〈積みわら〉が人を襲う小説

深夜

わらが人を丸呑みする話



 溺れる者は一本のわらをもつかむというが、〈積みわら〉に溺れる者は幸福だ。一本でも二本でも二百本でも、好きなだけつかむがいい。〈積みわら〉は〈積みわら〉という集合であるから、部分である〈わら〉をいくらつかまれたところで痛みは感じない。だから溺れる者が沈みゆく過程でわらを五束、六束とむしりとったとしても、〈積みわら〉は特に構うことはない。〈積みわら〉にとってわらはその一本一本が〈積みわら〉を構成する物質であるが、一本一本はただの乾いた草の一本に過ぎず、〈積みわら〉から離れたわらはただ吹けば飛ぶばかりの無力な存在である。彼らはごみのように野にうち捨てられ風に滑り、運が良ければ早々に勤勉な農夫らによりかき集められて元の〈積みわら〉に戻るだろう。もちろん永遠に戻らず野なり山なりに流れて自由を謳歌するわらもあるだろうし、草を食む偶蹄目の臼歯にすりつぶされることもあるだろう。

 少なくとも〈積みわら〉はそういった事柄についても構うことはない、ように思われる。〈積みわら〉自身がなにを感じ考えているのかは世人には到底知りようもないことだ。わかるのは〈積みわら〉が意志をもって獲物を捕らえていること、そしてその獲物を逃がすつもりはさらさらないということ。もうじき死にゆくものには、それさえわかれば充分だろう。どうせすぐなにもわからなくなる。それまではせいいっぱい暴れていい。数束むしられたところで〈積みわら〉にはまだ数千数万本のわらが頭足類の触腕のごとく控えていたし、彼らはさしたる苦労も感傷も表に出すことなく、犠牲の獲物をその身におさめていく。


〈積みわら〉はさる田園都市の北東部、野に積まれた、高さ三メートル程度の干し草の山である。農夫らの、一種の職人的技術により積まれた干し草は、巨大なものだと成人男性の背をゆうに越え、離れて見ればわらできた簡素な小屋のようにも映るだろう。収穫後の田畑には珍しくない光景で、付近にはそうした干し草の山が大小さまざまに積まれていた。〈積みわら〉はそうしたわらの山の中にまぎれていた。彼ら――便宜上そのように複数形で呼ぶ。複数あるわら山のいくつが〈積みわら〉なのかは見た目で判別できない。そしてそれ以上に、〈積みわら〉が複数のわら束を一個とした群生である可能性も捨てきれないから、複数形単数として「彼ら」と呼ぶのがふさわしいだろう――は見た目の上では他の積みわらとなんら変わるところはない。

 そう、〈積みわら〉は常に他の積みわらと行動をともにしていた。〈積みわら〉が〈積みわら〉だけで不自然な場所に現れることはおそらくない。もしそうしたことがあれば〈積みわら〉はもっと世に広く危険を知られていたであろうし、田畑もない山河や市外にぽつんとわらの山ができていれば、あたりのものは警戒して怪しむだろう。

 そのため、〈積みわら〉は〈積みわら〉としてよそからくるのではなく、積みわらがなんらかのきっかけを得て〈積みわら〉になるものと考えられる。なんらかのきっかけ、なんだっていい、なにがいい? 放射能を浴びた草が突然変異により動性に目覚めた。いいや、UFOがミステリーサークルを作った際に、なぎ倒された麦が最初の〈積みわら〉で、付着した地球外物質が周辺一帯の生物に影響を及ぼしたのだ。馬鹿言うな、〈積みわら〉とは環境汚染破壊が生んだモンスター! 人類を滅ぼさんとする地球の意志の産物なのだ。だから近づくものをバリバリ食べる!

 なんでもいい。〈積みわら〉は〈積みわら〉だ。そして〈積みわら〉が〈積みわら〉としてそこにある以上、〈積みわら〉に襲われるものは必ず現れる。

 想像してみるといい。

 あなたはわら山の前に立っている。

 枯れた草の匂いはあなたをどこか懐かしいような心地にさせるだろう。日によくさらされた干し草は手で触れれば暖かい。数万本もの干し草がひしめきあうわら山は見た目に反して頑丈で、ちょっとやそっとの風では表面のわらがかさかさ鳴るだけだ。もたれかかっても倒れない。上に登って昼寝でもしたらきっと心地がいいだろう。あたりには誰もいない。誰の目も気にせずぐっすり眠れるに違いない。

 あなたはわら山を撫でてみる。まるでうつぶせで寝そべる獣の背を撫でるような、やわらか錯覚をそのままに、〈積みわら〉は己に触れる手をほんの気まぐれにつかみかえす。そして〈積みわら〉は一度つかんだ獲物は放さない。

 あなたは突如としてわらとわらの間に肘までめりこんだ腕にあっけにとられ、あわてて引き抜こうとしてそれができないことに気づき、これはいったいなんの間違いなのかと目を疑う。腕は血圧計測器にでも挟まれているかのような、でたらめな強さで押さえつけられている。目の前にあるのはどう見たってただのわらだというのに。誰かが中にいて、腕を引っ張るいたずらでもしているのか? あなたを驚かせるためだけに誰かひそんでいる?

