第2-21話 落胆の県知事

 丁禹の眉根が寄る。方術士に会えないせいか、照勇が必死に説得する姿が見れないせいか、知事は機嫌を損ねているようだ。


「すごい方術士がいるものだな」


 一方、三娘は目を輝かせている。照勇も同じだ。

 世の中には神通力や方術が存在するのだ。他人の運勢を見ることができて、さらに変えることもできるなんて、最強ではないか。

 自分は道士になるべく育てられてきたから、神通力や方術についての知識もそれなりにある。三娘や茶商より詳しいと思う。


 そうだ、武術を学ぶよりも方術を極めるほうが自分には合っているかもしれない。できることなら、その方術士の弟子になりたい。

 そんな夢想を破ったのは駅馬の使者だった。使者が携えた親書に目を通すや、丁禹の顔がくもった。


「ああ……」


 茶商夫妻を追い払うと、照勇を手招いた。


「悪い知らせですか」


 なぜ手招かれたのかわからないまま、照勇は訊ねた。


「最悪の知らせだ。来る予定だった新しい知事が落馬して骨折したそうだ。わたしの転任を取り消すので、次の指示があるまでとどまれとのことだ」


「それがなぜ最悪なのでしょうか?」


 そしてなぜそれを照勇に言うのか。

 左右の胥吏は言葉には出していないが頬を緩めている。丁禹の転任延期を喜んでいるのだ。

 案外と丁禹は好かれている。この地でいい仕事をしてきたのだろう。


「なぜ、だと。転任先は副都だったのだぞ。こうやってうやむやのままに出世の機会が遠のくのだ。わたしはいつもここぞというときに……」


「さきほどの方術士を探し出して運勢を変えてもらってはいかがですか」


 よい助言だと思った。そうすれば自分も方術士に会える。

 三娘も胥吏も乗り気で「そうしましょう」「すぐに捕吏を手配しましょう」と声をあげたが、丁禹は片手で制した。


「興味ない」


「えええ!?」


 丁禹をのぞく全員が声をあげた。


「君子は怪力乱神を語らないのだ。そんなことより五娘、さっき、褒美をやるといったろう」


「ああ、はい」


 たしかに、茶商の告訴を上手く取り下げさせたら褒美をくれると言っていた。知事からの褒美とはなんだろうと思わないでもないが、もう関係のないことという思いもある。


「興味ない、です」


 だから丁禹の陰鬱いんうつな顔を拒否した。この男は、予定したとおりに事が進み、思い通りに人を動かすのが好きなのだ。いや好きというより気が楽なのだ。妓楼でのやり取りを思い出してみても、すべては丁知事の予想の範囲内で事が進んだのだろう。終始すました顔をしていたのだから。

 優秀な知事なのだと思う。だが性格はたわんでいる。褒美をもらえずに悔しがる童女の姿を見てみたいなどと考えているような人間に媚びるのはいやだ。


「惜しい」


 丁禹はぼそりと言った。

 照勇は首を傾げてみせた。何言ってんだこいつ、という意味である。


「身請けしてやろうと思っていたのに」


「うっ……!」


 嘔吐えずきそうになったが、なんとか耐えた。


「はあああ? 童女趣味ロリコンかよ。『正面から見た飛蝗バッタ』みたいな顔をしてるくせに」


 三娘は辛辣だった。照勇は本物の飛蝗を見たことはないが、顔を伏せた胥吏の肩が上下しているところから察するに、そっくりなのだろう。


「誤解だ。心外である。身請けしたあと、わたしの側仕えにして、教育を受けさせてやろうと考えたのだ。妓楼に置いておくのは惜しい。ちょうじても三百代言になるのがせいぜいだろう」


 三百代言とは官と民の間に入り、いいかげんなことを言って金を取るゴロツキのことだ。三百文程度の安い金額で請け負う、安かろう悪かろうの商売。こうすれば罪に問われないだの、ああいえば罪を免れられるなど、依頼人に悪知恵をつける。

 官から見たら厄介なだけの存在だろう。振り返ってみれば、たしかに三百代言の真似事をしたという自覚はある。

 妓楼で弓月をかばったとき、丁禹がすべてを見越していたのだと知らなかったから知事の裁定をげさせる心づもりで対決した。

 だがあれは言いがかりでも暴論でもなかった。

 もたざる者は罠に落とされて食い物にされる。それが当たり前とされて誰もおかしいと思わない。


 照勇は、武器がほしいと心から願った。使い方次第で剣にも盾にもなる、悪知恵という武器が。

 丁禹の申し出は純粋な優しさや親切から出たものではないだろう。だが妓女見習いとして拘束されている童女にとっては願ってもない話であることはたしかだ。


 もしかしたら丁禹は「わたしを利用しろ」と言いたいのかもしれない。試しているのかもしれない。


 照勇が口を開くより、三娘のほうが早かった。


「あのなあ、知事さん。我々は行方不明の兄を探していると言っただろう」

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