第4話 いいもんか悪もんかクラーケンマン

その日、俺は、久保田和紗に淀川の堤防沿いの十三のマンションの前にある遊具が一つぽつんと置いてるだけの小公園に深夜、呼び出された。



「なんだよ。こんな時間に俺を呼び出して」

俺は、見覚えのある和紗の笑顔に不信感を募らせる。

高校時代、俺と一緒に風紀委員の活動として、男子生徒同士のエロ本を貸し借りする学校非公認団体・女子禁制不健全図書委員会を取り締まり、瓦解させた時もこの女は、このような表情を浮かべていた。

マイペースでおっとりしているから、初見では誰も気づかないが、こいつは、根っからのサディストだ。



「ふふん♥」



と笑って、和紗は、会うなり、俺に近づいて、プシュッと香水のようなものを浴びせた。

しかし、何の香りもしない。無臭だ。びくっとした俺は、なんだ、ただの霧吹きでも浴びせたのか、驚かせやがってと安心しかけたが、次の瞬間には、俺の右腕は、人間のものから、またあのイカの魔人の12本の触手へと変化していた。



「実験成功♪」



と和紗は、愉快そうに言った。



「お前、俺の身体になにしやがった!?」



「15万で買った魔法少女のフェロモンを浴びせたのさ」

和紗は、本当に愉快そうだった。



「なんで、そんなことを!?」



「面白そうだったから」



「テメ、殺すぞ」

俺は、和紗を睨みつけた。



「冗談♪冗談♪」

と言う和紗の顔は、未だに笑っている。



「おそらく、魔法少女に反応してトッキーの体内に入ってしまっている魔人細胞が活発化し、増大するのだろうという私のこないだ提唱した仮説をどうしても立証したくなってしまってね。今回、トッキーを改めて、呼び出したというわけさ」



「なら、用は済んだろ。早く俺を元に戻せよ、マッドサイエンティスト」



「ダメダメ。ダ〜メ♥今度は、その触手化した右腕の魔人細胞の力の実証実験をしないと。せっかく、触手化させたんだから」



「なんの為に俺が、そんなことをしなくちゃならない?」



「私を喜ばせる為かな」



「マジでぶち殺すぞ」



「冗談♪冗談♪触手の能力を把握しておくのは、トッキーにとって必要なことだよ。これから、トッキーは、その触手と一生、付き合っていくかもしれないんだからね」



「お前が治して、俺を元の人間に戻してくれるんじゃないのかよ」

俺は、淡く期待していた事を口にした。それに対し、和紗は、あっさりと



「無理だよ。私は、魔人細胞の専門家じゃないんだから」

と言った。



「そもそも論、魔人細胞については、個体種によって、遺伝子の構造自体が違うから、不明な点が多いんだよ。世界のどこを探しても、魔人化した人間を元の人間に戻す方法が書かれた論文なんて存在しないしね」



「でも、こないだみたいに、チェーンソーで切断して、バーナーで焼けば、人間に戻れるじゃないか」



「一時的には、ね。それでも、君の中の魔人細胞がゼロにならないことは、立証済みだよ。今みたいなきっかけで、君の中の魔人細胞は簡単に目覚め、魔人化してしまうのは、見ての通りさ」



「それでも、一生、こいつと付き合うことになるなんて大げさだろ?」

と俺は、自らの触手を人間の方の指で差し、訊く。

和紗は、肩を落として、首を横に振る。



「現実を受け入れなよ。ウィズ魔人細胞。君は、これから、魔人細胞と共に生きていくしかない」

彼女の顔は、もう笑っていなかった。

俺は、しばらく言葉を失ったが、



「じゃあ、どうすりゃいんだよ」

とやっとの思いで訊いた。



「魔人細胞を足枷あしかせにするよりは、魔人細胞の力を活かして、生きていく道を見つけた方が、トッキーの未来は、明るいんじゃないかな?」



「魔人細胞を活かした生き方って、……例えば?」



「魔法少女のようなヒーローになるとか?」

和紗は、少しおどけるように言った。



「お前、やっぱふざけてるだろ」



「リアルな話さ。私は、誰しも自分の能力を最大限まで活かして、生きるべきだと思うよ。君が大学を中退した時も、就職に失敗した時も、私は、君の運動能力から言って、君はスポーツ選手になるべきだと思った。あの時、そう忠告しなかった事を私は、今でも後悔している。魔導ステップだっけ?足は速いんだし、陸上選手には、なれなかったのか?」



