新しい名前


 夢を見た。はっきり鮮明な夢ではなかったから、起きた瞬間から夢のディテールが失われていった。だけど記憶に残っているのは、猫がいたこと。それからその猫に「ニーナ」と、人間みたいな名前をつけたこと。

 それだけは目が覚めても覚えていた。


 これは「ニーナ」という名の猫を飼いなさい、という夢のお告げだと思った。

 普通の夢とは違う、という感覚があった。見えざる力に動かされるように、その日にそれなりに大きいペットショップに「ニーナ」を探しにいった。

 実際の猫を見たら、「この子がニーナだ」と直感にくるものがあると思ったからだ。


 駅からちょっと離れたショッピングモール内にある大手ペットショップには、いろんな種類の猫がいた。


 猫はどの子もかわいかった。一番人気はスコティッシュ・フォールド。垂れた耳と丸顔で白と茶色の柄の子猫の前には他のお客さんも見ていた。くりくりした目がかわいかったけれど、「ニーナ」って名前が合う子ではなかった。


 次に人気だったのは、マンチカン。手足が短く、身体全体も小さい。「小さい」や「子ども」と言う意味がある「マンチキン」が名前の由来のようだった。サバトラ柄の子猫は、少しぽっちゃり体型で、こちらも「ニーナ」というイメージからはかけ離れていた。


 名前からイメージを浮かべるのは失礼な話かもしれないけれど、「ニーナ」という名前からは、シュッとスタイルが良くて、活発だけど上品な猫のイメージがあった。


 シルバーとブラックの縞模様のアメリカン・ショートヘアの子猫もかわいかった。ケージの中で、おもちゃのボールをひたすらロックオンして、駆け回っている姿を見たら、「ニーナ」っぽいなとも思ったのだけど、オスの子猫だった。「ニーナ」はメス猫のイメージだ。


 長毛種で、ブラウン系の色が数種類混ざった柄のメイン・クーンも上品な感じがして「ニーナ」のイメージに近かった。だけど、メイン・クーンは成長するとかなり大きくなるらしく、室内飼いが大変そうと思った。


 他にも、いくつかノルウェージャン・フォレスト・キャットやミヌエット、ブリティッシュ・ショートヘアなどの猫を見たけれど、「ニーナ」と思えるような、ビビッとくる猫はいなかった。


 やはりただの夢だったのだろうか。夢が現実になることなどそうそうない。

 今朝見た夢に影響されて、家を飛び出してペットショップに行ったのが急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。


 カフェにでもよって少し休憩したら家に帰ろう。ペットショップを後にし、駅前まで移動したところ、小さなペットショップを見つけた。ちょっと覗いてみようと中に入った。


 縦長の店舗で二階構成になっていた。一階は犬のフロアだったので、手前にある階段から二階に上がった。そこにはアクリル板で仕切られ、縦に三段、横に四列の合計十二個の区画に分かれたケースが並んでいた。そしてちょうど真ん中辺りの区画に「ニーナ」がいた。


 十二個全て見ることなく、「私を見て!」と言わんばかりに、ケースの中で、アクリル板に両前足をつけながら、ひたすらぴょんぴょん飛んでいる子猫がいたのだ。


 その子を見た瞬間、「ニーナ」だと直感がビビッときた。


 もっと近くで見たいと思い、そのケースの前に行く。その子は、こちらを見ながら、ずっとぴょんぴょん飛び跳ねている。非常にちっこい猫だ。

 アクリル板の外側にはその子猫の情報が記されていた。

 千葉県生まれのメス猫のようだ。


 この子は「シンガプーラ」という聞いたことのない種類の猫だった。

 ペットショップの店員さんによると、シンガプーラはシンガポールで発見された猫で、「小さな妖精」とも呼ばれており、純血種の中では世界最小の猫だそうだ。毛色は「セピアアグーティ」という名の色で、アイボリーの地色に灰色や茶褐色が織り混ざった色をしている。身体も小さく、おとなしく、あまり鳴かない猫だそうで、日本のような狭い敷地で室内飼いするような人に向いているそうだ。


 額にM字の模様があり、「ここから出してよー」なのか「私と遊んでー」なのか分からないけれど、アクリル板越しに、つぶらな瞳でずっとこっちを見ながら、ぴょんぴょんとジャンプしている。


「がぷさん、かわいいですよねぇ。お家に連れて帰られますか?」

 がぷさん?! この子は「ニーナ」だ。「ニーナ」を連れて帰りたい。


 情報カードに記載されている値段を見るとそれなりにした。まさか本当に「ニーナ」が見つかるとは夢にも思っていなかった……いや、夢には出てきたのだけれど、本当に「ニーナ」と思える猫に出会えるとは正直思ってなかったので、購入することは全く考えていなかった。


 でも、この子は確かに「ニーナ」といえる容姿だった。

「ちょっと、考えます……」

 お金の問題もそうだけれど、飼うとなるといろいろ考えなければならない。この場で即決ができなかった。


 帰り際、もう一度ケースの方を振り向くと、「ニーナ」は小さな瞳でこちらをずっと見つめながら、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。


 翌日もその翌日も、仕事帰りにペットショップに寄った。飼いたいけれどまだ決断できてなくて、でも他のお家にもう行ってしまってたらどうしようと気になって見に行った。 


 「ニーナ」は見に行くたびに、両前足をアクリル板につけて、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、小さくつぶらな瞳を潤ませながら、こちらを見つめてきた。


「がぷさん、お姉さん今日も来てくれたよ」

 がぷさん!? この子は「ニーナ」です。

 とはいっても、家に迎え入れなければ、この子は「ニーナ」ではなくなってしまう。


 「ニーナ」という言葉を調べてみたら、ドイツ語で「小さな女の子」という意味があるようだった。世界最小の猫、「小さな妖精」に、まさに相応しい名前だった。この子が「ニーナ」なんだと、改めて思った。


 だけどその日も決められなかった。日が増すに連れて、焦りが大きくなっていく。

 そしてついに決められずに一週間が経ってしまった。


 これ以上決めきれないでいて、ある日いなくなっていたら後悔しかないと思った。

 一週間前に、夢に現れた猫。名前は「ニーナ」。記憶に残っているのはそれだけ。その日にペットショップに行って、「ニーナ」はこの子だと見つけた。シンガプーラの子猫は、一週間前からずっと、「ここから出して」なのか「遊んで」なのか「私を連れて行って」なのか、小さな瞳でそんな事を訴え続け、毎日アクリル板に両前足をつけて、こちらを見つめながらぴょんぴょん飛び跳ねていた。


 ここでさよならしたら、「ニーナ」という名前もこの子の記憶も、夢のように失っていくだろう。それは悲しすぎる。ビビッときた「ニーナ」を迎え入れたい。

 そう強く思ったらすぐに決断できた。



「がぷさん、お家決まってよかったねぇ。お姉さんが連れていってくれるって」

 書類の記入と支払いを済ませると、ペットショップを後にした。


 ダンボール製の簡易的なケージに入れて電車に乗る。ニーナは空気穴から、興味津々に外の様子をチロチロと覗いていた。


 これからニーナとの新しい生活が始まる。




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