睨み合い


 それは突然始まった。 


 さっきまで仲良く背中を寄せあって寝ていたのに今は臨戦体制だ。

「両者睨み合いが始まったー」

 問六の答えが分からず、ふと顔を上げたところ、飼い猫たちがいつの間にか睨み合っていたのだ。向かいに座っている彩花あやかも振り返り、猫たちを見る。


 今日は私の家で彩花と二人で数学と英語の勉強会をしていたのだ。私は英語、彩花は数学が得意科目で、それぞれ苦手科目がその逆である。だから、お互い分からない部分を教え合いながら、勉強しようということで、土曜日の午前中から勉強会をしている至って真面目な高校生たちなのだ。ちなみに午後はカラオケに行く予定だ。


「さあ、お互い一歩も譲らないぞー」

 私はスポーツ番組の実況風に状況を伝える。


 睨み合っているのはミックスのオス六歳「ぽんず」とアメリカン・ショートヘアのオス四歳「メッシュ」だ。

 ぽんずがクッションの上で座っていて、メッシュが姿勢を低くしてぽんずを見上げる形で睨み合っている。普段は仲がいいのだが、メッシュが喧嘩っ早いところがあって、何か気に食わないことがあると、すぐにぽんずに食ってかかるのだ。


「止めなくていいの?」

 彩花が心配する。

「いつものことだから大丈夫」

 睨み合いといってもぽんずは割と優しい目でメッシュを見つめている。「そんな怒らないでよ。僕、なんかしちゃった?」と優しく諭すような目だ。


 一方、メッシュはギラギラとした挑戦的な目つきで、「なんじゃワレ? あぁ? やんのかコラ!」と言いたげに、下から煽るように睨んでいる。年齢的にも体格的にも、そして上下関係的にもぽんずの方が優勢なのだが、それでもメッシュはぽんずに喧嘩を挑んでいる。メッシュは至って真面目なのだが、その姿がかわいくて見入ってしまう。


 「ワオーン」と低い声でメッシュが唸る。ぽんずも「ニャーン」と鳴く。メッシュはさらに「にゃにゃおーん」と繰り返し鳴く。

 メッシュはゆっくりと右手を上げていく。

「おっと、猫パンチか?」

 メッシュの右手がぽんずの鼻の近くまで上がっていく。

「おうおうおう。やんのかワレ。あぁん? こちとら、いつでも殴れるんだぞ」

 私はメッシュの鳴く声を、言ってそうな言葉に変換して口に出す。

「メッシュくん、口わる!」私の解説に彩花が突っ込む。


 一方、ぽんずもメッシュの右手に近づけるようにゆっくりと手を上げていき、ニャーンと鳴く。

「暴力はやめてよ。よくないよ」今度は彩花がぽんずの言葉を代弁した。

「あぁ? じゃあなんだこの手は。手ェ、下げろや」

「君が手を出そうとしてるからだよ。一緒に手を下げよう?」

 そして、ぽんずの手がメッシュの手に触れた瞬間、メッシュの猫パンチが炸裂した。

 それを機にぽんずもメッシュに手を出した。


「始まっちゃったねー」

「止めなくていいの?」

「大丈夫、大丈夫」

 メッシュは身体を大きく見せようと二足立ちになり、両手をバンザイしながら、ぽんずの頭に向かってペチペチと複数回猫パンチを食らわせる。一方、ぽんずも黙っておらず、メッシュのパンチを防ごうとメッシュの前に手を出す。


「んだてめー。オラオラオラオラー」


「メッシュくん、いい加減やめてよ。もうー」


 メッシュは力強い猫パンチをぽんずに浴びせ、そのまま体勢を崩し、ころんと腹を出し寝転んだ。手はバンザイの形になっていて、いつでも攻撃可能な状態だ。般若のように瞳孔を丸くして、三日月型に大きく開いた口からは小さな牙があらわになっている。


 「シャー」とメッシュは唸り威嚇した。

 一方、ぽんずも険しい顔でメッシュを睨んでいる。

「ぽんずくん、怒ってる」

「おい、メッシュ。お前、いい加減にしろよ」


 ぽんずは手を出さずに、寝転がっているメッシュを見下ろすようしてギロリと睨んでいる。メッシュは両手を挙げたままじっと動かなくなっている。

「メッシュくんのしっぽ、ふーしてる」

 メッシュのしっぽは普段の三、四倍もの大きさにモフモフと膨れ上がって、逆立っていた。


「お前が先に手ェ出したんだろが。お前こそやめろや」

「僕は止めようとしただけだよ」

「うるせー。年上だからって舐めてんじゃねーよ」


 両者睨み合いをやめない。ぽんずが寝転がっているメッシュの頭に手を乗せようとした。


「あ? お前。やんのかコラ」


 メッシュは寝転んでいた身体をクルリと起こし立ち上がると、ぽんずの首根っこを両手で掴む。ぽんずは掴まれた手を外そうと、メッシュに猫パンチを食らわせ、反対にメッシュの首根っこを掴んだ。


 そのまま二匹とも取っ組み合いながら倒れ込むと、メッシュは頭と両手で、ぽんずの首をしっかりホールドした。そして、そのまま身体を丸くし、両足でギュンギュンギュンとぽんずの顎や手に向かって猫キックを食らわせた。


「くらえ! ケリケリ攻撃じゃ!」


 しかし、ぽんずも黙っていない。身体全体を使って力で、メッシュのホールドを解いては、今度はメッシュの身体を抑えつけ、腹あたりを噛みにかかった。さらに足も噛もうとする。


「ガシガシガシ。カミカミするよ!」

「おい、やめろって。痛いだろ。噛むなよてめー!」


 メッシュがぐるりんと身体を回転させては起き上がる。動きが止まり、再び静かに睨み合いが始まった。


「ふたりとも顔が近い」

 お互いの鼻がつきそうなぐらいに近づいては睨み合っている。お互い、火花が散っているのが見えそうなバチバチとした目つきだ。

 ぽんずがグイグイと顔を近づける。メッシュは次第にその圧に押されて、身体ごと後ろに引いていった。


 するとその瞬間、ぽんずが猫パンチを放った。音がするぐらい強い一撃だった。あれは痛かっただろう。

 不意打ちにメッシュがよろけた。その瞬間、ぽんずはさっと素早くメッシュから距離を取った。そしてこれ以上敵意がないことを示すかのように、その場でお腹を床につけて座り込んだ。


 メッシュもたじろいだのか、諦めてその場に座ると毛繕いを始めた。

 少しして毛繕いの動作を止めると、ぽんずに近づいた。

「まだ喧嘩しそう?」彩花が訊く。

「いや、大丈夫だと思う」

 メッシュはぽんずの横にペタンと座ると、ぽんずの横腹をぺろぺろと舐めて毛繕いをした。ぽんずもメッシュの身体を舐めてあげている。


「ごめんな」「痛かった?」そんな感じに見える。

「仲直りしたのかな?」

「まぁ、普段は仲良いからね。この子たち」

「ふたりとも怪我しなくてよかったね」

「流石に怪我するぐらい激しい喧嘩になったら止めるよ」

「そうだよね。よかったよかった」


 彩花は振り向いていた身体を戻し、テーブルの問題集に目を向けた。

 私は目の前の問題集を指差し、彩花に言った。


「さて、私たちも睨み合いしますかね」

「そうね。再開しますか」

「この問題、解けなくてさ。もう少し頑張るけど、分からなかったら教えて」

「おっけい。午後はカラオケね」

「おけ」




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