タペタムのペンダント


「遅くなる」

「はい」

 そんな短い文面のやり取りが続いているだけでもまだいいのだろうか。

 私はスマホをカバンへとしまった。今日はクリスマス。今日ぐらい早く帰って来てくれてもいいのに。

 結婚生活四年目、同棲時代からカウントすると六年目ともなるとそんなものなのだろうか。


 行き交うカップルはみな幸せそうな笑顔でクリスマスの夜を歩いていた。ブランドものの紙袋を持っている男性もいれば、有名な洋菓子店の紙袋を持っている女性もいた。

 街路樹に装飾されたLEDのイルミネーションが彼らをより幸せそうに照らす。

 職場から家への帰路にこの繁華街を通らなければならないことに悔いた。

 彼の言う「遅くなる」は日が変わる間近のことを指していた。イブの夜も彼は同じ言葉を言って帰ってこなかった。


 仕事が立て込んでいるのだ。このところ。この数ヶ月。いやかれこれもう一年ぐらいそんな感じだった。

 上司と部下が立て続けに辞めたらしく、彼がその業務を一手に引き受けざるを得なかった。

 分かっている。分かっているんだ。だけど今日ぐらいは。


 百貨店に出入りする客たちを縫うように避けながら歩道を歩く。昔、彼とふたりでここの百貨店に来て、彼は私にアクセサリーを買ってくれたっけ。

 仕事が忙しい彼を疑っているわけではないけれど、一人で考えていると不安な気持ちが溢れてくる。本人に直接聞いてみたいけれど、自分が傷ついてしまわないかそれも不安だった。


 だからこそ今日だけは一緒に夜過ごしたかった。不安を埋めて欲しかった。

 クリスマスなんて嫌いだ。煌びやかな大通りを歩いて駅まで向かうのが苦痛で、路地裏から街を抜けることにした。

 街の眩しい喧騒が一気に静かになる。平常運転の昔ながら居酒屋が軒を連ねており、一人で飲んでいる人もいれば、カップルもいたが、なぜかこっちの通りの方が居心地がよかった。


 路地裏を歩いていると「カッツェ雑貨店」という看板を掲げた見慣れない店を見つけた。明治や大正を思わせる古い店構えで、アンティークな丸い電球が店名を静かに照らしていた。

 古いものが好きなわけでも、雑貨が好きなわけでもないのだけれど、なぜか吸い込まれるように店先に足が向いた。

 木製の、緑色の縁取りがされたガラス戸を引き店内に入る。


 上がり框になっている奥の部屋から「いらっしゃい」と嗄れた男性の声が聞こえた。部屋が暗くて声の主の姿は見えなかった。部屋の手前には、白いネコが座布団の上で丸くなって寝ていた。

 店内は、八畳ほどの小さな売り場で、私以外にお客さんはいなかった。

 木製の棚やテーブルの上に商品が並んでいる。がま口の財布、栞、ガラスペン、砂時計、手帳、鞄、ハンドタオルなどだ。ネコの柄が描かれているものが多かった。世の中はクリスマスだというのに、クリスマスらしい飾り付けも商品も一切なかった。まるで昔からずっとそうであったかのように、古そうな時計の秒針だけが静かに時を数えていた。

 小さなアクセサリーコーナーには指輪やピアス、ペンダントが並んでいて、私はそのうちの一つを手にとった。


 大きな丸い石のついたペンダントだった。石はガラスのように透明な部分と、その奥に碧く輝く石の二層に分かれていた。店内の暖色の光に照らされて、石はキラキラと輝いていた。反射板のような不思議な輝き方をしていて綺麗だった。

 ペンダントには「タペタムのペンダント」という商品名とともにそう高くはない金額が記載された値札がついていた。

 このくらいなら。今日はクリスマス。自分自身にプレゼントしよう。


「すみません」私は店主を呼ぶと、店主は私の持っていたペンダントの値段を告げて「お金は白ネコの前に」と言った。

 ラッピングも紙袋も専用のアクセサリケースもなく、ペンダントそのものだけを持って店を出た。

 キラキラと輝く石は路地裏の少しの光に反射して光っていた。私はペンダントを身につけた。コート類を着ているから身につけていても周りからは見えない。誰かに見せたいわけじゃないからそれでいいのだ。私だけのプレゼント。タペタムのペンダント。



