第38話 凶兆、現る


 そうして夜。

 見藤は久保が寝ていることを確認。猫宮にも久保から離れないように念押しして、再び民家を抜け出していた。民家が点在している一定の場所を離れ、あの雑木林へと近付く。


 すると、何やら気配を感じて足を止めた。そして警戒 ――。

 こんな田舎だ。街灯などは存在せず、頼りになるのは月明りだけだ。じっと、暗闇を注視するが夜目が利かない。


「っ、!!??」


 見藤は突然、頭に強い衝撃を感じた。衝撃を感じるのと同時に意識が朦朧とする ―― 軽い脳震盪のうしんとうだ。こめかみから頬へ、何か温かいものが流れる感覚がする。その衝撃と脳震盪で思わずふらつき、鼻腔を鉄の匂いが掠めた。

 なんとか足を踏ん張り、両手を地面につき、膝を折ったため頭から倒れることはなかったが、視野が狭窄している。肩で粗い呼吸を繰り返し、目の前の状況を理解しようと視線を上げるが、上手くいかない。

 揺れる視界にようやく映ったのは、杭打ちハンマーをさらに振りかぶった、人の影だった。


「見藤さん!!??」


後ろから、名を呼ぶ声が聞こえた。久保だ。

 彼は寝ていたのではなかったのか、猫宮は言いつけを守らなかったのか ――、言いたいことはあるのだが、意識が朦朧として口が回らなかった。



 久保は見藤の名を大声で呼ぶと、共に走ってきた猫宮に「頼む!」と叫んだ。すると、猫宮は倍化して本来の姿をとったのだ。この際、猫宮にとって二人に本来の姿を視られることなど、見藤の危機に比べれば些細なことなのだろう。見藤は人の手で傷つけられても良い存在ではないのだ、と言わんばかりに猫宮は大きな口を開け、牙を剥き出しにする。


 猫宮は、杭打ちハンマーを振りかぶった人影に襲い掛かった。大きな猫の手が、人影を地面に押し倒す。


「こいつ……!!」


猫宮はウゥウ……、と猫特有の威嚇音で低く唸った。

 そして、大人の男以上の大きさを持つ猫宮によって、踏みつぶされた人影の素顔が、月明りに照られて露になる。


「こいつは……?」


 猫宮はその顔を見るや否や、驚きで目を見開く。

 その人影は昨日、慰霊碑参り代行の際に引き返したあの男だったのだ。行方不明になる所か、見藤に危害を加えるとは ―― 猫宮の牙が怒りで更に剥き出しになり、制裁を加えようと牙が男に近付いていく。

 しかし、それを止めさせたのは、見藤が呟いた微かな声だった。


「猫宮、待て」


ぴたり、と猫宮が動きを止めた。

 見藤は久保に体を支えられ、こめかみの血を拭っている。そして、見藤は本来の姿をした猫宮を視た。その姿は猫又というよりも、火車であり荘厳。見藤は一瞬、驚いた顔をするが、傷が痛むのか。すぐにその表情は苦痛に歪んだ。


「……そいつは、違う」


見藤がそう言い終わるや否や ――。周囲に声が響く。


「こんな時間に、こないな所で何をしとんねや!!」


 久保が聞き慣れた人物の声が聞こえたのだ。久保は、思わず助けが来たという安心感で、息を短く吐く。

 しかし、見藤の視線は鋭く、その存在を射抜く。


「し、白沢しろさわ!!手をかしてくれ、見藤さんが……!」

「なんや、何されたん!?」


 白沢の姿を一目視た見藤は、白沢に助けを求め近寄ろうとした久保の腕を即座に引いた。それ以上近寄るなと、ぐっと力を籠める。久保はなぜ見藤がそういった行動を取るのか理解できず、戸惑いの表情を浮かべている。


 しかし、目の前に佇む白沢は、見藤の行動がどういう意味であるのか理解している様子だ。最初は心配を装った表情をしていたが、徐々にその表情は崩れていく。


「あーあ、やっぱその眼で視られたら一発でバレてしまうか。だから会わんようにしとったに。てか、入り口の侵入者用の罠をいじったのは、おっさんの仕業か。あれ苦労したんやで?」


