第41話 凶兆、現る④
のそっと猫宮が見藤と白沢の間に割って入るように、見藤を背に庇うように前に立ったのだ。見藤が彼に対して寛容だろうが、猫宮にしてみれば関係のない話だ。
「で、こいつの処遇は?」
「うげっ、」
そして、猫宮はそう言うと、少し離れた場所で煙草を吸っている煙谷を見やる。猫宮の言葉を聞いて、煙谷は面倒くさそうに溜め息をつき、こちら向かって歩いて来る。
獄卒である煙谷が追っていたのは、この神獣 白澤だ。輪廻転生の輪に戻るはずだった霊魂を怪異によって喰い散らかされ、地獄を大いに混乱へと陥れた。それは最早、罪人だ。
煙谷は恨めしそうな表情を浮かべながら、口を開く。
「とりあえず、地獄まで同行してもらう」
「え、嫌や。絶対、しばかれるやん」
「お前に拒否権はない」
珍しく毅然とした態度を取る煙谷。いつもの飄々とした煙谷ではない。そのことが事の大きさを物語っていた。
そして、そんな彼らの背後から声を掛けたのは霧子だ。
「その前に。私、こいつを一発殴りたいんだけど?」
「あはは、それは勘弁してもろて……、」
白沢を睨みつける霧子の形相たるや。流石の白沢も肩を竦ませている。霧子の怒りも尤もなのだ。
しかし、これから制裁を受けるであろう神獣を
猫宮はいつもの調子の二人に溜め息をついたのだった。
そうしている間に、煙谷は吸っていた煙草の火を自分の手で握りつぶす。すると、いつぞやと同じように煙谷の背後に女鬼人が現れた。
女鬼人は煙谷の隣まで歩みを進めると、呆れたように口を開いた。
「遅かったな、煙谷」
「いやぁ、少し手間取ってね」
「……こいつか」
そんな会話を交わすと、女鬼人は手に持っていた身の丈半分ほどのある金棒で白沢をつついた。首に負った怪我と、結ばれた制約に気落ちしている白沢はされるがままで、威厳ある神獣の姿とは程遠い。
そうこうしているうちに、白沢の両手は太い縄で絞められ、不思議な札が貼られている。どうやらそれは手錠のようだ。
白沢は両手を上げたり下げたり、縄の様子を確認している。神獣と言えど、これでは逃げられないらしい。
「あー……もう、嫌やー」
「うだうだ言うな!」
情けない姿を晒すのも白沢らしいと、久保は少し安堵した。
白沢はそんな態度を女鬼人に咎められたが、そう言えば、と見藤を振り返る。その表情は少しばかり真剣だった。
「あ、せや。おっさん」
「ん?」
「過去は清算せなあかんで」
「なに、を……」
「少しばかり力が戻った礼やな。予言ってやつや」
「……、」
吉兆の印である神獣 白澤、しかし、その言葉は見藤にしてみれば凶兆以外の何物でもない。
―― 過去の清算。それが意味することは何なのか。
見藤が思わず白沢を睨むと、彼は困ったように肩を竦めた。そして、久保に視線を向ける。
「あ、そうそう久保」
「ん?」
「ありがとな。あと、お前妙なことに首を突っこみすぎるなよ?」
「白沢……」
それは友人としての言葉だった。
―― そうして女鬼人は白澤を連れ、姿を消した。
そして、その場に訪れるしばしの静寂。突然、彼らを襲うのは得も言われ疲労感。
見藤に至っては
頭を抱えた見藤は、ぽつりと言葉を溢す。
「流石に疲れたな……」
「もう、明日を待たずに帰りたいよ」
「煙谷、お前は何もしていないだろう」
「え、そうだっけ」
「そうだ」
見藤の言葉に、とぼける煙谷。
煙谷が怪異と言えど、見藤にとっては変わらず馬の合わない同業者、らしい。そんな変わらない二人の関係に、猫宮は少し呆れたような、納得したような、少し笑みを浮かべながら溜め息をつくのだった。
地面に座り込んだ見藤は、少し離れた所に転がされた男を見やった。
白澤の言葉から察するに、見藤に危害を加えたのは
見藤は疲労から溜め息をつきながらも、煙谷に尋ねる。
「で、そいつはどうする?」
「あぁ、忘れる所だった。こいつは僕と一緒の民家に泊まっていた奴だから、適当に連れて帰るよ。あの小屋の地下に関しても、こちら側で始末をつけておく」
