Epistle XI — Who Added the Edge?

48.お茶会の秘密





 ――誰が自分のコーヒーカップに、あの小さな刃を混入させたのか。

 謎を解くためにアリサがたどり着いた手段こそ、瑠佳の机の中を調べることだった。


「どうして黙っているの? 正直に言えば怒りはしないから」


 一見、普段通りに感じられる優しげな声、寛容な微笑み。

 けれど今のアリサには、優しさとはまったく真逆の情念が渦巻いているように見えた。


「正直に、ですか」顔つきから怯えを払いのけ、瑠佳と向き合う。「そうするには、初めに込み入った事情を説明する必要があります」


「構わないわよ。それでアリサさんの気が済のなら」


 アリサは、ゴールデンウィーク前のお茶会での一件を掻い摘んで話した。

 あの時、なぜ自分がカップを落とす羽目になったのか、本当の理由を。


「そう、カップの中にカッターナイフの刃が見えて……」すべてを聞いた瑠佳は、頬を手に当てて首を捻り、「どうしてその時に話してくれなかったの? 言ってくれれば、相談に乗ってあげられたのに」


 カップを落としたあと、瑠佳は一緒に後片づけを手伝ってくれた上、なにかあったのではないかと心配もしてくれていた。

 が、今にして思えば――あの時の瑠佳の反応さえ、疑わしい。


「相談しようにもできなかったのです。あの場にいる誰かを疑うことになったら、せっかくのお茶会が台無しになると思いましたの……だから、一人でずっと考えていました。なぜわたくしのカップにこんなものが入ることになったのか――その原因を確かめるために、わたくしは瑠佳さまの机に手をかけたのです」


「……待って。まるで私を疑っているように聞こえるけど、私の思い違いよね?」


 瑠佳の問いかけに、アリサは押し黙った。


「思い違いでないとするのなら、アリサさんの話をもっとよく聞かなければいけなくなるわ。どうして私が疑われることになるの?」


「仮に犯人がいるのだとすれば、瑠佳さまだけは絶対に違うと思っていました。あの時、わたくしのカップにまったく触れる機会がなかったのは、瑠佳さまだけでしたから」


「それならなおさら、私が疑われる道理はないはずだけど……」


「瑠佳さま以外の全員に機会があったため、答えを出すのは容易ではありませんでした。ですが――」


 風向きが変わったのは、悠芭のノートを見せてもらった時。

 美弦や讃、そのほかの篝乃会のメンバーについてまとめられているページには、当然ながら瑠佳に関しても記されていた。

 そこで目に留まったのが、瑠佳が所属しているクラブについての記述。


「『一年生の頃に、現在は篝乃会をメインに活動しながらもクラブに籍は残したまま』――ですよね、瑠佳さま?」


 アリサからの確認に、瑠佳は「そうだけど」と不思議そうに肯定し、


「そういえば、話したことなかったかしら? 普段の活動にはあまり顔を出せていないけど、聖母祭や文化祭の時には衣装のことなんかで相談役を任せられているのよ」


 少し前、瑠佳が家庭科クラブにドレスについて確認しに行ったことがあった。

 その際、美弦が『適任』と言っていた理由も今なら分かる。クラブに在籍している瑠佳であれば話が通しやすいという意味だったのだろう。


「でも、私が家庭科クラブだとして、それがなにか関係があるのかしら」


「……わたくしが知って驚いたのはもう一つ、瑠佳さまの家庭科クラブでの功績についてです――夢見荘などで使われているオリジナルの。今では家庭科クラブの基本的な活動の一つにもなっている角砂糖作りを最初に行ったのは、瑠佳さまだったのですね」


 これもまた、悠芭のノートに書かれていたことだった。

 瑠佳は少しだけはにかむように笑い、


「……随分と懐かしい話ね。あの頃は、まさか伝統のようになるだなんて思いも寄らなかったけど」


「懐かしい、ですか? ――それこそですわ。瑠佳さまはここ最近にも、ご自分で角砂糖をお作りになったはずです」


「私が?」


「はい――この小さなカッターナイフの、角砂糖のことです」


 断じるようにアリサが言うと、瑠佳は細めていた目を微かに見開いた。


「そう……アリサさんが私を疑う理由がなんとなく分かってきたわ。つまりそのカッターナイフの刃は、誰かの手によって直接混入されたのではなく、アリサさんがコーヒーに溶かす角砂糖の中に仕込まれていた。更に付け加えるなら、その角砂糖を作ったのが私で、コーヒーに入れるよう仕向けたのも私だと」


