから、既に死んでいるモノに起こる現象のことを指すのだから。
よくある人生。よくある家族。よくある人類の滅び方。 三好ハルユキ @iamyoshi913
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