 クリスマスの夜から普通の日に変わろうとした時、彼は家に帰ってきた。

 私はいつの間にかベッドでうとうとと寝てしまっていたようだった。カーテンの隙間から月明かりが寝室を照らしていた。

 彼が寝室の扉を開けると、廊下の明かりが一気に寝室を明るくする。

「遅くなってごめんね」彼がベッドに座る。

「大丈夫。気にしないで。遅くまでお疲れ様」

 ふと、彼は私の胸元のペンダントに視線が移った。月明かりに反射して輝いている。


――何これ。こんなペンダント俺知らない。誰かに貰ったのか?

「あ、これ? 自分で買ったんだ。綺麗でしょ」

――こんな高そうなもの、自分で買うか?

「安かったんだよ。なんかね知らない店があって……」

 そこまで言ってようやく気がついた。彼の心の声がダイレクトに私の頭の中で聞こえるのだ。そんなことあるだろうか。


――なんで黙るんだ。まさか男にでも会ってたのか

「なっ……」

 私は自分が疑われていることをすぐにでも否定したかった。だけど続け様に彼の声が頭に入ってきた。

――しかもよりにもよってペンダントかよ。ペンダント欲しいって前に言ってたもんな。だからか。俺への当てつけか? 自分で買ったにしても、わざわざ俺が見えるところでするとか当てつけだろ。俺が遅くまで帰らないことを、そうやって無言でアピールしてくんのかよ。

 ひどい。なんでそうなるの。聞きたくない言葉が頭に入ってくる。でもそれが彼の本心かと思うと、怖くて何も言えなかった。

――なんで黙ってんだよ……。まさか本当に男でもいるのか……? 違う。全部俺が悪いんだ。分かってるよ、んなこと。俺が毎晩遅いし、疑われてるんだろ。しかもイブもクリスマスもだ。今日は早く帰れると思ったんだけどな。仕事だって言ったって信じてもらえないよな。こんなに遅くなるなんて。悪いと思ってる。ごめんな。いつも。だけど言えないそんなこと。



 気がついたら私は泣いていた。彼の言葉を信じたかった。だけど不安が募っていた。強がっていたけど、やっぱりさみしかったんだ。聞きたくない彼の心の声も、聞いてはいけない彼の心の声も聞いてしまった。そうしたら涙が止まらなくなった。

「ご、ごめん……」

 彼はそう言うと私を抱きしめた。お互いを信じるって大変だと、思った。

――そうだ。ペンダント渡そう。

 彼は「ちょっと待って」と言い、寝室を出ると綺麗なラッピングが施された箱を持って戻ってきた。

「本当は昨日のうちに渡したかったんだけど、はい。これプレゼント」

 包装を丁寧に外し、箱を開けると、一粒の輝く石のついたペンダントが入っていた。それはタペタムのペンダントよりもずっと小さく、だけどずっと大きく輝いていた。

「遅くなってごめん。メリークリスマス」

「ありがと」

 私も彼に用意していたプレゼントを渡した。



 心の声が聞こえるのはどうやら彼の声だけだった。それもあの夜のひと時だけだったので、もしかしたらただの私の妄想だったのかもしれないと今では思う。「タペタムのペンダント」とインターネットで検索してみたが、何も引っかからなかった。代わりに「タペタム」と言う言葉は引っかかった。タペタムとは、猫などの動物の目にある反射板のことらしい。暗闇の中でも目に入った少しの光を増幅させて辺りを見えるようにしているらしい。


 ひょっとしたらこのペンダントは暗闇にいた私に光を照らしてくれたのかもしれない。

 でも、もう大丈夫。彼から貰ったペンダントがあるから。彼から貰ったペンダントが胸元でキラキラと光っている。


 せっかく買ったタペタムのペンダントは、使わずにしまっておくことにした。

 もしまた不安になって光が見えなくなったら、またペンダントをつけてみようと思う。



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