愛する事はないと言ってくれ

ひよこ1号

愛する事は無い、と言ってくれ



貧乏伯爵令嬢の私は、今日結婚しました。

お相手は侯爵令息の、ダニエル様。

お家柄も良く、見た目も良く、おモテになる方です。

他の御令嬢から「玉の輿ね」なあんて言われるけど、嫌味ですかね?

本気なら交代致しましょうか?って言ったら逃げてった。

そりゃそうよね。

普通ならやってらんない。

彼は子爵令嬢のオリビア嬢を愛しているのだもの。


だから、今。

結婚式の夜に彼は言った。


「君を愛する事はない」


いぃぃぃやっほおぉおおぉう!!!

それよ!

それが聞きたかったのよ!

第一関門クリアァァ!


私は悟られないように心の中で勝利の舞を神に捧げた。


いや、気が早かったわ。


「それは、オリビア様を愛してらっしゃるからですよね?」

「……あ、ああ」


眉を下げて困ったように言うと、何故か驚いた顔をしてらっしゃる。

有名な話ですけど、これ。


「王室の方がいらっしゃる夜会には君を伴うが、それ以外は気にしなくていい。支度金と君のご実家への援助金の対価だと思っていい」


言いながら何故かガウンの帯を解き始めた。


何しとんじゃワレ。

愛する事はないといいながら、しっかり身体の関係をもとうとしてるんじゃねえ。


「では、白い結婚ですね?」

「……は?」


彼は思ったよりも間抜けな顔で手を止めた。

困ったように私は微笑む。


「だって、もしオリビア様以外の方と、その……房事を致しましたら、浮気でございましょう?わたくしは、二人の真実の愛を穢したくはありませんわ」


まあ、正直に言えば、穢したくないのは自分の肉体である。

お前なんぞにくれてやってたまるか。


「そ、そうか。でもしかしなぁ……父上と母上が何と仰るか……」

「子供の事でございますね?」


そもそもが、この阿呆が子爵令嬢に入揚げていたのは学生の頃からで、その醜聞はしっかりこの国の貴族に根付いている。

ああ、あの方ね、って言われる奴だ。

学校を卒業しても、その仲はがっちりがっつり続いている訳で。

見た目が良いのでモテはするのだが、結婚……となった途端、高位令嬢は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

残るのは男爵令嬢と子爵令嬢ばかりなり。

でも、そこから選ぶのなら両親が子爵令嬢を認めずにいる意味が無い。

そこで、白羽の矢が立ったのが、私です。

幼馴染の男爵令息と婚約してましたけど、ぶち壊されました、ええ。

貧乏な上に、昨年の災害で領民達の暮らしも苦しい我が伯爵領。

そんな所に金を散らつかせ、というか札束で顔を叩くように強引に婚約解消からの醜聞まみれの令息との婚姻である。

色々な悪条件が重なってしまった結果なのだ。

侯爵家が圧をかけた寄り親に私との婚約解消をして欲しいと泣き付かれ、婚約していた男爵家はそれを呑む事になった。


駆け落ちしようかな?

頭に過ぎった事もあるし、婚約者のエリックと本気で話し合いもした。

でも、親も領民も見捨てる事は出来ない。

だからずっと祈り続けたし、穏便に回避できない場合は、色々と考えてたけど、何とかなりそう!

私は高揚する心を落ち着けて、にこりと微笑む。


「子供の件は、わたくしがご両親のお相手を致しますから、お気になさらないでくださいませ。白い結婚を終えて、3年後には必ず離縁して頂けると約束頂ければ、白い結婚も生涯の秘密に致します。三年間、わたくしとの間に子が出来なければ、ご両親もきっと諦めて下さいます。そうなったら、オリビア様を迎えに行って差し上げれば良いのですわ」


