第3-1話 溺れる男
与三娘と照勇は町を抜けて川上の村に向かう。自由に町の中を探索できなかったのは心残りだが、三娘の考えは現実的だった。
「どこに行っても金がかかる」
今夜は野宿だと与三娘は言う。
「ねえ、三娘。町も出たし、女の子の格好、もうやめていいよね」
照勇には、さらわれて妓楼に売られるという苦い経験がある。女装をして得になることが、なにかあるだろうか。
「せっかく似合ってるんだからいいじゃないか」
「そういうことじゃないし」
「村に着いたら殺し屋がいるんだぞ。女装くらい我慢しろ」
そう言われてしまうと反論ができない。
殺し屋は反対方向に向かったから絶対大丈夫などとは口にできない。
「おや」
街道を少しはずれて林の中を突っ切っていたときに、かすかな水音が聞こえた。
「川が近いね」
「いや、まだ距離があるはずだが」
三娘が訝しげなようすで、すっと点目を細めた。
「ともかく行ってみよう」
水音と鳥の鳴き声を辿っていくと開けた場所に出た。満々と水を貯えた池だ。岸にはカモがたくさん羽を休めていた。カモがいるということは魚もいそうだ。
「晩飯は焼き魚にするか」
三娘が袖をまくる。なにげなく池を見渡すと、中心に
「人が、浮いてる……!」
池面にぽかりと人が浮いている。
「死体など放っておけ」
「ぼくは死体を見ながら焼き魚を食べられるほど勇ましくな……うわ、動いた!」
死体はパシャパシャと水を跳ね上げた。
「助けてくれ~」
死体だった男が三娘に手を振った。
「お願いだ。足がしびれて泳げない。そこのきみたち、助けてくれ」
「なんだ、おまえ。真冬の池に飛び込んだ間抜けな死に損ないか?」
三娘は腰に手を当ててケラケラと笑う。男はいまにも溺れそうだ。
さすがに見捨ててはおけない。
「早く助けないと……!」
「まあ、待て、五娘。ただで助けてやるのももったいない」
「ええ~?」
「あ、おまえは五娘か。おれだ。助けてくれ!」
男はいっそう激しく水しぶきをあげだした。
「知り合いか?」
「誰だろう……?」
男は奇妙な格好をしていた。道士のような服とかぶりもの。
「おれだ、李高だ! 妓楼で会ったろう!」
「李高……!?」
芙蓉姐さんのいいひとだ。知事の随行員のふりをして朱老太婆から賄賂を受け取って逃げてしまった嘘つき。
「……このまま見捨てるか」
李高の存在をないもののように扱うことに決めたのだろう、三娘は魚釣りの用意を始めた。
「た、助けてくれたら金をやる。この先の宿場で宿代を奢るから」
「宿代とはせこいな。おまえが死んだら全部もらえるしな」
空には暗雲が垂れ込め、ごろごろと空が唸りはじめる。
「……やっぱり助けようよ」
三娘は溜息をついてこちらを見た。
「悪い奴は死んでしまえばいいのさ。あいつ、なんかやらかしたんだろ。これも天の報いってもんだ」
「うーん」
「助け……ごぼ」
「それに寒いだろ。泳ぎたくない。岸から木の枝を伸ばしても届きそうにないし」
「……ぼくは泳げない」
どうしよう。ぎゅっと縮こまる心臓が痛む。胸に手を当てると硬いものに触れた。
「あ、そうだ」
かちこちになった二つの饅頭を取り出す。
「なにをするんだ?」
足下の石に叩きつけて小さく砕いた。
「李高の身体の向こう側までこれを投げられますか?」
「なんだかよくわからんが、水切りは得意だ」
「水切り?」
三娘は饅頭の欠片を握りこむと地面と水平に腕を振って半円を描いた。欠片は水面に三回着水したあと、李高の身体を越えた。
「うわ、すごい」
「石と違って軽いから遠くまで飛ばないな」
三娘は不満そうだ。照勇もやってみた。
「ああ、だめだ。全然飛ばない」
「回転をかけるんだ。平たい石でやってみろ。これとか」
三娘の選んでくれた石を、三娘が教えてくれた通りに投げると、李高に当たった。
「痛て、こら、なにを……ごぼ」
李高の背後で水が跳ねた。鯉が水中から顔を出し、饅頭に食いついたのだ。
「お、面白いな」
三娘は次々に投げた。鯉が群れるさまを見て、食べ物が投げられていることに気づいたカモが対岸から襲来する。見る間に数十羽がどっと餌に群がった。李高の上に誤着した饅頭をカモがつついた。
「いてえええって!」
李高の背後はカモの大群で渋滞した。餌を求めるカモは貪欲だ。李高の背ををぐいぐいと押す。おかげで李高の体は徐々に岸に近づいてきた。
「よーし」
三娘は李高の首根っこを軽々とつかんで引き上げることに成功した。
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