猫屋敷


 聞き覚えのある地名がテレビから流れてきたので、ニュースを見ると見覚えのある建物が映っていて、アナウンサーの伝える事件の内容に衝撃を受けた。

 これは今からもう三十年近く前の話だ。子どもの頃に住んでいたS市で実際に起きた出来事である。


 S市の山の上には、平成初期に建てられたニュータウン郡があった。ニュータウン内はコンビニエンスストアもなければ、薬局も郵便局もなく、建売住宅がただただ規則正しく並んでいる、そんな場所だった。


 麓の市内に行くには自家用車か、一時間に一本程度のバスに乗って山を下りるしかなかった。ニュータウン群と市内を繋ぐ幹線道路は一本のみで、その道の途中にトンネルがあり、徒歩での行き来がしににくい上、台風や大雨になると交通規制が入ったり、さらには最終バスも二十一時台だったりと、非常に交通の便が悪い場所だった。

 もちろん幹線道路の他にも、小さな国道や歩行者用の山道は合ったのだけれど、遠回りになることもあり、あまり利便性が良いとはいえなかった。


 将来的なニュータウン構想では、山は切り開かれ、大手ショッピングモールが誘致されるとされていたが、一向にその気配はなく、建売住宅も買い手がつかず空き家になっているところもちらほらとあった。


 そんなS市の平成の遺産とも言うべくニュータウンには、少し有名な屋敷が存在していた。

 通称『猫屋敷』と呼ばれていたその屋敷は、ニュータウンの一番奥に建っていた。

 ニュータウン開発に関わった権力者の屋敷なのか、はたまたどこかの社長や資産家の屋敷なのかは分からないが、とにかく他の建売住宅とは規模も形も異なる屋敷が建っていたのだ。


 ニュータウンは通っていた小学校からは結構離れており、学区の関係から、私はもちろん友人の誰ひとり、ニュータウンに住んでいる者はいなかった。


 しかし、「ニュータウンの『猫屋敷』」という情報は小学生たちの耳にも、もれなく入っていた。

 噂によるとそこは人が住んでいるのか、それとも廃墟なのか分からない屋敷であり、無数の猫が敷地内に棲み着いているらしい。


 さらにその屋敷に足を踏み入れた者は、行方不明となって帰って来られないというのだ。


 親からも教師からも危険だから近づいてはいけないと言われていた。


 やってはいけないと言われると子どもはやりたくなるもので、ある日、私は友人のまさる(仮名)、ひろき(仮名)とともに男三人で学校帰りに『猫屋敷』に行ってみることにしたのだ。一時間に一本のバスがちょうど行ってしまったタイミングだったので、一時間半かけて徒歩でニュータウンまで歩いて登った。


 ひろきがポケットから、真っ赤な色の小型携帯カセットテープ再生機の「ミュージックマン」を取り出した。なんでも家から持ち出してきたらしい。

 ちょっと古いモデルだったが、私たちにとってミュージックマンは憧れの機械には変わりなかった。

 みんなでイヤホンを借り合い、音楽を聴きながら歩いて行った。


 大人の足で二十分もあれば登れるし、子どもの足でも四十分あれば登れる場所だったが、「探検」と称して、歌を歌いながら寄り道して歩いたことでかなり遅くなった。

 その結果、『猫屋敷』の前にたどり着いた時には、辺りがすっかり暗くなってしまっていた。


 街灯のわずかな明かりに照らされた『猫屋敷』は、噂に聞いていたよりも不気味だった。格子状の正門の扉にまさるが手をかけ、力を加えると、錆びた鉄の擦れるようなギィギィという音を周囲に響かせた。しかし鍵が閉まっているようで、扉を開けることは出来ず、中には入れなかった。


 塀は高く子どもには登れる高さではなかったのだが、塀に沿って歩いていると、ちょうど子どもひとりが入れる穴が空いていた。


 まさるが「ここから入れそうだ」と言った。

 私は勝手に入ってもいいものなのか、ふたりに聞いたが、「せっかく時間かけてここまで来たのに、ここで帰るのか」と言われ、確かにその通りだと、穴をくぐり抜け、屋敷の敷地に足を踏み入れたのだ。