そう言うと、ダニエル様は目を見開いて、それから笑顔になった。


「有難う……!何と感謝したらいいか」


お金をくれて、私に不埒な真似をしなければいいですよ。

この身体は清いまま、愛するエリックに捧げるので。

でも一応建前は言っておく。


「いえ、わたくしはお二人を応援しておりますの」


そして、用意しておいた魔法の誓約書にお互いサインした。

ダニエルもざっと条件を確認する。

・三年間閨を共にせず、白い結婚として、三年後に離縁する

・結婚している間は、最初の契約に準じ夫人としての体裁を保つ費用と、実家への援助を行う

・離婚する際は結婚時に支払った侯爵家の財産は返却の必要なし、更に夫婦の財産の一部を分与とする。

内容はもっと細かく難しいが、凡そこんな感じだ。

後は先程の夜会がどーたらとか、そういうものも盛り込んであった。

一番重要なのは最後の、離縁した後も、白い結婚だった事は侯爵夫妻には伝えない、という事。

サインをすると、用紙は三枚に分かれる。

お互いに一枚ずつ、もう一枚は公証人に預けるのだ。

この約束は魔法によって誓約を保護しているので、破った場合のペナルティは大きい。

今回のペナルティは全財産没収だ。

こちらはあまり痛くないが、侯爵家にとっては地獄である。

履行しないと魔法による呪いが誓約者に降りかかるので、実質拒否する事は不可能だ。

誓約者同士が納得の上破棄する場合は、公証人の元へ行って三人揃っての破棄をする事で解消される。


「では、書類はわたくしが明日提出して参りますので、旦那様はご自分の書類の保管をお願い致しますね。あと、くれぐれも、わたくし達の白い結婚が周囲に悟られる事のないよう、きちんと立ち回ってくださいませね」

「あ、ああ」


まさか年下の妻に主導されるとは思わなかったのか、若干引きつった顔でダニエル様は頷いた。

夫婦の寝室は扉一枚で仕切られていて、扉の向こうは旦那様の寝室だ。


「さあ、お部屋にお戻り下さい」

「分かった、お休み」


さて、と。

重要な用件は終わったが、まだ夜は終わっていない。

私はまず、ベッドの上でギシギシと飛び跳ねた。


わ、このベッド凄いふかふか!

よく跳べる!

実家の板みたいなベッドと全然ちがーう!


楽しくなってきて、ギッシギッシしながら、枕で天蓋の支柱もバフンバフンと叩きまくる。

と、隣の部屋に引き揚げた筈の、ダニエル様が戻ってきて、小声で問いかけてきた。


「な、何をしてるんだ?夜中だぞ?」

「既成事実ですわ」


動きを一旦止めて、私はベッドの縁に腰掛ける。

ダニエル様が隣に腰掛けようとするので、私は素早く二人の間に枕を二つ挟みこんで距離をとった。

訳が分かっていないようだったので、再度言う。


「扉の外で小間使いが、聞き耳を立てていることでしょう」


そういうと、彼はそうか、と納得した。

序でに私も少し考える。


「旦那様の部屋の反対側に、わたくし専用の寝室を頂いても宜しいですか?」

「別に構わないが、何故だ?」


そう問われて、私はうふふ、と笑って伝える。


「それは、お楽しみですわ!」


だってほら。

さっきは楽しかったけど、毎晩飛び跳ねるのは疲れるじゃない?

かといって、旦那様に「一人でなさって?」とか言って、新しい扉が開いても困るし。

だったら、ちょうどいい相手がいるじゃないの!


一ヶ月の期間を経て、防音材も贅沢に使った夫婦の寝室の横の私だけの私室が完成した。

それだけでなく、庭に出られる出入り口や夫婦の寝室へ続く仕掛け通路も作ったし、正門を通らなくて良いような使用人の門も部屋の近くに増設したのである。


私はその期間もずっと屋敷の使用人とは気さくに、かつ愛嬌を振りまいて仲良くする努力をした。

一人一人名前を覚え、仕事にも興味を示し、感謝を伝える。

侯爵夫妻とも、きちんと交流を欠かさない。

子供について聞かれたら、健康についての話にすり替えたり、お義母様の頃は…などと質問して昔話を聞く。

感心したり、褒めたり、田舎暮らしだから年寄りの扱いは慣れている。

祝祭や誕生日のお祝いも、欠かさないでいたので、評判は上々だ。


王家主催の夜会にも、二人で正装して訪れた。

仲良くなった侍女や小間使いの皆さんが、それはもうやる気を出してくれたので、別人の様に可憐な美少女が出来上がったのである。


誰だ、これ?


