19.紅茶が冷める前に





 翌日の朝。

 食堂で舞白と一緒になったアリサは、早速今日の放課後に部屋へ行くことを伝えた。


「今日の、放課後?」


「そうよ。稲羽さん、なにか用事でもあって?」


「そうじゃないけど、急だったから」


「お姉さまによれば、今日は篝乃会がお休みらしいから。稲羽さんだって早いほうがいいでしょう? セイラさまに伝えてもらえるわね、放課後にわたくしが伺いますって」


「そ、それはできれば、清華さんから」


「わたくしでは意味がないじゃない。これも打ち解けるための練習だと思えばいいのよ」


「打ち解ける、ため……」箸を止め、ぼんやりと俯く舞白。


 アリサの言う練習さえ、ハードルが高いと感じている様子だった。


「このあと、またお部屋に戻るんだから、その時にそれとなく伝えればいいのよ。それが無理そうなら、書き置きでもなんでもいいんだから」


「そっか……うん、書き置き、やってみる」


「口頭で伝えるのは、もう諦めているわけね」


 アリサはほとほと呆れたが、めずらしく決意の表情を向けてきた舞白にこれ以上の無理強いは憚られた。いずれにしても、これでアポなしの訪問になることだけは避けられる。

 この日も普段通りに過ぎていったが、放課後が近づくにつれ、アリサは少しずつ後悔の念を募らせていた。


(善は急げのつもりで今日と決めてしまったけれど、もう少し考える時間も必要だったかしら。それに、お飲みものはいただくにしても、お茶菓子の一つでも作っておければ……いえ、わたくしの腕前ではどうせ炭を増やすだけだわ。ほかに持っていけるものは、お花とか。お庭のシクラメンは摘んでいっていいものかしら。いいえ、あそこは篝乃庭ですもの、篝乃会のお姉さまに持って行ってなんになるのよ)


 あれこれと考えたが、結局は特別な用意もできず放課後を迎えた。

 自分の部屋に戻り、洗面所の鏡で身支度を整えはしたが、制服のため特段代わり映えがあるわけでもない。

 それでも整えずにはいられなかったし、不格好なところがないか入念なチェックを怠らなかった。


(せっかくだから、お姉さまから授与していただいたロザリオでもかけて……いえ、ロザリオはあくまでお祈りの時に使うためのもので、アクセサリーとして身に着けるのは慎むようにと言われていたわね。お姉さまからも注意されるかもしれないわ)


 鏡に映る自分が不満で仕方ないまま部屋をあとにする。

 廊下を行く足取りには仄かな高揚感がつきまとい、すれ違う同級生との挨拶でさえ声を裏返らせるほどに動揺していた。


(ああもう、こんなに気負う必要ないじゃない! そもそも今日は、お姉さまと稲羽さんの仲を取り持つために伺うんだから。わたくしが緊張しているわけにはいかないのよ)


『007』の部屋の前まで来ると、深呼吸を済ませてからからドアをノックする。

 当然、下級生である舞白が出迎えると思っていたアリサは、いきなり出端をくじかれる結果となった。


「いらっしゃい、アリサ」


 ドアを開けたのは、ほかならぬセイラだった。

『お姉さま』と呼ぶのはなんとか堪えるも、アリサの心は乱れに乱れた。


(~~っ、お姉さまがこんなに近くに! 入学式以来の、お姉さまのお顔――ではなくっ! そう、今は『セイラさま』って呼ばないと! でも、このままもう少しだけ見つめていたい気も――)


 吸い込まれそうな深い黒の瞳にうっとりするアリサ。

 けれどセイラは、頬を仄かな薔薇色で彩る妹の心境などまるでお構いなしで、


「早く入りなさい。紅茶が冷めるわ」


 淡々と告げて、アリサの手を引いて部屋の中へと導く。


「ひゃ、はいっ」


 アリサは借りてきた猫のような歩様でついていきながら、しばらくは夢見心地だった。

 長い黒髪を微かに揺らす凛とした後ろ姿。仄かに漂う爽やかなフレグランス。

 ほんのわずかな案内でさえ、特別な親しみを感じずにはいられなかった。これで二人きりだと分かっていれば、高鳴る鼓動に突き動かされるまま抱き着いていたかもしれない。


 それも寸でのところで思い留まったのは、どれだけ気が動転していても、ここがセイラだけの部屋ではないこと忘れてはいなかいからだった。

 あるいは部屋に入ってすぐ、縋るように見つめてきている視線に気づけたからかもしれない。


「……っ」


 私物の少ない、こざっぱりとした室内。

 その中央には、ティーセットが置かれたミニテーブルがすでに準備されており、向かって左手に舞白が座っていた。普段よりも余計に弱々しい目でアリサを見上げながら。


「ご、ごきげんよう、稲羽さん。その、教室ぶりよね」


 ややぎこちない挨拶になりつつも、声はいくらか冷静さを取り戻していた。

 対して、舞白は予想通りの緊張具合で、返事もなしに小さく頷いただけだった。


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