37.おとぎ話の真相



 ――……最も大きな謎は、なんと言っても初代アリスさまの実在性です。


 そもそも本当に実在の人物なのか。普通であればこれは論じるに値しないと言いますか、いらっしゃって当然ではあると思います。『アリスさま』が篝乃会の会長を示し、今なお受け継がれている名前なわけですから。元祖は存在していて然るべきです。


 しかしその実在性が疑われる理由は、主に二点。

 第一に、初代アリスさまの詳しい素性が伝えられていないこと。

 第二に、伝承そのものが非現実的な内容になっていることです。


 まず一ですが、そもそも初代アリスさまについて、その本名を誰も知りませんでした。伝承の中でも『アリスさま』としか語られず、苗字は出てきません。

 ええ、はい、小雛さんの疑問はご尤もでございます。『アリス』というのが本名なのではないかと。一見そう考えるのが妥当のようにも思います。


 しかしよくよく考えてみると、初代アリスさまがいらっしゃったとされるのは、純桜女学院ができて間もない頃です。

 調べてみたところ、純桜という名前が冠されたのは今からおよそ百年前、元は港町にあった女学校がこの地に移転したのを機に、『純桜福音女学校』と名称が改められました。時はまだ大正時代――現代であればともかく、当時の日本人で『アリス』と名づけられた少女がいたとは考えにくい気がします。この頃の純桜にはまだ留学生がいなかったことも調べがついております。


 初代アリスさまの『アリス』が名前でないとすればなんなのか――。


 はい、その通りです菊乃さん。ニックネーム、すなわちあだ名や愛称の可能性です。さすがは日頃から校則を無視してヒナと呼んでいるだけのことは……いえいえ小馬鹿になどしておりません。発想の妥当性について触れたかっただけです。

 仮に愛称の類いだとすれば、そう呼ばれるだけの理由があったはずですが、そこで登場するのが『不思議の国のアリス』――前に舞白さんから伝承との関係を問われたことがありましたが、この作品が本当に関係しているかもしれないと考えました。どう関係しているかはまた順を追って説明したいと思います。


 続いて二の、伝承そのものの非現実性についてです。

 命を捧げることで親友の傷を癒やした、というのはファンタジーとしか言いようがない奇跡ですが、それ以外にも不可解な部分が色々とございましたよね。美代さんはなぜ山の中で傷ついていたのか、初代アリスさまはなぜ美代さんの居場所を突き止めることができたのか。この辺りの謎を解く鍵については、先日アリサさんにはお伝えいたしました。


 そう、『たとえ話パラブル』です――ファンタジックだったり不可解だったりする部分は、言葉通りの意味ではなく、なんらかのメタファーになっているのではないかということです。

 たとえば、親友の美代さんが傷だらけの状態で見つかる部分について。

 命が危ぶまれるほどの傷ということですから、深く考えずに読めば身体的な傷を想像しがちです。が、実際にどういう傷だったのはか明確ではありません。


 つまり読みようによっては、美代さんの傷は、『心の傷』を負っていたと解釈することもできます。

 美代さんの『心の傷』、それも命が危ぶまれるほどのものとはどういうことか。この謎については、初代アリスさまが美代さんの居場所を突き止めることができた謎と関連してお答えできるかと思います。


 初代アリスさまと美代さんが山の中で倒れているところは、のちの篝乃会と呼ばれる方々によって発見されています。これはどうも事実のようです。

 スライドでご紹介しているアリサさんのレポートによれば、当時の篝乃庭にガーデンシクラメンがなかったことは明らかですので、篝乃会という名称は伝承に描かれている内容通り、篝火を焚きながら夜通し捜索していたことに由来していると言ってよいでしょう。つまり伝承のお二人が山の中にいたことは確定です。


 が、もしルームメイトの美代さんがいないことに気づいても、初代アリスさまがなんの理由もなく夜の山に捜しに行くとは考えられません。いくら学院の敷地内とは言え、一介の女学生が足を向けるような場所ではないでしょう。

 しかし初代アリスさまは、美代さんを見つけることができた――考えられる理由があるとすれば、そもそも初代アリスさまは、美代さんがどこへ行ったのかを知っていた、あるいは山の中にいると察することができたということです。


 なぜそんなことが可能だったのか。そこがお二人にとって馴染み深い場所ということであれば見当もつくかもしれませんが、山の中のどことも名前の知れない桜の木の下です。校舎内や庭園などではない辺り、まるでような場所に思えませんか?