鏡の前で、色んなポーズを取ってみたが、鏡の中では美少女が間抜けなポーズを繰り返す。


私だったわ。


今まで栄養的な面でも、化粧的な面でも底辺すれすれの暮らしをしていたので、美容にお金はかけてこなかった。

お金だけじゃなく、手間をかける暇もなかった。

清潔感はあるけど、ちょっと芋臭い、みたいな。

元は悪くなかったみたいで、飾られた私を見たダニエル様は言葉を失った。


「え?……君はシェリー……かい?」

「ええ、見違えましたでしょう?」


他に誰がいるんじゃい!と思ったけれど、私も私である事を疑ったので不問にする。

それに他に誰がいると言われればオリビア様がいらっしゃいますものね。


頬を染めたダニエル様のエスコートに従って、馬車で王城へと向かう。

王城の中の離宮の一つで、大きな夜会が開かれるのだ。

王国の名だたる貴族達がこぞって参加をするかなりの規模の宴である。


でも、こういう時って、真実の愛の方はどうするんだろう?

私の真実の愛は外国に出稼ぎに行ってますが。


「あの……今日の夜会にはオリビア様は…?」


遠慮がちに問いかけると、ダニエル様はううん、と首を傾げた。


「どうなんだろう?参加は聞いていないが、今日は君との婚姻披露の挨拶回りがあるから、エスコートは出来ないと言ってある。彼女も分かっていると思うよ」


「では、早めに挨拶を終わらせて、お時間を作って差し上げましょう」


笑顔で言うと、ダニエル様は固まった。


いや、喜べよ。気を使ってるんだぞ、こっちは。

本音を言えば、さっさと押し付けたいだけなんだけど。


何か?というように首を傾げると、ダニエルはもにょもにょと言い訳じみた事を言う。


「流石に、王家主催の夜会で妻の君を置いて恋人の元へ行ったら評判が悪くなるし、父上と母上も落胆なさるだろう…」

「それもそうですわね。ではダニエル様に恥をかかせぬよう、努めますわ」


にっこりと淑女スマイルを浮かべれば、ダニエル様も安心したように笑顔になる。

今更地に落ちた評判を気にするなんて……地に落ちるのはいいけど、地底には潜りたくないという事だろうか。

オリビア様の人となりは知らないけど、かなり図太い方だと思える。

だって卒業して10年もの間、侯爵夫妻の反対を受けても側に居続けたんですよ?

彼女がいなければ自分も死ぬ!とか駆け落ちする!とか言ってたダニエル様の手前害する事も出来なかったようだけど、それでも。

そんな人が「形だけの妻が出来たから」という理由で大人しくしているだろうか?

折角綺麗に飾って貰ったのだから、ワインをかけられたりとか、変な喧嘩は買いたくないな。


ぼんやりとそう思いながら、夜会の行われている会場へと足を踏み入れる。

案内係に名前を呼ばれると、まあ、会場中の人が一斉にギンッとこちらを見た。

そりゃそうよね。

あの醜聞塗れの男の妻に誰がなるんだ、物好きな。

はい、私です。

貧乏底辺伯爵令嬢でーす。

田舎から出てきた芋令嬢ですよー!


馬鹿にされるのに慣れすぎていたけど、何だか様子が違いますね。

何だか頬を赤らめる令息達と、驚き固まるご令嬢達。

ああ、そうでした。

今日は豪華に磨かれたのでしたっけ。


義母と義父の手前も有り、ダニエル様に微笑みかけながら、移動する。

ダニエル様も満更でもないご様子。


演技うまいですね!

……演技じゃなかったら逆に気持ち悪いけど。


高貴な方々との挨拶を終え、義母や義父とも挨拶を交わし、ダニエル様のご友人方とも談笑する。

そして、やっぱり現れた、「真実の愛」


「ダニエル様ぁ」


語尾にハートを纏わせたような甘えた声で、突然首に腕を絡めて抱きついた。


アッ、美人さん!

