Epistle XII — Alisa's Resolve
53.空白
†
五月も下旬に差しかかり、ボレロを着ない生徒も見受けられるようになった。アリサもその一人で、長袖のブラウスにジャンパースカートという中間服姿で登校していた。
教室に入ると、小雛が真っ先に「おはよー!」と活発な挨拶を飛ばしながら駆け寄ってくる。一年A組で最初に衣替えをしたのも彼女だった。
「ごきげんよう、ヒナさん。相変わらず気持ちのいい声で感心だけど、挨拶はどんな時でも『ごきげんよう』よ?」
「そうだった。明日から気をつける!」
「昨日も一昨日も、アリサから同じ注意を受けてた気がするけどね」
小言を呟きながら隣に並んできた菊乃はまだ冬服のままだった。
「アリサも衣替えしたんだ。あたしも脱いでくればよかったかな」
「わたくしはお姉さまに合わせたの。スリーズは極力、服装を合わせるものらしいから」
「へえ。そんならあたしもまだってことになるかな。ていうかヒナのお姉さまもまだボレロ着てた気がするけど」
「うん、着てる! だからヒナのドクダミ戦法!」
「ドクダミ?」
アリサが首を傾げると、菊乃が苦笑しながら溜め息をつき、
「たぶん、独断専行」と解読してみせ、小雛も「それそれっ」と声を弾ませる。
「さすがは菊乃さん、ヒナさんのことならなんでも分かるのね」
「ちょ、アリサまで悠芭みたいなこと言わないでよ。私はただ、ヒナの扱いにちょっと慣れてるだけで」
「ちょっと、とは。いやはや、今日もご謙遜が過ぎますね、菊乃さん」
背後からどこか慇懃な口調が割って入る。振り返るまでもなく誰がいるのは分かり切っていたが、一応視線だけ向けてみると、やはり悠芭が眼鏡を光らせていた。彼女ももうボレロは身につけていない。
「悠芭って毎朝のようにこっち来てるけど、もしかしてB組に友達いないわけ?」
「ま、まさかそんなことは。友達百人ですとも。富士山の上でおにぎりですよ」
「百人もお友達? すごーい!」
「ヒナ、簡単に騙されないで。そもそも二クラス合わせても百人いないし」
「そっか。悠芭ちゃん、ヒナのこと騙したの?」
「いやぁ、その。騙すなんて人聞きが悪いと言いますか、友達百人実現の意気込みは至極当然に持ち合わせているのですが……」
珍しく歯切れの悪い言葉を並べながら、悠芭はちらちらと教室の中を覗いている。その目論見は明らかだった。
「残念ながら、今日もいないわよ……舞白さんなら」
アリサが見透かしたように言うと、三人の顔がわずかに曇った。
――聖母祭以降、舞白は一度も登校していない。
それどころか夢見荘を離れ、現在は旧寄宿舎の部屋に移っている。この一週間、ほとんどの生徒は舞白の姿を見ていない。
「舞白さんはそんなに酷いご病気なのでしょうか。わざわざ旧寄宿舎に移られたというのは」
「でも、授業には参加してるよ。先生がタブレットで映してるのをお部屋で受けてるって」
「なるほど、では授業を受けられないほど重篤なわけでもないと。謎はますます深まるばかりです」
「そもそもそんなやばかったら、旧寄宿舎じゃなくて病院行きでしょ」
小雛、悠芭、菊乃の三人であれこれと言い合っている。
(不思議に思うのも仕方がないわ。わたくしだって、言われなければ分からなかったんですもの)
アリサだけは、舞白が休んでいる理由を知っていた。
けれどそれは、自分の口から明かすことはできない。
もしアリサ以外の生徒たちが知る日が来るとすれば――それはきっと、舞白が本当の意味で、前を向いてくれた時。
その日が来るのを信じたい反面、一抹の不安も残っていた。
(なにかもっと、舞白さんの気持ちを後押しするようなことができたらいいけど。やっぱり私の言葉だけじゃ、まだ……)
「舞白ちゃんとお話しできたらいいのにな。なんでお見舞いに行くのもダメなのかな?」
「さあね。タブレットじゃ映像も音声も切ってるし、よっぽどの事情があるんじゃないの」
「ではテキストチャットを試みというのはいかがでしょうか」
「うーん、舞白ちゃんってタブレットすっごく苦手だから、難しそう」
「そもそもチャットがなにか知らなそうっていうか、タイピングできるか怪しいレベルなんだよね」
なおも舞白を心配する言葉を絶やさない三人の会話を聞いて、アリサは一つの可能性に気づいた。
「そうよ、お見舞いやタブレットがダメでも、みなさんの言葉を伝えられたら……」
呟くように言ったのち、アリサは三人に向き直った。
「小雛さん、菊乃さん、悠芭さんも。みなさんに協力してほしいことがあるの。聞いてもらえるかしら――」
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