第14話 キトゥン・ニーズ・ザ・パピー

「泣いちゃダメよ、しずかに、ね?」


 孤児院の倉庫で身を寄せ合いながら、ティリは小さな子たちに言い聞かせる。

 いつもシスター・クレアが言っていることだ。非常時には泣かない。祈らない。生き延びることだけを考える。

 そして、その方法を叩き込まれた。魔物と獣と人間、相手による身の隠し方、逃げ方、そして。最後の手段としての、殺し方。

 “沈黙の森”に近い孤児院ならではの処世術なんだろうけれども。最初に聞いたときには違和感があった。特に“祈るな”は、元冒険者とはいえ協会所属のシスターが、神などいないと言っているようなものだから。


 “天恵職”を得たバレットが孤児院を出たから、いまは十三歳のティリが最年長者だ。非常時には子供たちを引率して、隠れ、守るのがティリの役目だった。

 外からはずっと、叫ぶ魔物たちの声と激しい地響きが伝わってくる。シスターは結界を張るから大丈夫だって言ってくれたけど。元Bランク冒険者だから守り切ってみせると笑ってたけど。


 これが“魔物の過剰湧出スタンピード”だとしたら、その数は十や二十じゃない。シスターが元Bランクだとしても、ひとりで対処なんてできるわけがない。

 さっきまで続いていたドンドンという魔法の音も聞こえなくなって。遠くから、なにか巨大な魔物の吠える声が近づいてくる。

 穴掘森猪ディグボアに似ているけど、もっとずっと大きい。たぶん猪頭巨鬼オーク。森の奥にしかいないはずの魔物だ。


 小さな子供たちに泣くなと言っておきながら、自分が弱気になっていちゃいけない。わかってはいても、鼻の奥がツーンとなる。


「だいじょぶにゃ」


 シェルの落ち着いた声を聞いて、ティリは首を傾げる。

 獣人だからか生まれ持っての性格なのか、ふだんの彼女は考えなしに思ったまま行動する。昨日は、いきなり森に駆けだそうとしてシスターに怒られていた。止められても聞かず半狂乱になって暴れるさまは、おかしくなったのかと思ったものだが。

 落ち着き払ったシェルの様子は、これはこれでおかしい。


「にーたん、たすけにくるにゃ」

「……バレットが?」

「あい! ぜったい、きてくれるにゃ♪」


 よくわからない。バレットは人狼だけど、成人したばかりの十五歳。もし助けに来てくれたとして、元Bランク冒険者シスターが敵わない魔物の群れにできることはない。どんな“天恵職”を得たのだとしても、喰い殺されて終わりだ。

 ティリは、それを口には出さなかった。“にーたんを、たすけにいく”と泣き叫んだ昨日のシェルが、彼女には怖かったのだ。


「なんで、わかるの」

「わかんないけど、わかるにゃ」


 シェルの行動が、ではない。“にーたん”と呼びつつ血縁もない相手と、そこまで固く結びついていることにだ。

 孤児の多くと同じように、ティリは他人を信じない。愛情も信頼も知らないし、感じたこともない。そんなものが存在するとも思っていない。


「きたにゃ!」


 閉ざされた倉庫のなかで、シェルの視線が見えないなにかを追いかける。信じる気はないけど。出まかせと言い切るには、あまりにも真に迫っていた。

 彼女の反応を信じるとしたら、領府のある南側からすごい勢いで近づいてきたバレットが孤児院の屋根に上がったようだ。そこにはシスターがいるはずだから、合流したのならなんらかの動きが……。


ドバンッ!


 いきなり聞いたことのない音が響いて、ティリと子供たちはビクリと身を強張らせる。


「な、なんの音?」

「わかんないにゃ」


 そう答えたシェルの顔には笑みが浮かんでいて、問題はないと言わんばかりにうなずいている。

 

「でも、きっと、にーたんの“天恵職”にゃ」


 その後にも二回、同じ音が聞こえて外の音が変わり始めた。ざわざわした魔物の気配が、少しずつ孤児院から逸れてゆく。なにが起きたのかはわからないけど。危機は去りつつあるのだということは理解できた。

 その間もシェルの視線は、なにかをずっと追いかけていて。ふと立ち上がるとドアを開けて倉庫を出ようとしていた。


「待ってシェル! シスターが戻るまで出ちゃダメだって……」

「だいじょぶにゃ。にーたん、きてくれたにゃ」


 当たり前のことを離すようなシェルに、ティリも止める気がなくなっていた。そのときノックの音がして、バレットの声が聞こえた。


「俺だ。入るぞ」

「にーたん!」


 ドアを開けて入ってきたバレットに、シェルが飛びつく。まとわりついて頭を擦り付け、全身で喜びを表現する猫獣人の義妹を抱き留めながら、人狼の義兄は困ったような顔で固まる。

 “天恵の儀”を受けてから、バレットは変わった。不自然なほど落ち着いた顔で、醒めた目をするようになった。“天恵職”を得たからだろうか。まるで別人のようにさえ感じる。


「なあ、シェル。約束してたカネは、まだ貯まってないんだけど」


 バレットは優しげな眼差しで、抱き着いたままのシェルを見た。その表情は、ティリも知っているバレットのものだ。


「一緒に来るか」

「あい!」


 迷いない即答。バレットだけではなく、シェルもここを出ていくのか。

 ふたりを見ているティリの胸に、不思議な感覚が広がる。温かいような、モヤモヤするような。長く一緒に過ごしてきた子たちが幸せになってゆくのだとしたら、それは喜ぶべきなのだろうけれども。


 ティリには、バレットたちが進む先に生まれる幸せな未来が、どうしても想像ができなかった。

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