禁色たちの怪異奇譚~ようこそ、怪異相談事務所へ~

出口もぐら

第一章 劈頭編

第1話 俗に入りては而ち俗に随う


 奇絶怪絶、奇々怪々。怪異が起こる、そのどれもが似たような意味を持つ。世にも奇妙な、常識では起こり得ない不思議な

 それは時に視えざるナニかや、人ならざる存在によって引き起こされた事件や事故に巻き込まれた人により語られることが多い。そのナニかは怪異――、都市伝説上の存在や妖怪、幽霊などにもその呼び名が当てはまるだろう。

 しかし現代において怪異と偶発的に遭遇する、となると――。


「捜索願……。今年に入って何件目だ」

「さぁ、何件目でしょうか」


必然的に、その行方を眩ませることになる。


◇ ◇ ◇


 毎日大体同じ時間に起床し、同じ時間に下宿先を出て、大学へ行く。講義を受けて、クラスメイトと談笑し、帰路につく。その繰り返しだった毎日。どこにでもある、平凡な大学生の日常。


 そんな、平凡な大学生のうちの一人。寒さが和らぎ始めた頃。二度目の春を迎ようとしている青年は何か新しい出来事がないものかと、構内掲示板を眺めていた。

 そこでふと見つけた、アルバイト募集の紙。軽作業、事務処理、初心者歓迎。時給はそこそこ良かった。


(アルバイトでも始めてみようか)


 掲示板の前でそう思い至った青年は、学業に精を出してはいるものの。特に毎日それ以外何をするわけでもなく、同じことの繰り返しで少し飽き飽きしていた所だ。


 青年は張り紙に書かれた住所を確認する。スマートフォンを取り出し、住所を調べる。この距離なら、大学とも下宿先とも左程遠くはない。十分通える距離だ。先方に連絡し、面談の日程を取り付けるまで大して時間は掛からなかった。

 このとき、思い至れば吉日という思考に陥っていたこの青年には、調べた住所と募集元の住所が若干異なっていたことに気付く術はなかった。




 面談当日。青年はパーカーにスニーカー、背中にはリュックという軽装で雑居ビルの中にある一室へ向かっていた。

 そのビルは都市に建つものの、それは些か古い建物のようだった。見上げた外壁は所々塗装が剥がれ落ち、小さなひびが入っている。それを隠すような、テナント募集中の広告。


 青年は違和感に少しだけ首を傾げたが、面談時間に遅れるといけない。観察はほどほどに、ビルの中へと入って行った。

 そうして目的地である一室前に辿り着くと、扉を数回ノックをする。すると中から「どうぞ」と少し訝しんだ男の声がした。


「こんにちは。アルバイトの面談に伺いました、久保といいます」


扉を開き、そう名乗る。

 青年――、久保が目にしたのは、事務所兼応接室のような造りの一室だった。


 窓際に置かれた事務机で作業をしている男が先ほどの声の主だろう。短く切り揃えられているはずの髪の毛先は少し寝ぐせがついており、顎には無精ひげが蓄えられている。身につけているスーツにネクタイはしておらず、所々に皺ができている。

 要はさながら、くたびれた中年だが歳は壮年期半ば、三十代後半くらいだろうか。こちらを見る男の目元にはやや皺ができ、切れ眉が強面の印象を与えるが威圧感はない。落ち着きのある声で心地よい低さだった。


 事務所には事務机が一つのみ、ここの職員は彼一人なのだろうか。俗にいう社畜なのか、そうであれば募集の張り紙はブラックバイトだったのか ―― そんな思考が巡り、久保は不安気な表情を浮かべる。

 一方、久保の姿を目にした男は、少しだけ眉を寄せた。


「アルバイト……? まぁいい、座ってくれ」

「あ、はい。ありがとうございます……」


男の提案に、久保はぎこちなく返事をする。

 確かに面談の連絡をしたはずだが、この男には伝わっていないらしい。その事実が余計、久保に冷や汗をかかせる。言い方は悪いが、楽なアルバイトをして小遣い稼ぎくらいにと思っていたことが悪かったのかもしれない。

 