 人の気配などまったくしないが、あなたは冗談はやめるように呼びかける。面白い、驚いた、驚いたからもう放してほしい。あるいは怒ってもいい。なんのつもりだいい加減にしろ、だれだ顔を見せろ。どちらにせよ応えるものはいない。にもかかわらず腕は少しずつ、少しずつ引きこまれている。もう片方の腕でつかんで引き抜こうとするがびくともしない。どころか、少し力を抜いた途端に腕はさらにわらの山にめりこみ、肘が完全に埋まり、あなたはそのときになってやっと恐怖に声を上げる。目の前で起こっているのはどう考えても異常事態だ。あなたはわら山の中のなにかに、全身を引きこまれようとしている。

 あなたは思わず笑ってしまう。いったいこれはなんの冗談なのだろう。だって、わらの山だ。ただの干し草だ。ただの干し草? そうではない。あなたは即座に否定する。無数のわらが肌をくすぐる。あなたが動いているせいではなく、わらが、動いている、まるで意志をもつもののように、意志があるのだ、わらに、わらの一本一本に。あなたは無数のムカデが腕に絡みつき、這いまわっているところを想像する。再び声を上げる。あたりには誰もいない。誰の目も気にせず、あなたはわらの山にゆっくりと沈みこんでいる。ほら、あなたの腕はもう肩までわらに飲みこまれている。腰を落とし、足に力を入れ、どうにかこれ以上引きこまれないようにあなたは懸命に抵抗する。

 わらの山はあなたの背をはるかに超えている。大きさは大人が五、六人ばかり手をつないで囲んでもまだ足りないくらいの大きさ。つまりは、あなたひとりを収めても十分すぎるくらいのわらが集まっている。悪い冗談だ。なんて悪い冗談なんだ。冗談であってくれ。頼むから冗談であってくれ。首筋をわらがかすめる感覚から少しでも遠ざかりたくてあなたは顔を背ける。あなたの身に降りかかっていることはもちろん冗談などではない。わらが耳たぶをかすめる。干し草と干し草がこすれる乾いた音はともすれば風の囁き。だが、いまや誰がそれをざわめきとして受け取ろう? 生きているのだ。生きているのだ、このわらは!

 だが、それがわかったところでなんになるというのだ。

 わらはいまやあなたの耳の穴へ入りこみ、首を振って逃れようとするあなたをわずらわしそうに取りこもうとしている。わらがつむじを引っかき、固定し、あなたをどこへも行けないようにつかまえておくさまは、親がいまにも駆け出しそうな子供を抱きとめるのにも似ている。それが愛であれ苦であれ、めりこめば沈む、沈めば溺れる。あなたはもはや自由にならない身体で、せめて目を閉じ歯を食いしばってわらの侵入を拒絶し、わらを鼻腔まで吸いこまされて激しく咳きこみ、干し草の先端が舌に刺さり、口いっぱいに頬張らされ、吐き出そうとして吐く舌を押さえつけられ悲鳴はもはや声にならない呻きでしかなく、顎を限界までこじ開けられ、あなたにできることは誰かこの手をつかんで引き戻してくれとばかりに空へ伸ばした腕を懸命にばたつかせることくらいだ。声にならぬ声で泣け。体液は干し草をほんのわずかな間だけもとの草に戻し、草は甘く優しくあなたを生かす。もはやなにを恐れることがあるだろう。

〈積みわら〉はある種の動植物に似て、ゆっくりと獲物を飲みこむ。もちろん思いあまってひと飲みにしてしまうこともあるが、獲物がもう逃げられない状態になれば安全だと判断するのだろうか、じっくりと、長いときには半日もかけて獲物を飲みこむ。もちろん、完全に飲みこまれたところで〈積みわら〉は干し草のかたまりだ。圧死するほどの重さもなければ、かなり息苦しくともかろうじて呼吸はできる。

 あなたは水中で溺れるよりももっと長く生きるだろう。

 それがあなたにとって幸せかどうかは知らないが。





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