 ふむ、どうもアリサさんと菊乃さんからの視線が痛いですが、恐らくご想像の通りです――私はこのお二人が、普段から密会に利用していた場所なのでは、と推理したのです。


 密会というのはロマンチックではありませんから、逢瀬とでも申し上げましょうか……そう、それはまるで、この前の私とアリサさんのように、二人きりの書庫で濃密な時間を過ごした時のような――。

 じょ、ジョークですよアリサさん。あれは立派な調査の一環、やましい感情など一片もございませんでしたよ。あっはっはっ。

 ですが、あの時の体験で閃いたのも事実です。アクチュアリーです。


 いざという時、お二人は誰にも気づかれずに会える場所を定めていたのではないか。そういう間柄だったのではないか、というのが私の閃きでした。

 言わばこのお二人は――ただの友人を通り越した、ただならぬ関係だったのではないかと。


 いえ、単に同性愛と言い切ってしまうのは、少々語弊があるかもしれません。

 みなさんはお聞きになったことはないでしょうか? 明治末期から大正にかけて、女学生同士の極めて親密な関係が取り沙汰とされていたことを。当時『S』や『お目』などと呼ばれていた関係で、まあいわゆる『百合』というやつです。私の大好物……失礼、心の声が漏れるところでした。いえ、はい、漏らしました。すみません。


 一口に百合と言っても様々ありますが、この頃はプラトニックな関係が主流だったようです。普通の友人とは一線を画す存在を作る感じですかね。特定の相手と男女間の恋愛模様を模倣してみたりとか、逢い引きするように隠れて会ってみたりとか、そういう行為が女学生の間で盛んだったわけです。ムーブメントです。


 初代アリスさまと美代さんも、実はそういう間柄だったのではないか――というのが私の仮説です。


 ひとまずそう仮定したところでもう一つ、当時の百合的な関係にまつわる時代背景について、特筆されている事柄があります。

 それが、――愛し合っている者同士が、共に自らの命を絶つことです。


 一九一一年、新潟のとある海岸で二人の女性が心中した事件が起こります。二人は同じ女学校の出身者だったことから『女学生心中事件』として報じられ、これを機に女性同士の同性愛が注目され始め、一九三〇年頃まで女性同士の情死が頻発、社会問題化するようになります。


 取り分け多く見られたのが女学生同士や、元女学生の女性たちでした。情死に至る理由について、いくつかの新聞記事を比較してみましたが、多くが心中相手との別れを惜しむものでした。在学中ではなく卒業後に心中を図った女性たちも、やはり相手との別れを引きずり続けた結果によるものだったようです。


 はい? そうですよ、実際に当時の新聞記事を読んで調べたわけです。


 難しいことではありません。大手新聞社が提供しているデータベースを活用しました。明治時代初期に発行された創刊号から現代の記事まですべて網羅されておりまして、簡単なキーワード検索で調べることができます。

 有料のサービスですが、新聞部が部費でアカウントを一つ購入しており、私のお姉さまにお願いして特別に利用させていただきました。代わりにネタの提供を条件とされてしまいましたが、背に腹は替えられません。今回私が話している内容が、ゴールデンウィーク明けの学内新聞で目玉記事の一つになるだけです。叔母の探究心に打ち勝つため、叔母の時代にはなかったテクノロジーを活用したまでです。


 少し話を戻します――山の中で倒れていた美代さんの傷を、私は『心の傷』ではないかと申し上げました。

 加えて、先ほど仮定した初代アリスさまとの親密な関係に鑑みながら伝承の内容を見ていくと、違った事実が浮かび上がってきます。

 美代さんが抱えていた『心の傷』は、初代アリスさまとの別れを惜しんでのもの。命が危ぶまれるほどのという文脈からして、もしかすると美代さんは、を考えるほど思い悩んでいたのではないかと推察できます。