アッ、胸がけしからん!


奔放なその態度に、驚き見守っていると、ダニエル様は必死でその腕を振り解いた。


「今日は妻の披露をする場だと言っただろう!」


小声で怒るようにそう言うが、オリビア嬢はだってぇ、と言いながら淫らな動きで身体を摺り寄せている。

肉感的な美女なので、何だかんだ馬鹿にしつつも、下品な視線を送る殿方もいるにはいた。

男ってほんっと……。


「あの、ダニエル様、ご紹介頂いても宜しいでしょうか?」

「あ、ああ、こちらは妻のシェリー。こちらは子爵令嬢のオリビア嬢だ」

「どうも、ダニエルの奥様。私が恋人のオリビアです」


面白いほど喧嘩を売ってくるが、別に買ったりはしませんよ。

寧ろ微笑ましくなってしまう。

微笑みは淑女の仮面だけど、本気で微笑んでいると思う、私。


「まあ。お噂はかねがね。会ってみたいと存じておりましたの。それに、少々二人でお話したい事がございまして」

「なぁにぃ?あなたもダニエルと別れろって言うの?」


目を吊り上げても、損なわれない美貌に、波打つ金の髪と、青い瞳。

見た目だけなら、体裁を整えれば高位の令嬢に見えそうな麗しさなのに、残念である。

私はつと側に寄って、耳元で囁いた。


「わたくしは二人を応援しておりますの。ですからご相談を」


身体を離すと、オリビア嬢はきょとん、と驚いたようにこちらを見た。

その手からお酒を取り上げて、ダニエル様へと渡し、「さ、あちらへ」とオリビア嬢の手を引いてテラスへと向かう。

見守っていた群衆は愉しそうな不躾な視線を浴びせて、道を開けていく。

オリビア嬢は思ったよりも大人しく付いて来た。


テラスへ出ると、夜風が頬を撫でて気持ちよい。

私はすぐ本題に入る事にした。


「先程も申し上げました通り、わたくしはオリビア様の味方ですの。この鍵を受け取ってくださいませ」

「え?な、何、これ」

「寝室の鍵ですわ」


直球で言うと、オリビア嬢は目を瞬かせて驚いた。

そりゃそうでしょうとも。

古今東西、新婚夫婦の妻の方が、愛人に寝室の鍵を渡すなんて、そうそう無い。


「夫婦の寝室の鍵ですの。是非ダニエル様と愛し合ってくださいませ」

「えっ?……あなた奥さんでしょ……?」


いや貴女、その奥さんに喧嘩売ってきましたよね?

言いたい気持ちはさておき、いかにも困ったように笑顔を作る。


「ダニエル様はそれは、オリビア様を愛しておられまして、オリビア様とじゃないと嫌だと仰られるの。ですから、これは秘密にして欲しいのですけれど、何れ離婚をして、貴方がダニエル様と結ばれるようにお手伝いさせて下さいませ」

「え?いいの?本当に?」

「ええ、もちろんですわ。でもお約束を守って頂けないと、大変な事になりますの。全部守って頂けますか?」

「いいわ!」


即答である。

誰も彼も反対してれば、応援してもらえるなら縋りたいよね。

私はオリビア嬢が少し不憫に思えた。


「まずは、こちらの離婚が済むまでは妊娠しない事。ダニエル様の不名誉となれば、離婚にはなりましょうが、家が没落しかねません。薬もこちらでご用意させて戴きますね」

「それもそうね、分かった」


うんうん、とオリビア嬢は頷く。

質の悪い避妊薬を使われたり、お金がないからと使わなかったりされたら面倒なのである。

子爵家は身分も低いから、お金もそこまで潤っていない。


「屋敷の鍵は、通用門の鍵と、庭の扉の鍵、それから夫婦の寝室の鍵となります。地図はこちらに」


言いながら掌に収まる小さな地図を渡す。

オリビア嬢はそれをじっと見つめた。


「今日、わたくし達よりも先に屋敷にて、お待ち下さい。場所を覚えたら、その紙は燃やして下さいね。二人の恋を叶える秘密ですから」

「分かりました」


おや敬語、喋れるんですね!