 男は事務机の前方に配置されたローテーブルとソファーを見やる。そこで面談を行うと言うのだろう。男が椅子から立ち上がると、ぴょん、と何か毛玉が飛び降りた。

 猫だ。白と茶色が混ざった猫がこちらを一瞥いちべつし、我関せずといった様子で立ち去っていった。

 久保は、何故こんな所に猫がいるのかと不思議に思ったが、男がソファーに座ったため、慌ててそれに続いた。そしてリュックから履歴書を取り出し、男に手渡す。男は一通り眺めると、ふっと短い息を吐いた。


「丁度よかった。もう歳か最近、老眼が進んで事務作業に時間がかかって仕方なくてな。これからよろしく。いつから来られそうか?」

「え、あ……よろしくお願いします。いつからでも大丈夫です」

見藤けんどうだ、改めてよろしく」


こうして採用が決まったアルバイト。簡単な自己紹介を互いにし合い、事務所内を案内された。

 それから三十分ほど滞在し、初出勤の日程を決めた後、久保は帰路についたのであった。

 彼を見送り、事務所の扉を閉めた見藤は ――。


「アルバイトなんて募集したっけな…………まぁ、いいか」


一人呟いていた。まぁ、これも何かの縁だろうと思い、深くは考えなかった。




* * *


(それから、はや二か月。ほんと、何なんだろここの事務所)


 あまり深く考えないようにしよう、そう自分に言い聞かせるのだが、つい気になってしまうのが人間の好奇心というものである。

 久保は見藤が向かう事務机の隣に用意された簡易的な作業スペースで軽作業をしつつ。巡る思考の中に身を投じていた。



―― 見藤の事務所、ここは一体何の仕事を請け負っているのだろうか。

 まず、書類が多い。なんせ多い。IT社会と謳われるようになりしばらく経つ。さらに、過去の世界的感染症から本来の数年先は発展したと言われている時代だ。そんな時代に取り残されたかのように、見藤は機械にめっぽう疎かった。

 「機械は叩けば直る」と言い放った見藤を目にした時は、「そんなことで直る訳ないじゃないですか!」と思わず声を荒げてしまった。後生だからと、経理の書類をパソコンで作成したこともあった。そんなものをアルバイトに任せるのかと、あの時は身が縮む思いだった。


 初めは書類の多さに驚いていたが、これを機械に疎い見藤は全て手書きで行っていたのだと言う。それにも驚いた。その書類は一見、くたびれた中年の見藤が書くにしては、あまりにも綺麗な字だったからだ。「字が綺麗ですね」と見藤を褒めたつもりだったが、複雑そうな顔をされたときは、とても気まずかった。


 そして、次にその内容だ。怪しい、実に怪しいのである。

 聞いたことのない地名、目にしたことがない専門用語が、あちらこちらに記されているのだ。読めない字があるのは、自分の理解が追い付かないだけなのだろうが。


―― そんな思考の渦から、久保の意識を引っ張り上げたのは、猫の鳴き声だった。


「にゃーん」

「お、又八またはち。どうした?」

「シャーっ!」


 この猫、名を又八またはちという。やや小太りで足の短い、なんとも愛嬌のあるフォルムをした飼い猫が、久保の懐疑的な気持ちを和らげる。久保が「又八」と名を呼ぶと、先程のように威嚇されるようだ。どうやら、あまり懐かれてはいない。


 そして――、事務所の扉が開いたかと思うと、そこに現れたのは一人の女性だった。


「遊びに来たわよ。失礼するわね」

「あ、どうも。霧子さん」

「これ、久保君にお土産!」

「わぁ……! ありがとうございます」


事務所に来る途中、どこかで購入したであろう茶菓子を久保に手渡す女性。

 時折こうして事務所を訪れる、『霧子』という名の女性がいる。優しげな雰囲気を纏い、柔らかく微笑む彼女は誰が見ても美人と思うだろう。

 両頬に沿うように伸ばした緩やかにカーブした黒髪と、流れるような後ろ髪が印象的だ。目は夜を模したかのように煌めき、睫毛が長い。その通った鼻筋の先にはこれまた形の整った唇に、淡い色のリップが塗られて健康的な色をしている。