 しかしその傷は、初代アリスさまが自らの命を捧げることによって癒やされた――。

 私が申し上げたいことは、もうお分かりですね。



 初代アリスさまは、美代さんを独りでは死なせず、共に命を絶とうとした。


 すなわち、――。


 これこそ、おとぎ話めいた伝承に隠された本来の事実であると、私は結論づけます。



 たったこれだけの話では、暴論のように思われるかもしれません。

 しかし、この結論の裏づけとして、一つの新聞記事をご紹介させてください。

 スライドの画像ですと文字が潰れて見えづらいかと思いますので、私の方で読み上げさせていただきます。



女學生じよがくせい同志どうし情死じやうし

 ……私立しりつ純桜じゆんおう女學校じよがくかう四年生ねんせい吉野よしのあや(一七)どう染井そめい美代みよ(一七)の兩人りやうにん學校敷地内がくかうしきちないにてたがひねこらずを苦悶くもんのち同級生どうきふせい発見はつけん手當てあてくはへたがあや美代みよ重態ぢうたいであるくはしき原因不明げんいんふめいなれども兩人りやうにん同級生どうきふせいしたしいなかであつたことと平生へいぜい擧動きよどうよりおし多分たぶん卒業式そつげふしきひかはなれ〳〵になる哀愁あいしうねん病的びやうてき相愛さうあいしたる結果けつくわならん……



 一九二六年、二月の記事です。

 女学生による心中事件は数多見受けられましたが、純桜という名称でヒットしたのはこの一件のみでした。


 純桜がこの地にできたのが一九二二年で、当時は四年制ということだったので、最初の入学生が卒業する年です。それも二月ですから、卒業を控えた時季という伝承の記述とも一致します。

 しかも記事にあるお二人のお名前のうち、お一人のお名前が美代……果たしてこれは偶然でしょうか?


 偶然でないとすれば、この染井美代が美代さんであり、吉野礼という方が初代アリスさまであると考えられます。やはり『アリス』という名前ではありませんでしたが、となれば愛称の謎が残ったままになりますね。

 ここで考えられる仮説の一つに『不思議の国のアリス』が絡んできます。


『不思議の国のアリス』がイギリスで刊行されたのは一八六五年。一九二〇年代の日本でもすでに知られており、続編である『鏡の国のアリス』の方も含め、翻訳版が数多く発表されていました。

 ですが面白いことに、当時の翻訳はあえて原文に忠実ではなく、日本人にも馴染みやすいように改変されていることもありました。


 その最たる例が、『アリス』という名前です。


 原文通りに『アリス』と書いているものもあれば、中には『愛ちゃん』や『美イちゃん』といった、日本人らしい名前や愛称に変更されていることもあったのです。

 そうした名前の中に『あやちゃん』というのもあり、これが『アリス』という愛称になった理由の一つではないかと思います。これだけでは少し弱いので、たとえば容姿や雰囲気に似たところがあったとかまで確認できればよかったのですが、残念ながら吉野礼さんの写真を見つけることはできませんでした……。


 ただ、吉野礼さんを初代アリスさまと紐づける要素がもう一つだけあります。みなさんはこの『礼』という字を見て、なにかピンとくるものはございませんか?


 そうです、アリサさん――『花篝の礼』です。


 私は兼ねてから不思議に思っておりました。あれは篝乃会の由来とされる桜と篝火にちなんでの催しですが、なぜ『礼』という言葉、しかも異字体が用いられているのか。この場合の『礼』は『儀式』という意味合いだと思いますが、であれば『花篝の儀式』とか、単純に『花篝』とだけ呼んだ方が分かりやすい気もします。

 ですが、この吉野礼さんの『礼』という字が由来なのだとすれば――すなわち、初代アリスさまのお名前に関係しているのだとすれば、個人的に納得がいくわけです。


 ……さて、長々とお話ししてきましたが、いよいよまとめに。


 私の調べでは、初代アリスさまは実在していたと考え、名前は吉野礼さんです。

 そしてあのおとぎ話めいた伝承は、初代アリスさまの深い友愛のお心を伝えると共に、伝承の中のお二人が情死されたことを暗示する内容なのです――以上のように結論づけ、私からの話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました……――。


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