恋の秘密が気に入ったのか、目を輝かせている。


「夜会のない夜に訪れる時は、旦那様と連絡を取り合って、部屋までは使用人の服で忍んで来て下さいね。不審者だと捕まってしまうので……私の実家との間で使用人が自由に行き来するよう取り計らっているので、使用人の服を着ていれば見咎められないと思います」


こくり、と真剣な目でオリビア嬢は頷いた。

私も笑顔で頷き返す。


「寝室の箪笥の中には綺麗な下着をご用意したので、ご自由にお使いになって下さいね。でも、帰るときはきちんと入った場所から、使用人服で出てください。秘密、ですので」


こくこく、とオリビア嬢が真剣に頷く。

やはり、秘密が好きらしい。


「それと今日、帰る時、わたくしと会場でお別れの挨拶を。笑顔で、お辞儀をして下さいませ。わたくしも笑顔でお返ししますわ。仲違いをしてしまうといらぬ注目を集めてしまうので、お願い致しますね。王家主催の夜会以外はオリビア様をエスコートすると旦那様も仰っていたので、わたくしは参りませんから、安心なさってね」


「ほ、本当に、有難う……ございます」

「良いのです。では、参りましょう。お屋敷で楽しみにお待ちくださいませ」


オリビア嬢は約束どおり、万人が注目する中、スカートを広げてお辞儀をする。

私もそれを受けて、丁寧にお辞儀を返した。

彼女はそのまま、会場を振り返ることなく、ダニエル様へ挨拶もせずに夜会を後にしたのである。

そんな中、慌てたようにオリビア嬢を見て、私を見たダニエル様が小走りに走り寄ってきた。


「だ、大丈夫か?何があった?」

「え?ですから、お話をしていただけですわ。きちんと分かって頂けましたの。見た目は妖艶ですのに、素直で可愛らしい方なのですね」


笑顔で言うと、ダニエル様は困惑したような顔をする。


何だろう。

女同士の争いでも見たかったのかしら?

まあいい。


「今日はとびきりの贈り物をご用意させて頂いたの。帰ったら夫婦の寝室へいらしてね」


耳元で囁くと、ダニエル様はごくりと喉を鳴らした。

そして、顔を上気させて、にやける口元を押さえている。


え、気持ち悪……貴族なんだから、きちんとして。


私は笑顔のまま気色悪いダニエル様のニヤける顔から目を逸らした。

そして、慌てたように侯爵夫妻が駆けつけてきたのを見つける。

二人は心配そうに、私を気遣う。


「あの女に何かされなかったか?」

「大丈夫?」

「あら、お義父様もお義母様も過保護ですこと。大丈夫でございますわ。お話して、お帰り頂きましたの。流石に人の目もあるので、オリビア様も分かってくださいましたわ」


笑顔で言うと、一瞬、驚いた顔をしたが、二人は安心したように頷く。

だが、義父はダニエル様をきつく睨んで、しっかりしろ!と小声で叱って立ち去った。

義母は、あの人に手を焼いてきたのだろうか、不思議そうにしながらも、最後は微笑んで義父の後を付いていく。


「……あ、その、……一曲踊って頂けないだろうか」

「ええ、喜んで」


困ったように遠慮がちに誘われて、私は実家への対価の分の仕事をする。

自分で言ったのに、忘れていないかしらこの人?