 そんな彼女に久保が見惚れていると、背後から見藤の困った声がする。


「……餌付けしないでくれ」

「違うわよ!」


見藤の言葉に抗議の声を上げる霧子の反応はとても可愛らしかった。

 さらに特徴的と言えるのは、霧子はとても背が高い。見藤は一般の人と比べると体格がよい方だが、その見藤よりも少し高い。彼女はモデルなのかと考えもしたが、そうだとすれば見藤との関係が気になり、作業に手が付けられない。

―― うらやむ気持ちを抑え、久保はひとまず思考を放棄した。




「それじゃあ、今日はここまでだな。お疲れさん」

「ありがとうございました。また、明日来ますね。見藤さん」


「またね」

「はい、霧子さんも」


 すっかり時間は夕刻間近となり、久保は二人に見送られながら事務所を後にした。久保は帰路につき、再び思考を巡らせる。


―― 不思議なのは見藤だ。さながらくたびれた中年の風貌。その風貌と相反するかのように、潔癖症かと思うほど綺麗に整頓された事務所。棚に置かれている本や書類は綺麗に整頓されており、埃ひとつ被っていない。


 見藤は一見、強面に見えるが実際に話してみるとそうでもない。時折見せるはにかんだ表情は目尻に皺が寄ると、より優しげな印象を受ける。そして霧子は、そんな見藤の昔馴染みだという。

―― が、久保から見て、あの二人は「昔馴染み」などという言葉では言い表せない雰囲気を醸し出している。


(なんか色々噛み合わないよなぁ……。まぁ、深く考えないようにしよう。悪い人達じゃない)


もう何度目の思考か。こうして、また一日を終える。


* * *


 その日、久保は講義を終えて帰路につこうとしていた。そこに突然、背後から掛けられる声。


「なぁ、久保。最近、SNSで怪談話が流行ってるの知らん?」

「え?あぁ、お前か……。うーん、あまり興味はないけどな」

「まぁまぁ、そう言うなって。都市伝説とか面白そうやない?」


 久保自身、あまり流行に敏感な部類ではないことは十分に理解しているが、その手の話は最近よく耳にする気がする。それはあくまで娯楽的な範囲だ。


 そして、この友人。大学入学当初からの付き合いではあるが、いつもこうしてなんら脈絡のない話を突然にしてくるのだ。

 彼の喋り方には特徴を感じるのだが、如何せん大学というのは地方出身の学生も多く、友人の方言を聞くうちにその方言がうつってしまう、というのはよくある事だろう。そんな混ざった言葉を話す友人との会話も、いつの間にか慣れたものだ。


「ほんまに不思議体験というか、心霊体験か。いっぺん経験してみたいわ。そう思わん?」

「うーん。したいかと言われれば……したくない?僕にはあまり関係ないというか?」

「なんで、自問自答しとんねん」


 友人が言うような怪談話や都市伝説と言った類の話を信じていない訳ではないが、自分とは無縁だと考えている、それが久保の率直な感想だった。

 そんな久保の胸中など知りもしない友人は勝手に話を進めて行く。


「まぁ、ええわ。今年の夏休み。クラスの何人かに声かけて心霊スポットにでも行こか! 俺がどっかリサーチしとくな」

「お断りしまーす。まぁ、お喋りはこの辺でお終い。さっさと帰るぞ。僕、バイトあるし」

「え、久保。お前バイト始めたん?」

「言ってなかったっけ?」


 そんな他愛ない会話をしながら二人は帰路につこうと、荷物をまとめ終わり席を立ったときだ。

 久保は前方席との間に何かが落ちていることに気付き、それを拾い上げた。彼が手にしたのは、少し古めかしい色合いをしたお守りだった。


(こんな所にお守り……?)