「そうか」
「じゃ」
煙谷はそう言うと、その細身な体格に似合わず、いとも簡単に男を担ぎ上げた。そして、煙になって消えてしまった。
その場に残された見藤は思わず「ありゃ、便利だな」と、呟いていた。
そして、猫宮は本来の姿から猫又の姿へと戻り、一仕事終わったと言わんばかりに欠伸をする。それにつられて、久保も疲労がどっと押し寄せてきたのか、大きな溜め息をつくのであった。
見藤は地面に座り込んだまま。隣に立つ霧子を見上げ、彼女の姿に安堵したような表情を浮かべた。
「霧子さん、」
「なに?」
「ありがとう、助かった」
「べ、別にいいのよ……、そんなこと」
見藤の素直な一言に、思わず照れくささでむず痒くなり、霧子はぷいっと顔を逸らしてしまった。その仕草を可愛らしく思い、見藤も思わず笑みを浮かべる。
見藤はそんな霧子の様子に、白澤からかけられた言葉を思い出した。まさか、神獣に霧子との関係を、男女の契りと茶化されるなど思ってもみなかった。
そして、否定しきらなかった霧子に、少しばかり嬉しいと思ってしまった自分が情けない、と眉を下げた。
あの時、身が危険だという状況下でそんな事を一瞬でも考えた自分が恥ずかしくなり、見藤は項垂れる。そして、しばらく地面を見つめていた。
(今思えばガキが突然契ってくれなんて言ったら、そりゃ霧子さんも驚くか……。俺は馬鹿だな。……にしても、過去の清算、か。いずれは……、)
と、過去を思い出したようだ。
物思いにふけっている見藤の様子に霧子は首を傾げている。そんな霧子に気付いた見藤は思考を止め、そっと口を開く。
「……俺達も戻るか」
「そうですね」
見藤の言葉に久保は頷き、立ち上がるときにふらついた見藤に肩を貸す。そして、霧子は姿を消してしまった。
それを見届けた後。見藤と久保、猫宮は民家へと戻り、泥のように眠った。
◇
そして翌朝。見藤のこめかみに久保の少しばかり雑な手当の跡を残し、二人は身支度を終えた。最後に朝食をご馳走になり、老夫婦にお礼を述べる。途中、見藤のこめかみの怪我について心底心配されたのだが適当に誤魔化すことも忘れない。
老夫婦と息子は見藤に薪割などの重労働を代ってくれた礼を述べ、丁寧な見送りまでしてくれた。
「お陰様で息子も動けるようになりましたので。家のことまで、ありがとうございました」
「それは良かった。こちらこそ、ありがとうございました」
結局、ここの住民達は一風変わった風習を残しているものの、事前に聞き及んでいたような疑いは何もなかった。
過去の凄惨な事件を隠れ蓑にした、白澤による隠蔽工作だったのだ。
そうして、この田舎に来た時と同じように、職員が運転するバンに揺られる。目的地に着けば、簡単に別れの挨拶を交わした。バスを乗り継ぎ、無人駅へと到着する。
流石に疲労が隠せなくなっていたのか体が重い ――、見藤は煙となって一瞬にしてその場を移動した煙谷を思い出し、心底恨めしく思うのだった。
* * *
見藤と久保が事務所に帰り着いた頃には、夕刻に差し掛かっていた。
「やっと帰ってきた……」
「お疲れさん」
久保の盛大な溜め息とともに口から出た言葉に、見藤は労いの言葉をかける。見藤は荷物を肩から降ろし、久保へ今後の方針を伝えた。
「流石に今回は
「そうですね、東雲さんにもそう言っておきます。……その傷を見られたら、僕まで説教食らいそうですし」
「はは……、」
見藤の乾いた笑いが事務所に木霊した。
そうして、見藤は久保と別れた後。居住スペースへと移動し、楽な格好に着替え荷物の整理もほどほどにして、ベッドへ倒れ込んだ。風呂は明日の朝でいい、そう思いながら重たい瞼を閉じた。
疲労からか、睡魔はすぐにやってくる。
―― その日は、夢を見ることになった。
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