 疑いがかけられている者とは思えないほど、やけに冷静な声だった。


「でも、いささか発想が突飛ではないかしら。いくら私がオリジナル角砂糖の考案者といっても、それを悪用していると疑われるなんて。正直、とても心外だわ」


「わたくしは、瑠佳さまのことを信じていました。もし最初からオリジナル角砂糖の考案者が瑠佳さまだと知っていた上であの事件が起きたとしても、わたくしが瑠佳さまを疑うことはなかったと思います――舞白さんから、ある話を聞くまでは」


「稲羽さんからの話?」


「はい。そもそもわたくしが角砂糖の件で最初に疑問を感じたのは、瑠佳さまが考案者であることを知った時ではありません。ゴールデンウィークに、舞白さんとお茶会の状況について振り返っていた時です」



 ――『この角砂糖、家庭科クラブの方々が作った特別なものらしいわ。形や大きさは少し粗いけど、色がカラフルで可愛らしいわよね』


 ――『うん。私も、お茶会で貴船さまが入れているのを見て、ちょっと気になって。それで入れてみたら、おいしかったから……四つも入れちゃったけど』


 ――『そう、瑠佳さまを……』



「わたくしは密かに気になっていました。普段はお飲みにならないはずの瑠佳さまが、なぜあの時だけは角砂糖を入れられていたのかと」



 ――『夢見荘にあるコンディメントは家庭科クラブが選んでいてね、いくつかは手作りなの。私はいつもブラックだけど……』



 そう聞いたのは、瑠佳から初めてコーヒーの入れ方を教わった時。

 その言葉通り、瑠佳がコーヒーに砂糖やミルクを加えたところは見たことがない。


 にもかかわらず、篝乃会のお茶会では角砂糖を入れていた――その時は美弦と讃の会話に気を取られていたため知らなかったが、のちに聞いた舞白の話で違和感を覚えた。


「たまには、角砂糖を入れて飲んでみたいと思うことがあっても不思議ではないんじゃないかしら。後輩が作った角砂糖が上手くできているか確かめる意味も含めて」


「わたくしも、一度はそう考えました。気が向けばそういうこともされるのかもしれないと。ですがそれでは変です――あの時、瑠佳さまがわたくしに回してきた角砂糖の瓶は、


 瓶は片手で掴めてしまうほどの大きさで、蓋部分の口径もそれほど広くはない。

 仮に瑠佳が一つでも角砂糖を取っていれば、その分の空きがあるはずだが、あの時の瓶にそんな隙間はなかった。


「可能性の一つとして、わたくしはこう考えましたわ――瑠佳さまは瓶から角砂糖を取ってコーヒーに入れたのち、蓋を戻す際に隠し持っていた別の角砂糖を補充したのだと」


 その角砂糖こそ、刃先が仕込まれていたもの。

 つまりアリサは――自らの手で、カップに刃先を混入させたことになる。


「瑠佳さまは、わたくしが角砂糖を一つ以上は入れることを知っています。満杯の状態で瓶を回すことができれば、最も上にある角砂糖を必ずコーヒーに加えることになります。これでカップに触れることなく、わたくしのカップにカッターナイフの刃先を混入させることができますわ」


 この仮説の確証を得るため、アリサは讃にも話を聞いて確認を取っていた。

 あのお茶会が行われる前、最後に角砂糖の補充を行ったのは誰か――いきなり押しかけたアリサに対し、讃は特に驚いた様子もなく瑠佳であると教えてくれた。



 ――『……給湯室のコンディメントは、讃じゃなくて瑠佳。家庭科クラブだから、全部任せてる』



「あらかじめ瓶をいっぱいにさせておけば、刃先入りの角砂糖を最上部に置きやすくなります。それをわたくしが、コーヒーへ入れることも確実に……」


 説明を重ねるうち、アリサの目頭は熱を帯びていた。

 怒りなのか、悲しみなのか分からない複雑な思いが身を強張らせていく。


「……確かにその方法なら、アリサさんのカップにカッターナイフを混入させることは、不可能ではないわね」


 物々しい表情になるアリサに対し、瑠佳の声は依然として冷静なままだった。


「でも今の話では、私も容疑者の一人になりうるだけで、私だけが疑われる理由としては弱いと思うけど」


「では、角砂糖の瓶が満杯のままだった件についてはどう弁明するのですか?」


「さあ……私は確かに一つ入れたけれど、補充なんてしていないわ。アリサさんは瓶の中が満杯と感じたかもしれないけど、それはあくまで主観でしかないでしょう?」


「引き出しの中に、これほどたくさんの刃を溜め込んでいらっしゃるのはなぜですか? この刃は、わたくしのカップに混入していたものと一致するものばかりです」


「折ったカッターナイフの刃は不燃ゴミで、そのまま捨てるわけにはいかないのよ。刃の部分が出ないよう厳重に包む必要があるから、出た端から処理するよりまとめて捨てた方がいいと思って溜めていただけよ。カッターナイフは学院内にある売店で購入したものだから、純桜生であれば誰でも同じものを持っている可能性があるわ」