残念そうに話す白沢は、まだ状況が理解できていない久保を見て、にやけた笑みを絶やさない。


―― 実のところ、見藤は内心えらく動揺していた。

 見藤の目に視える、本来の白沢の姿。それは大昔に姿を消したはずではなかったのか、と。しかし、今まさに目前に害を成す者として存在している。


 その動揺を気取られないようにするためなのか、見藤は眉をひそめながら白沢に尋ね、話題を逸らす。


「どうして、久保くんに……、付き纏っている?」

「んー?ただの興味本位。いやぁ、吉兆の印である俺でも驚くほど運がええ」


 白沢の答えに、見藤は更に眉を顰める。そして、見藤を支える久保は困惑した表情を浮かべていた。

―― 彼らは一体、何の話をしているのか。

 同じ言葉を話しているはずなのに、久保には到底理解が及ばなかった。


「だって、久保。お前なぁ……本当やったらあの日、まよに憑り殺されるはずやったんやで?」


―― 迷い家。

 それは、久保が偶発的に遭遇した怪異。久保を襲った怪異だ。『偶発的』そのはずだった。しかし、今の白沢が発した言葉を理解するに、どうやらそれは決められていた事象のようだ。―― 不意に、久保の背を強烈な悪寒が走る。


 そんな久保の様子など、お構いなしとでも言うように白沢は言葉を続ける。


「それを持ち前の運だけで回避しよった。こない面白いもんあるかいな。バイト募集の住所、間違えとったやろう?それで、ことが起きる前に、そのおっさん所に辿り着くんやもんなぁ。面白いわ」


 低い笑い声を噛み殺しながら、ひとり喋り続ける白沢。その身振り手振りは、まるでこちらを警戒していない。己が上位者である、という確固たる自信。


 猫宮は突如として現れた存在に、更に警戒を強めている。思わず、男を取り押さえた手に力が入り鋭い爪が男に食い込んだようだ。男が小さく呻く声が聞こえた。

 その声を聞いた見藤は眉を下げつつも、猫宮を諫める。


「……猫宮、なるべく傷を負わせるな。後々面倒になる、」


 見藤にそう言われてしまえば従う他ない、と猫宮は不本意だと言わんばかりに鼻を鳴らした。そして、少しだけ男を取り押さえた手の力を緩めたのだった。

 しかし、それに便乗するかのように白沢が茶々を入れたのだ。


「そうそう、そいつは悪くないんや。俺がちょっと嫌な夢を見せるよう頼んで、現実か夢か、一時的に分からんなっとるだけや」


 猫宮は不愉快そうに眉を動かした。そして、鼻で笑うと白沢を見据えて、こう言い放ったのだ。


「はン!どうりで牛臭い訳だ」

「ああん?」


猫宮の言葉に、白沢の表情が豹変した。


「野良猫風情が!」


売り言葉に買い言葉だ。

 白沢が怒鳴り声を上げた途端、額にはギョロギョロと左右に動く目玉が勢いよく見開かれたのだ。すると、彼の怒りに呼応するかのように突風が吹き荒れる。


 その突風を受けた見藤と猫宮、そして久保は思わず目を瞑ってしまう。次に目を開けた瞬間には、大柄な牛の姿をした怪異が、怒りに任せこちらに鋭利な角を向けて突進してくるのが見えた。

 その大柄な牛の姿は、まさに上位の怪異。角は水牛のように立派で、肌は薄い梔子からし色をし、第三の眼を開眼させている。


 流石の猫宮でも足元に取り押さえている男を放り、衝突の衝撃を受けるには間に合わない。猫宮の後ろには依然ふらついている見藤と、それを支える久保がいる。どうしたものか、と考える時間はないようだ。思わず、猫宮は大きく舌打ちをした。