夫婦だから、夫婦として、応えるだけなのに。


そしてその日。

私が飛び跳ねる代わりに、二人が夫婦の営みを偽装してくれたのである。


やっぱり跳ねるより楽だわ。


あと二年と十一ヶ月。

頑張ろう。

防音のお陰で安らかな眠りを私は貪った。



のらりくらりと全てを躱し続けて、約束の日がやってきた。

あの大きな夜会の日から、噂好きのご令嬢やご夫人からのお茶会に招待が殺到したし、お義母様とお義父様がそれはそれは大事にしてくれた。

伯爵家は既に持ち直して、災害への対策や備蓄もして順調だ。

実家を通して手紙のやり取りをしていたエリックも、他国で商売を成功させている。

あとは、離縁するだけ。


なのに、ダニエル様が渋り出した。


「離縁しないで、本当の夫婦になりたいんだ」

「まあ、ご冗談を。真実の愛を応援しておりますのに……ああ、最後だから、お優しい言葉を下さいましたのね?ダニエル様のお優しさに感謝を」


にっこり微笑むと、ダニエル様が必死で首を横に振る。


「……あ、もしかして、誰かが間にいないと、燃え上がらないからですか?でも、わたくし、子供も欲しいですし、幸せに暮らしたいのです」

「なら、私と子供を作ろう。そして、幸せになろう」


何言ってんの、こいつ。

何だかんだ言いつつも、オリビアさんとよろしくやってきたくせに、本当に、屑。

いや手を出してこようとした事はあったので、全部躱したけれども。


「でも、誓約もございますでしょう?全財産をくださいますの?」

「いや、それは、ほら。二人の合意があれば…」

「ですから、合意しないから言っているのですけれど」

「え?」


嬉しそうだったダニエル様の動きと表情が凍りついた。

私は淑女の笑みを浮かべて、もう一度言う。


「離縁して頂きたいのです。そういうお約束です」


まさか巷にある物語のように、最初は拒否したけど段々二人が打ち解けて、幸せな結婚になる、なんて夢物語を勝手に脳内で描いていたのかしら?

百歩譲って、ダニエル様がオリビア嬢と別れたとしても、私にはエリックがいるのだ。

いなかったとしても、屑は好きにはなれない。


「え……だが、君は父上と母上にも良くして…」

「ええ、そういうお約束でしたでしょう?とても良くして頂きましたし、素敵なご両親だと思います。でもご両親を引き合いに出すのは卑怯ではありませんこと?これは二人の問題で、二人の約束です」


ダニエル様は、わなわなと唇を震わせる。

そして意を決したように言った。


「私は君の事を愛しているんだ……!」

「それなら、なおの事、約束を守って下さいませんか?」


愛していない、と面と向かって突きつけたところで、何とか縋ってきそうで面倒だった。

だから、期待をもたせて約束を履行させる方向に切り替える。


「わたくし、約束を守れない方は嫌ですわ……それに急に言われても……少し考える時間を下さいませ」

「……そっ、そうか。それもそうだな。分かった」


彼が漸く離縁手続きのサインをする。

やっと終わった。

最後の最後に面倒臭かったけど、晴れて自由の身だ。


今日は早めにお戻り下さいねと、まるでそのまま邸宅に留まり続けるかの様に錯覚させて仕事へ送り出す。

私は根回ししておいた使用人達と涙の別れをして、とっとと家を出る。

家だけじゃなくて国も出た。

愛するエリックの元へ。

質素だけど温かい結婚式を挙げ、実家にも元義父母にも手紙を出す。

実家には結婚した事を、義父母には結婚と子供を産めずに申し訳なかったと謝罪を込めて。

まあ、生まれるわけないんだけど。


その後、私とエリックの間にはすぐに子供が生まれた。

実家と義母からの手紙によると、ダニエルは私の国外逃亡と結婚を知り、落胆した後オリビア嬢と結婚したらしい。

仕方なく侯爵夫妻も結婚を認めたのに、うまくいっていないのだそう。

そりゃあ対価を貰って、居心地良くさせてた私と比べたりされたら、オリビア嬢だって嫌になると思う。

嫉妬をしないのは愛してないからだし。

義両親に尽くしたのは、白い結婚のためだし。

社交だって、対価のため。

使用人達にも私に子供が出来ずに追い出した愛人みたいな扱いをされてるらしい。

……それは誤解だけど、きちんと関係を築けばいつかは……まあ、いいか。

もう私にとっては関係の切れた人達だ。

子供が、形にならない言葉を何か呟いている。

あやすように、夫が自分を父と呼ばせようと繰り返す。

それだけで、私の心が温かくなって自然に笑みが浮かんだ。

裕福でなくても、愛する人が側にいて、過ぎていく穏やかな時間に私は幸せを噛みしめた。

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