 アリサは口を噤み、それを見た瑠佳が小さく息をついた。


「そもそも刃先を混入させるだけなら、どうしてそんな回りくどい真似をする必要があるの? そんなに小さな刃先なら、隙を見て入れ込むくらいわけないと思うけど。そうすると、カップに近づいていない私よりも、ほかの方々を怪しむべきではないかしら」


 尤もな言い分だった。まるで問い詰められることを予期し、準備していたかのように。

 だが、アリサの覚悟も生半可なものではない。


「わざわざ角砂糖にした理由は、二つあると考えます――まず一つは、自分から目を逸らせるためです。唯一カップに触れていない状況を作り出せば、疑いをかけられる可能性は極めて低くなります。

 もう一つが――わたくしに刃先の存在を目の当たりにさせた上で、わたくしが


「誤飲を、防ぐ?」


「はい――まだ瑠佳さまを疑う前、わたくしは事件を再現してみるべく、この刃先をコーヒーに入れてみたことがありました。ですが刃先はコーヒーの表面に浮かんだりはせず、すぐに沈んで底に張りついてしまいました。角砂糖を入れてかき混ぜても同じで、事件の時のように浮かび上がってくることはありませんでしたわ」


 流体の中で物体が浮くには、流体よりも密度が低くなければいけない。どれだけ小さな刃先でもコーヒーよりは密度が高く、沈むばかりなのは当然と言えた。

 また、平らな刃先は表面張力が働きやすく、同じく平らな底にはぴたりと張りつく。これを浮かせるにはスプーンでかき出す必要があるが、たとえ見えていても至難なことで、ましてやコーヒーのように底が見えない状態ではほとんど不可能だった。


 ではなぜ、事件当時のカップの中では刃先が浮かんでいたのか――その謎を解く鍵は、刃先の裏に付着している極めて小さい銀色の固まりにあった。


「この刃先の裏についているのは、姫裏さまからいただいた極小サイズのです。わたくしが零したコーヒーの後片づけを手伝われていた折、スプーンにぴたりとくっついているのを見つけたそうです」


 直径二ミリほどしかない円形の磁石を見ていた瑠佳が微かに眉根を寄せる。

 讃に話を聞きに行った際、角砂糖の件と共にお茶会の時のカップなどについておかしな点はなかったかも訊ねていた――その時に差し出されたのがこの磁石だった。


「もしこれも犯行に使われていたとすれば、先ほどの謎は解くことができますわ。そればかりか、瑠佳さま以外には犯行が不可能であることの裏づけにもなります」


「どう、裏づけになるというのかしら」


「この磁石をあらかじめ刃先にくっつけた状態でコーヒーに沈めた場合でも、磁石のついていない平らな部分が底に張りつきます。ですが金属製のスプーンを入れれば表面張力より磁力が勝り、刃先と共にスプーンにくっついて浮かせることができますわ」


「そうね。液体の中でも磁力は変わらずに働くから、理論上は不可能じゃない。でもそれで浮かぶのであれば、やはりほかの方々が直接入れた線も……」


「いいえ、その可能性は極めて低いですわ――あの時、わたくしが見た刃先は、スプーンを持ち上げた際にしっかりと目にすることができました。つまりスプーンの磁石でくっついていたことになります……が、刃先を底に沈ませた状態でかき混ぜた場合、磁石はスプーンの表面ではなく、出っ張っているくっつきませんでしたわ。あの時のわたくしの混ぜ方では、何度やっても同じ結果でした。

 ですが角砂糖の中に刃先が仕込まれていれば、角砂糖をカップの中心で回すようにしてスプーンをかき混ぜる――つまりスプーンの表面の方が磁石に近づき、そのままくっつく可能性が生まれます。このスプーンをカップから出すために持ち上げた瞬間こそ、コーヒーの表面に浮かぶはずのない刃先がことの真相であり――瑠佳さまだけを疑っている理由の一つになる、ということですわ」


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