第072話「吸血山荘殺人事件①」

 俺と十七夜月、そして井実さんは同時にバッと立ち上がり、声がした方に駆け出す。

 

 食堂の東側の扉から外に出て、すぐ左にある大きな洋室。現在は金蔵とその愛人の只野さんが寝泊まりしている部屋のようだが、どうやらそこから聞こえてきたようだ。


 廊下に出ると、部屋の前には只野さんがオロオロと狼狽えており、扉をガチャガチャと開けようとしていた。


 しかし扉は開かないようで、彼女は思い切って体当たりをしてみたものの、やはりビクともせず、逆に弾き飛ばされて床に倒れこんでしまう。


「どうしたんですか? 一体なにがあったんです?」


「あ、皆さん! それが……私、大浴場から戻ってきたばかりなんですけど、中から金蔵さんの悲鳴が聞こえたの……。でも鍵がかかってて中に入れないんです」


 十七夜月の問いに、只野さんは涙声で答えた。


 俺はドアノブをガチャガチャと回してみるが、確かに鍵がかかっていて開きそうにない。もし中で金蔵が怪我でもしていたら早く治療しないとまずいのだろうが、どうしたものか……。


 む……只野さんの膝から血が出てるな。おそらくドアに体当たりしたとき、膝小僧を擦りむいたのだろう。とりあえずこれを舐めてから次の手を考えよう。


「お姉さん、膝から血が出てますよ? れろんっ!」


「きゃっ! え? あ、ありがとうございます」


 只野さんは一瞬驚いて悲鳴を上げたが、今の俺は美少女なので特に嫌がられる様子もなく、唾液の消毒を受け入れてくれた。


 さあ、どんな長所を頂けるのかな?



《【美腋】を獲得しました》



 んおお? これはもしや美の長所じゃないか!? なんか脇の下あたりがムズムズと変化してるのを感じるぞ!


 どれ、詳細を見てみよう。




【名称】:美腋


【詳細】:脱毛をせずとも一切のムダ毛の存在しないその美しい腋は、もはや芸術品とも呼べるほど。それは時に、身体の他のどの部分よりも異性の情欲をそそり、また同性の羨望をも集めるだろう。



 

 お、おおぅ……。なんかめっちゃフェチっぽいのがきたな。


 でも、これはこれで俺の美少女っぷりがさらに上がったと見ていいのではないだろうか。今度俺も脇見せファッションを試してみるかな……。


「皆さん! 今の声は一体!」


 などと新たな可能性について考えていると、騒ぎを聞きつけた黒井さんが従業員室の方から駆けてきた。続いて遊技場の方から椎名さんや羽田さんもやってくる。


 俺が黒井さんに事情を説明すると、彼は少し考え込んだ後に口を開いた。


「マスターキーは雪乃さんが持っているのですが、彼女は今の時間は大浴場にいるはずです……」


「あ、私さっきまで一緒でした! すぐに呼んできます!」


 ついさっきまで一緒にお風呂に入っていたという只野さんが、パタパタと廊下を駆けていく。


 だけど、待ってる余裕はないかもしれない……。仕方ないな、ここは――


「せん……ナユタ!? なにする気ですか!」


「ドアを破壊する! ちょっとみんな下がっててくれ!」


 俺はドアの前に立つと、精神を集中させて全身に力を漲らせる。


 タンッ、タンッと軽くその場でジャンプして、勢いよく回転しながら飛び蹴りを繰り出した。



 ――ドゴォォンッ!!



 激しい轟音と共に、木製のドアが弾け飛んで部屋の中へと吹き飛んだ。そして全員でなだれ込むように部屋の中へと入る。


 そこで俺たちを待っていたのは――


「う、うわぁぁぁーーーーッ!」


「きゃぁーーーッ!!」


 羽田さんと椎名さんの絶叫が部屋中に響き渡る。


 部屋の中央にあった大きなダブルベッド。その上には、一糸纏わぬ姿の金蔵が横たわっていた。その全身は血で真っ赤に染まっており、ピクリとも動かない。


 さらに彼のすぐ側にはこの部屋の鍵が転がっており、部屋の中には金蔵以外の人物の姿は見当たらなかった。


 十七夜月が急いで金蔵の生死を確認するが、首を左右に振って小さく溜め息を吐いた。どうやら彼はすでに事切れているようだ。


「このおっさん、死んじまったのか? ぺろりっと」


「うえっ! よく死体の血を舐めれますね……」


 なんとでも言ってくれ。俺は最強無敵の美少女になるために、あらゆる努力を惜しまないのだ。【状態異常耐性・大】のおかげで病気になる心配もないしな。


 ドン引きする十七夜月をスルーして金蔵の血液を飲み込むが、新たな能力は得られなかった。オークダンジョンに潜ったときにも武藤氏の仲間の亡骸からこっそりと血を拝借したのだが、どうやら死体の血を摂取してもダメらしい。


「まだ体が温かい。おそらく、先程の悲鳴の直後に亡くなったのでしょう」


 もう少し早く駆けつけていれば、ポーチの中に入れてある癒しの杖で治せたかもしれないが、過ぎてしまったことを悔やんでも仕方ない。


 金蔵の亡骸に手を合わせてから、俺は部屋の中をぐるりと見回す。大部屋だがかなり殺風景で、壁には特に何も飾られていないし、人が隠れられるような場所もなさそうだ。


「後頭部を鈍器のような物で強打されたようですね。凶器は見当たりませんが……他殺の可能性が高いです」


「え? 殺人事件なの!? じゃあ犯人はどこだ? 窓から逃げたのかな?」


 この部屋の出入り口は鍵の掛かっていた扉と、奥にある窓しかない。部屋の鍵は金蔵氏の死体の側に落ちていた。なら犯人は彼を殺害したあと、窓から逃げたと考えるのが妥当だろう。


 そう思って俺は十七夜月と共に窓を調べてみたのだが……。


「いいえ先輩、これを見てください。窓にも鍵が掛かっています」


「え? あ、本当だ。それなら犯人はどうやってこの部屋から出たんだ?」


「……ふうむ」


「あ! わかった! ワイヤーかなにかを窓の鍵に引っ掛けておいて、外に出たあとそれを引っ張って鍵を掛けたんだ!」


 俺が名探偵ばりに推理を披露するが、十七夜月は「うーん……」と首を傾げる。


 そのとき廊下の方からパタパタと慌ただしい足音が聞こえてきた。只野さんが、雪乃さんを連れて戻ってきたのだろう。


 案の定、手にマスターキーを持った雪乃さんが只野さんと連れだって部屋に入ってくる。そして部屋の惨状を目の当たりにして絶句していた。


 金蔵の息子である新杜あらもりの姿だけ見えないが、これでほぼ全員揃ったな。


「で、どうよ? 俺の推理は」


「残念ながら違いますね。この窓の鍵にワイヤーを引っかけられそうな場所はありません。それにほら……」


 十七夜月が窓を開けると、ドサドサっと窓枠に積もった雪が落ちてきた。


 これはどう見ても数時間は窓が開けられていない状態だろう。つまり、犯人は窓からは逃げていないということだ。


「……え? どういうこと? 部屋は鍵がかかってたし、窓も開けられてなかった。じゃあ犯人はどうやってこの部屋から出たわけ?」


「わかりません……。つまりこれは、密室殺人……ということになりますね」


 十七夜月の言葉を聞いて、全員の顔が青ざめる。



「吸血王じゃ……。吸血王が蘇ったんじゃあぁぁぁぁーーーーーッ!!」



 金蔵氏の死体が横たわる部屋。その中央で、井実お婆さんが頭を抱えて絶叫した。

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