―― 突如、忌々しい呑気な声が見藤の耳に届く。


「お、本当に釣れてるねぇ」


 鈍い空気を含んだ音がして、辺り一帯の視界を遮る煙。その煙に押され、牛の怪異は身をひるがえし、距離を取った。そして、その怪異は瞬く間に白沢の姿へと戻る。

 煙が視界から晴れると、目の前に佇む人影を目にした見藤は力なく名を呼んだ。


「煙谷……」

「なになに、珍しくやられてるねぇ。いや、僕が知る限り二度目かな?」

「はっ、こいつは……」


 皮肉じみた煙谷の言葉に、見藤は軽く笑みを溢す。煙となって目の前に現れた煙谷に、見藤はさして驚かなかったようだ。


 先の夏のこと、廃旅館火災からの救出。見藤の中で、なるほどと合点が行ったのだ。そして、思い出す。

 その後の出来事だ。煙谷から吹きかけられた、煙草の煙に激怒した霧子の怒りの意味。人に友好的な怪異、人の中で紛れて暮らす怪異と言うのは見分けがつかないものだと、見藤は笑ったのだ。

―― 目の前に敵意を剥き出しにする牛の怪異は、一目視て正体が分かったというのに。




 煙となって現れた煙谷を見るや否や。白沢は眉を顰め、嫌悪感を孕んだ声音で呟く。


「なんで、地獄の番人共がこうも揃うんや」

「何でって。思い当たることは、いくつもあるはずだよ。神獣 白澤はくたく


 白沢の問いに、飄々と答える煙谷の口から告げられた、彼の正体。

―― 神獣、それは人が招いた愚行により悉く姿を消していったとされる吉兆の者たち。神の一端。

 現代ではその姿を目にすること叶わず。伝承にのみ、その姿を記す。だが、この神獣はどうやら違ったようだ。


 神獣 白澤。そう呼ばれた白沢と、地獄の番人と呼ばれた煙谷と猫宮。それは役者が揃ったと言わんばかりの光景だ。煙谷は腕を組み、白沢の前に立つ。



 久保は依然、蚊帳の外だ。

―― 友人だと思っていた白沢が怪異だった。それを、どう受け止めていいのか分からないのだ。

 目の前の光景は、あからさまに敵対している。それは成す術も、口を挟むことも許されない。そう言われているような気がして、唇を噛んだ。


 見藤は自力で立ち上がろうと膝に力を入れ、久保の心情をおもんぱかるように背中を軽く叩いた。それに気付いた久保は、少しだけ安堵の表情を浮かべながら頷く。そして、白沢へと視線を向けた。


 見藤は立ち上がると、未だ視界が揺れるのか頭を押さえる。だが、白澤と呼ばれた怪異をしっかりとその目に見据え、質問の続きを口にしたのだった。


「で、怪異をそそのかしていたのは、お前か」

「んー、せやけど。別に俺は悪い事はしとらんやん」

「……、なぜ摂理を引っ搔き回す?」

「うーん、妖怪の類は数を減らす一方。怪異は認知に存在を左右され自由に生きられへん。人は進歩の歩みを止めてしもうた。だから、俺がそれぞれの進歩を促しただけやんか」


 神獣 白澤というのは、なかなかにお喋り好きのようだ。見藤は言葉を続ける。


「で、かの崇高な神獣 白澤が、なぜ人間を薬にしようと思ったんだ?」

「なんや、質問責めやんか。まぁ、……ええやろう」


 そう言うと白沢は白沢と呼ばれている人の姿から、今度は梔子色をした牛の姿、そして今度は獅子の姿。そして、また別の青年の姿、最後にそのすべてが入り混じったような異形の姿。まるでテレビのチャンネルを無造作に変えているような。

 これでは、自身がとるべき姿が定まっていないとも見て取れる。―― いや、最早、本来の姿を忘れてしまっているようだ。


「俺をこんな姿にしたのは人間だろう。その治療だ」


 そう言い放った白沢の声音は、今までとは明らかに異なっていた。口調も違う。それは酷く怨嗟が籠っていた。


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