「ごめんなさい、それ私のです……」


 声がして、ふと視線を戻すと、明るい髪色の女学生がこちらに声をかけてきた。彼女がやや挙動不審なのは、顔見知りでもなければ同じクラスでもないからだろうか。互いにぎこちなくではあるものの、軽く挨拶をかわし、久保は彼女にお守りを手渡す。

 お守りを受け取った女学生は教室を出る間、しきりに久保を気に掛ける様子で退室していった。


「お守り拾うとか、あんな話しとった後で……、なんかあれやな……」

「そう思うなら、夏休みの予定はキャンセルで決まりだな」

「それは嫌や」

「えぇ……」


そうした出来事があった後、二人はようやく帰路についた。



 帰路についた久保と友人は何気ない日常を過ごす。並んで歩く二人、先に口を開いたのは友人だ。


「あ、そうそう久保。この辺に美味い飯屋見つけたんよ。ちょい、そこ通って帰ってもええ? 期間限定のメニューが ――」

「おっけ、まだ時間あるから大丈夫だ」


友人の誘いを断る理由もない。久保は二つ返事で承諾した。


 大通りを徐々に外れて行き、次第に人通りはなくなっていった。あるのは連なる建物の伸びた影と、二人の足音、ビルの間をすり抜けていく風の音。

 どれだけ歩いたのだろうか、不思議と時間経過の感覚が狂ったような錯覚に陥る。二人の間に既に会話はなく、ただ足を前に進めているだけだった。


(道に迷った……?)


 久保は得も言われ感覚を覚え、振り返ったがその景色は特に変わった様子はない。自分が歩いてきた道がそこにあるだけだった。

―― だが、突然の不安感に襲われる。すうぅ……、っと手足が冷えていくのが分かった。


「なぁ……っ!」


 久保は慌てて向き直り、自分の前を歩いていた友人に声掛けたが ――。そこに友人の姿はなく、代わりに都会とは思えない風貌の古民家が目に飛び込んできた。


(なんだこれ………、あいつはどこに行った?はぐれた?)


 いくら周囲を見渡しても人の気配はない。あるのは、古民家へ続く小道と田舎風景。

 理解が追い付かない。いや、頭が理解することを拒否しているのか。ただ、自分は友人とはぐれて道に迷っただけだ。そう言い聞かせて、久保は来た道を戻ろうと、もう一度振り返った。


 しかし、そこは久保が歩いて来た道ではなくなっていた。小道が続き、小脇には雑草やススキが生い茂っている。

―― 違う、先ほどまで自分は大学進学のために出てきた、ビルが立ち並ぶコンクリートだらけの都会にいたはずだ。その常識が思考の邪魔をする。それに、この不安感はなんだというのだろう。いつになく心臓の鼓動が早く感じる。


(と、とにかくあいつを探さないと……!)


 軽い錯乱状態に陥っている人間には、冷静な判断などできる訳もなく。ただ目の前に家があれば、その家を訪ねてみようという思考にさせる。同じように道に迷った友人もそこにいるかもしれない、と。


 季節外れのススキが風になびき、揺れている。久保を民家へいざなうように、ゆらゆらと穂をもたげながら揺れている。

 久保は一本道を進んで行き、腰ほどの高さがある石垣でつくられた門を通る。目前にした民家は、数十年人の手が入っていないと想像に容易いような風体で、瓦屋根も数か所剥げていた。


 玄関前までたどり着く。玄関戸は昔ながらのりガラスがはめ込まれた、アルミサッシで作られた引き戸だ。脇を見やると劣化し赤褐色に変色した郵便受けに、大量の広告や新聞が詰め込まれていた。何枚かは地面に落ち、散乱している。その状態は悪く、濡れている。


 久保は辺りを見回す。何よりも異質なのは、辺りは夕陽に照らされていると言うのに、この家の周囲だけが薄暗い。それは、まるでダムの奥底に沈んでいたかのように湿っぽい。

 それらの異様な光景は、この民家の不気味さをかもし出すには十分だった。


 久保は思わず気分が悪くなり、顔をしかめた。血管が脈打っていると分かるような酷い頭痛、そして耳鳴りが聞こえる。体が何かを感じ拒絶しているのだろうか。

 すると、ゴオォ……! と、まるで久保が玄関を開けるのを急かすかのように突風が吹いた。

 こうしていても始まらない。久保は意を決し、玄関引戸へ手を伸ばした ――。






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