 その瞬間、据えたニオイが鼻を刺した。糞尿のニオイだった。今立っているその足の下からニオイが立ちこめていた。

 三人とも急いでその場から離れるように、高く生い茂った雑草をかき分けて正門の前までやってきた。


 しかしニオイは消えなかった。糞尿のニオイはこの屋敷の敷地全体から漂っているようだった。ひろきが「は、早く行こうぜ」と急かしてきた。

 正面には屋敷へと続く石畳が伸びていたが、石と石の隙間からも草が生えてきていた。


 目の前の屋敷はたいそう立派な西洋風の建物だったが外壁には蔦がびっしりと張っていて、中から明かりが漏れている窓もひとつもなく、その様子からとても人が住んでいるとは思えない所だった。もう何十年も人が住んでいない廃墟のように思えた。

 「猫」は、突然、聴覚から入ってきた。唸るような猫の鳴き声が雑草の中から聞こえてきたのだ。最初はひとつ。次に二つ。さらに三つと、鳴き声は複数箇所から聞こえてきた。


 にやあー。にやあー。にやあー。と鳴く。


 ひろきがまたもや「は、早く行こうぜ」と急かしてきたので、屋敷の玄関まで早歩きで向かった。

「だめだ。鍵がかかってる」まさるが大きな玄関を開けようとしたがびくともしなかった。

 猫の鳴き声はさらに増えてきて、まるでこちらに対して威嚇や警告をしているかのような、低い声が幾重にも重なっていた。


 姿は見えずに鳴き声だけが聞こえる。推定二十匹はいたのではないか。互いに共鳴して大きな鳴き声を出しているように思えた。


 にやあー。にやあー。にやあー。


 さすがに恐怖を感じ、ひろきが一目散に入ってきた穴に向かって走り出していった。それに続いて私も走り出す。まさるが「おい、待ってくれよ」と追いかけてくる。


 我先にと三人が穴の方へ走る。もう糞尿のニオイなど気にしている余裕もなかった。

 ひろきが、「あ!」と叫び、私の目の前で転んだ。「大丈夫か?」と尋ねると、「大丈夫」と言いすぐに立ち上がり、再び走り出した。


 ひろきが始めに穴から外に出る。まさるが私を抜かして次に穴から外に出た。

 そして私は外に出る際に屋敷の方を振り返ってしまった。そこで見てしまったのだ。


 屋敷の窓に、びっしりと張り付くようにこちらを見ている無数の青白く光る猫の眼。そしてその全ての眼が私を見ているのが分かった。


 にやあー。にやあー。と唸る猫の鳴き声も相まって「猫屋敷」と呼ばれていること、近づいてはいけないと言われていることが分かった。

 


 屋敷を出てからも、私たち三人は恐怖のあまり屋敷の姿が見えなくなるまで走り続けた。

 走り疲れ、小さな街灯の下で休む。三人とも息が荒かった。


 ひろきが言った。「ミュージックマンがない!」

 首からぶら下げていたイヤホンコードの先には、プラグしかなかった。


 あの時、どうやらイヤホンコードが枝か何かに引っかかって転んでしまったようで、その弾みでポケットに入ったミュージックマン本体が飛び出し、コードから抜け、落としてしまっていたようだった。


 再び取りに行く勇気はなかった。ひろきは悔いていた。


 翌日、学校でひろきは、ミュージックマンを取りにもう一度、猫屋敷に行きたいと言ってきた。だが、私もまさるも怖くて断った。


 ひろきが行方不明になったのはそれから数日後だった。


 大人たちは騒いだ。猫屋敷ももちろん調べられたようだったが、ひろきは見つからなかった。



 ――えー。長年、地元では『猫屋敷』と呼ばれており、人が住んでおらず、猫のたまり場となっていました。建物の老朽化もあり解体の要望が昔からあったのですが、土地の所有者との折り合いがつかず廃墟のまま三十年近く経っていたとのことです。

 そして、ようやく今月から解体作業に着手出来たそうですが、屋敷の中から大量の白骨化した遺体が発見されたとのことです。そのほとんどが猫のものとのことですが、警察の情報によると数体人骨も見つかっているとのことで、これから詳しく調べられるそうです。現場からは以上です。

 ありがとうございました。早く解決して欲しいですね。それでは、次のニュースです。次は――



 テレビに映し出された解体現場には、イヤホンコードのついたあの真っ赤なミュージックマンが映し出されていた。





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