もしもあたしが猫だったのなら


 窓の外を見ると、向かいの家の塀の上に猫が歩いていた。バランスを崩さずに細い道をスタスタと歩いている。

 慣れたもんだ。

 ピタッと足を止めると、上を見上げた。くんくんと匂いを嗅ぐように鼻を突き出しては、空を見ている。


 空は快晴。とてつもなく快晴。嫌なくらい。

 だけどあたしの部屋はそれとは正反対。まるできのこ栽培でもしているかのように暗いし、ジメジメと陰鬱な雰囲気が漂ってる。埃っぽいのかもしれない。

 外の世界から隔離された部屋。インターネットで繋がる世界はなんだかこの世界の延長線上にないみたい。楽しい時は楽しいけれど、貶される時は一気に牙を向く。怖い世界。


 テレビだってそう。なんちゃら女とかなんちゃらおばさんとか、なんちゃら症とか、すぐに新しい言葉を作っては、自分らとは違うと線を引こうとする。

 自由にさせてほしい。生きにくい。

 気分転換に推し活したくてもお金がなくて、前に購入プレゼントでもらったポスターを部屋に貼ってずっと眺めてる。新しいグッズなんて買えたもんじゃない。高いんだよ。


 家にいると自分が負のスパイラルに落ちていくのが分かる。だけど外に出られるかって、出られないんだ。焦れば焦るほど遠退いていく。分かってるんだよそんなこと。

 だから今日はせめてもの思いでしばらく悩んだ挙げ句に、カーテンを少しだけ開けたら、目の前に猫が歩いてたんだ。


 猫は気まぐれでいいな、って思う。

 もしもあたしが猫だったのなら、何をするだろうか。


 猫はしばらく空をじっと見ていたかと思うと、そのまま目を細めて気持ちよさそうに太陽の日差しを背中で感じ始めた。ぬくぬく、って言葉が合う猫だ。

 少し警戒心てもん持ったほうがいいんじゃないのか。

 しばらくそうやって座ったまま日向ぼっこしたかと思うと、ぱちくり目を開けて、また空をじっと眺める。それからスタスタと塀を歩いては、どこかに行ってしまった。


 なんて気まぐれなんだ。猫になりたい。自由な生き方だな。

 何も考えずに、気まぐれに生きていきたい。もしもあたしが猫だったのならそうしたい。

 だけど残念ながらあたしは人間で、今日もこうして一日中部屋に閉じこもってる。

 悲しくなってきたからカーテンを閉めて布団に潜り込む。




 出たくても出られないんだ。身体が動かないんだ。焦ってはいけないと分かってはいても、毎日毎日繰り返していると、世間から取り残されていく思いがますます強くなって、余計にどうすることもできなくなる。

 知ってるよ。あたしがどういう人間かなんて知ってる。


 今日も昨日と同じ日を繰り返している。

 電気なんてつける気もないし、カーテンなんて開ける気もない。テレビも嫌い。

 このままずっと暗く閉じた部屋で引きこもってたいんだ。

 陽光が身体に良いってことも知ってるよ。崩れた身体の生活リズムが回復するとか、セロトニンが分泌されて不安解消するとか、なんかそういうやつ。


 知ってるからってできるわけじゃないんだ。でも、だから、せめて。今日も少しだけ昨日みたいにカーテンぐらい開けようと、二時間以上迷って、ようやく少しだけカーテンを開けることができた。昨日みたいに。

 なんでかって、太陽の光もそうだけど、昨日のぬくぬく猫がまたいたらいいなって思ったから。猫は嫌いじゃない。でも飼えるかって言ったら無理だと思う。だってあたしこんなんだから。



 ぼんやりと外を見ていると、今日もやっぱり猫が塀の上を歩いてきた。

 昨日とおんなじぬくぬく猫だ。もしかしたら昨日今日に限らず、彼? 彼女? の日課なのかもしれない。

 凛と済ました顔で堂々と、スタスタ歩いている。君のその自信はどこから来るんだ。あたしに分けておくれよ。


 猫は立ち止まると、また鼻を空に突き出しては、じっと青空を眺めている。

 口角もきゅっと上がって気持ちよさそうだ。ここからは横顔しか見れないけれどすごく猫、って感じの鼻筋。


 もしもあたしが猫だったのなら、同じことをしてただろうか。自由気ままでいいな。


 やがてまた気持ちよさそうに目を細め、日向ぼっこを始めた。本当にぬくぬく気持ちよさそうだ。

 だけど昨日とは違った。塀の上を別の猫が歩いてきたのだ。どっしりとした体格で、いかにもボス猫って感じの猫。


 ボス猫は、ぬくぬく猫の前まで来て止まった。気持ちよさそうに寝ていたのに。

 嫌な感じ。ボス猫は何も言わずに睨みを利かせた目でぬくぬく猫を見てる。人間のあたしでもそれが「どけ」と威圧している行為だってことが分かるくらい。ほんと嫌。


 案の定、ぬくぬく猫は、たじろいでしまい、ぴょーんと塀から降りてしまった。先にいたのに。

 だけど、ボス猫が塀を歩き出すと、ぬくぬく猫がすぐにぴょーんと塀を駆け上がってきて、元いたところにまた何事もなかったかのように居座った。

 ボス猫は何事かと振り向き、ぬくぬく猫が元の場所に戻ってきたのをじっと見ると、ふんっと投げやりな態度をして、歩いて行った。


 これは勝ったのか。ぬくぬく猫の勝利なのか。

 すごいな。メンタルよわよわのあたしは絶対できない。

 色々考えちゃうから。色々考えすぎてこうなっちゃったんだ。猫が色々考えてるか分からないけれど、猫みたいに自由気ままに自分の赴くままに生きたい。


 もしもあたしが猫だったのなら。

 自分が思ったように、塀の上にいたければいればいいし、外に出たくなったら出ればいいんだ。出よう出ようと頭では思っていても心は出たいと思ってないなら出なくてもいい。頭も心も出たいと思った時に出ればいいんだ。大丈夫。頭では分かってるんだから。


 ぬくぬく猫はあたしの視線に気がついて、不思議そうにこっちをじっと見ている。

 焦らないように、できることだけ、やりたいことだけやればいいんだ。

 明日には窓を開けてみようかな。無理かな。三時間ぐらい悩んで結局開けられないかもしれない。


 頑張らない。できることだけやる。


 それならそれでいいよね。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る