「俺の魔導ステップは、30メートルしか保たない。高校レベルまでは、通用しても、プロの世界では、通用しない。30メートル走なんてないしな」



「野球選手やサッカー選手は?」



「興味がなかった。なれば良かったと頭をよぎった事もあるが、その頃には、30歳を過ぎていた。どこのチームも雇ってくれないよ」



「そうやって、諦め続けて、今度は自分の人生まで諦めるつもりかい?いつから、君は、そんな情けない奴になったんだ?」



「さぁな。悪魔との契約が切れた時からか。あの頃から全てのやる気が削がれてしまった。俺は、特別じゃないんだと」



「もう一度、言う。トッキー、君はヒーローになるべきだ。このピンチは、君にとってのラストチャンスだ」

和紗は、真剣な目を俺に向けるが、俺は、そこから視線を逸らした。



「無理だ。ヒーローになって人助けなんてして、この姿を晒してみろ。たちまち魔人扱いされて、警察に捕まり、解剖されてしまう」

俺は、嫌な想像しかできなかった。

「フッフフ」すると、今度は和紗は、声を立てて、笑い始めた。



「どのみち、君は、私に従うより、他にないのだ。何故なら、私は君の腕をチェーンソーで切り落とし、人間に戻してくれる唯一の君の味方なのだから。ヒーローにならぬと言うなら、私の実験に付き合って、その魔人細胞のデータを全て差し出して貰おうか。せめて、私のノーベル生理学・医学賞受賞の糧となるがいいわ!!ワハハ!!」



「それが本音か!鬼畜研究者!!」

俺は、そうは言ったものの、和紗に従うしかなかった。彼女に右腕を元に戻してもらわないことには、日常生活すらままならない。



「で、何をすればいいんだ?」



「まずは、この壁をよじ登ってもらおうか。ネットの情報によれば、君の魔人細胞の素となったクラーケン大魔人ラブリーは、触手の力だけで、なんのとっかかりもない壁を登れたらしい」

と言って、和紗は、俺に目の前のマンションの壁を登るように指示を出した。



「人にこんな光景見られたら、一発アウトだな」

と言いながら、俺はイカの魔人の触手を壁に伸ばしてみた。

触手の力というよりは、きっとクラーケン大魔人ラブリーは、吸盤の力で壁をよじ登っていたのだろう。この触手の吸盤の力がいかに強力であるかは、身を持って、体験済みだ。あれだけの吸着力があれば、壁なんて確かに簡単に登れそうだ。

