猫だけが見ていた


 部屋の隅で黒猫が怪訝そうにこちらを見ている。黄金色の虹彩だけが光っているように見えて不気味さを感じる。

 コイツはきっとその双目で犯人の姿を見ているのだろうな、と思う。お前が話してくれれば事件はこの場で解決するんだけどな。


 通報があって駆けつけた一軒家の二階で血を流して倒れていたのは家主であり、四人家族の父親だった。救急隊が来なくても彼の死は明らかだった。頭部に打撲痕が見受けられることのほか、目、鼻、口といったパーツが分からないぐらい顔面を叩かれていたのだ。被害者が倒れていた場所の近くに血痕のついたかなづちが床にあった。これが凶器であることは間違いないだろう。


 現場は特に密室と言うわけでもなく、玄関や部屋の扉は鍵がかかっていなかったし、部屋の窓も開けられていた。犯人は窓から逃走した可能性もある。雨樋用のパイプを伝って、あるいは隣接するアパートの壁を利用すれば、この高さなら難なく下に降りられる。


 事件は日曜日の昼下がりに発生した。第一発見者は被害者の妻であった。買い物から帰ってきたところ、玄関が無施錠になっており、不審に思い、すぐに家の中を確認したところ、二階の部屋で旦那が倒れていたのだという。

 警察と消防への連絡が入り、当該地域を担当している自分がまず現場に駆けつけた。状況からすぐに無線で本部とやりとりし、通信指令に従い、臨場する機動捜査隊の到着まで現場の現状維持と、第一発見者の気持ちを落ち着かせることに努めた。

 機動捜査隊が来てからは、周辺への聞き込みが始まり、鑑識や捜査一課も加わり、本格的な初動捜査が始まった。


 その頃には、外に出ていた家族たちも家に集められていた。

 第一発見者の被害者の妻、高校二年生の息子、大学一年生の娘、さらに、同居している母親方の両親ふたりの合計五人だ。それと飼い猫の黒猫。名前は「文吉」というらしい。

 文吉はおとなしい猫で、大勢の捜査員たちが家に入ってきても、動じることもなく、リビングの隅でこちらを深く静観していた。


 事件発生時、家に居たのは、被害者の父親と犯人、それからこの文吉だ。

 外部の犯行も考えられるが、現段階では不審者の目撃情報は上がっていない。犯人はおそらく家族の中の誰かであると踏んでいる。


 一番怪しいのは高校二年生の息子だ。外見的特徴で判断してはよくないのだが、ヤンキーのような見た目で、金に染めたツーブロックの髪に、口と耳にはピアス、くちゃくちゃとガムを噛んでいて、捜査員ともまともに会話しないのだ。家に戻ってきただけでも評価できるような人物だ。しかし彼にはアリバイがあるようで、犯行推定時刻には、友人と駅前のゲームセンターにいたらしい。捜査員がゲームセンターの防犯カメラの映像を照会してもらっているので、じきにアリバイは成立するだろう。


 怪しいと言えば、妻の母親、つまり姑もだ。娘の情報によると、日頃から被害者との口論が絶えなかったようで、昨夜も風呂掃除の仕方について三十分近く口論していたようだ。

 彼女は犯行推定時刻、自宅から徒歩五分の場所にある公園にいたという。

 駅前のゲームセンターにいた息子、商店街に買い物に行っていた妻、それから囲碁クラブに行っていた妻の父親、そして自転車で大学に向かう途中だった娘の、五人の中で一番犯行現場に近いのが姑である。

 徒歩五分圏内の道路には防犯カメラも数個しかなく、上手く避けて通ればカメラに映らずに家に戻ってくることも可能なはずだ。ただ問題は、彼女は腕が細く、被害者の顔の原形が分からなくなるぐらいまでの力を持っているとは思えないところだ。


 そしてもうひとり。大学生の娘も怪しい。姑と被害者が不仲だったことを捜査員に話した際に、「姉貴もだろ」とこれまで黙っていた息子が口出したのだった。その時「うるさい。あんたは黙ってて」と妙に焦った様子で弟を制していた。

 また彼女にはアリバイがない。大学までの道路に設置されている防犯カメラの映像を解析すればアリバイは証明されるだろうが、現時点ではその材料がないのである。

 容疑者は限られているし、時間をかければいずれ解決する事件だと思っている。

 ただ、早めに解決できるのであればそれに越したことはない。何か決定的な証拠が出てくるとか、犯人が自供してくれればいいのだが。


 死人に口なし。文吉にも口なし。文吉が話してくれたら事件は即、解決するだろう。犯行現場を見ていないとしても、犯行時刻に誰が出入りしていたかは分かっているはずだ。

 文吉はおとなしく黙ってこちらをじっと見ている。



 周辺聞き込みをしていた捜査員が戻ってきて、何やら騒がしくなった。

 捜査員が捜査一課の刑事と話している。程なくして刑事が話し始めた。

 どうやら周辺の聞き込みで有力な情報をもらったそうだ。情報というより、犯行現場が偶然にも映っていたようだ。


 刑事は家族の前で一言二言話をすると、娘が観念したかのように自供した。母親は泣き崩れ、息子は「ほらな」と吐き捨てどこかに行き、祖父母は「うそよ、連れて行かないで」と捜査員に懇願している。文吉はその様子をじっと見ていた。


 後に知ったことだが、隣接するアパートの二階に住む住人が、犯行現場となった二階の窓を背景に、猫の写真を撮っていたそうだ。

 写真を見せてもらったところ、残念ながら構図の問題で直接犯人の姿は映っていなかったのだが、猫の瞳を拡大していくと、エメラルドグリーンの綺麗な瞳の虹彩にちょうど被害者である父親と犯人の娘の姿が映り込んでいたのだった。


 父親は娘から逃げようと窓を開けたところが、ちょうど隣人の猫の瞳に映っていたというわけだ。隣接するアパートまでの距離が数十センチしかなかったことや、窓を開けたことにより猫の瞳に映りやすくなったことが重なり、証拠としても十分なものとなった。


 犯人逮捕に繋がったその写真は一枚のみに記録されていた。アパートの住人によるとその写真を撮った後、猫は窓の縁から降りてしまったようで、住人も写真を撮るのをやめたのだという。


 犯行現場はやはり猫だけが見ていたようだった。



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