俺は、やや吸盤に意識を集中させ、自らの触手に力を込め、マンションの壁に引っ付けた。

触手は、マンションの2階ぐらいの高さまで伸び、俺は、その高さまで自分を引き上げようと、マンションの壁に吸着した自らの触手を軽く引っ張った。

すると、俺の触手は俺の身体をマンションの2階の高さまで上昇させることなく、マンションの壁を畳一畳分、一塊に剥がしてしまう。

マンションの外壁にぽっかりと穴が空き、マンションの中が見える。

露わになったそこは、浴室で金髪の腰のくびれた巨乳美女がシャワーを浴びていた。

金髪美女と俺は、まっすぐに目が合う。

右腕が巨大なイカの12本の触手になっている俺の姿を見て、金髪美女は、

「いやァァァアア!!」

という静まり返った深夜の町中に響き渡る甲高い悲鳴を上げた。

乳首は、ピンク色だった。

俺は、和紗を残し、魔導ステップを使って、一目散に逃げた。

西中島南方方面の堤防沿いまで逃げた。

10分ほど遅れて、和紗が俺に追いつく。



「酷いじゃないか。置いてくなんて〜」

和紗は、間延びした声で言った。



「すまん。つい男の本能で」



「変質者の本能ではないのかね。私は、壁を登れと言ったのであって、決して、君に女性の風呂を覗けとは、言っとらんよ」

和紗は、頬を膨らまして、俺を睨みつける。



「わざとじゃないんだ」



「本当かね?」

和紗は、本気で俺を変質者だと疑っているようだった。



「まぁ、はじめてだから、上手くいかなかっただけさ。次は、ちゃんと登れるようにするよ」

俺は、ぎこちない笑顔を浮かべた。



「壁登りは、もういい。また、同じことになる気がするから、他の実験をしよう」

と和紗は言い、

「次は、イカ墨吐きに挑戦してもらうナリ〜」

と言い出した。



「は?イカ墨?そんなもん、俺、吐けねぇぞ」

俺は、和紗に向け、自らの困惑を訴える表情をしていたと思う。それぐらい俺にとって、和紗の言っていることは、ちんぷんかんぷん丸だった。



「それが、できるんだな。私は、切断した君の触手をちゃんと調べて、触手の根元付近にあるイカの口の隣にイカ墨の吐く器官があるのを発見したのですぞ」



「ちょっと待て。俺、イカ墨を吐く器官があるどうこうの前に、今、ひょっとして、人間の口とイカの口で口二つある状態なの?」



「イグザクトリー。正解ですぞ。よくできました〜」



「うげっ。なんだよ、それ。俺、どんどん人間から離れていっちゃってるじゃんか」

俺は、自分からは見えないが、自分の右腕にもう一つ口があるのを想像して、そのグロテスクさに吐きそうになった。



「まぁまぁ、プラス思考♪プラス思考♪お気になさらず、ど〜んとここは、イカ墨、吐いてみよう!」



「そんなこと言われたって、やり方、わからねぇよ」



「わからなくても、イカ墨、吐ける器官があるんだから、吐けるはずなんだよぉ。さぁ、遠慮せず、ドピュドピュ、私の前で出しちゃって!」



「ん~~っ!!ダメだ!!根元に力、入れても何も出ん!!」

俺は、一応、力んでみたが、一向に一滴も何も出なかった。出る気配すらなかった。



「え〜?そんなはずないんだけどな〜。ほら、ここだよ!ここ!」

和紗は、俺の触手の根元に顔を突っ込み、ちょんちょんと触手の根元のどこかを細い指で小突いた。

すると、俺は、ビクビクビクと反応してしまい、軽い痙攣を覚えると共に大量のイカ墨を触手の根元から発射してしまう。

和紗は、それをもろに顔面で受け、吹き飛ばされてしまう。宙を舞い、遠くの停めてある車のボンネットの上に衝突し、着地する。

俺は、慌てて魔導ステップを発動し、和紗のもとへと駆け寄った。



「大丈夫か!和紗!」



和紗は、ぐったりとして、目を瞑っていて、返事をしない。



「和紗!和紗!」

俺は、和紗の名を呼び続けた。

しかし、やはり、返答がない。



「見つけたぞ!魔人め!」



男の野太い声に反応して、俺が周りを見ると、いつの間にか、両隣に黒のヘルメットと防弾チョッキを着用した服の上からもわかる体格のいい男が二人立っていた。

その普通の警官とテイストの違う恰好は、テレビで見た事がある。北大阪府警預かりの魔人対策課の隊員達だ。魔法少女と対を成す北大阪府シティの治安・秩序の要である。

普通のニート暮らしでテレビで見ている頃は、頼もしく思っていたが、今の自分の姿を見る二人からは、不穏な空気しか感じとれない。



「通報にあったイカの魔人を発見。至急、応援に来れたし」



無線機でどこかに連絡していて、予想通りの展開のようだ。



「魔人対策法に基づき、貴様には、黙秘権と弁護士を呼ぶ権利があるが、抵抗すれば、我々には、貴様を即時殺処分する権利が与えられている」

乾いた視線を送り、魔人対策課の一人が形式的にそう言うと、二人は、力ずくで俺を押さえ込みにかかった。

俺の触手が意思を持っているかのように勝手に動き出し、魔人対策課の一人を包み込む。



「貴様!抵抗する気か!!」



「構わん!人間の腕の方を折ってしまえ!!」



魔人対策課の一人が俺の人間の方の腕を組みやすしと判断したのか、力ずくで折りに来る。

俺は、それを魔導パワーで振り解き、魔人対策課の一人を弾き飛ばす。



「こんな事してないで、早く救急車を呼んでくれよ!和紗が!和紗が!」



「トッキー、私なら大丈夫だ。抵抗するな。警察に危害を加えたら、いいもんじゃなく、悪もんになっちまうぞ」

和紗が俺の声に目を覚まして、俺を諭す。



「和紗!大丈夫なのか!?」

俺は、和紗を殺してしまったのではないかと思っていたので、どっと力が緩んで安心した。

瞬間、―パン!パン!ーと乾いた音が2発。

力が緩んで、触手から解放された魔人対策課の男が拳銃を発砲したのだ。

2発とも着弾した俺の胸部が熱くなる。

「時東!!」

和紗の声がこだまし、遠のいていくように聞こえた。

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